主人に隠し事をされた妖王、嫉妬で家出→帰還したら修羅場でした
いつも通り、皆が起きる時間よりもさらに遅く、
起きたい時に起きる。
それが余の朝。
起きてからすぐにレイラのいる執務室へ向かうが、
今日は外の風が生ぬるく、清々しくない。
まったく忌々しい。
…………
――ん?
二人の声がするが……やたらと小さい。
テュエルとレイラは、人目を避けるようにして小声で話していた。
テュエル
「……あやつには、やはり言うべきではありません。あの男が、もし“奪う側”に回ったら……」
レイラ
「でも……シャガルは……そんなヤツではないはずだ……
きっと……知った方が……」
シャガル
(…………余の嫉妬の対象と
仲睦まじそうに……余の知らない話……だと……?)
レイラたちの背後で、ぴし、と空気が張り詰める。
シャガル
「……何の話だ」
二人が振り返った瞬間――
すでにシャガルの表情は険しく歪んでいた。
シャガル
「余に隠している“その話”とは何だ」
テュエル
「お前に言う義理はない」
シャガル
「……ほう?」
怒りの矛先が、ゆっくりとレイラへ向く。
シャガル
「お前もお前だ。なぜいつもこいつの言うことだけを聞く。
自分の意思を持たぬか…!」
レイラ
「……っ……私は……」
シャガル
「………………もうよい」
その言葉を最後に、ふんと鼻を鳴らし、
シャガルは背を向けた。
乱暴に、その場を去っていく。
(……ただの嫉妬だ……
自分でも、幼稚だとわかっておる……)
だが、最後に見たレイラの顔が、焼き付いて離れない。
――
残されたのは、張り裂けそうな沈黙だけだった。
レイラ
「……シャガル………………」
レイラは唇を噛みしめ、俯く。
レイラ
「…………シャガル……もう……戻ってこないかもしれない……」
テュエル
「……居なくて清々しますよ、あんな男」
そう言いながらも、
テュエルの視線はわずかに地面を彷徨っていた。
――――――
その夜――
シャガルは、まだ帰ってこない。
三日月が赤く、空を覆う。
双国の山々に、得体の知れない妖気が渦巻いている。
レイラは身をすくめ、眉をひそめた。
レイラ
「月が赤い……不気味だ……嫌な予感がする……」
テュエルは、足元の小石がわずかに跳ねていることに気づく。
テュエル
「……これは……地響きか……?」
手にした剣を、ぎゅっと握りしめる。
――次の瞬間。
草むらを裂き、屋根を踏み砕き、
無数の餓鬼たちが闇から溢れ出す。
飛ぶ者、四足で駆ける者、
爪だけが異様に発達した者――
すべて、異形の群れだった。
その奥から――
一体の妖が、悠然と歩み出る。
額に突き出た一本の角。
肩に担いだ鉄の棍棒。
その存在だけで、山の影が揺れる。
鬼
「……酒呑童子はここか?」
鋭い目が、二人を射抜いた。
テュエルは即座に応戦態勢に入る。
テュエル
「……ここにはいません」
しかし、鬼は嗤った。
鬼
「そうか、居ないのか……。だが知っているのだな?」
ゆっくりと棍棒を担ぎ直す。
鬼
「お前たちを殺せば……少しは俺の気が晴れるかぁ……!?」
レイラ
「…………来る!!」
テュエル
「はい!!」
その言葉と同時に――
餓鬼たちが一斉に飛びかかる。
テュエルは剣を振るい、薙ぎ払い、押し返す。
――だが、数が多すぎる。
防御など、ほとんど意味をなさない。
一体一体は強くない。
四肢で駆け回るもの、空を飛ぶもの、鋭い爪を振りかざすもの――
