妖王の口付けが、全然終わりません。
扉が閉じた、その直後から。
レイラは――
一度も、逃がしてもらえていない。
背に回された腕。
距離を許さない、影。
触れるより先に、
呼吸が、奪われる。
唇が重なる。
離れては、また、すぐに。
短く。
深く。
確かめるように。
逃げ道を塞ぐように、
シャガルは、何度も口付けた。
――それは、甘い罰。
数を数える余裕もないほど、
間を与えず、
ただ、与え続ける。
唇が、離れない。
息を整える暇すら与えず、
触れては、塞がれ、
また、奪われる。
レイラの喉が、小さく鳴った。
レイラ
「……っ」
それだけ。
声にならない反応に、
シャガルの気配が、わずかに緩む。
シャガル
「……ほう」
愉しげに、低く。
「余の前では」
「随分と、素直だな」
再び、唇。
今度は、離れない。
確かめるように、
逃がさぬように、
深く、長く。
呼吸が絡み、
境目が、曖昧になる。
シャガル
「そんな顔で」
「何も言えぬとは」
額が触れるほど、近く。
「――ずるい女だ」
囁きと同時に、
また、口付け。
今度は、ゆっくり。
逃げ場を塞ぐように。
レイラの背が、
無意識に、壁を探す。
レイラ
「……」
抗議も、拒否も、
形にならない。
シャガル
「……いい」
低く、満足げに。
「そのままでいろ」
「返事は」
「必要ない」
言葉の直後、
再び、長い口付け。
数を、奪うように。
時間を、奪うように。
――それは、完全な主導権。
レイラ
「……シャ…ガル…待っ――」
その言葉が、最後まで形になる前に。
低く、近い声が落ちてくる。
シャガル
「待つ?」
くぐもった笑み。
「半年だぞ」
額が触れるほど、近く。
呼吸が、絡む距離で。
「どれほど」
「余を、待たせたと思っておる」
一拍。
「――ようやく」
「この腕にある」
囁きは、低く、熱を帯びる。
「愛しい女を抱いて」
「なぜ、待たねばならぬ」
答えを求める口調ではない。
ただ、当然の理として告げる声。
シャガル
「……耐えた」
「だがな」
「もう、無理だ」
そう言って、
再び、距離を奪おうとした、その瞬間。
――腕が、背に回る。
躊躇うように、
けれど、逃がさぬ力で。
レイラの指が、
シャガルの衣を、ぎゅっと掴む。
返事は、ない。
声にも、ならない。
それでも――
抱きしめ返す、その力だけで、
十分すぎるほど、伝わっていた。
一瞬、
シャガルの動きが止まる。
シャガル
「……ふ」
低く、短い吐息。
「……そうか」
それだけ。
だが、その声には、
わずかに、満足が滲んでいた。
抱き寄せた拍子に、
至近距離で、否応なく目に入る。
乱れた息。
熱を帯びた瞳。
わずかに開いた唇。
――整えなくとも、これか。
喉の奥で、息を詰める。
言葉にすれば壊れてしまいそうで、
ただ、見つめるしかなかった。
――余の女は、やはり美しい。
強く抱いたはずなのに、
無意識に、腕の力が緩む。
壊す気など、最初からない。
むしろ――
触れられること自体が、惜しい。
この顔を。
この距離で。
誰にも邪魔されずに見られるのなら。
……独り占めにしたくもなる。
その想いを、言葉にはしないまま、
ただ、再び抱き寄せた。
次の瞬間、
今度は、逃がさぬように――
先ほどよりも、強く、抱き寄せる。
レイラは、いつの間にか
視線の焦点が、合わなくなっていた。
唇が、わずかに開く。
自分でも気づかないほど、無防備に。
シャガル
「……その顔だ」
低く、囁くように。
「他の者に」
「向けるな」
額が触れるほど、近く。
「余の理性が」
「保たぬ」
それでも、止めない。
むしろ――
自分を律するように、
さらに、口付ける。
シャガル
「勘違いするな」
唇が触れたまま、低く。
「これは、罰だ」
一拍。
「余が許すまで」
「終わらぬ」
その言葉が、
静かに、逃げ道を塞ぐ。
触れる距離は、保ったまま。
だが、決して、離さない。
