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目を覚ませと祈る声だけが、妖王を人にした

腕の中のレイラを抱いたまま、シャガルは城門をくぐった。


呼ばれる声がある。

爺が駆け寄り、テュエルと医官たちが慌ただしく動き出す。

家臣たちの足音が重なり、空気が一気に張り詰めた。


――それなのに。


そのすべてが、ひどく遠い。

声は届いているはずなのに、意味を持たず、ただ流れていく。

人の動きも、視界の端をなぞるだけで、確かな重さを伴わない。


現実として、シャガルの中に残っているのは――腕の中の重みだけだった。


血と泥に汚れた衣。

力を失い、ぐったりと預けられた体。

浅く、頼りない呼吸。


医官に引き渡すその瞬間でさえ、指先が離れる感覚が、ひどく恐ろしかった。

寝台へ移される間も、誰かが何かを告げているはずなのに、音は水の底から聞こえるように歪んでいる。


ただ――彼女の息遣いだけが、異様なほど鮮明に、余の胸に触れていた。


巫女の光も、妖の結界も、自らの暴走も――

すべてを越えて、レイラは余のもとへ来た。


震える手を伸ばし、泣きながら、それでも名を呼ぶ。

その声だけが、余を、この世に繋ぎとめていた。


怖かった。

心の底から、震えるほどに。

あのまま、レイラがいなければ……

余は、間違いなく“本物の鬼”になっていた。


レイラを寝台に寝かせたあとも、シャガルは布団の端を握ったまま、微動だにしない。


シャガル

「頼むから……余を置いて逝くな……」


後悔と安堵が入り混じり、涙が零れ落ちそうになる。


テュエルが静かに近づき、声をかける。


テュエル

「…シャガル、レイラ様は強い。必ず目を覚まします。」


だが、シャガルは答えない。

ただ、レイラの手を自分の額に押し当て、震えている。


シャガル

「強いからこそ……怖いのだ。

余は……いずれ、あの力で……レイラを……」


言葉は途中でかすれる。


テュエルは、胸に迫るものを感じる。

森で見た弱さを越え、妖の王が全身で震え、必死に誰かを守ろうともがく――その姿を。


震える手は、まだレイラの額に触れたまま。


髪を撫でる指先に、力を込めるわけでもなく、ただ触れて確かめるだけ。


シャガル

「……早く、余を叱れ。

目を開けて……いつものように余を困らせてくれ……」


掠れた声が、涙ににじむ。


――テュエルも、本当は傍にいたい。

握りたい、頬を触れて無事か確かめたい、声をかけて安心したい――。


その衝動に胸が締め付けられる。

だが今、こんな状態のシャガルの前で、口を挟むことなどできるはずもない。


ただ静かに、息を押し殺し、横に寄り添うしかなかった。


心の奥で、焦がれるように――でも決して触れられない想いを抱えながら。


――その夜から、シャガルは一歩も離れなかった。

枕元に座り続け、時間を忘れた。


何時間も、同じ姿勢で、背中や腕が痛くなっても、決して動かない。


水も、食事も、テュエルに頼もうとはしない。

手はずっと、レイラの額に触れ、体温を確かめる。


眠らず、動かず、ただ見守るだけ。

離れれば、消えてしまうのではないか――そんな恐怖に押し潰されそうで。


 ――


シャガルは体を動かすことすら忘れ、ただ枕元に座り続けた。


額に触れた手の感覚で、体温を確認する。

熱すぎず、冷たすぎず――それだけでほっとしながらも、胸の奥はずっときりきりと痛む。


シャガル

「……しっかりしろ、余……」


小さく、独りごちる。

息を潜めながら、呼吸のたびに揺れる胸を必死に押さえる。


目を離した瞬間、消えてしまいそうで、指先が離せない。


ほんのわずかに動く指先やまぶたに、心臓を鷲掴みにされるような緊張が走る。


シャガル

「……っレイラ?!」


何度も、何度も確認するが、気のせいかもしれない。

何度も期待し、何度も裏切られる。


隣にいるテュエルも、息を潜め、額に手を当てて祈るように見守る。


テュエル

「まだ……目を覚まさないのですね……」


小さく漏れた声に、シャガルは反射的に顔を上げ、険しく眉を寄せる。


シャガル

「……なぜ……目を覚まさぬ……」


問いかけの言葉は、怒りでも、嘆きでも、悲鳴でもなく――

ただ、恐怖と絶望の塊だった。


時間の感覚は消え、夜は永遠に続くように思えた。

呼吸の音、布団の揺れ、指先に伝わるわずかな震え――


すべてが異様に拡大し、シャガルの胸を締め付ける。


何度も、軽く目を閉じ、手を握り直す。

その手の中で、レイラの微かな息遣いだけが、かろうじて現実として残る。


シャガル

「……お願いだ……レイラ……消えるな……」


涙が頬を伝う。自覚せぬまま、嗚咽が漏れそうになるが、必死に堪える。


