レイラの涙で止まった、嫉妬と想いの殴り合い
城外の修練場近くの滝。
そこに、テュエルがいた。
滝に打たれ、必死に精神を落ち着けようとしていた。
最近の自分の行いが脳裏に次々蘇る。
(過剰な詮索、突き放し、追い詰め、腕を傷つけたこと——そして今朝、挨拶すらできなかったこと。)
限界だった。
あまりにも、愚かだった。
一介の護衛でしかない自分が、姫に何を求めているのか。
このままでは、自分の手でレイラを手放すことになる。
その自責が胸を締め上げる。
だが同時に、シャガルの顔が浮かぶ。
あいつが全ての元凶ではないか。
土足でレイラ様と自分の間に入り込み、
レイラ様との“適切な距離”を壊していった。
許せない。許せるはずがない。
そんな黒い感情を抱えたまま滝から上がり服を着ていると――
シャガルが目の前に現れた。
一瞬で、空気が凍りついた。
テュエル
「貴様、何の用だ」
シャガルの瞳が、怒りと悲しみの色を同時に宿して揺れる。
シャガル
「……猿……貴様……レイラを泣かせたな」
低く、押し殺した声。
“殺意ではなく、痛みが限界を越えた声”だった。
テュエルは目を見開く。
(レイラ様を……泣かせた?
なぜ……? 俺が……?)
泣いていることを知らないテュエルは硬直する。
罪悪感が喉を塞ぎ、声が出ない。
シャガルの拳が震えるほど強く握られる。
シャガル
「嫉妬するのは勝手だが――
レイラを巻き込むなッ!!!」
その叫びと共に、初撃が飛ぶ。
それは怒号ではない。
大切な者を傷つけられた男の、本当の声だった。
衝撃でテュエルが吹っ飛び、尻もちをつく。
その瞬間、胸の奥で張り詰めていた糸がブツリと切れた。
テュエル
「……てめぇが原因だろうが……!!」
低い、震える声。
怒りだけではない。
嫉妬、劣等感、後悔、自己嫌悪——全部が煮え立って混ざった声。
テュエルもたまらず反撃する。
受けたシャガルの身体がのけぞり、目が見開かれる。
胸の奥で怒りが爆ぜる。
“レイラを守れなかった悔しさ”と“傷つけた相手への憎悪”が融合し、理性が吹き飛んだ。
シャガル
「貴様の……レイラへの想いは!!
その程度かッ!!!」
叫びと共に、
シャガルの拳がテュエルの腹部へ深く沈む。
ゴッッ――!!
空気が押し出される鈍い音。
テュエルの体がくの字に折れる。
テュエル
「……てめぇに……何がわかるッ!!」
返す拳が、シャガルの胸骨に叩きつけられる。
骨が軋む音。
シャガルが数歩、後ろへ吹き飛ぶ。
喉から低い唸り声が漏れる。
それは怒りではなく、
「レイラを壊された男の心の痛み」 そのもの。
シャガル
「余が!!!
命より大切に想う宝を!!!
貴様は……壊したのだ!!」
拳がテュエルの頬骨に叩きつけられる。
視界が白く弾ける。
だが、その一瞬の隙に噴き上がる感情がある。
“レイラを泣かせたのは俺だ”
その罪悪感が狂気の火種へと変わる。
テュエル
「宝だと……?! ふざけるな……!!
俺のだ……俺の宝を……
てめぇになんか……!! 奪われてたまるか!!」
怒声と共に、
テュエルの肘がシャガルの脇腹へ深くめり込む。
シャガルの体が揺れ、息が漏れる。
それでも止まらない。
シャガル
「レイラを……泣かせた……っ!!
それがすべてだッ!!!
貴様は……絶対許さぬ!!」
シャガルの拳がテュエルの肩口へ落ち、関節を軋ませる。
テュエルも反撃する。
心も、体も、拳も、もう止まらない。
テュエル
「レイラ様を守るのは……俺だァッ!!」
拳がシャガルの頬を打ち抜く。
シャガル
「余だ!!!
