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あなたがいない夜


その日の夕餉は、レイラにとってはいつもと変わらぬ団欒に見えた。


爺が静かに茶を啜り、

テュエルは何も言わずレイラの皿に焼き魚をほぐして乗せ、

シャガルは不機嫌そうな顔をしながらも、

レイラが美味しそうに食べるたびそっと視線を向ける。


――ただ一つだけ、“決定的に違うこと”を除いては。


「レイラ。今日は絶対、共に過ごせ」

シャガルが低く告げ、


「……今夜は逃しませんから」

テュエルが淡々と釘を刺す。


ふたりの目は尋常ではない。

完全に “寝落ち阻止モード”。


レイラはその圧に思わず背筋を伸ばし、

真面目にこくこくと頷いた。


本気で行くつもりだった。

心から、そう思っていたのだ。


……しかし。


温かい夕餉、心地よい満腹、身体に残る稽古の疲れ。


そして――

二人の視線から少し逃げたくて、

食後に爺の膝枕で横になった、その一瞬。


トンッ と、何かが落ちた音がしたように。


レイラの意識は、静かに暗闇へ沈んだ。


「ふふ……寝てしまいましたな」

爺が軽く肩をすくめ、


「はぁ……」

テュエルは静かに目を伏せ、


「余を舐めているだろう。確実に……」

シャガルは額を押さえた。


――彼にとっては、とうに限界だった。


一日目: レイラが“テュエルの部屋で激しい夜を過ごした”らしい。

二日目: 女官&宦官への嫉妬、香油の余韻のまま寝落ち。そして添い寝のみ。

三日目: 下心丸出しの兵士たちと触れ合いまくり、そのうえ寝落ち。


三連続で放置され、三連続で嫉妬地獄。


当然、怒りは積もりに積もっていた。


テュエル自身も、二日連続で欲も心も我慢し続けた。


真面目な男ほど、この苦しみは深い。


そして今――

二人の忍耐は完全に限界を迎えていた。


もはや、これは夫ふたりにとって “重大事件” である。


夕餉の間、レイラが幸せそうに眠るその横で、

二人の怒りは静かに、しかし確実に積み上がり――


今、爆発寸前であった。


レイラが、爺の膝枕で完全に寝落ちしたと悟った瞬間。


テュエルとシャガルは同時に立ち上がった。


だが――

レイラに手を伸ばすその刹那、

二人の手は空中でぶつかり合う。


シャガル

「……どけ。余が運ぶ」


テュエル

「は? 俺が運びます」


雰囲気はもう、稽古場より殺気立っている。


レイラは幸せそうに寝息を立てているというのに、

その横で“夫二人の修羅場”が静かに勃発。


シャガル

「一昨夜も昨日も今日も……貴様ばかりが触れた。

今日は余の番だ」


テュエル

「番とか知りません。

俺はレイラ様を一度だって満足に抱けていません」


番論争が始まった瞬間、

爺はそっと茶を啜る。


爺

「どちらでもよいですからな……

姫様を“優しく”運んでやってくだされよ」


※完全に他人事。慣れきっている。


そして――


シャガル

「……ならば先に触れた者の勝ちだ」


テュエル

「上等です」


ぴゅんッ!!!


二人同時にレイラを抱えた。


肩と腰をそれぞれ支え、

“共同で抱える”という謎の共同作業 が発生。


爺

「優しく…頼みますよ^^」


テュエル&シャガル

「「当然だ(です)」」


レイラ(寝言)

「ん……」


その瞬間――

二人の動きが凍りついた。


テュエル(心の声)

(起こすか……?

今起きれば……俺たちと一緒に……)


シャガル(心の声)

(そうだ……今起きれば……

余の部屋に……連れて――)


しかし。


レイラの寝顔があまりにも安心しきっていて。


二人の胸が、

ぐしゃりと痛む。


テュエル(心の声)

(……ダメだ。起こせない)


シャガル(心の声)

(……不憫なほど、信じ切って寝ておる……)


そして二人は、

お互いを睨みながらも絶対に声を出さず――


まるで口に出さず協定を結んだように、

ゆっくり歩き出す。


形だけは“協力している風”だが、

実際の心の声はこれ。


シャガル

(腕を離せ。レイラは余が運ぶのだ)


テュエル

(絶対に離しません。俺だって譲らない)



レイラはすやすやと寝息を立て、

テュエルとシャガルは低い殺気を纏ったまま、

しかし指一本ぶつけないほど慎重に――

レイラを自室へと運んでいく。


その姿を見送る爺は、

どこか父のように優しく目を細め、


ひら、ひらりと手を振る。


爺

「…姫様のこと、頼みましたぞ」


その声に誰よりも敏感な夫二人は、

振り返りはしないものの、

ぴたりと背筋を正して歩みを進め


静かに、静かに晩餉の席を後にした。


――――


二人はそっと寝台にレイラを降ろすと、

部屋の灯が柔らかく揺れた。


だが、その優しい光とは裏腹に。


シャガルの空気は“嵐前の静けさ”だった。


目は氷のように冷たく、

唇は真っ直ぐ結ばれ、

表情ひとつ動かさない。


怒っているのだ。


だが声に出さないからこそ、余計に怖い。


レイラはそんな修羅の気配に気づかず

「……すぅ……」と安らかな寝息。


その寝顔を見た瞬間――


シャガルの眉がわずかに震えた。


シャガル(心の声)

