↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
224/226

爺の握り飯


「監禁されたんです」


その言葉を聞いた瞬間。

レイラの目が見開かれる。


「……っ」


思わず声が漏れる。


「な……なんで……」


言いかけた、その瞬間。


胸の奥で――


止まっていた記憶が、ゆっくりと動き出した。


――――――――

✦ レイラの回想

――――――――


テュエルは、護衛になってからというもの――


やたらと自分に付きまとっていた。


慕ってくる。

敬ってくる。

気が滅入るほど、しつこい。

いつも隣にいる。


まるでそれが当然のように。

最初は鬱陶しかった。


だが、


気づけばそれが日常になっていた。

そんな矢先のことだった。


護衛になって三ヶ月ほど経った頃。


あいつは前の晩、

「また明日」と言った。


だが――


その翌日から、

一週間。

顔を出さなかった。



(……あぁ)

(辞めたんだ)


そう思った。


不思議と、

驚きはなかった。


朝。


障子越しに光が差し込む。

レイラはいつものように起き上がる。

いつものように支度をして、


いつものように扉へ向かう。


期待などしていない。

ただの習慣だった。


扉を開ける。


――その時。


そこに、

影が立っていた。

一週間、消えていた影。


テュエルだった。


いつもの場所。

“そこにいるのが当たり前”だった場所に。


だが、


その一週間は空白だった。


テュエルがぎこちなく笑う。

「レイラ様……おはようございます……^^」


声が、

わずかに震えている。


レイラは黙った。

「…………」


無表情。


ほんの少しだけ視線を逸らす。


胸の奥に、小さな棘が刺さる。

(……信じてみようと思っていたのに……)


だが、


それを表に出すことはできなかった。

十一歳のレイラは、

まだ感情の扱い方を知らなかった。


テュエルが深く頭を下げる。


「……っ……申し訳ございません」

「……しばし……謹慎を言い渡されまして……」


「お守りできず……本当に……すみませんでした……」


その瞬間。


ふわり、と風が動いた。

レイラの鼻先に、

ある匂いが触れる。


血。


レイラの鼻が、ぴくりと動く。


(……血……?)


眉がわずかに寄る。


(……謹慎……?)

(……なぜ……?)


テュエルは嘘をつく性格ではない。

外傷は見えない。

平静を装っている。


だが――


匂う血が多すぎた。

謹慎という言葉と、

どうしても結びつかない。


(……もしかして……)


胸に冷たい感覚が走る。


レイラは自分の手を見る。

もう治っている手。


掌。


――豆。


あの日。


痛みに耐えて握っていた小さな手。


そして、気づく。


(父上も……九尾だ)


鼻が利く。

気づかないはずがない。


(父上に……バレた……?)


(でも……)


(豆から血は……出ていなかった……)


そこで、はっとする。


あの日、


テュエルが塗ってくれた軟膏。

あの独特な匂い。


(……あの匂い……)

(軟膏……)


胸が冷える。

(……私の……せい……?)


レイラは黙った。


言葉が出ない。


謝る言葉も、

感謝の言葉も、

心配する言葉も。


十一歳のレイラは、


それをまだ知らなかった。

沈黙が落ちる。

その沈黙を、


テュエルは――

“怒り”だと受け取った。


さらに深く頭を下げる。


「……すみません」

「でも……」


声が震える。


「ボクはレイラ様を見捨てません」

「どれだけ時間がかかっても」


「何があっても」

「絶対に……護りますから」


息が荒い。


「……お許しください……レイラ様……」


近くで見ると、

頭皮には瘡蓋が浮いていた。


レイラの胸が痛む。

(……わたしの……せいなのに……)


それでも、


言えなかった。


謝れない。

感謝できない。

心配もできない。


だから、


ただ一言だけ落とした。


「……別に……」

(怒ってなんか……ない)

(本当は……)

(来てくれて……嬉しかった)


だが、


それを言える年齢ではなかった。


レイラは前を向く。


「……もういい」


小さく言う。


「……行くぞ」


歩き出す。


後ろで、

テュエルが安堵の息を吐く気配がした。


――――――


ああ……

そんなことも、あったな。


現在。


レイラは小さく苦笑する。


(今思えば……)

(あの時のテュエルは……)


(死にかけて戻ってきたのに……)

(私に頭を下げていたんだな……)