逃げ場は、もう、なかった。
体だけではない。
心ごと、シャガルの腕の中にある。
シャガル
「朱蓮丸のやつには――」
低く、思い出すように。
「どこを」
「どう、触れられたと言った?」
その問いに。
レイラの身体が、
びくり、と跳ねた。
レイラ
「……っ」
喉が鳴る音だけが、漏れる。
シャガル
「ほぉ……」
愉快そうに、
色を含んだ笑み。
「随分と」
「身体は正直だな?」
一拍。
わざと、間を置いて。
シャガル
「――消毒だ」
淡々と、告げる。
逃げ場はない。
最初から、与えられてなどいない。
シャガル
「上書きが」
「必要だ」
近づく気配だけで、
意識が揺らぐ。
「余で」
「塗り替えろ」
「お前は」
「余のものだ」
その声が、
静かに、深く落ちる。
レイラの視界は、
もう、白く滲んでいた。
それが“罰”だと――
今さら、理解したところで。
もう、遅い。
じわじわと、
熱だけが、積もっていく。
どれほどの時が流れたのか、
レイラには、もう、わからない。
ただ――
意識が、溶かされていく。
シャガルの手が、
そっと彼女の腰へ回る。
輪郭を辿る。
軽く触れるだけで、全身が反応する。
近づくたび、
触れるたび、
胸の奥まで鼓動が伝わってしまう。
レイラ
「……っ」
思わず息を呑む。
その小さな反応に、
シャガルは低く笑った。
シャガル
「……随分、正直だな」
「余の前では、嘘はつけぬらしい」
押し付けるわけでも、強引にでもない。
ただ、逃がさず、受け止めるように。
レイラは寝台をぎゅっと掴む。
シャガル
「……余が全て受け取る」
「感じた分だけ、余に返せ」
囁く声が、耳元に絡む。
顔が近く、温かい吐息が滑る。
時折、間を置くように止まり、意識を揺らす。
レイラ
「…………っ!」
思わず反応してしまう。
声にならない声が、喉の奥から漏れる。
シャガル
「……ほう、正直な顔だ」
くつり、と笑う。
じわじわと、
想いを重ねていく。
押さえ込むのではなく、支配するように、すべての反応を吸い込む。
(………もう……無理……)
レイラの指先が、シャガルの衣を、弱く掴む。
視線も、じっとシャガルを追い、言葉にならない願いを訴えていた。
その仕草に、シャガルは低く、甘く、息を漏らす。
シャガル
「……仕方ない」
「褒美だ……」
囁きと同時に距離は消えた。
抱き寄せられ、逃げ場なく、包まれる。
腕は檻であると同時に、決して離さぬ――居場所だった。
ただ、確かな温度だけが。
甘い熱が、
ゆっくりと、室内に満ちていった。
――――
時間の感覚は、
とうに、溶けていた。
――どれほど経ったのか。
灯りが、少し傾いた頃。
レイラは、ようやく、
声を絞り出す。
レイラ
「……シャガル……」
「……もう……」
言葉は弱く、掠れる。
「もう……無理……だ……」
シャガル
「ダメだ」
即答。
声は低く、揺るがない。
「まだ、余は足りぬ」
レイラ
「……何回目だと……」
「思ってる……」
必死に、視線を逸らそうとして。
「もう……限界……だ……」
シャガル
「ほぉ?」
楽しげな気配が、近づく。
「回数を数える余裕は」
「あるようだな?」
口元が、僅かに緩む。
――それが、
最後の慈悲だったかどうかは、
レイラには、もう、分からなかった。
レイラ
「……っ……」
言葉にならない声が、喉で途切れる。
「……シャ…ガル……」
名前だけが、掠れて落ちた。
身体が、ふっと力を失い、
思考が、白くほどけていく。
抗議の言葉も、
数える意識も、
もう、残っていない。
ただ――
確かな存在だけが、そこにあった。
シャガルの腕の中で、
レイラの意識は、静かに、沈んでいく。
それ以上は、
もう、覚えていない。
気づけば――
黄昏から始まった時間は、すでに深夜を越えていた。
静かな室内で、
シャガルは眠るレイラの顔を見下ろしている。
規則正しい呼吸。
力の抜けた表情。