(……また余を置いて寝るとは……

 余を……何だと思っている……)


そう呟くように息を吐いたあと、


シャガル

「…………」


何も言わず

レイラの前髪を指で払ってから、


くるりと背を向け――

無言のまま退室した。


怒りを胸の奥に噛み殺したまま。


その背中は、

“深刻に傷ついた王”そのものだった。


――――


シャガルが静かに扉を閉めて去ったあと。


部屋には――

テュエルと、寝息を立てるレイラだけが残された。


レイラはふわりと寝返りを打ち、

細い手が布団の端から滑り落ちる。


テュエルは反射のようにその手を拾い上げ、

指先を包むように握った。


その瞬間――

彼の表情が、音を立てずに崩れていく。


眉は寂しげに寄り、

長い睫毛が震え、

口元がかすかに歪む。


まるで、限界が静かに滲み出るように。


テュエル(心の声)

(レイラ様……)

(昨日も、今日も……

 ただ、触れたかっただけなんです)

(あなたの温もりに……

 少しでいい、触れて……安心したかっただけなのに)


(抱きしめたら……迷惑、ですか?)


(……一昨夜、あんなふうに求めてくださって……

 本当に嬉しかったんです)


(でも……あなたが俺以外にも向けるあの優しさ……

 あの笑顔……)

(見ているだけで……胸が、裂けそうになる)


(あなたは……無自覚なんでしょうけどね……)


声には出さない。

けれど――

胸の奥で何かが軋み、ヒビが入る音がした。


ずっと抑えてきた嫉妬も、悲しみも、孤独も、

彼の静かな心にはもう収まりきらない。


限界を悟った男の目は、

ひどく脆く、美しかった。


テュエルは最後に、

レイラの頬へ震える指先をそっと添えた。


テュエル

「……レイラ様。

 どうか明日は……俺だけを、見てください」


それは祈るような囁きで、

あまりに小さく――

眠るレイラには届かない。


テュエルはその手をそっと離し、

名残惜しそうに一度だけ振り返ってから、


静かに――

足音を殺して部屋を後にした。


その背に纏う気配は、

“怒り”ではなく、

“壊れ始めた想い”そのものだった。


――


朝。

柔らかな陽光が障子の隙間から差し込み、レイラの睫毛を照らす。


レイラは心地よさそうに伸びをしながら、


レイラ

「ふぁぁ……」


と小さく欠伸を漏らした。


だが次の瞬間、

両脇に誰もいないことに気づく。


レイラ

(………!)

(しまった…………また寝落ち……)


昨夜の予定が脳裏をよぎる。

二人と過ごすはずだった時間。

それを自分は――また無自覚に手放してしまった。


レイラ

(…やってしまった……)

(…二人を怒らせたかもしれない……)


胸の奥がじくりと痛む。


急いで身支度を整え、扉を開けた。


すると――


いつもの場所に、

テュエルが背筋を伸ばして立っていた。


彼は穏やかに微笑むが、

その目の奥に、昨夜の影がまだ薄く残っている。


テュエル

「レイラ様。おはようございます」

「……よく眠っていらしたので、勝手ながらお運びしました」


レイラ

「……テュエル……おはよう……」

俯きながら

「ごめん……また寝ちゃって……」


テュエル

「お疲れなのは分かっています。仕方のないことですよ」


優しい声なのに、

どこか硬さがある。

彼の内側の温度差だけが伝わってくるようだった。


レイラ

「…………シャガルは……?」

少し気まずそうに、恐る恐る訊ねる。


テュエルは一瞬だけ瞳を伏せた。

表情を整えるまで、わずかに間があった。


テュエル

「…………」

(……やっぱり、シャガルのことが最初なんですね。)


テュエル

「……あいつは怒った様子で、レイラ様を運んだあと退室していきました」


レイラ

「……そう……か……」

(やってしまった……)

(完全に……)


苦くなるレイラを見て、テュエルはほんの少しだけ眉を下げる。


テュエル

「ですが、レイラ様の責任ではありません。あいつが勝手に苛立っているだけです」

「……どうか、気にしないでください」


その声音は丁寧なのに、

底のほうでかすかに震えていた。


レイラ

「……うん……。とりあえず、行こう」


テュエルは小さく頷いた。


テュエル

「……はい」


その背中には、

まだ昨夜の痛みに似た影が、薄くついていた。


その後の朝餉の最中も、食後の散歩中も、

レイラの表情はどこか沈んでいた。


――原因は分かっている。

シャガルだ。

あいつのことを考えているから。


(さっき「少し席を外す」と言って俺の前から急いで消えたのも……どうせ、あいつの“特等席”に謝りに行ったんだろう。)


