女狐、夫二人に包囲される。
爺との和やかなお茶会を終え、
レイラはすっかりご機嫌のまま自室へと戻っていた。
(爺と、久しぶりにゆっくりできてよかった……)
自室の椅子に腰を下ろし、
「ふぅ……」
一息つく。
「……そういえば……」
ふと、昼頃の会話を思い返した。
『少しずつ、普通の生活に戻していきましょう』
『無理のない範囲で、ですが』
『……どれほどまで』
『私生活に戻してよいのだ』
『……あぁ……』
『無理のない程度に』
『様子を見ながら、ですね』
シャガルが、医官にあそこまで細かく聞くなんて。
珍しい――と、思った。
(身を案じてくれているんだな)
(本当、優しいな……)
本気で、そう思った。
(……それは、それとして)
二人とは、いつ寝られるかな。
早く、二人と寝たい。
――もちろん、添い寝の意味だ。
二人の匂いに包まれて眠るのは、
本当に、安心する。
先日の「闘い」と称した、
やり返し作戦。
(上手く、ハマった)
勝てた。
それは、素直に嬉しい。
けれど――
(……シャガルとは)
(ちゃんと、口付けできてないな……)
少しだけ、胸の奥がちくりとする。
(したかったな……)
(嘘、つかなきゃよかった……)
――いや。
(でも、勝てた……!)
ぎゅっと拳を握り、
ひそかに歓喜。
(テュエルも、シャガルも)
(私が全開だったら)
(絶対……全力で、来る)
シャガル自身、
「寝かすつもりはない」と言っていた。
――それだけは、避けたい。
嫌なわけじゃない。
幸せだし、求められるのは嬉しい。
心地よいのも、事実だ。
……だが。
(あいつらは)
(獣だ)
加減というものを、知らない。
もう、やめよう――
そう言っても、
(まだだ、全然満足してないだの)
(もっとだの)
(始まったばかりだだの)
(もう降参か、だの……)
……こちらは、倒れそうなのに。
雪女の治癒力のせいで、
相手の身体は常に全開、全力。
それに加えて――
あの、強靭すぎる肉体たち。
(本来であれば)
(私一人で、どうにかできる相手じゃない)
「うぅ……」
考えるだけで、頭が重くなる。
……とはいえ。
いくらなんでも、
最初から全力で来るような、
酷い男どもではないことも、知っている。
理想は――
寝る前に口付けを一つ。
一度、抱きしめ合って。
そのまま私が抱き枕になって、
抱きしめられながら眠ること。
(うん)
(それが、理想)
(大丈夫)
あいつらも、動物じゃない。
寝込みを襲ってくるようなことは、しない。
様子を見て、
きっと、察して接してくる。
なら――
危なそうな気配がしたら、
(皇務が溜まっている、と言えばいい)
夜だって、
「目が冴えてるから少し進めたい」と言えばいい。
――素晴らしい言い訳だ。
いくら爺やテュエルが皇務を手伝ってくれていても、
最終決定が必要な書類や、
王印がいる案件は――
最終的には、私の仕事。
最低限、
時間を稼ぐための。
男を静止させておくための仕事は、
ちゃんと、ある。
「……ふっ」
完璧だ。
完璧すぎて、
思わず鼻で笑ってしまう。
昼だって、
機能回復訓練がある。
皇務をしたい。
今日は、そこまで具合が良くない。
――言い訳はいくらでもある。
「ふふん♪」
もはや、
九尾の尻尾が生えてもおかしくないほど、
上機嫌だった。
このあと、
何が起こるかも知らずに。
時刻で言えば、黄昏時。
ノックもなく、
テュエルとシャガルが部屋に入ってきた。
(……二人揃って?)
珍しい。
どうしたんだろう、と首を傾げた、その瞬間。
「…………」
「…………」
――沈黙。
いや、それ以上に。
(……なに、この空気)
二人とも目が据わっている。
しかも、なぜか――笑っている。
不気味なほどに、穏やかな笑顔。
そして、何よりおかしかった。
(……匂いが、しない?)
いつもなら確実にあるはずの、
互いを嫌っている時の、あの嫌悪の匂い。
それが、ない。
代わりに漂うのは――
信頼?
絆?
(……いやいやいや)
明らかに異常だ。
異常すぎる。
そして。
シャガルが、ゆっくりと鼻を動かした。
シャガル
「クンクンクン……」
「おや?」
「おかしいな」
首を傾げるようにして、低く笑う。
「この部屋から」
「嘘……虚偽の匂いがするな?」
そして、何でもないことのように。
「……なぁ?」
「テュエル」
レイラ
「……は?」
(テュエル……だと?)
(名前で呼んだ……?)
嫌な予感しかしない。
(しかも、匂い……?)
