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妖王が初めて“守る”と決めた女

 血が、地面に落ちる。


 一滴。

 また一滴。


 それでも——

 レイラは、立っていた。


 膝は笑い、

 視界は揺れている。


 それでも、

 刀だけは離さなかった。


 ふと、刃が光を反射する。


 そこに刻まれた文字。


【愛娘】


 胸の奥が、熱を帯びた。


(……父上……)


 呼べば、

 崩れてしまいそうで。


 だから、

 ただ——握る。


 強く。

 強く。


「……来い」


 掠れた声が、

 静かに落ちた。


 その瞬間。


 空気が、変わった。

 

カイホウ

「……っ?」


 天墓使の一人が、息を呑む。


 風が——

 レイラを中心に、集まり始めていた。


 髪が揺れ、

 衣がはためく。


 視線が、鋭くなる。


 世界が、

 “遅く”なった。


フゲン

「——浄天史、前へ!」


 号令と共に、

 六体の神意執行体が動く。


 光刃が、

 一斉に振り下ろされる。


 ——だが。


 レイラの姿が、

 掻き消えた。


カイホウ

「……なっ……!?」


 一体目。


 風を裂く音。


 次の瞬間、

 光の身体が真っ二つに割れ、霧散する。


 二体目。


 跳躍。

 回転。


 刃が描いた弧は、

 あまりにも——美しかった。


 光が、断ち切られる。


 三体目、四体目。


 反応すら、追いつかない。


フゲン

「……ば、馬鹿な……」


 天墓使の声が、震える。


 残る二体が、後退する。


 

 その時。


「……なんて…………」


 テュエルの声だった。


 磔にされたまま、

 ただ見つめることしかできない。


「……圧倒的な……力……」


 息をするのも、忘れたように。


「……そして……」


 五体目。


 目が、離せない。


「……美しい……」


 最後の浄天史が、

 恐怖に歪む。


 レイラは、踏み込む。


 一太刀。


 それだけで、

 神意は“終わった”。


 ——静寂。


ジョウカ

「……浄天史が……全滅……?」


スミ

「……人の……妖の……いや……」


 ざわめきが、広がる。


 残ったのは——カイホウ。


 彼は、息を呑んだ。


「……ば、かな……」


 錫杖を構える間もなかった。


 風が、鳴った。


 ――――次の瞬間。


 ――――ガッ。


 衝撃音と共に、

 カイホウの身体が地面を抉って転がる。


 意識を刈り取るには、十分すぎる一撃。


 

 レイラは振り返らなかった。


 視線は、ただ一つ。


 神木。


 ――歩き出す。


フゲン

「……結界に、近づくな!」


 天墓使の叫び。


 だが——


 バチン!!


「……っ!」


 再び、弾かれる。


 皮膚が裂け、

 血が散る。


フゲン

「……やはり……入れぬ……!

 何度やっても同じこと!!」



 それでも、

 レイラは歩く。


 一歩。

 また一歩。


(……おかしい……)


 ふと、思う。


 結界が——

 “見えている”。


 張り巡らされた理。

 拒絶の流れ。


(……私は……)


 今まで、

 視ているだけだと思っていた。


 巫女の目は、

 情報を知るためのものだと。


 だが——


 今は。


(……触れてる……)


 結界の“性質”に。

 理の“揺らぎ”に。


「……まさか……」


 フゲンの声が、かすれる。


「……結界に……干渉している……?」


 レイラは、

 静かに手を伸ばす。


 否定しない。

 拒まない。


 ただ——

 重ねる。


 妖の理と、

 人の理を。


 中和する。


 結界が、軋む。


スミ

「……ひびが……!」


 理が、悲鳴を上げる。


 ――パンッ


 と音を立てて結界が

 崩れ去り道が、開いた。


ジョウカ

「……入っ……た……?」



 レイラは、神木の前に立つ。

 


「……終わらせる」


 刀を振るう。


 霊力を宿した一撃が、

 神木の幹を、深く――断つ。


 

 ――ギィィ……。


 

