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壊してしまった信頼を、もう一度この腕で


レイラは深く息を吸い、ふたりの間にそっと視線を投げる。


血に濡れた拳、息の乱れ、地面に散った赤い点。

そのすべてが痛々しく、胸が締めつけられた。


レイラ

「……テュエル……救護室に行き、手当してもらえ。」


その声は震えていたが、確かな強さがあった。


テュエルは一瞬だけ驚き、すぐに静かに頷く。

レイラの言葉が絶対だから——ではなく、

“これ以上、彼女を泣かせたくない”

その想いだけで動いていた。



立ち去っていく背中は、重く――どこか壊れかけているようだった。


それを見送るレイラの瞳はまたうるんだ。


テュエルの姿が見えなくなってから、

レイラは振り返り、地面に座り込むシャガルへゆっくり近づく。


レイラ

「……シャガル……少し話してもいいか?」


普段より少し弱くて、かすれた声。


シャガル

「……構わぬ。」


どこかバツが悪そうで、

でも滲む気遣いは隠しきれない。


シャガルは体をひねり、

しゃがんだままレイラへまっすぐ視線を向ける。


レイラ

「……シャガル……今日は……ありがとう。」


その言葉だけで声が震える。

シャガルは目を見開き、

いつもの威圧感のある表情がほんの少しだけ崩れた。


シャガル

「礼などいらん。

 余は、レイラ……お前が泣いていたから止めに行っただけだ。」


素直じゃない、でも声の端がやさしい。


レイラ

「違う……。

 私のために怒ってくれたのだろう?

 ちゃんと……わかった。

 ……あれだけ必死に、私の事で怒って……

 ……すごく……嬉しかったんだ。」


シャガルは一瞬だけ視線をそらす。


本来“照れ”など似合う男ではない。

それでも今のシャガルには、それ以外の言葉が見当たらなかった。


シャガル

「……あの猿も悪いが……余も悪かった。

 だが――お前を泣かせることだけは、到底許せぬ。」


レイラ

「……うん。」


沈黙。

けれど、さっきまでの戦いの余韻とは違う、柔らかな静けさだった。


レイラはそっと横に腰を下ろし、

シャガルの傷へ手を添える。


レイラ

「痛むだろう? 大丈夫か?」


シャガル

「余を誰だと思っておる。妖の王、酒呑童子だぞ。

 この程度の傷など――」


と言いかけて、

レイラの手の温もりに視線が落ちる。


シャガル

「……だが、お前に触れられるのは……悪くない……。」


レイラ

「ふふ……。」


レイラは今日一番の柔らかい笑みを見せた。

その笑顔だけで、戦場だった場の空気がやわらぐ。


そして——

胸にしまっていた言葉が、自然とこぼれた。


レイラ

「……私にとって、シャガルもテュエルも……

 どっちが欠けても駄目なんだ。

 二人とも、私の……身体の一部みたいに大切で……

 どっちが欠けても……息が苦しくなる。」


シャガルは驚いたように眉を上げる。

そしてゆっくり立ち上がり、

レイラの顎へそっと手を添えた。

爪は立てない。優しく。丁寧に。

 


シャガル

「さっき……言っていたな。

 『お前たち二人がいないとダメだ』と。」


レイラはハッとする。


ただ驚いただけではない。


その瞬間、

レイラの瞳が揺れ、

肩がきゅっと縮こまり、

胸元で握った手にぎゅっと力が入る。


“隠していた本心を突かれた人の顔”。


――否定できない。

戸惑いと、胸奥の想いがそのまま表情に滲み出る。


その顔を見た瞬間、

シャガルの胸の奥で、

ゆっくりと熱が灯った。


(……そうか。

 余は……お前にとって確かに必要なのだな)


目が細くなり、

獣のような微笑がうっすら浮かぶ。

誇らしげで、甘い悦びを含んだ危険な笑み。


(ようやくか……

 ようやく、余が“お前の世界の一部”になった)