(シャガルにそんなもの、分かるわけ……)
テュエル
「……ええ」
「クンクンクン……」
自然すぎる動作で、鼻を鳴らす。
「確かに」
「この部屋から」
「嘘の匂いがしますね?」
にこり。
「ねぇ、シャガル^^」
レイラ
「……へ?」
頭が、完全に止まった。
(なにが起きてる)
(なにを見せられてる)
慣れない。
慣れなさすぎる。
恐怖と困惑と苦笑が、同時に押し寄せる。
シャガル
「どれどれ……」
「どこから嘘の匂いがするのかな」
そう言って。
「クンクンクン……」
一歩。
「クンクンクン……」
また一歩。
じり、じり、と距離を詰めてくる。
レイラ
「……?」
(なにをしている)
(なんの遊びだ、これは)
理解が追いつかないまま、
無意識に後ずさる。
シャガル
「む?!」
ぴたり、と。
レイラの目前で足を止めた。
レイラ
「……っ」
思わず、小さく肩が跳ねる。
シャガル
「クンクンクン……」
「ふむ」
「間違いない」
低く、確信を帯びた声。
「この辺りから」
「匂いがするようだ」
レイラ
「シャガル……」
「一体、なんのつもりだ?」
シャガル
「……む?」
「余の鼻が」
「おかしいのだろうか……?」
やけに芝居がかっている。
「この――女狐から」
「嘘の匂いがするような……」
「そんな気がするのだが?」
レイラ
(め……女狐……!?)
圧に押され、
一歩。
また一歩。
背中が、壁に近づく。
シャガル
「お前の鼻はどうだ?」
「テュエル」
呼ばれたテュエルも、
当然のように距離を詰めてくる。
ほぼ、零距離。
テュエル
「クンクンクン……」
「ええ……はい」
真顔で、頷いた。
「間違いないです」
「俺の鼻が」
「しっかりと――」
にっこり。
「嘘の匂いを」
「捉えました^^」
レイラ
「……テュ、テュエル……?」
(なんだ、この状況)
(本当に、なんなんだ)
さらに後退するが――
もう、逃げ場はない。
気づけば、
壁に、追い詰められていた。
大男二人が、
クンクンクン……と鼻を鳴らしながら。
一人の女を、
逃がすまいと囲む光景。
(どう考えても)
(おかしいだろう!!!!)
――逃げ場が、ない。
それを悟った瞬間、
レイラは腹を括った。
(……やるしかない)
交戦。
正面突破。
レイラ
「………っ!」
一歩、前に出る。
「……お前たち」
「気でも触れたか」
睨みつける。
「どういうつもりだ……?」
シャガル
「ふむ……」
そして――
わざとらしく、顎に手を当てる。
「せっかく」
「感動の再会を果たしたというに」
「口付け一つ」
「できぬとは……」
深いため息。
「なんと」
「余は哀れなのだろうな」
(…………)
――下手くそな芝居だ。
そう思った瞬間。
追い打ちが来た。
テュエル
「ええぇ!?」
「なんですって!?」
大げさに目を見開く。
「半年以上」
「離れ離れだったのに」
「まだ、していないんですか!?」
一拍。
「ボクでさえ!」
満面の笑み。
「昨日」
「たーーーーっくさん」
「したのに!!」
レイラ
「――――ッ!!!」
身体が、
文字通り跳ねた。
(まずい)
(終わった)
(完全に)
(バレた)
シャガル
「……なんだと?」
声が、低く落ちる。
「おかしいな」
「余は、医官から――」
一語ずつ、確かめるように。
「口付けは」
「まだ、できないと」
「止められている」
「そう」
「聞いたのだが……?」
ゆっくりと、顔を近づける。
「なぁ……?」
「レイラ……」
その瞬間。
サァ…………
全身から、
血の気が引いた。
レイラ
「………………」
(これは)
(まずい)
(もはや)
(生命機能としての危機)
(警鐘が)
(鳴り止まない)
(危険)
(逃げろ)
(殺される)
――笑顔の二人を前に、
レイラの本能が、全力で叫んでいた。
――しかし。
レイラは、なんとか平静を装った。
※なお、装えてはいない。
レイラ
「……あ、あぁ……」
視線が泳ぐ。
「ど、どうだったかな……」
曖昧に笑い。
「ま、まぁ……過去の話だ」
「もう、私生活に戻っていいらしいしな」
そこで、そっと付け足す。
「今日から……」
「徐々に、だ」
上目遣いで、シャガルの様子を窺う。
シャガル
「ほぉ……?」
一瞬、間。
「徐々に……なぁ?」
顎に手を当てる。
「そうだな……」
「確かに、お前の体は心配だ」
その言葉に。
(……よし)
レイラは、わずかに安堵した。
シャガル
「心配だから……」
一拍。
「時間を、かけねばな??」
レイラ
「…………?」
嫌な予感しかしない。
シャガル
「テュエル」
「どれくらい様子を見るべきだと思う?」
テュエル
「そうですね……」
にこやかに、そう言いながら。
胸ポケットに、指を差し入れる。
取り出されたのは、
使い込まれた、小さな手帳。
ぱら、と一度だけ頁を捲り。
ほんの一瞬、目を落とす。
「最低でも、三日」
一拍。
「長ければ……」
「一週間近く、でしょうか^^」
レイラ
「!?」
シャガル
「やはりな……」
満足げに頷く。
「レイラ」
「大丈夫だ……!」
「余が――」
「付きっきりで、様子を見てやる^^」
レイラ
「な、何の話だ……!?」
完全に置いていかれている。
シャガル
「あぁ……しかし……」
ふと、思い出したように。
「テュエル」
「お前との【取り決め】があったな?」
――そう。
《夜間行動に関する規定》
その③。
連続実施の制限。
「原則、二日連続は禁止」
シャガル
「連続は……」
「ダメ、だったか?」
テュエル
「そうですね」
即答。
そして、にこやかに。
「ですが、大丈夫です」
「双方の合意があれば」
「問題ありませんから^^」
レイラ
「な、何の話をしている!?」
呼吸が、浅くなる。
シャガル
「なんと……!」
「話のわかる男だ……!!」
テュエル
「お褒めに預かり光栄です^^」
――完全に、出来上がっている。
シャガル
「当分は、ここで過ごす」
「投薬、食事」
「すべて、ここへ運ばせろ」
テュエル
「かしこまりました^^」
レイラ
「か、勝手に話を進めるな!!」
――その瞬間。
(はっ!!)