レイラを笑わせるのは……余だッ!!!」
拳がテュエルの胸元へ深く沈む。
血が飛び散り、湿った地面に赤い点が生まれる。
視界が揺れ、呼吸が荒れ、痛みに体が震えても——
二人は止まらない。
止まれない。
なぜなら――
ここでぶつけているのは拳ではなく、
“レイラへの想いそのもの”だから。
――――
レイラは、あの場所——
自室前の床に座り込んだまま、
無表情で涙だけを流し続けていた。
時間の流れも、音も、温度も感じない。
ただ“ここにいない誰か”の影だけが胸を締めつけ続ける。
その時——
ふわりと、風が吹いた。
ピクリ。
レイラの指先がわずかに震える。
意識の底に沈んでいた感覚がゆっくりと浮かび上がる。
(………………匂い…………?)
鼻腔を刺す、鉄のように生々しい匂い。
レイラ
「…………血……?」
瞳が小さく揺れる。
眠り続けていた“感情”が、かすかに目を覚ます。
次の瞬間。
(この匂い……知ってる……
テュエルと……シャガル…………!!)
胸の奥で、何かが弾けた。
レイラ
「……っ!!」
がたり、と床を蹴って立ち上がる。
まだ涙は頬を伝っているのに、
その瞳には強い焦りが宿っていた。
――行かなければ。
二人が、傷ついている
レイラ
「……テュエル……シャガル……!」
匂いのする方向へ、
レイラは迷いもなく駆け出した。
草を踏む音も、息の乱れも気にする余裕はない。
向かう先には——
愛する二人が、互いを傷つけ合っている光景がある。
レイラはただ、その未来を止めるために走った。
――――――――
血と息の匂いが混ざり合う中、
互いの拳は何度目かもわからぬほどぶつかり、
それでもまだ収まらない。
テュエル
「……俺が……レイラ様を……泣かせるわけねぇだろ……!」
その声は怒鳴りではない。
自分自身を殴るような、
罪悪感と悔しさでぐしゃぐしゃになった声。
胸の奥で、
“泣かせたのは俺だ”
その事実が棘のように刺さり続けている。
シャガル
「ならば――なぜ壊した!!!
ずっと守ってきた物ではないのかッ!!」
声は震えている。
怒りだけじゃない。
“守れなかった自分への怒り”が混ざって軋んでいる。
ふたりの視線がぶつかった瞬間、
空気が裂けるように張りつめた。
テュエルは歯を食いしばる。
シャガルは拳を血が滲むほど握りしめる。
止まれない。
止まりたくても、止まれない。
心の奥にある“レイラ”だけが互いを突き動かしている。
そして——
ふたりの拳が再び振り上げられた、その瞬間
レイラ
「……やめろッ!!!」
その叫びは震えながらも、
滝の轟音すら切り裂くほど必死で、痛々しいほど強かった。
二人の拳が、目前でピタリと止まる。
怒りで何も見えなくなっていた二人の意識が、
その瞬間だけ一気に現実に引き戻される。
レイラの声だけは——
どんな怒りよりも深く、鋭く、心臓に刺さる。
レイラは涙を止められず、
震える足でふらつきながら、
それでもふたりの間に立った。
胸が上下している。
泣いて、怖くて、それでも止めなきゃと必死で呼吸している。
レイラ
「……やめろ……
お願いだ……
お前たちが傷つくのが……
いちばん……嫌なんだ……ッ……」
喉が痛むほど絞り出したその声は、
涙でひび割れ、震え、
言葉一つひとつが刺すように重かった。
その瞬間、
テュエルの膝が崩れ落ちるように地面へ沈む。
拳を握ったまま、震えて、顔を伏せる。
自分が彼女を泣かせているという事実が、
あまりにも強く胸を貫いた。
シャガルは強く唇を噛みしめ、
拳が震えて、爪が食い込み血が滲むほど力が入っているのに、
もう振り下ろすこともできず、ただ立ち尽くす。
レイラはふたりの手をそっと取った。
小刻みに震える指で、それでも必死に掴む。
その瞳は涙でぐしゃぐしゃで、
それでも真っ直ぐふたりを見て言う。
レイラ
「……私は……
お前たち二人がいないと……
駄目なんだ……
ひとりじゃ……駄目なんだ……ッ……」
声が割れた。
涙がこぼれ続ける。
その一言一言が、
胸の奥で割れた痛みそのものだった。
だからこそ——
ふたりの心の奥深くまで静かに、けれど確かに沁みていく。
怒りも憎しみも、すぐには消えない。
でも、
レイラの涙が触れた瞬間から、
ふたりの中の何かが音を立てて変わり始めた。
この瞬間、三人の物語は
傷だらけのまま、
それでも確かに
別の形へと進み始める。