レイラの顎を添えていた手に、

逃がさぬよう、わずかに力がこもる。

だが乱暴ではなく、あくまで優しい。


シャガルが迷いなく顔を近づける。

――互いの息が溶け合うほどの近さ。


レイラの視線が揺れ、

胸が跳ねる。


シャガル

「……本心か、レイラ。

 余が居ないと、ダメなのか?」


その問いはほとんど“契り”だ。


レイラ

「……本心だ。

 シャガルも……テュエルも……どちらも、私には必要だ。」


その言葉が落ちた瞬間、

シャガルの瞳の奥の熱がさらに色を濃くする。

“奪いたいほど愛しい”という色に。


シャガル

「……愚かだな。

 そんな言葉、余に聞かせて……どうするつもりだ。」


さらに半歩近づき、

レイラの頬に吐息が触れる――

本当に——触れたらもう戻れない距離。



一瞬、世界が止まった。


 

レイラは逃げない。

むしろ、かすかに吸い寄せられる。


シャガルの指が涙の跡をそっとなぞる。


シャガル

「余の拳を止め、余に怒り、余の名を呼び……

 今日、お前は余を“誰かのために殴る男”にした。」


レイラの胸が震える。


シャガル

「レイラ……

 知れば知るほど、余はお前を大切だと思い……

 心から、愛しいと思う。」


その声の震えは隠せない。


レイラ

「……シャガル……」


名を呼ばれた瞬間、

シャガルの呼吸が深くなる。


――あと瞬き一つで奪ってしまうほどの距離。


だがシャガルはわずかに理性を戻し、

唇ではなく額をそっと重ねた。


額と額。

触れ合う位置は、口付けよりも親密。


シャガル

「泣くな。

 お前に涙は似合わん。」


そのまま囁く。


シャガル

「……余が居る。

 いつでも、お前の隣に立とう。」


甘く、危うく、

そして確かな“宣言”だった。



レイラはしばらくその言葉を胸の奥で転がし、

ゆっくりと息を吐いた。


さっきまでの激しい鼓動が、

少しずつ静けさへと溶けていく。


しばらくして――

月の光が差し込む廊下に出た頃には、

シャガルが触れた額の温もりだけが確かに残っていた。


――けれど、胸の奥にはもうひとつ、

どうしても向き合わねばならない“想い”がある。


テュエルのこと。


彼の沈んだ背中。

あの時見せた、壊れそうな表情。


あれが今、どれほどの闇に沈んでいるのか……

想像するだけで胸が痛んだ。


レイラはゆっくりと歩き出す。


足音が夜の静けさに吸い込まれ、

回廊は息を潜めるように暗く静まる。


自然と、足はテュエルの部屋へ向かっていた。


――――――――


 夜の回廊は、息を飲み込んだように静かだった。

その静寂の中で、レイラはゆっくりと歩いていた。


足取りは迷うようでいて、

それでも確かに“テュエルのもとへ向かっている”。


扉の前で立ち止まり、

胸の奥がチクリと痛む。


(――今日のこと……ちゃんと話さねば……)


コン…コン…


指先で軽く叩いた扉は、夜の寂しさの中に沈んでいく。


しかし、中から返事はない。

けれど――わかる。

気配は確かに、そこにある。


レイラ

「……テュエル?」


声をかけても、やはり返事はない。


不安が胸を締める。


悩みながらも、そっと扉に手をかけ、開いた。


――そこは、静かに沈んだ世界だった。


灯りはついておらず、

月明かりが淡く差し込むだけ。


その光の中に、

テュエルは腰掛けたまま微動だにせず座っていた。


両手はぎゅっと握られ、

肩は硬く張りつめている。


まるで――

自分を罰するために、

呼吸すらも許されていないかのように。


レイラ

「……テュエル……」


そっと呼んだその名が、

破片のように空気を震わせた。


テュエルの肩が一度震え、

ゆっくりと、ゆっくりと顔を上げる。


その瞳は、驚くほど暗かった。

後悔と自責で擦り切れた色。


テュエル

「レ……レイラ……様……?」


その声はかすれていて、

息をしているのがやっとのようだった。


立ち上がろうとしたが、

足が少し震え、床に手をつきながらゆっくり起き上がる。


そして――


テュエル

「っ……申し訳……ございませんでした……!!」


膝から崩れ落ちるように床へ。

その頭は深々と下げられ、声は震えていた。


テュエル

「今日のボクは……いえ……今日だけじゃない……

 ここしばらくずっと……

 レイラ様のことを……嫉妬し……

 勝手に苦しみ……

 本当に…本当に申し訳…ございませんでした……!」


言いながら、何度も、何度も頭を下げる。

まるで——それ以外に許される行為がないかのように。


レイラの胸がきゅっと痛む。

こんなにも自分を責めていたなんて、気づいていなかった。


レイラ

「今日は…すまなかった……テュエル」


静かで、優しくて、真っ直ぐな声。


テュエルは首を強く振る。


テュエル

「違うんです!