(そうだ……!!)
(皇務……!!)
表情を、スン……と戻す。
レイラ
「おい」
「いい加減にしろ」
毅然と。
「長く席を空けていた」
「私は、しばらく皇務に戻る」
「お前たちも疲れただろう」
「休暇にしてやる」
「……休め」
(ふっ……勝った)
そう、思った。
――が。
テュエルとシャガルは。
(にやり)
(来たな)
同時に思っていた。
シャガル
「皇務、か……」
「それなら、仕方ないな」
レイラ
(ほっ……)
シャガル
「……いや」
「だが、爺が引き受けていたはずだが?」
あくまで、軽く。
レイラ
「ッ!」
「シャガル……」
「聞き分けが悪いな」
「最終決定が必要な書類は」
「すべて、私の仕事だ」
「爺は、まだ残っていると言っていた」
「それを……片付けねば」
悲しげに。
「悪いな……」
「お前と、もっと過ごしたかったが」
「空けすぎた……」
「そうはいかない」
――完璧な演技。
その、直後。
テュエル
「レイラ様^^」
レイラ
「……?」
「なにも」
「お気になさらなくて、大丈夫です」
にこやかに。
「先ほど」
「少しばかり、進めておきましたし」
「レイラ様が」
「お休みの間は――」
「俺が」
「すべて、済ませておきますから^^」
レイラ
「…………へ?」
「……どういう、ことだ?」
テュエル
「レイラ様」
優しく。
「お忘れですか?」
「俺も……」
「最終決定権、持ってますよ?」
一拍。
「酷いなぁ」
「俺は」
「あなたの“夫”なんですから」
――沈黙。
理解。
王印。
所有権。
すなわち――
王。
レイラ
「…………ッ」
万策尽きて、崩れ落ちた。
シャガル
「レイラ……」
よしよし、と頭を撫で。
「大丈夫だ……」
「余が……」
「これから……」
にっこり。
「たーーーーーっぷりと」
「可愛がってやる」
「安心せよ^^」
(安心…とは……?)
テュエル
「では」
「俺は皇務に戻りますので」
「休暇だと思って」
「ごゆっくり^^」
「誤用があれば」
「お声がけくださいね^^」
そう言って、扉へ。
レイラ
「テュ、テュエル待て!!」
「たすけ――」
その声に。
テュエルは、ぴたりと足を止めた。
そして――
ゆっくりと、振り返る。
そこには、
いつもと変わらぬ――爽やかな笑顔。
テュエル
「レイラ様」
一拍。
「男心を弄び」
「理性を煽り尽くした罰です^^」
にこやかに。
「どうか、ご無事で」
次の瞬間。
――パタン。
無情にも、扉は閉じられた。
静寂。
……いや。
背後に、気配。
振り返った瞬間、
シャガルと、視線が合った。
「…………………………」
――そして。
「♪」
ありえないほど、にこやか。
ありえないほど、上機嫌。
楽しげに、
シャガルは口角をつり上げた。
シャガル
「ふっ……」
「はははははは!」
――悪魔だ。
レイラは、心の底からそう思った。
愉快そうに。
心底、楽しそうに。
シャガル
「レイラ」
「お前――」
一拍。
「余との口付けが」
「やたらと、恐ろしいようだな?」
にやり。
レイラ
「……なっ!!///」
一瞬で、顔が熱を帯びる。
逃げ場を探すように、視線が揺れる。
だが――
シャガルは、ただ見ていた。
余裕たっぷりに。
楽しむように。
――かくして。
男心を弄び、
理性を煽り尽くした女狐は。
今度は逆に――
口付け“だけ”で
徹底的に、焦らされることになる。