攻撃特化、速度特化、防御特化。
能力が極端に偏った雑魚妖の群れ。
それゆえに――厄介だった。
レイラは刀を握り、次々に餓鬼を斬り伏せる。
一体ずつ確実に切り裂き、瞬時に倒していく。
――しかし。
数が多すぎて、全体を把握できない。
テュエル
「レイラ様!!!いけません!!!!」
レイラ
「!」
テュエルは、レイラの焦りを見抜いていた。
そして――それを許さなかった。
(この数……凍らせれば……)
一瞬よぎる選択。
だが――
レイラは雪女の力を使うことを諦める。
テュエルは中央に立ち、オーラを爆発させながら突進。
餓鬼の攻撃を弾き飛ばし、数を削る。
――それでも。
やはり人間とは訳が違う。
数の暴力に、押され始めていた。
テュエル
「くそっ……!数が多すぎる……!」
レイラも回避を繰り返し、流麗な剣捌きを見せる。
だが――減らない。
まるで、終わりが見えない。
鬼は、冷ややかな目でその様子を見ていた。
鬼
「女……お前……酒呑童子の女か?」
嘲るように口元を歪める。
鬼
「まぁ、そんなわけねぇよな。あいつが女を手にかけねぇわけがあるか……!」
レイラ
「…………主人だ」
鬼
「……はぁ?」
一瞬の静止。
次の瞬間――
鬼の顔が歪む。
鬼
「貴様のような弱小な女が……あいつの主人……だと?」
鬼
「ふざけるな!!!!」
怒声と共に、空気が震える。
鬼の命で――
餓鬼たちが一斉にレイラへと群がる。
レイラはオーラを纏い、剣で応じる。
だが――
数が、壁となる。
その大群の陰から――
鬼が、棍棒を振り抜いた。
空気を裂く轟音。
回避は、間に合わない。
――ドンッ!!
鈍い衝撃が、レイラの横腹を打ち抜く。
同時に――
――ミシッ
骨が軋む、鋭い音。
テュエル
「レイラ様ーーーーーーーーー!!」
レイラは高く打ち上げられ、そのまま地面に叩きつけられる。
激痛が、全身を貫いた。
レイラ
「がはっ!!………………っ」
テュエル
「レイラ様!!!!!」
(レイラ様!骨が……!まずい……!)
(数が多すぎて近づけない……!!)
(まずい、まずい、まずい……!)
(守れ……奪われるな……!)
雑魚妖を斬り伏せながら、強引に道をこじ開け、少しずつレイラへと迫る。
朦朧とする意識の中、レイラは何とか身体を起こそうとする。
レイラ
「ぅ…………………」
鬼は鋭い眼差しで迫る。
「今の一撃で終わると思うな……女め」
「バラバラに砕いた後に食ってやる!」
テュエル
「…やめろぉっ!!」
(ダメだ……俺だけじゃ……!)
(俺だけじゃ……!)
(レイラ様を……守ることなんか……!)
その思いとは裏腹に――
鬼は、レイラ目掛けて棍棒を振り上げる。
レイラ
「…………テュ……エル……」
もうダメかと――
意識を手放すように、瞼を伏せる。
その時、ふと――
(……謝らないと……)
シャガルの顔がよぎる。
(まだ……謝れていない……)
――はっと。
レイラは、意識を引き戻し、目を見開いた。
鬼が棍棒を振り下ろす――
――――その時。
レイラの背後から、ふわりと影が躍る。
冥炎を纏った大鎌が、棍棒を弾き飛ばした。
レイラ
「……シャ……ガル…………!」
鬼
「な……!しゅ、酒呑童子!!」
ゆっくりと、その姿が現れる。
紅い瞳。
引き締まった表情。
テュエルは、わずかに力を抜いた。
(……来た……)
だが同時に――
(安心した……だと……?)
