妖王に見られて、初めて羞恥を知った
湯気が、茜色に染まり始めた空へゆっくりと溶けていく。
天井のない露天風呂。
夕暮れの涼しい風と、温かな湯が混じり合い、肌を撫でていく。
湯に身を沈めながら、レイラはぼんやりと空を仰いだ。
(……リアのような)
ふと、脳裏に浮かぶ。
――陽だまりのような笑顔。
――自然と人を和ませる愛嬌。
(…私は……ないな)
小さく息を吐く。
(愛嬌もない。
笑顔も、柔らかさも……)
視線を落とし、自分の体を見下ろす。
(……大きいし)
シャガルはいつも、ひょい、と何でもないように自分を抱き上げる。
だが、それが当たり前だと思っていた感覚に、今になって疑問が差し込む。
(……重くは、ないのだろうか)
湯の中で、指先がきゅっと握られる。
(嗅覚が鋭いから、わがままも多いし……)
酒臭いのは嫌。
汗臭いのも嫌。
血の匂いも嫌だと、顔をしかめる。
(……我慢、させているのではないか)
そう思った瞬間、胸の奥がきゅっと縮む。
(……私は、面倒な女なのでは……)
ぐるぐると、思考が沈んでいく。
「はぁぁ……。」
無意識に、大きく、甘いため息がこぼれた。
その瞬間――
(……あ)
頭が、ふわりと揺れる。
(……まずい)
視界が、少し白む。
(……のぼせている……)
雪女である自分は、もともと長湯を好まない。
体の芯まで温まる前に、冷えを求める性質だ。
「……少し、入りすぎたな」
ようやく気づいた時には、もう遅かった。
「……っ、そろそろ……出ないと……」
湯から立ち上がろうとした、その瞬間。
足元が、ふらつく。
「……ぁ」
次の瞬間――
カタカタカタカターーーン!!
洗面器の山に、見事に突っ込んでいった。
「……うぅ……」
派手な音が、夕暮れの露天に響き渡る。
そして――
???
「レイラ!!」
頭上から、即座に響く声。
「どうした!!」
レイラ
「……え?」
顔を上げた、その先。
女湯の壁、その向こう――
屋根の縁に、がしっと手をかけて身を乗り出している影。
茜色に照らされた、見慣れた顔。
シャガルだった。
シャガル
「大丈夫か!?
今、すごい音が――」
レイラ
「――――ッッッ!!!?」
心臓が、今度こそ跳ね上がる。
「な、なんで……そこに……!!」
以前なら、気にも留めなかったはずなのに。
今は――違った。
「……っ!」
レイラは慌てて、近くにあった手拭いを掴み、
ぎゅっと胸元を覆う。
「見るな!!」
叫ぶと同時に、手近にあった洗面器を掴み、思いきりシャガルへとぶん投げる。
レイラ
「出てけ!!」
シャガル
「なっ――!?」
カン!と音を立て、洗面器がシャガルを正面から打ち抜いた。
シャガル
「ふぎゃッッッ!!」
レイラはもう一発お見舞いしようと洗面器を振りかざす
シャガル
「や、やめろ!よ、余は心配で――!」
レイラ
「うるさい!今すぐ降りろ!!」
必死の声だった。
シャガル
「……す、すまぬ……」
完全に面食らった様子で、
シャガルは慌てて屋根から身を引く。
どさ、と音がして、
ようやく、気配が遠のいた。
露天に、静けさが戻る。
レイラはその場にしゃがみ込み、
しばらく、動けずにいた。
(……今の……)
胸が、異様な速さで脈打っている。
羞恥。
動揺。
そして――
(……前は、こんな……)
絶対に、なかった感覚。
湯気の向こうで、
宵へと変わりゆく風が、ひやりと頬を撫でた。
――その様子を。
廊下の向こうで、テュエルは見ていた。
湯殿から聞こえた騒音。
続いて飛び出してきたシャガル。
そして、戸の向こうから響いた、レイラの声。
『……出てけ!!』
その一言が、胸に突き刺さる。
テュエル
「……羞恥心……」
ぽつり、と漏れる。
「レイラ様に……羞恥心が……目覚めた……のか……」
理解した瞬間、
胃の奥が、ひどく冷えた。
それは、些細な変化で。
だが、決定的な変化だった。
テュエルは、視線を落とす。
何も言えず、ただ、立ち尽くしていた。
――
それからしばらくして。
テュエル
「レイラ様」
執務の合間、テュエルはいつも通りの調子で声をかける。
「美味しい茶菓子が手に入ったそうですよ^^」
穏やかな笑み。
何の含みもないような声音。
「“シャガル”のヤツも呼んで、三人で食べましょうか」
――鎌だった。
だが、それを悟らせる気はない。
あくまで、自然に。
レイラ
「……うん」
レイラは、ほんの一瞬だけ間を置いてから、答えた。
「……そうだね」
わずかに頬を染め、
視線を逸らしながら。
その仕草が――
テュエルの胸を、鋭く刺した。
(……ああ)
ズキン、と鈍い痛み。
鎌をかけたのは自分なのに。
確かめたかったのは自分なのに。
その答えを前に、
ただ、受け入れるしかなかった。
――――
それからというもの。
レイラは、どうにも調子が出なかった。
書類に向かっても、思考は散り、
文字を追っているはずなのに、意味が頭に残らない。
気づけば、同じ行を何度もなぞっている。
(……集中せねば)
そう思うほど、心は別のところへ逸れていく。
夜――
灯りを落とし、横になる。
いつもの時間。
だが、
犬の姿のシャガルが、隣に来ることはなかった。
耳を澄ませる。
足音も、気配も、ない。
(……そういえば)
胸の奥に、かすかな空白が生まれる。
(最近……来ていないな)
理由は、分からない。
来ないこと自体、責めるつもりもない。
――ただ。
思った以上に、
その不在が、胸に残った。
いつもそこにあった温もり。
眠りに落ちる前に感じていた、静かな安心。
それが欠けただけで、
夜が、少しだけ長く感じられる。
日中も、ふと視線を向けると、
シャガルは以前より、疲れているように見えた。
表情は変わらない。
声も、いつも通りだ。
それでも――
何かが、違う。
昼寝の時間が、少しずつ長くなっていることにも、
気づいてしまった。
レイラ
「……シャガル……」
思わず、名を呼んでから、
はっとする。
(……どうしたのだろう)
心配、というには、
少し、違う。
胸の奥にあるのは、
理由の分からない不安と――
静かに、積もっていくような、
言葉にできない、寂しさだった。
ちなみにレイラは180cmあります。
そしてそんなレイラに羞恥心が芽生えたことにより、
テュエルが今日も致命傷を負っています。