何時間経ったのか、もはや分からない。

目を閉じても、耳を塞いでも、胸の奥の不安は消えず、

このまま夜が終わらなければいい、いや終わってはいけない――

そう、祈るように、シャガルはただ座り続けた。


指先はレイラの髪を撫で、手のひらで額に触れ続ける。

体は痛く、背はこわばり、全身が疲弊していく。


それでも動かない。

動けば、レイラが目の前から消えてしまうような気がして――


夜は、長く、静かに、しかし容赦なくテュエルとシャガル、二人の心を苛んだ。



 ――――



明け方――

わずかに、指先が動いた。


レイラが目を開ける。


「シャ…ガル…?」


その瞬間、シャガルは息を飲んだ。

額に押し当てていた手が一瞬止まり、視界が揺れる。


幻か、いや、これは現実だ――すぐにそう気づき、胸の奥が熱くなる。


シャガル

「――っレイラ!!!!!」


喉が張り裂けるかと思うほど、声を絞り出す。

声と同時に、震えが全身に走る。


歯を食いしばって泣かぬよう耐えるが、手は自然と彼女の頬に触れ、温もりを確かめると力が抜けた。


シャガル

「生きている……」

「レイラが……生きている……」


その一言だけで、シャガルが夜の地獄のような時間にどれだけ押し潰されそうだったかが伝わる。


レイラは、かすかに微笑む。


レイラ

「シャガル…おかえり……」


その言葉を聞き、声にならない声を上げるシャガル。


シャガル

「っ―――――――!」


意識が途切れていたあいだ、どれだけ長い時間が経ったのだろう――


レイラ

「心配かけて…ごめん…」


どれだけ長く、遠くに感じさせてしまったのだろう。

シャガルが震えていることに、レイラは静かに気づく。


レイラ

「ただいま…シャガル。」

 


シャガルはその言葉を聞き、額を寄せたまま、全身の力を抜くことはできなかった。


目からは涙が零れそうになる。

恐怖と安堵が入り混じり、胸が張り裂けそうだった。


そして――ためらいなど一切なく、レイラを隙間なく抱きしめる。


傷の痛みも、体の重さも、考える余裕はない。

ただ、壊したくない、奪われたくない――その一心で、自分のすべてをぶつけるように。

 


扉の外、静かに待機しているテュエルは、胸の奥が高鳴るのを感じていた。


レイラが無事であること――それだけで救われる気持ち。


抱きしめたい、頬を触れたい――その衝動を必死に押さえ、静かにその場を離れる。


(今は、二人だけの瞬間……)


心の奥で焦がれる想いを抱えながらも、決して触れずに。



 

 ――抱きしめたまま、シャガルの体が震え、全身から力が抜けていく。


 

長い夜、鬼としての自らを制御し、あの暴走を抑え、さらにレイラにつきっきりで意識を張り詰めていた身体は、もう限界だった。


シャガル

「……っ……」


 

声にならぬ吐息を漏らし、額を寄せたままそのまま床に崩れ落ちそうになる。

 

手の中の重みを守りたい――その一心で握り続けた腕も、今はただ温かさを感じるだけ。

 

胸の奥に押し込めた恐怖も安堵も、張り詰めた糸も、すべてが一気に解ける。


「シャ……ガル……?」


レイラの微かな声に、シャガルは微かに反応するが、もう身体を支える力は残っていなかった。

 

そのまま肩を小さく揺らし、床に沈み込むように眠る。

 

レイラ

「……テュエル…居るか…?」


レイラは、まだ震える手で彼を呼ぶ。


テュエル

「――はい、レイラ様こちらに」


レイラ

「シャガルを……お願い……」


テュエルは即座に駆け寄り、慎重にシャガルの身体を抱え上げる。


「畏まりました。レイラ様^^」

「ご無事で……なによりです……」


 レイラ

「あぁ……苦労をかけたな」

 

シャガルの重みと熱を感じながらも、テュエルは静かに背筋を伸ばし、そっと寝台まで運ぶ。


途中、シャガルがうっすら目を動かすと、テュエルは息を潜め、ただ穏やかな声で囁く。


テュエル

「安心してください、シャガル。もう……大丈夫です」


 その声に安心したようにシャガルはそのまま完全に意識を失う。

 

寝台に横たえられたシャガルを見守りつつ、テュエルはレイラの元へと向かう。


テュエル

「大丈夫です。レイラ様。シャガルも無事です」


レイラは床に手をつき、深呼吸をして、今までの緊張が少しずつ解けていく。

 

長かった夜の緊張が、少しずつ体の力を抜かせるかのように、穏やかに流れ出した。


窓の外から差し込む朝の光は、まだ柔らかく、冷たさの残る夜を包み込むように城の廊下に流れ込む。


その光が、壁や床を淡く照らし、長く重苦しかった夜の影を優しく溶かしていった。


 

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