完璧な護衛は、周期管理まで把握していたようです。
シャガルとレイラは部屋を出て、並んで広間の長椅子に腰掛けていた。
あの日から――ちょうど、一週間。
シャガルは言うまでもなく、つやつや、ぴかぴか
全身から「満足」を放っている。
(この世はもう完結している)
そんな顔だ。
対するレイラは――げっそり、というわけではなかった。
むしろ顔色は良い。
機能回復訓練も、驚くほど順調だ。
……シャガルの徹底した“管理”のおかげである
(夫婦生活という名の)
※少々皮肉
そして、一週間、絶え間なく愛され続けた結果。
本人は無自覚なまま、
普段よりも妙に艶やかな女に仕上げられていた。
そんなレイラをふと見て、シャガルが呟く。
シャガル
「……一週間、か」
「あっという間すぎたな」
一拍。
「次は一月でもいいくらいだ」
「………………」
(もう勘弁してくれ)
(本気で)
レイラは、内心で呻いた。
――やっと外に出られた、というのに。
テュエルとは、あの日以来、顔を合わせていない。
しかも、あんな別れ方をした。
脳裏に蘇る、あの言葉。
『男心を弄び』
『理性を煽り尽くした罰です^^』
『どうか、ご無事で』
……嫌な予感しかしない。
会って早々、
前のように連れ去られても、おかしくはない。
だが――
皇務、という切り札は、もう使えない。
打つ手なし。
……正直に言えば。
夫が二人いること自体が嫌なわけではない。
愛しているのは、事実だ。
しかし。
こうも毎日、強化合宿のように続くと――
滅入る。
はぁ……。
ため息が、自然と漏れた。
けれど。
テュエルを放置すれば、あいつはあいつで、
さらに暴走しかねない。
また、魄喰事件の時のように――
心を壊す可能性もある。
どちらにせよ。
私は、受け入れなければならない。
心を決めるしかない。
腹を括るしかない。
そう、覚悟を固めた――その時。
タイミングを見計らったかのように、
広間へと足音が近づいてくる。
――来た。
レイラは、思わず身構えた。
このあと、連れ去られる。
そう、思ったからだ。
だが。
テュエル
「レイラ様、おはようございます^^」
「お久しぶりです。お体の調子はいかがですか?」
一礼。
「体は、重くないですか?」
「あん摩や、鍼、灸など、手配いたしましょうか?」
護衛としても。
従者としても。
そして、夫としても。
鏡のように完璧な所作。
完璧すぎる、献身。
あまりの想定外に、
レイラは拍子抜けするほどだった。
シャガルも、意外そうに眺める。
(……?)
(こやつ、平気なのか?)
(遠慮でもしているのか?)
テュエル
「……?」
「レイラ様?」
返事を忘れていたことに、レイラははっとする。
「あ、あぁ……大丈夫だ」
「手配もいらない」
テュエル
「かしこまりました^^」
柔らかく頷いてから。
「では、今日からしばらくは、ゆっくりお過ごしください」
「皇務も片付けてあります。安心なさってください」
さらに思い出したように。
「あ、そういえば医官から聞きました」
「もう瘴気の残留も無くなったそうですね?」
「本当によかったです!」
レイラ
「あぁ……たまに痺れるくらいで、ほとんど元通りだ」
言い終えた瞬間、気づく。
(……あ、まずい)
(そんなこと言ったら……!)
テュエルが獣化する未来を想像した――が。
テュエル
「……」
「よかった……!」
「もう、安心ですね^^」
……もはや。
レイラとシャガルは、顔を見合わせた。
((本当に、どうした……?))
レイラ
「あ、皇務は大丈夫だったか?」
テュエル
「はい。とくに大きな問題はありませんでしたが」
「一応、気になさるかと思いまして」
「案件をまとめてあります。今、資料をお持ちしますね^^」
レイラ
「あぁ、ありがとう……」
そう言って、テュエルは一度広間を後にする。
……なんだ。
普段通り、いや――
それどころか、普段以上に優秀ではないか。
心配になるほどに。
(……我慢しすぎて、おかしくなった?)
(いや、逆に我慢記録でも更新する気か?)
(まさか……な)
冗談めかして考えてみるが、
気がかりであることに変わりはない。
だが、魄喰事件の時のように
心がここに無いわけでもない。
匂いが消えたわけでもない。
――大丈夫だ。
そう、自分に言い聞かせた。
そんな思考の合間に、
テュエルは資料を抱えて戻ってくる。
レイラが皇務の確認を始めると――
テュエル
「レイラ様、よろしければどうぞ」
そう言って、湯気の立つ茶を差し出した。
レイラ
「ありがとう……」
だが、ふと、違和感がよぎる。
(……?)
