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継がれた火



シャガルが、ふっと小さくため息を落とした。


「…レイラ」


低い声。


「お前は、余と猿が守る」

「闘う必要などない」


その言葉に、


レイラの思考が、そこで途切れた。


(……まぁ、いい)


心の中で小さく呟く。


(次は――)


ふと視線を上げる。


テュエルを見る。


「テュエル」


テュエル

「はい?」


レイラは腕を組んだ。


「お前も」


「たまには本気でぶつかりたくないのか?」


テュエルは少し目を細める。


「……どういう意味ですか?」


レイラは、にやりと笑った。


「私は」


「お前の本気も見てみたい」


その言葉。


テュエルの背筋に、びりりと電気が走る。


横でシャガルが笑う。


「……ほう」


「妖界へ発つ前に、見てやろうか」


「猿」


テュエルは少し黙る。


視線の先にはシャガル。


そして、その奥に――レイラ。


胸の奥で、小さく息を吐く。


シャガルが強いことなど、分かりきっている。


かと言って、負けるつもりも最初からない。


気にしているのは――そんなことじゃない。


剣の乱れ。


息が上がる。


土を踏み散らし、泥にまみれ、


必死で食らいつくような姿。


それは――


“洗練されていない”


レイラ様の前で見せてきた、


余裕の笑みも、


軽口も、


整った立ち姿も。


全部、崩れるかもしれない。


(……それは)


(格好がつかねぇじゃねぇか…)


そんな姿だけは。


それが頭をよぎる。


その沈黙を見て。


レイラがさらに笑った。


「じゃあ――」


わざとらしく言う。


「勝った方と、今夜一緒に寝るかな」


一瞬。


空気が止まった。


シャガル

「…………」


テュエル

「…………」


二人の思考が、同時に動く。


((そんなの――))


((負けられるわけがないだろう))


沈黙は、ほんの刹那。


次の瞬間。


テュエルが木刀を拾い上げた。


砂を払う。


その顔から、いつもの柔らかな笑みが消えている。


シャガルも、ゆっくりと木刀を握り直す。


みしり、と木が軋んだ。


テュエルが構える。


その動きは、先ほどまでとは違う。


静かで。


鋭い。


研ぎ澄まされた刃のようだった。


「……シャガル」


低い声。


「本気で行きます」


シャガルの口角が上がる。


「ふっ……」


「かかってこい……猿……」


二人の間に、重い圧が満ちる。


レイラは腕を組みながら、楽しそうに笑った。


「さぁ」


「始めろ」


シャガルがふと口を開く。


「待て」


一拍。


「真剣でどうだ」


テュエルは一瞬だけ目を細めた。


「……いいですよ」


「やるからには」


「手加減するつもりは……ありませんから」


レイラは二人を見る。


(真剣勝負だ)


「気をつけろ」


そんな言葉は、違う気がした。


だから――何も言わない。


レイラは腕を組み、二人を見据える。


「……さぁ、始めろ」


その瞬間――


草原を渡っていた風が、ふっと止んだ。


空気が、重く沈む。


シャガルが大鎌を肩に乗せる。


「行くぞ、猿」


テュエルは静かに双剣を抜いた。


銀の刃が、昼の光を弾く。


「あぁ」


短い返事。


次の瞬間――


ドンッ!!


地面が弾けた。


衝撃が草原を震わせる。


テュエルの足元から、炎が噴き上がる。


赤い揺らめき。


それは本物の炎ではない。


魂から滲み出た力――

炎のオーラ。


だが、見える者にははっきり分かる。


その密度が、どれほど異常か。


同時に。


シャガルの周囲にも、静かな炎が灯る。


黒緑。


松花緑にも似た、冥炎の揺らぎ。


冥炎のオーラ。


ただのオーラ。


それだけのはずなのに――


空気が、わずかに死ぬ。


レイラの耳がぴくりと動く。


(……冥炎)


(妖力じゃないのに、この密度……)


足元の草が、わずかにしおれる。


空気が重く沈む。


二つのオーラが、向かい合う。


レイラは心の中で呟いた。


(……来る)


次の瞬間。


二人が、同時に消えた。


ガァンッ!!


轟音。


火花が弾ける。


衝撃で地面が円形に沈む。


テュエルの双剣が、大鎌を挟み込んでいた。


刃に纏う炎のオーラが、激しく揺れる。


シャガルが目を細める。


「ほう」


「相変わらず、器用だな」


次の瞬間。


大鎌が唸った。


ブォンッ!!


空気が裂ける。


テュエルの身体が半歩ずれる。


紙一重。


鎌の軌跡が、髪を掠めた。


そのまま双剣が閃く。


四連撃。


炎を纏った斬撃が、連続で走る。


シャガルの冥炎がそれを受け止めた。


ギンッ!!