自分の内に生まれた感情に、苛立ちが走る。
シャガル
「……まさか人間界に移っていたとはな――」
「そして再び余の前に立つとは、いい度胸だ……なぁ?」
「茨木童子よ――?」
「……して、茨木」
「余が惚れた女に手を出すとは、どういうつもりだ」
血の気を失ったレイラの前に。
剣を震わせながら、必死に道を切り開こうとするテュエルの視線の先に。
王が――ゆっくりと、堂々と歩み出る。
茨木童子の口元が歪む。
「……酒呑童子」
噛みしめるように名を呼ぶ。
「やはり生きていたか……」
「今度は人間界で女を侍らせて、随分と丸くなったものだな」
シャガル
「随分と堕ちたな、茨木」
淡々とした声。
「余の名を恨みに歪め、弱き者に牙を向けるようになるとは」
茨木童子
「黙れ……!!」
片目が歪む。
「俺は、ずっと貴様の背を追っていた……!!」
「右腕として、誰よりも戦い、誰よりも尽くした!!」
「なのに……っ、貴様は俺を“要らぬ”と切り捨てた!!」
シャガル
「お前が裏切ったからだ」
一歩も退かない。
「余を陥れ、突き放し、奪おうとしたのはお前だ」
茨木童子の顔が、嫉妬と後悔と憎悪で歪む。
「……そう……だから奪うんだよ……」
視線が、ゆっくりとレイラへ向く。
「貴様の大切なものをな……!」
次の瞬間――
餓鬼の群れが、一斉に動いた。
空から、地上から、四方八方から。
数の暴力が、レイラを包囲する。
テュエル
「レイラ様!!」
咆哮と共に、餓鬼の群れへ突っ込む。
防御を捨て、筋力と闘気だけで道を切り開く。
シャガルの声が飛ぶ。
「足を止めるな、余は前を制する!!」
二人は自然と陣形を組む。
双国を壊さぬよう攻撃の軌道を調整しながら、
レイラを守り、無数の餓鬼を薙ぎ倒していく。
だが――
茨木童子は、その“一瞬の隙”だけを待っていた。
「……そこだ」
餓鬼たちが一斉にシャガルへ殺到し、視界を奪う。
シャガル
「小賢しい…」
しかし――
死角から、鉄の棍棒が全力で振り抜かれる。
レイラ
「…………シャガル!危ない!!!」
――――もう、隠さない。
その瞬間だった。
レイラが、片手を突き出す。
――パキィィィィンッ!!!
シャガルの周囲に群がっていた餓鬼の大群が――
一瞬で氷像へと変わる。
空気ごと凍りつき、粉雪のように砕け散る。
戦場に、静寂が落ちた。
茨木童子の目が見開かれる。
「……凍結、だと……?」
ごくり、と喉が鳴る。
「……まさか……貴様……雪女か……?」
レイラは激痛の中、必死に意識を繋ぎ止めていたが――
シャガルの無事を確認した、その直後。
その場に、崩れ落ちた。
テュエル
「レイラ様!!!!」
そして、茨木童子は口角を歪めた。
茨木童子
「はっ……ははっ……なるほど……!!
だからか酒呑童子!!」
狂気じみた笑みを浮かべる。
「貴様はそいつを生かしているのか!!