あの日の自分の不器用さを、

少しだけ恥ずかしく思いながら。


レイラは静かに息を吐いた。


「……テュエル」


「……思い出した」

「そんなことも、あったな……」


昔のことを思い出し、レイラは少し気まずそうに視線を逸らす。


「あれは……父上が……やったのか?」


しばらくの沈黙のあと。


テュエルが口を開く。


「……はい。そうです」

「……あの時です。圧倒的な“壁”を見たのは」

「……本当、化け物だと思いましたよ」


シャガルは、アインの話だと思ったのか、少し身を乗り出す。


「なんだ……余にもわかるように話せ」


テュエルは肩をすくめ、仕方なさそうに語り始めた。


「俺がレイラ様の護衛になって、三ヶ月が経とうとしていた頃です」

「レイラ様と、チャンバラと称した打ち込み稽古をしたんです」


「その際――レイラ様の手に、豆ができてしまいました」


シャガルとレイラは、黙って続きを待つ。


「その夜、レイラ様の夜警に就こうとした時――」

「爺殿に『陛下がお呼びだ』と言われて、北宮の地下へ向かったんです」


「そして陛下に会った瞬間……理由も何も言われず、ただひたすら、死を覚悟する寸前まで殴られました」


レイラの顔が引きつる。

シャガルは唖然としたまま聞いている。


「俺の意識が沈む直前……陛下が言った言葉は」


『娘に傷をつけるな』


「……たった、それだけでした」


「当時の俺には、理解できませんでした」


「たった豆一つで、この有様なのかと……」


――その瞬間。


「っはははははははははは!!!!」


シャガルが腹を抱え、涙が出そうなほど笑い出した。


「ほんと……あやつ……」


「口が足らぬ男よな……」


「そして理由が豆とは……くく……」


笑い続けながらシャガルは言う。


「アイン……親馬鹿というやつだったとはな……」


レイラは額に手を当て、頭痛でもするようにため息をついた。


「……傷物にしたくなかっただけだろう……」


テュエルは苦笑する。


「レイラ様でさえ気づかないのですから、本当困った人でしたよ」


「俺は本気で、あの人は岩なんじゃないかと思っていました」


「レイラ様と血が繋がっているとは、とても思えませんでした」


遠い目をするテュエル。


シャガルがぼそりと呟く。


「今思うと、死んでいてくれて安心だ」

「あやつが健在なら……余は監禁では済まされん」


目は、まったく笑っていない。


テュエルは即答する。


「同感です」


あの世に行けば真っ先に召されそうな――

“夫二人”だった。


レイラは苦笑しながら言う。


「テュエル……すまなかったな」

「あの時は……気づいても、何も行動に移せなかった」


「謝ることも、感謝を伝えることも……できなかった」


テュエルは首を横に振る。


「いいのです」

「ボクが、気づかれないようにしたのですから」


レイラは少し眉を寄せる。


「それにしても……地下で一週間。過酷だっただろう」


テュエルは手に持つ握り飯を見つめた。


「いえ……爺殿のおかげで、なんとか持ち堪えました」

「握り飯を……届けてくれたので」


そう――


今食べている握り飯も――

爺が皆の好みを覚え、握ってくれたものだった。


レイラが呟く。


「……爺……」


大好きな爺。

寂しい時、支えてくれた爺。

私の乳母的存在。


私の――もう一人の父。



レイラの瞳が、わずかに潤む。


それに気づいたテュエルが、話を続けた。


「あの地下での生活は……今となれば、必要なものだったのかもしれません」


「あの生活の最中、ボクはオーラを発現しましたから」


レイラは少し驚く。


「……そうだったのか」


テュエルは静かに言う。


「気づけば……俺は陛下から……」


「いろいろなものを頂いてきたのですね……」


オーラ発現のきっかけ。

長寿。


そして――狐火。


テュエルは肩をすくめる。


「まぁ……大嫌いなことには変わりませんが」


冷たい笑みだった。


レイラは思わず笑う。


「ふ……本当、父上にその態度で、よく生きてこれたな」


その時。


シャガルが低く呟いた。


「……狐火」


テュエルが視線を向ける。


シャガルは静かに言った。


「……“間に合いそう”だな」


その言葉に、テュエルの脳裏にある光景が蘇る。


朱蓮丸。

八岐大蛇。


レイラが命の危機に陥った、あの戦いの後。


意識のないレイラの隣で――

二人で交わした誓い。


シャガルの言葉。


『次に、間に合うために』

『強くなれ』


そして自分の言葉。


『……必ず』

『必ず、間に合わせます』


――――――


テュエルは静かに頷く。


「ええ……」


「もう……何一つ奪わせはしない」


(あんな姿……二度とさせるものか……)


シャガルもまた、静かに思う。


(もう二度と……)


(指一本、余の女に触れさせるものか……)