(私、猫舌だって知ってるはずなのに)
いつもなら、少し冷ましたものを用意する男だ。
だが今日の茶は――温かい。
熱すぎるわけではない。
きちんと、飲める温度。
……まぁ、いいか。
そう思って資料に目を戻そうとした、その時。
テュエル
「あ、よろしければ、こちらも」
そう言って、膝掛けをそっと掛けてくる。
レイラ
「…………?」
シャガル
「…………?」
(寒がりではないことを、知っているだろうに)
レイラ
「寒くないぞ?」
テュエル
「はい。でも……」
「体は、温めたほうがよろしいかと」
レイラ
「……?」
「わかった」
とりあえず、言う通りにしておく。
再び資料へ目を通す。
文字をなぞりながら、
テュエルの処理の仕方を確認していく。
完璧だ。
レイラは、小さく微笑んだ。
レイラ
「ふ……流石だな、テュエル」
「完璧だ」
テュエル
「……!」
「…ありがとうございます!」
「お褒めいただけて、素直に嬉しいです…!」
やはり――優秀だ。
完璧な夫。
頼もしい存在。
そう思いながら、
レイラは立ち上がろうと机に手をかける。
レイラ
「さて……少し、散歩でもするか」
その瞬間。
テュエル
「レイラ様」
即座に。
「今日は、もうゆっくりしましょう?」
「体に触りますよ」
レイラ
「……?」
一週間。
シャガルと自室に籠りきりだった。
風呂以外、外に出ていない。
しかも、その風呂すら一緒。
たまには、外を歩きたかった。
「いや、もう体の調子はいい」
「少しくらい歩け――」
椅子から立ち上がった、その時。
つぅ……
生暖かい感覚。
――来た。
レイラ
「あ……」
(……きたか……?)
「……すまない、少し待っててくれ」
そう言って、厠へ向かう。
その後ろ姿を、
テュエルは、黙って見送っていた。
「………………」
その沈黙を見計らい、
シャガルが低く声をかける。
シャガル
「おい……」
「いいのか?」
「もう体調は申し分ない」
「急変も、特に無かった」
「余も、お前に譲ってもらった身だ」
「少しは待ってやるつもりだが?」
テュエルは、ゆっくりと口を開く。
テュエル
「あぁ……“まだ”ダメなんですよ」
シャガル
「?」
テュエル
「今は……まだ、その時ではありません」
にっこりと、微笑む。
シャガル
「本当に、禁欲主義だな?」
テュエル
「嫌だなぁ……」
「そんなわけないじゃありませんか」
一拍。
「ただ……」
「果報は寝て待て、というでしょう?^^」
そして、淡々と。
「『襲わない』のではありません」
「まだ――“最適ではない”だけです」
ふっと、口元が歪む。
「鳴かぬなら――」
「鳴くまで待とう、ホトトギス」
にやり。
その笑みは、どこか不気味だった。
シャガルでさえ、背筋がひやりとする。
(嫌な予感しかしない……)
(こやつ……何を考えている)
(レイラ……)
(やはり……危険だ)
(逃げろ……)
と、思ってしまうほどに。
⸻
一方、処理を終えたレイラは、
厠で立ち止まっていた。
(やっぱり…)
(……生理……だった)
(…………)
違和感が、ひとつずつ繋がっていく。
「今日から、しばらくはゆっくり過ごしましょう」
そう言った、テュエル。
温かい茶。
膝掛け。
「今日は、もうゆっくりしましょう?」
「体に触りますよ」
――そう、言った。
背中に、つぅ……と汗が流れる。
(…………)
(いや……まさか、な)
(……まさか……)
(いくらテュエルでも……)
はは、と口元がひきつる。
そして、広間へ戻る。
レイラ
「待たせたな。さぁ、散歩にでも――」
言い終わる前に。
ひょい、と。
テュエルが、レイラを抱え上げた。
テュエル
「レイラ様?」
「無理は禁物です」
「顔色も悪いですし……今日は休みましょう^^」
レイラは、真顔だった。
「……はい」
敬語。
もはや、恐怖。
そのまま自室へ。
寝台へ。
――また、ここだ。
テュエル
「お湯を沸かしてきます」
「ゆっくり休んでいてください」
「すぐ戻ります」
そう言って、出ていく。
シャガルと目が合う。
二人とも、目を見開いていた。
((何が起こっている……?!))
そして、レイラは気づく。
テュエルは――
自分よりも、先に気づいていた。
体を気遣っているのは、事実。
献身的なのも、事実。
だが。
襲わないのではない。
襲えないのでもない。
ただ――
待っているだけなのだと。
――――
その頃。
離れた場所で、
テュエルは、何事もない顔で――
湯を沸かしていた。
――当然だ。
体温も、呼吸も、
歩幅も、視線も。
そんなものは、
今さら指標にするまでもない。
レイラ様は、自覚するより先に”変わる”
いつも、そうだ。
胸ポケットの内側。
折り目のついた、小さな手帳。
何年分も重ねた、
周期、傾向、誤差。
――外したことなど、一度もない。
最低、三日。
長ければ、一週間。
だからこそ、
あの男に譲った。
理性を削り、
余裕を奪い、
“満ちた”ところで――止める。
……あぁ。
シャガルは、よく耐えた。
半年。
本能に従えば、
もっと早く、壊していただろうに。
だが。
俺は違う。
耐えているのではない。
抑えているのでもない。
最適な時を、待っている。
逃げ場がなく、
拒めず、
それでも――
自分から、縋ってくる瞬間を。
湯が、静かに沸く。
あぁ――可哀想に。
レイラ様は、まだ知らない。
この静けさが、
猶予でしかないことを。
優しさも、
献身も、
気遣いも――
すべて、
俺の予定通りだということを。