音が、重い。


まるで金属ではなく――


力そのものが衝突しているようだった。


レイラの尾が、わずかに揺れる。


(……速い)


さっきまでの戦いとは、明らかに違う。


一撃ごとに空気が震え、


草が吹き飛ぶ。


これはただの剣戟ではない。


オーラ同士の衝突。


テュエルが低く踏み込む。


炎が爆ぜる。


双剣が弧を描いた。


だが炎は形を変えない。


ただ、刃を強くするためだけに燃えている。


オーラの操作。


テュエルはそれが異様なほど上手い。


攻撃の瞬間に腕へ。


踏み込みに合わせて脚へ。


刃先へ。


指先へ。


戦いの最中でさえ、


オーラの量と強度を瞬時に組み替える。


その精密さは、異常だった。


妖界ですら――


ここまで細かくオーラを扱う者はほとんどいない。


多くは妖力に頼る。


だが、この男は違う。


純粋なオーラだけで、


それをやってのけている。


シャガルが笑う。


「器用すぎるのも考えものだな」


大鎌が振り下ろされた。


ズンッ!!


地面が裂ける。


冥炎のオーラが地面を撫でた。


草が黒く枯れる。


燃えたのではない。


生命が削られたのだ。


テュエルが踏み込む。


懐へ。


距離、ゼロ。


双剣が走る。


――ガンッ!!


大鎌の柄がそれを止めた。


至近距離。


二人の視線がぶつかる。


シャガルが笑った。


「いいな」


「ようやく“戦い”になってきた」


テュエルの目が細くなる。


炎がさらに揺れた。


「最初からそのつもりですよ」


次の瞬間。


双剣が弾ける。


ドォンッ!!


炎が爆ぜた。


衝撃で草原が揺れる。


二人の身体が同時に跳ぶ。


着地。


そして――


また消えた。


ガガガガガガッ!!


凄まじい金属音。


双剣と大鎌。


炎と冥炎。


赤と緑が交錯する。


その速度は、


もはや常人の目では追えない。


だが――


レイラだけは違った。


九尾の耳が、静かに動く。


その瞳は、戦いの全てを捉えている。


(……すごい)


口元が、わずかに緩んだ。


(やっぱり)


(この二人――)


その瞬間。


シャガルの冥炎が、大きく揺れる。


テュエルの炎も膨れ上がる。


空気が軋む。


オーラの密度が、一段階上がった。


草原全体が押し潰されるような圧。


レイラの瞳が細くなる。


(……来る)


二人の足が同時に踏み込んだ。


地面が砕ける。


次の瞬間――


テュエルの炎が、わずかに揺れた。


赤い炎の奥。


そこに、


別の色が滲む。


白群。


深く静かな青。


夜の底に灯る火のような――


異質な炎。


シャガルの目が細くなる。


「……ほう」


一瞬。


ガンッ!!


大鎌と双剣がぶつかる。


だがシャガルの視線は、


刃ではなかった。


テュエルのオーラを見ている。


「……なるほど」


低く呟く。


「人間の域は――」


双剣が閃く。


炎が弾ける。


その奥で。


白群の揺らぎが、静かに燃えていた。


シャガルの口角が上がる。


(朱蓮丸を討っただけのことはある)


(いや……)


(あの時よりも、さらに練り上げられている)


「とうに越えておるな」


テュエルは答えない。


ただ踏み込む。


炎が爆ぜる。


その中心で。


白群の炎が、わずかに揺れた。


レイラの瞳が見開かれる。


「……え……」


九尾の尾が止まる。


(……父上?)


胸の奥が震える。


(……この気配……)


(なんで……)


シャガルの瞳が鋭く光る。


(やはり)


(こやつ……)


(狐火を継いでおったか)


次の瞬間。


テュエルが踏み込む。


双剣が走る。


炎が弾ける。


その一撃の軌跡に――


白群色の火が、わずかに混ざる。


シャガルの胸が、どくんと鳴った。


身体が、ほんの一瞬止まる。


「……」


そして、低く呟いた。


「……アイン」


脳裏に浮かぶ。


黒髪の男。


拳。


血。


狂気じみた強さ。


あの名が胸をよぎる。


知らぬ間に死んだ宿敵。


決着のつかぬまま終わった戦い。


同率一位という、宙に浮いた称号。


シャガルの胸の奥で、


長く凍っていた何かが動き出す。


「……アイン……!」


低く、熱のこもった声。


「貴様……」


「こんな形で余の前に現れるか」


胸の奥で、


久しく忘れていた熱が燃え上がる。


シャガルの笑みが、深くなる。


「猿……!」


声が震えた。


「本気で来い!!」


その声は――


もはや歓喜だった。


大鎌が振るわれる。


冥炎が爆ぜる。


黒緑の炎が空を裂いた。


地面が裂ける。


「もっと……!」


双剣が応える。


炎が唸る。


「もっとだ!!」


轟音。


衝撃。


地面が削れる。


草原の地形が変わり始める。


オーラの密度が、さらに跳ね上がる。


テュエルの炎が揺れる。


赤の奥で、


白群が、静かに燃えていた。


(……試すには)