 音。


 それは、木の軋みではなかった。


 ――呻き。

 ――悲鳴。


 神木が、震える。


 その瞬間。


「……やった……」


 テュエルが、息を吐く。


 ――だが。


「……まだだ」


 フゲンの声が、低く響いた。


 その目は、

 理ではなく――執着を宿していた。


「……妖は、まだ滅びていない」

 そう言うと神木に向かい術式を唱えようとしていた



「……フゲン、待て!」


 ジョウカが叫ぶ。


「壊れた神木に、再喚問など……!」


 スミも、声を震わせる。


「…だめ………神木が…泣いてる……!」


 だが――


 フゲンは、止まらない。


「構わぬ」


 印を結ぶ。


「妖を屠る(ほふ)ためなら……」


 血迷ったように、詠唱を重ねる。


「……神木よ。再び、応えよ」


 ――術式が、歪んだ。


 壊れかけの神木が、

 無理やり引きずり起こされる。


 そして。


 神木が――吼えた。


 ――ギイィィ……ッ!!

 


――異変は、静かに始まった。


 神木の根が、砕ける。

 張り巡らされていた術式が、悲鳴を上げて崩壊する。


 行き場を失った妖力が、

 毒の濁流となって――一気に、流れ込んだ。


 ただ一人。


 シャガルへ。


「……ッ、ぐ……ァ……!!」


 磔にされていた身体が、痙攣する。

 骨が軋み、肉が盛り上がり、血管が浮き上がる。


 ――牙が、生えた。


 伸びる。

 裂ける口元から、白く鋭い牙が覗く。


 瞳が、変わる。

 理性の色が、削ぎ落とされていく。


スミ

「……そ、そんな……」


 スミの声が、震えた。


「逆流……している……?」

「全ての……妖力が……」


 ジョウカが、息を呑む。


 次の瞬間。


 ――轟音。


 大地が、沈んだ。

 周囲の木々が根こそぎ倒れ、風圧が吹き荒れる。


 そこに立っていたのは、

 もはや“シャガル”の面影を持たぬ存在だった。


 異形。

 本物の――鬼。


 肌は妖力に染まり、

 牙を剥き、咆哮を上げる。


「……終わりだ……」

 フゲンが呟いた。


「これは……討伐対象ではない……」

「自然災害だ……」


 天墓使たちは、悟った。

 ここで死ぬのだと。


 だが――


「シャガル!!」


 一人だけ。

 一人だけ、退かなかった。


「シャガル!!シャガル!!」


 レイラだった。


 鬼が、暴れる。

 腕を振るえば、大地が裂ける。


 天墓使は散開する。

 逃げる。

 生き延びるために。


 だが、レイラは動かない。


「シャガル!!聞け!!」


 呼ぶ。

 ただ、名を。


 鬼の動きが、僅かに鈍る。


 その内側で、

 何かが――引っかかった。


【……誰だ】


 重く、濁った声。


【誰かが……余を呼んでいる】


【……シャガル?】


 その名を、口にする。


【余は――酒呑童子だ】

【そのような名では……ない】


 鬼が、頭を抱える。

 苦しむように、吼える。


「シャガル!!目を覚ませ!!」


【シャガル……】


 繰り返す。


【……懐かしい……?】


 違和感。

 名に、温度がある。


【いつからだ……】

【その名を……】


「レイラ様!!危険です!!」


 テュエルが、叫ぶ。


「近づいたら……!!」


 ――それでも。


 レイラは、走った。


 鬼の懐へ。

 暴風の中心へ。


「シャガル!!!」


 跳ぶ。

 胸元へ。


 両手で――その顔を掴む。


 異形の鬼の、顔を。


「思い出せ!!!」


 叫ぶ。


「お前は妖の王だろう!!」

「誇りを持って立つ者なのだろう!!?」


 息を吸い。


「酒呑童子――いや……」


 はっきりと。


「シャガル!!!!」


 その瞬間。


 鬼の瞳が、揺れた。


 初めて、

 “世界”が映る。


「……レ……イ……ラ……?」


 掠れた声。


 鬼の頬を、涙が伝っていた。

 苦しみに、耐え続けた証。


 レイラは、抱きつく。

 震える身体を、包み込む。


 そして、