(……本当に、生きている)
胸の奥が、静かに緩む。
(無防備で)
(可愛い寝顔だ)
(……艶やかで)
何度触れても、慣れぬ。
この女は、
無自覚に、あらゆるものを煽る。
匂い。
表情。
視線。
体温。
すべてが――
理性を削りに来る。
(正直……危なかった)
加減を誤れば、
壊しかねなかった。
シャガルは小さく息を吐く。
……なるほどな。
あの猿が、先を譲った理由。
今になって、理解した。
(余に“様子見”をさせるためか)
――自分は、理性を保つつもりなどない。
そういうことだったのだろう。
まったく。
余を使うとは……一番、危うい奴だ。
シャガルは、わずかに身じろぐ。
(早く……)
(理性を気にせず)
(思うがままに――)
そう思ってしまう自分に、
小さく、苦笑した。
⸻
どれほど眠っていたのか。
外は、まだ暗い。
静かに、レイラが目を開ける。
――視線が合った。
ぱちり、と。
シャガル
「随分、気持ちよさそうに眠っていたな?」
にやり。
満足そうな笑みを浮かべて。
(この男……)
文句の一つも言いたいのに、
身体は思ったほど重くない。
「……?」
そのことが、逆に不思議だった。
シャガル
「どうした」
「辛いか?」
間を置かず。
「加減はしたつもりだが」
「無理なら、すぐ言え」
ちゃんと――
様子を見ていたのだと、分かる。
急がず、奪わず、
確かめるように、時間をかけて。
レイラ
「……うん」
「大丈夫……」
そう答えながらも、
口を尖らせる。
ぷく、と頬を膨らませて。
レイラ
「シャガル……」
シャガル
「なんだ」
レイラ
「ほんと……ずるい」
シャガル
「何がだ?」
くつり、と笑う。
レイラ
「相変わらず、余裕たっぷりで……」
「ちょっと焦らしたつもりなのに……」
拗ねた声音。
シャガル
「……」
(本当に)
(この女は)
(自分が、どれほど煽っているか)
(まるで分かっていない)
(……様子を見ねばならぬのに)
心底、そう思う。
(早く、完治してくれ)
それが、偽りのない本音だった。
シャガル
「レイラ」
静かに。
「お前、余が」
「余裕たっぷりに見えていたのか?」
レイラ
「……ちがうのか?」
シャガル
「……本当に」
「何も、見えておらぬな」
くつり、と笑う。
レイラ
「……?」
シャガル
「余を見ろ」
「そして、気づけ」
一拍。
「お前が相手で」
「余裕など、あるか」
レイラ
「……っ」
その反応に、
シャガルが、わずかに身じろぐ。
シャガル
「……まずいな」
レイラ
「……? どうした」
シャガル
「余の“余”が」
「まだ、お前と遊び足らぬらしい」
レイラ
(……?)
――理解する。
「ッ……!!////」
一気に、顔が赤くなる。
ぎしり、と音を立てて、
影が覆いかぶさる。
レイラ
「シャガル……」
「様子を……見ながら、だろ……」
視線が、泳ぐ。
シャガル
「もう、見た」
「まだいけると」
「顔に、書いてある」
レイラ
「そ……そんなわけ――」
言葉は、途中で塞がれた。
「……っ」
シャガル
「聞こえなかったな?」
にやり。
レイラ
「……」
小さく、観念したように。
「夜が明けたら……」
「休ませてもらうからな……」
シャガル
「いいだろう」
落ち着いた声で。
「焦ることはない」
「まだ、時間はたっぷりある」
一拍。
「今日は、初日だ」
「――あと、六日はある」
レイラ
「……え?」
(六日……!?)
シャガル
「さっき言ったはずだ」
「最長、一週間……とな」
笑みを浮かべたまま、
距離を詰める。
レイラ
「……ひっ……!」
状況を理解して、
背筋がぞくりとする。
――その先は。
語られなかった。
ただ。
加減を忘れぬまま、
しかし、遠慮もまた、
少しずつ、削がれていった。
シャガルは、
深く、確かに、
時間を重ねていった。
そして――
一週間は、
余すことなく、
きっちりと、使い切られた。