双剣が唸る。


(ちょうどいい……)


シャガルの冥炎が膨れ上がる。


本来なら使うはずのない力。


妖の炎。


黒緑の刃が、空を裂いた。


ブォンッ!!


冥炎がテュエルへ放たれる。


触れれば終わる。


生命を焼き削る炎。


レイラの瞳が見開かれる。


「シャガル!!」


その瞬間。


テュエルの瞳が細くなる。


(来る……)


肌が理解する。


(受けたら……死ぬ)


だが――


胸の奥で、


別の感覚があった。


(……だが)


白群の炎が揺れる。


(不思議と……)


双剣が動く。


(受けられないとは……)


炎が走る。


白群色の火が、


刃を包み込んだ。


それは――


今までの炎とは違う。


オーラではない。


もっと深い、


魂の底から滲み出る何か。


テュエル自身も、


それが何なのか分かっていない。


だが――


刃は、迷わない。


(思わねぇ)


次の瞬間。


双剣が薙いだ。


白群の炎が、


冥炎へ触れる。


静かな衝突。


――シュッ。


音もなく。


黒緑の冥炎が、


跡形もなく消えた。


まるで、


最初から存在しなかったかのように。


空間から、消滅する。


シャガルの瞳が揺れた。


「…………」


テュエルも動きを止める。


肩で呼吸する。


草原は抉れ、


地面は裂け、


戦場の跡が広がっていた。


シャガルが静かに呟く。


(やはり……)


(こいつ……)


(荒削りではあるが……)


(扱えるようになっておる……)


テュエルは息を吐く。


(……できた)


双剣を握る手が、


わずかに震えていた。


(通用した……)


白群の炎が、静かに消えていく。


(もう……)


胸の奥で、


何かが沈む。


(後戻り……できねぇな……)


その瞬間。


ポコッ。


ポコッ。


二人の頭に拳が落ちた。


「ぐっ」


「いて」


レイラだった。


腕を組み、


怒った顔で立っている。


九尾がばさりと揺れる。


「いい加減にしろ」


「国を滅ぼすつもりか……」


シャガルとテュエルが、


同時に視線を逸らす。


「……すまん」


「すみません……」


レイラが大きくため息をつく。


「勝負は終わりだ」


テュエルが顔を上げる。


「え……?」


「勝敗は……?」


シャガルも眉をひそめる。


「そうだ」


「決着はついておらぬ」


二人の心の声。


(レイラと寝るのは余だ)


(レイラ様と寝るのは俺だ)