貴様も結局は妖だな!!」
棍棒を構え直し、叫ぶ。
「お前を殺して!!俺がその女を“使ってやる”!!!」
――次の瞬間。
空気が、死んだ。
シャガルの表情から、すべての感情が消え失せる。
そして、静かに。
シャガル
「……お前のような“格下”と、余を一緒にするな」
低く、底冷えのする声。
一歩、踏み出す。
「余の女を、“物”のように愚弄するな」
レイラが作った氷の隙――
その一瞬を逃さず、シャガルは茨木童子の懐へ踏み込んだ。
冥炎は使わない。
だが、それでも十分だった。
疾風のような踏み込み。
肘、掌、蹴り――王の戦闘センスが、すべてを凌駕する。
棍棒が弾かれ、
次の瞬間、大鎌が茨木童子の胴を貫いた。
茨木童子
「……っ、が……」
茨木童子の身体が、前のめりに崩れる。
膝をついたまま、震える声で呟く。
茨木童子
「……なあ、酒呑……」
視線が揺れる。
「なんで……俺は……あんなことを……」
赤い月を見上げながら、弱々しく笑った。
「……右腕だった頃が……懐かしい……」
「……楽しかった……な……」
その言葉を最後に、
茨木童子の身体は、静かに灰となって崩れ落ちた。
シャガルは、レイラを見て言う。
シャガル
「ふん――余は、余の女を守る。それだけだ――」
――――――
瓦礫と氷片の散らばる夜の地に、静寂が戻った。
シャガルは真っ直ぐに、倒れ伏すレイラの元へ向かう。
テュエルが何か叫んでいたが、もう耳に入らなかった。
シャガル
「……レイラ」
血に濡れ、骨も折れ、息も絶え絶えな彼女の前に膝をつく。
自分が近づいたことに気づき、ボロボロで立ち上がる力も残っていないのに、それでもレイラは痛みに耐えながら必死に顔を上げた。
震える瞳が、シャガルを捉える。
レイラ
「シャガル……」
掠れた声。
それでも、はっきりと届いた言葉だった。
「……すまなかった……」
大きな瞳から、大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。
ようやく出たのは、あの時言えなかった謝罪だった。
その瞬間、シャガルの胸の奥で――
怒りでも安堵でもない、重い何かが静かに崩れ落ちた。
シャガルはそっとレイラの身体を抱き上げる。
逃がさぬよう、慎重に。
シャガル
「……レイラ」
レイラはゆっくりと視線を上げる。
血と涙で濡れた瞳と、真正面から向き合う。
シャガルは、その目を逸らさず見つめ――
静かに吐息を落とした。
「……謝る必要などない」
低く、しかし確かな声だった。
その言葉を聞いた瞬間、
張り詰めていたレイラの意識が、ぷつりと切れる。
「……っ」
そのままレイラは、シャガルの腕の中で静かに崩れ落ちた。
シャガル
「……本当に……」
小さく息を吐く。
(全く、バカな女だ。
ここまでボロボロになって、最初に出てくるのが謝罪とは……
本当に理解できぬ……厄介な女だ)
腕の中の温もりを、無意識に強めながら、
シャガルは静かに踵を返した。
―――――――――――
城へ戻り、どれほどの時が経ったのか。
意識を取り戻したレイラが、ゆっくりと瞬きをする。
視界に映ったのは、すぐ傍に立つシャガルの姿だった。
レイラ
「……シャガ……ル……?」
その声に、シャガルは短く息を吐く。
シャガル
「目は覚めたか」
レイラは起き上がろうとして、身体の痛みに顔をしかめる。
レイラ
「……ごめ……」
その言葉を、シャガルは被せるように遮った。
シャガル
「雪女がどうした」
レイラの動きが止まる。
「雪女の治癒力などに目が眩むとでも思ったか?
――見くびるな」
「余は妖の王、酒呑童子。
そのような治癒の力、余には必要ない」
静かな口調。
だが、一言一言が重く、揺るがない。
「人間も全員一緒にするなと言うが……
妖も、全て同じとくくるな」
そして、まっすぐにレイラを見る。
「お前は、お前だ。
余の傍にいる、それだけの存在だ」
レイラの喉が、小さく鳴った。
レイラ
「……シャガル……」
シャガルは視線を逸らしながら、低く呟く。
「もう余の前で、あのような顔をするな」
その言葉に、
レイラの目から、音もなく安堵の涙が零れ落ちた。
部屋の扉の外で、その会話を聞いていたテュエルも――
こいつは味方なのだと安堵すると同時に、
あの王が「本気で守る」と決めた相手がレイラなのだと、
それが何を意味するのかを、痛いほど思い知らされていた。




