最初から、選ばれていた
書簡が、机の上に山のように積まれている。
しかも、前に比べて、さらに数が増えていた。
美しいという噂が広まり、聞きつけたのだろうか、
新たに届く書簡の封蝋も、いずれも格式高い家系のものばかりだ。
名家、王族、古い血筋――
いずれも、姫にふさわしい縁談書簡だということは分かる。
だが。
レイラ
「……困ったな」
レイラは、髪をくしゃっとかき上げ、眉を寄せる。
明らかに困惑している様子だ。
爺
「まぁ……姫さまももう二十、
人間の年齢で言えば、適齢期を越しているくらいですからね……」
傍らにいた爺が呟いた。
その声に、レイラは軽く舌打ちを返す。
どの書簡を見ても、並んでいる文字は同じようなものばかりだ。
「美しい姫、宝石のよう」
――中身はない。
名ばかりで、魂のない者たち。
シャガルの額に、薄く皺が寄る。
目を鋭く光らせ、低く唸る。
シャガル
「どこの馬の骨ともわからぬ愚か者に、レイラを渡すか」
「余の女に手を出そうなど、随分と度胸のある連中だな」
テュエルもまた、唇を引き結び、ゆらりと殺気を漂わせる。
「……レイラ様を政略の道具のように扱いやがって……」
「……削いでやろうか………………」
目は完全に笑っていない。
だが、心の中では、別の思いもこみ上げる。
(……純粋に…羨ましい……)
(王族や名家の連中は………)
(俺にも、そんな身分があれば……)
胸の奥に、じわりと熱い感情が広がる。
――嫉妬か。
いや、守りたい、という気持ちの方が大きい。
――レイラは、一人で黙々と書簡を眺め続ける。
机に肘をつき、顎に手を添え、足を組み、片方の指で机をトンットンッと軽く鳴らしながら、ぼんやりと考えている。
脱力しているようでいて、思考の芯は真剣そのもの。
その独特な雰囲気に、シャガルもテュエルも、つい息を飲んで見入ってしまった。
(……さて、どうするか)
小さく呟くレイラの声は、誰にも聞こえない。
だが、その考え抜く様は、ただならぬものがある。
そして――テュエルには、分かる。
レイラはどうせ全ての縁談を蹴ることを、
そして――もし婚姻を結ぶとしても、その相手は
シャガルだということを……。
――どちらにせよ、俺には出る幕はない。
レイラ様の心は、もう別の方向へ走り始めている。
止めることも、引き留めることも、できない。
(……結局、俺は――敗者だ)
そう、心の奥で、静かに受け入れるしかなかった。
諦めたふりをして、押し殺していた想い――
――その時だった。
レイラが、ふっと顔を上げる。
そして、何でもないことのように、言った。
「……テュエル」
「はい」
名を呼ばれ、反射的に応じる。
次の瞬間。
「お前、私と婚姻を結ばないか?」
――意味が、すぐには入ってこなかった。
世界が、止まった。
呼吸も。
思考も。
時間さえも。
テュエル
「…………え……?」
意味が、すぐには理解できない。
一拍。
二拍。
ようやく言葉が脳へ届き、
テュエルは、呆然としたまま聞き返していた。
テュエル
「…………ボク、ですか……?」
信じられない、というより――
信じてはいけないものを聞いたような声だった。
視界の端で、
シャガルが静かに目を細める。
シャガル
「……ほう」
低く、短い声。
そのまま、何事もなかったかのように口元を緩める。
シャガル
「……めでたい話ではないか」
あまりにも自然な声音。
それが逆に、
この現実の異様さを際立たせていた。
レイラ
「……嫌か?」
レイラは不思議そうに首を傾げる。
本当に、
純粋に確認しているだけの顔だった。
そこに駆け引きも、
試すような色もない。
テュエル
「……いえ……そうでは……」
喉が、うまく動かない。
それでも、どうにか息を整えながら続ける。
テュエル
「ただ……
なぜ、ボクなのですか」
疑っているわけではない。
拒むつもりもない。
夢なら覚めてほしくない。
――だからこそ、知りたかった。
自分が、選ばれた理由を。
レイラは少しだけ目を伏せ、
考えるように沈黙したあと――
当然のことのように、言った。
レイラ
「お前以外に、居ないだろう……?」
静かな声だった。
けれど、
迷いは一切なかった。
レイラ
「私を、本当に愛して――
ずっと支えてくれる者は」
レイラは椅子に座ったまま、
ゆっくりとテュエルへ向き直る。
その真っ直ぐな視線が、
逃げ場なく胸へ刺さった。
レイラ
「私は、お前がいい」
一拍。
レイラ
「……お前以外、いない」
――その瞬間。
胸の奥で、
何かが崩れ落ちた。
長く、
長く張り詰めていたもの。
押し殺し、
諦めたふりをして、
見ないようにしていた感情。
“どうせ叶わない”
そう思い込むことで、
必死に守ってきた心が――
一気に、救われていく。
テュエル
「……レイラ様……」
声が震えた。
泣くまいとしていたはずなのに、
もう駄目だった。
(……こんな……)
こんな救いが、
自分に与えられるなど。
思っていなかった。
テュエルは深く膝を折る。
震える手を握り締め、
込み上げる感情を堪えるように。
テュエル
「――謹んで……
お受けいたします」
その言葉を口にした瞬間――
堰を切ったように、涙が溢れた。
胸の奥に閉じ込めていた熱が、
一気に込み上げてくる。
耐えきれず、
ゆっくりと額を床へ伏せた。
ぽたり、と。
頬を伝った涙が、
静かな部屋へ落ちる。
声にならない嗚咽が、
喉の奥から漏れた。
――敗者だと思っていた。
選ばれることなど、
ないのだと。
それでも傍にいたいと願った自分を、
何度も押し殺してきた。
けれど今。
レイラの声が。
真っ直ぐな瞳が。
迷いなく差し出された想いが。
そのすべてが、
凍えていた心を、優しく包み込んでいく。
まるで、
暗闇へ差し込む光のように。
(……あぁ……)
最初から、
選ばれていたのだ。
ようやく――
その意味を、
心の底から知った。
敗者だと思っていた男、
ついに報われました。
……よかったな、テュエル。