二人の怒りにも似た意思に気づき、

レイラはそっと両隣の二人へ尾を寄せた。


モフッ――


テュエル&シャガル

「……!」


レイラは小さく息を吐く。


「こら……せっかくの爺の握り飯だ。味わえ」


テュエルは隣で身じろぎする。


「レ、レイラ様……」


「失礼を承知で……お聞きしたいのですが……」


レイラは首を傾げる。


「?」


テュエルは少し視線を泳がせながら言う。


「……あの……その……」


「レイラ様の……そのお耳と……尻尾……なんですけど……」


「触って……みても……?」


レイラは目を見開き、少し困ったように目を伏せる。


「………///」


テュエルは慌てて手を引いた。


「い……いえ……失礼しました……忘れてくださ――」


言いかけた瞬間。


モフッ


柔らかな尾が、テュエルの顔を覆った。


「っ!」


レイラは少しだけ顔を逸らしながら言う。


「……ん……」


(九尾の姿……奇妙だと思われるかと思ったが……

 ……平気そうで……よかった)


テュエルの目が輝く。


そっと、恐る恐る尾に触れる。


指先で毛並みをなぞり、優しく撫でる。


そして――


顔を少し埋めてみた。


(やばい……癖になる……♡)

(もっふもふだ……はぁ……♡)

(美しい姿なのに……かわいい……♡)


その様子を見ていたシャガルは、

羨望の眼差しでレイラの尾を見る。


「………………」


そして、ゆっくりと手を伸ばした。


レイラ

「っ!!?」


シャガル

「……ほぉ……」


「これは……たまらんな……」


レイラは尾を撫でられる感覚に、時折ぴくりと反応する。


恥ずかしそうに、身を少しだけ委ねながら。


(……うぅ……嫌ではないが……)

(ぞわぞわするし……恥ずかしい……)


シャガルは感心したように言う。


「余が犬に化けた時……お前は」


「“もふもふ”したい、そう申しておったな」


「なるほど……これが“もふもふ”か」


そう言うと、テュエルと同じように

尾へ顔を擦り付け、堪能する。


レイラは恥ずかしさのあまり、両手で顔を覆った。


(早く……終われ……)


そう思った。


その時。


顔を覆うレイラの頭に佇む狐の耳を

テュエルがじっと見つめる。


そして――


手を伸ばす。


ぴょこ――


レイラ

「っひゃ!!」


テュエル

「す……すみません……!」


「あまりにも……可愛くて……♡」


レイラ

「か……かわ……!?」


(……かわいい?!)


顔が一気に真っ赤に染まる。


シャガルもにやりと口角を上げ、

もう片方の耳へ手を伸ばした。


すりっ――


レイラ

「っふぁぁ!」


体がぴくりと跳ねる。


テュエル&シャガル

(…………敏感な場所なんだな…♡)


二人はごくりと喉を鳴らした。


レイラは慌てて手で二人を制止する。


「み……耳は……ダメだ……」


あまりにも可愛い反応をするレイラに、

二人の理性が少し危うくなる。


思わず、じりじりと距離が近づく。


レイラ

(や、やばい……)


(こ、これは…………!)


そして――


ハッと気づく。


ふわり。


九本の尾が、空気に溶けるように消えた。

狐の耳も、みるみるうちに消えていく。


再び――人の姿。


テュエル&シャガル

「……なっ!!!」


レイラはほっと息を吐いた。


「ふぅ……危なかった……」


目の前では、

とても不満そうな顔をした二人が並んでいた。


――――――


墓参りと手合わせの帰り道。

森の中の道を、三人は馬で駆けていた。


その途中で、ふと――


レイラが何かを感じ取る。


「………テュエル」


「少し……止めてくれ」


テュエルは首を傾げながらも、すぐに手綱を引いた。


「……? どうされました?」


馬が静かに足を止める。


レイラはゆっくりと地面に降りた。


そして、何かに導かれるように森の奥へと歩き出す。

シャガルとテュエルも馬を降り、無言でその後に続いた。


レイラは迷いなく歩く。

まるで、誰かに「こちらだ」と導かれているかのように。


(……こっち……)


やがて――


レイラは足を止めた。


その視線の先。

空間が、かすかに歪んでいる。


“境界の揺らぎ”


妖界と人間界の境が緩んだときに現れる、裂け目のようなもの。


レイラは静かに呟く。


「……大きいな」


そう言うと、ゆっくりと手をかざす。


そして――


そっと、その揺らぎを撫でた。

まるで、鍵を閉めるかのように。


淡い霊力が指先から広がる。

揺らいでいた空間が、ゆっくりと落ち着いていく。


やがて――


その歪みは、静かに消えた。

森には再び、何もない空気だけが残る。


レイラは自分の手を見つめた。


(うん……閉じれた……)

(鈍ってない……)


そして、ぎゅっと拳を握る。


その様子を、後ろでシャガルとテュエルが見ていた。


二人には、揺らぎは見えない。

感じることもできない。


だが――


レイラが何をしたのかは、理解していた。


そして、二人もまた感じていた。

近づいているのだと。


【妖界】へ立つ日が――


確実に。


静かに。


すぐそこまで。


森の風が、三人の間をすり抜ける。


誰も、言葉を発しなかった。


だが――


その沈黙の中で、三人の意思は一つだった。


もうすぐだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。