レイラが即答する。


「引き分けだ」


沈黙。


二人。


「…………」


草原に風が吹いた。


次の瞬間。


レイラが二人を睨んだ。


「……もう終わりだ。行くぞ」


九つの尾がゆっくりと揺れる。


「…これ以上やれば、本当に地形が変わる」


草原はすでに抉れ、

地面は裂け、

先ほどまでの穏やかな景色は半分消えていた。


二人が黙り込む。


そこで、テュエルが軽く息を吐いた。


「……では」


少し笑う。


「休憩にしましょうか」


レイラは肩をすくめる。


「最初からそのつもりだったんだろう?」


テュエルは何も言わずに微笑んだ。


三人は少し離れた場所へ歩く。


まだ戦いの影響が及んでいない草の上。


テュエルは馬の背に積んでいた荷物をほどいた。


布を取り出し、


ばさり、と草の上に広げる。


その上に腰を下ろす。


続いて袋を開け、


葉に包まれた握り飯を取り出した。


シャガルが眉を上げる。


「ほう」


「用意がいいな」


テュエルは穏やかに笑った。


「護衛の基本ですから」


ほんの一瞬。


沈黙。


シャガルの眉が、ぴくりと動く。


「……ふん」


テュエルは何事もなかったかのように、


握り飯を並べていく。


レイラがすぐに顔を寄せた。


くん、と鼻を鳴らす。


「……ん」


もう一度。


くんくん。


「明太子と……」


別の包みへ顔を寄せる。


「鯖」


さらにもう一つ。


「……鮭」


満足そうに頷いた。


「よし」


その三つをさっと自分の前へ寄せる。


テュエルがその愛らしい仕草に思わず微笑む。


「好物あるの、わかりました……?」


「ふふ、鼻が利くからな」


レイラは自慢げに答える。


テュエルも残った握り飯を手に取る。


少し考え、


適当に一つ選んだ。


「では、ボクはこれを」


シャガルも手を伸ばす。


「余ももらうぞ」


一つ取る。


その瞬間。


レイラが言った。


「シャガル、それは梅だぞ」


シャガルの手が止まる。


「……なんだと」


眉をひそめる。


「…嫌いだったな?」


レイラがにやりと笑う。


シャガルは舌打ちしそうな顔で別の握り飯を持ち上げた。


「ではこれは?」


レイラは一瞬匂いを嗅ぐ。


「……おかか」


「ふむ」


シャガルはそれをかじった。


「……うむ」


満足そうに頷く。


※残った梅はテュエルが食べた


草原を風が渡る。


さっきまでの殺気は、もうない。


ただ静かな昼の空気だけが流れていた。


テュエルも一口食べる。


そのあと、ふと視線を上げた。


レイラを見る。


美しい九尾の姿のままだった。


青みがかった銀の髪。


九つの尾。


獣のような縦の紋の瞳。


戦いの熱がまだ残っているのか、


呼吸がわずかに深い。


テュエルの眉が、少し寄る。


「……レイラ様」


レイラが握り飯をかじりながら視線を向ける。


「ん?」


テュエルは少しだけ迷ってから言った。


「そのお姿のままで……」


「大丈夫なのですか?」


静かな声。


「お辛くないのですか……?」


レイラは少し考えてから答えた。


(……きっと)


(二重覚醒で倒れた姿を、二度も見ているからだろうな)


「あぁ、大丈夫だ」


握り飯を一口かじる。


「雪女の力は、一切使っていない」


テュエルは小さく息を吐いた。


「……そうですか」


安心したようだった。


レイラは続ける。


「私は、生まれた時は人間と同じ姿だったそうだ」


「耳も、尻尾もなかった」


草を渡る風が、九つの尾を揺らす。


「私の通常時の姿は雪女だ」


「九尾になる方が、多少の負担はある」


「だが、どちらか片方の力だけを使うなら……ただの軽い疲労程度だ」


そして少し視線を遠くへ向ける。


「もっとも」


「妖二人の子であることは変わりない」


「だから父上に、妖力の制御方法を毎週末教わっていた」


テュエルの目がわずかに見開く。


「……!」


「だから……あんなに戦い慣れていたんですね」


少し言葉を探すように続ける。


「ダイン陛下と……」


「空間の把握……間合いの詰め方が……」


「重なって見えました……」


レイラは不思議そうに首を傾げた。


「……?」


「父上が戦っているところを見たことがあるのか?」


「私は戦術など教わっていないぞ」


「制御方法だけだ」


テュエルは少し目を伏せる。


「……そう、なのですか」


(戦っている姿……どころではない)


(力を向けられたのだから……)


隣では、


シャガルが握り飯を食べながら黙って二人の会話を聞いていた。


レイラがふとテュエルを見る。


「……テュエル」


「なぜ、そんなに私との手合わせを避けるんだ」


テュエルの動きが止まる。


レイラは続ける。


「一度だけ」


「護衛になった後……お前は手合わせしてくれた気がする」


テュエルは黙ったままだった。


レイラは眉をひそめる。


「……さっき、ふと違和感を感じたんだが」


少し考える。


そしてぽつりと言う。


『手に……豆、できちゃいますよ?』


テュエルの肩が、ぴくりと動いた。


レイラが目を細める。


「さっき、お前言ったな」


「……何か引っかかる」


(思い出しそうで……思い出せない)


沈黙。


やがてテュエルが静かに言う。


「…………覚えて、いませんか……?」


少し笑う。


だがどこか寂しそうだった。


「レイラ様」


「ボクと、チャンバラごっこ……したこと」


レイラがはっとする。


胸の奥が揺れる。


(……あ)


(何か……)


(思い出しそうだ)


テュエルはゆっくり続けた。


「そうです」


「以前……ボクは、レイラ様が兵の稽古を羨ましそうに見ているのが気になって」


「チャンバラごっこにお誘いしました」


少し遠くを見る。


「あの時……」


「レイラ様、すごく嬉しそうで」


「生き生きしていて……」


小さく笑う。


「してよかったって」


「またしてあげたいって」


「心の底から、そう思いました」


そして。


表情が曇る。


「ですが……」


唇を少し噛む。


視線が落ちた。


「その後……」


静かな声。


「ボクは、北宮の地下へ」


「一週間……監禁されたんです」

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