テュエルは何も言わなかったが、喉の奥がかすかに軋んだ。


レイラ様…。

そんなに、そんなにあいつが大事なんですか――。


ほどなくして戻ってきたレイラは、来たときよりもさらに暗い顔をしていた。


テュエル

「レイラ様? どうされました?」


レイラ

「……シャガルが……どこにもいなくて。」


テュエル

「……気になさらずとも、後で戻りますよ。」


レイラ

「……うん……。」


――ほら。

やっぱり、あいつの所へ足を運び、あいつのことしか考えていない。


レイラ様……。


……俺って……

やっぱり“二番目”なんですか……?


⸻


(シャガル……どこにいるんだ……?)


回廊を歩くレイラ。

その隣に静かに寄り添うテュエル。


だが、レイラは気づかない。


すれ違う家臣も女官も、なぜか皆、足早に道を空けていく。

まるで“何か”を避けるかのように。


レイラ

(……? なんだろう……?)


本当に、気づいていない。


普段は爽やかで、誰にでも微笑みを向け、

柔らかい空気を纏うはずのテュエル。


――その彼が、限界だった。


胸の奥で、静かに、黒い感情が膨れ上がる。

今日こそは、と決めたのだ。


「誰もレイラに近づけさせない」

そんな、彼にしては珍しいほどの露骨な“殺気”を、

回廊中に滲ませていた。


テュエル

「………………」


レイラ

「テュエル?」

「……少し、休むか?」


テュエル

「…いえ。お気になさらず。」


その声は穏やかだが、温度が違った。

表情も変わらない。

けれど、空気の刃だけがレイラ以外の全員を払っている。


レイラは、さっきから静かに沈んでいるテュエルの気配を感じ取り、

そっと優しく声をかけた。


「今日は……外で、お茶にしようか。」


ふ、と風が通るような声だった。


テュエルは小さく瞬きし、

胸の奥がわずかに熱を帯びる。


「……そうですね^^ すぐ準備して参ります。」


レイラが「自分」を思ってくれた――

その事実だけが、彼の心にわずかな光を落とした。


だが。


お茶の支度を整えて戻る途中、

視界に飛び込んできた光景は

その光をゆっくりと軋ませていく。


昨日、レイラが打ち込み稽古をつけた若い兵士二人が、巡回の合間にレイラへ声をかけていた。


レイラは微笑み、

兵二人は嬉しそうに頬を染め、

屈託なく笑い合っている。


――ずしり。


胸の底へ、鉛が沈むような重さが落ちた。


テュエルの気配の変化に気づいた兵士たちは

ひっ、と小さく息を呑み、

「失礼します」と慌てて頭を下げ、足早に去っていく。


レイラはテュエルへと気づき、

柔らく微笑んだ。


「テュエル、ありがとう。」


その微笑みこそ、

彼の胸に鋭く突き刺さる。


「……いえ。仕事ですので……」


レイラは、その返しに

胸の奥をチクリと刺す違和感を覚えた。


(………仕事……?)


しかし、横で茶を啜りながら

レイラの意識は遠くにある。


(……シャガル……)

(……宮内のどこにも匂いが……しない……)

(……どこへ行ったんだ……)

(謝りたい……ちゃんと……あとで、探しに行かなきゃ……)


その横顔を見て、

テュエルの胸はさらに痛む。


(……シャガル……お前が羨ましいよ……

レイラ様の心の中に、当たり前のように居られるなんて……)


⸻


夜になり、

テュエルはレイラを部屋まで送り届けた。


テュエル

「レイラ様、おやすみなさい^^」


いつもより口角を高く上げた“作り笑顔”。

その頬の強張りや、指先のかすかな震えは――レイラの目には入らない。


レイラの胸の内は、不在のシャガルでいっぱいだった。


レイラ

「……テュエル、おやすみ。」


短く、どこか上の空の声。


テュエル

「………………」


扉が閉じ、

二人の気配が隔てられる。


レイラは窓辺へと歩み寄り、

外気へ鼻先を向けた。


すん――。


(……シャガル……)

(……まだ……帰ってきてない……)

(…………行かなきゃ…………)


胸の奥が、誰にも見せられない痛みで擦れる。


テュエルに心配をかけたくなくて、

レイラは静かに羽織を脱いだ。


裸足で、寝巻きのまま、

中二階の窓枠へと手をかける。


夜風がふわりと髪を揺らし、

レイラの横顔を撫でた。


(……シャガル…どこにいる……)


そっと、影のように。

レイラは窓から夜へ抜け出した。


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