 涙を拭いながら――微笑んだ。


「そうだ」


 優しく。


「お前は……シャガルだ」


 指先に、温度を込めて。


「私が――そう名付けた」


 その言葉が、

 深く、深く、届いた。


【……余は……】


 妖力が、静まっていく。

 暴走していた力が、収束する。


【……シャガル……】


 鬼の姿が、崩れ落ちる。


 角が消え、

 牙が引き、

 荒れ狂っていた妖気が、静かに霧散する。


 そこに立っていたのは――


 いつもの、シャガルだった。


「……よか…った………」


 テュエルが、息を吐く。


 

 ――――



 静寂が、戻ってきた。


 荒れ狂っていた妖気は消え、

 折れた木々も、裂けた大地も――

 ただの傷跡として、その場に残るだけだった。


  レイラは、

 まだシャガルの胸元に、しがみついていた。


 その指先が、

 ゆっくりと――力を失う。


「……レイラ?」


 呼びかけた、その瞬間。


 身体が、崩れた。


 シャガルの腕の中で、

 糸が切れたように。


「……っ」


 反射的に、抱き留める。


 間に合った。

 だが――


 レイラの瞼は、

 静かに――伏せられていた。


「……気を失った、か」


 シャガルは、安堵を滲ませるように、

 低く呟いた。


 シャガルは、

 その身体を、静かに抱き直した。


 落とさぬよう。

 傷に触れぬよう。


 まるで――

 この世で、最も大切な宝物を扱うかのように。

 


 乱れた髪を、腕で支え、

 血に濡れた額に、触れぬよう細心の注意を払う。


 その姿を、

 天墓使の者たちは――言葉もなく、見ていた。


 つい先ほどまで、

 “災厄”と断じていた妖。


 その妖が今、

 これ以上ないほど大切そうに、

 一人の女を抱いている。


 シャガルは、ゆっくりと顔を上げた。


 鋭い視線が、

 天墓使たちを射抜く。


「……覚えておけ」


 低く、しかしはっきりと。


「妖だからといって、全てを同じ枠に嵌めるな」


 一歩、前へ。


 抱いた腕に、力がこもる。


「この世には――」

「これほどまでに、尊い女も居る」


 ――


「これ以上」

「この者を陥れるような真似をすれば」


 声が、冷える。


「……ただでは済まさぬ……」


 それ以上は言わない。


 だが、

 その沈黙の方が、雄弁だった。


 シャガルは踵を返す。


 レイラを抱いたまま、

 迷いなく、その場を去る



 結界の中から解放され、

 まだ足元も覚束ないまま――

 それでも、前に出るテュエル。


 彼は、天墓使を見据えた。


「……あなた達がしたことを」

「俺は、決して許せません」


 震えながらも、言葉を続ける。


「でも……」

「妖全てを、無下にしないでください」


 胸に、手を当てる。


「俺は、人間だ」

「……ですが」

「妖に、支えられて生きてきた」

 

 視線を伏せ、また天墓使を見る。


「力を与えられ」

「居場所を与えられ」

「……生きる理由を、与えられた」


 声は震えていない。

 静かで、真っ直ぐだった。


「だから、俺は今ここに立っています」


 ――


「あなた達も……」

「本当に、“何も受け取らずに”生きてきたんですか?」


「妖から」

 

 ――


 その中で――

 一人の男が、僅かに息を詰めた。


 脳裏に、浮かぶ光景。


 雪。

 吹雪。

 死を覚悟した、幼い日の記憶。


 ――差し出された、白い手。


 薄着だった。

 寒さなど、感じていないようだった。


 優しく笑い、

 道を示してくれた――女性。


(……あれは……)


 雪女。


 小さかったから、気づかなかった。

 次に会ったら、討つべき存在だと、

 ずっと、自分に言い聞かせてきた。


(……違う……)


 助けられていた。


 確かに――

 救われていた。


  男は、唇を噛みしめた


 ――――――


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