 本当に……違うんです……っ

 ボクが……ボクが全部悪いのです……!


 レイラ様の腕まで傷つけさせて……

 泣かせて……

 そして……シャガルと……」


彼は途中で言葉を失い、喉が詰まったように苦しげに目を閉じた。


レイラはそっと近づき、

テュエルの震える手に触れた。


その瞬間、

テュエルは息を呑むように顔を上げる。


レイラ

「……なぜ、あんなことになった?」


問いは静か。

責めるのではなく、確かめるように。


テュエル

「……レイラ様が……笑っているのを見ると……

 とても……嬉しいのです。

 でも……

 ボクが……その理由になれていないことが……

 どうしようもなく……悔しかった……っ」


 そして続ける

「……レイラ様が、シャガルと一緒にいると……

 自然に笑えるようになっていたこと……

 ボクは……ちゃんと分かっていました。


 あなたの表情が豊かになり、

 声がよく響くようになり……

 昨日も……

 シャガルといる時、あなたは……とても楽しそうで……


 それが……

 それが……止められませんでした……!」


言ってから、テュエルの顔がくしゃりと歪んだ。

自分で言葉を吐きながら、自分を殴っているような顔。


テュエル

「ボクは……嬉しくもあり……

 でも、苦しくて……

 心が引き裂けるようで……

 本当に……惨めで……!!」


その声には、

嫉妬も、劣等感も、愛しすぎた痛みも全部混ざっている。


レイラはその言葉をまっすぐ受け止め、

胸の奥がじん…と熱くなった。


そして――

レイラはゆっくり口を開く。


レイラ

「私は……お前を信じている。

 絶対的な“信頼”だ。」


テュエルの肩が震える。


レイラ

「それが……お前に……壊されたんだ……」


言った瞬間、

レイラ自身の胸がズキッと痛み、

目の奥が熱くなる。


レイラ

「辛かった……

 想像以上に……」


声が震えて、

言葉が漏れるたびに、昔の傷が疼くようだった。


レイラ

「お前が……いなくなるかもしれないと……

 考えたら……

 怖かったんだ……!!」


その叫びは、

11歳の頃の“あの孤独なレイラ”のまま。


レイラ

「責めたいわけじゃない……

 でも、これが……私の本音だ……


 辛かった……

 痛かった……

 苦しかった……

 動けないほどに……っ


 また……

 お前に会う前の……

 あの孤独だった頃に……

 戻ってしまうんじゃないかって……!!」


言いながら、レイラの目からは涙がぽろぽろと零れる。


胸の奥の“孤独の記憶”が、ドクン、と脈打つ。

——まるで、あの頃に引き戻されるように。


その衝撃で、呼吸が乱れた。


テュエル

「レイラ様……っ」


テュエルはもう限界だった。


次の瞬間ーー

テュエルはレイラを、

胸が潰れるほど強く抱きしめた。


テュエル

「……っ……もう……こんな思いはさせません……!


 ボクは……

 レイラ様をひとりにするような真似は……

 もう二度と……絶対にいたしません……!


 あなたを置いていくことなど……

 あり得ない……!!」


腕の力は強い。でも乱暴じゃない。

「失いたくない」という必死さだけが詰まった抱擁。


レイラ

「……もう……

 二度と……どこにも行くな……」


言葉は涙で濡れていた。


レイラ

「お前が……いないと……

 私は……っ……」


最後まで言えず、

レイラはそのままテュエルの胸に顔を埋めた。


小刻みに震えながら、

子どもの頃のように泣きじゃくる。


テュエルの手が、

レイラの背を、髪を、必死に撫でる。


テュエル

「……大丈夫です……

 大丈夫です、レイラ様……

 ボクは……ここにいます……

 ずっと……ずっと側にいますから……」


その声は、

愛と後悔と救われたい願いで震えていた。


レイラはただ、

その腕の中で泣き続けた。


「もう離れないで」

「どこにも行かないで」という想いが

全部涙に溶けて流れ出す。


そしてテュエルもまた、

自分の腕の中のレイラの温もりを確かめるように

そっと強く抱きしめ返した。


――二人の心が、

もう一度繋がるように。

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