夫二人を置いて、爺とお茶しに行きました。
そして――
テュエルの“罰”。
シャガルとの戦いを終えた翌日。
医官は、手元の書類を一通り確認してから、
穏やかな声で告げた。
「もう、自室に戻って構いません」
「歩行訓練も、今日から開始して大丈夫です」
レイラの肩が、ぴくりと跳ねる。
(……ほんとに?)
表情には出さないが、
胸の奥で小さくガッツポーズを決めた。
「むしろ」
「少しずつ、普通の生活に戻していきましょう」
「無理のない範囲で、ですが」
一拍置いて、医官は書類に視線を落としたまま続ける。
「あと、経過観察を兼ねて」
「しばらくの間、昼過ぎ頃に」
「投薬治療を行います」
「回復を促すためのものです」
「歩行訓練と併せて、様子を見ましょう」
レイラは、素直に頷いた。
「……わかった」
「よかったですね、レイラ様^^」
テュエルが、心から安心したように微笑む。
レイラは、ほっと息を吐き、
小さく微笑んで頷いた。
「……トト」
「ありがとう」
一瞬。
医官は、ほんのわずかに目を瞬かせただけで、
すぐにいつもの穏やかな表情に戻る。
「…………いえ」
「仕事ですから……」
淡々とした返答。
そのまま書類へと視線を落とす。
(……認知、されていたのか)
それ以上、何も考えず。
特に感慨もなく。
ただ、それだけを事実として受け取った。
だが――
その横で、
シャガルだけが、僅かに眉を寄せていた。
(……?)
(昨日までは)
(口付けすら、控えるようにと言われていたはずだが)
違和感が、静かに胸に引っかかる。
「……どれほどまで」
「私生活に戻してよいのだ」
低く、慎重な問い。
医官トトは一瞬、言葉を止め――
そして、察したように視線を逸らした。
「………あぁ……」
「……無理のない程度に」
「様子を見ながら、ですね」
一拍。
「……“無理なく”、です」
妙に強調された言い方。
「ほぉ……」
シャガルの口元が、ほんのわずかに上がる。
――――
レイラは、寝台の脇でゆっくりと身支度を整えていた。
動作は丁寧だが、どこか慎重で――
まだ、完全とは言い難い。
その様子を確認すると、
テュエルは一歩離れ、
シャガルの方へと静かに近づいた。
声は、落とす。
「……シャガル」
「なんだ」
半ば呆れ、半ば本気の感心を込めて。
「……昨日…よく、我慢したな」
シャガルは、すぐには答えなかった。
少し視線を逸らし、
低く息を吐く。
「我慢、ではない」
「……勝負だ」
短く、淡々と。
だが、続けて。
「正直に言えば――」
声が、わずかに沈む。
「拷問だった」
テュエルは、思わず口元を緩める。
「でしょうね」
「昨日なんて」
「完全に、理性の綱が切れかけていた」
シャガルは、鼻で小さく笑った。
「……ああ」
「だからこそだ」
「余が、余であるために」
「踏みとどまった」
そして、ぽつりと。
「――だが」
視線が、身支度を終えつつあるレイラへ向く。
「今日からは」
「話が、別だ」
『……ですよね』
テュエルは、内心で肩をすくめた。
(“無理なく”……)
(それが一番、危ない)
その時。
「よし……」
「……行こう」
身支度を終えたレイラが、振り返る。
一歩、踏み出そうとした瞬間。
「……っ」
足に、じん、と痺れが走った。
身体が、わずかに傾く。
次の瞬間――
テュエルの腕が、迷いなく伸びた。
「――っと」
そのまま、抱え上げる。
「無理しないでください」
「まだ、回復途中です」
レイラは一瞬、悔しそうに目を伏せるが、
すぐに小さく息を吐いた。
「……うん」
「お願い」
医官トトは、その様子を淡々と確認しながら告げる。
「……機能回復訓練は、必要ですね」
「毎日、無理のない範囲で」
「歩行訓練を行ってください」
一拍。
「……私生活も」
「様子を見ながら、です」
余計な説明は、しない。
だが、その“付け足し”は、
確実に意味を含んでいた。
シャガルは、それを聞き逃さなかった。
(……やはり、まだ全開ではない)
だが――
(だからこそ)
口元が、わずかに歪む。
(時間をかければ、いいだけの話だ)
距離は、確実に近づいている。
平穏な回復の日常は、始まった。
――ただし。
シャガルの“敗北”が、
本当の意味で回収される日は。
確実に、近づいていた。
――そして。
数刻後。
中庭へ続く回廊は、
昼下がりの柔らかな光に満ちていた。
歩行訓練――
という名の、短い散歩。
医官の許可のもと、
レイラは二人に見守られながら、ゆっくりと足を運ぶ。
「……大丈夫」
「昨日よりは、ちゃんと……」
自分に言い聞かせるように、そう口にした直後。
足先に、ぴり、と微かな痺れが走った。
「……っ」
ほんの一瞬、重心が揺らぐ。
数段しかない段差だったが――
踏み外せば、転ぶには十分だった。
「レイラ様!」
すぐ横から、テュエルの手が伸び、
迷いなく身体を支える。
「……無理はしないでください」
「今日は“訓練”ですから」
「……うん」
「……すまない」
息を整えながら、
レイラは小さく頷いた。
その反対側から、低い声が落ちる。
「……肩に、手を置け」
シャガルが半歩近づき、
有無を言わせぬ調子で言った。
「倒れる気はなくとも」
「痺れは、意志では制御できぬ」
そうだ――
八岐大蛇から受けた、あの電撃。
その損傷による痺れは、
完全には、まだ抜けきっていない。
言われるまま、
レイラはシャガルの肩に指先を添える。
「……大げさ」
「大げさで、いい」
短く、即答。
三人で、再び歩を進める。
速度は、遅い。
距離も、短い。
だが。
確実に、昨日よりは前に進んでいた。
(……まだ、全開ではないな)
シャガルはそう判断しつつも、
その思いを口に出すことはなかった。
そして――
段差を越えて、少し息を整えたあと。
レイラが、ほっとしたように肩の力を抜く。
「……くす」
小さく、柔らかい笑み。
「ほんとに……」
一拍、言葉を探すようにしてから。
「力強くて」
「たくましくて……」
指先が、
無意識に――
シャガルの肩と、テュエルの腕に、それぞれ触れたまま。
「……安心する」
ぽつりと。
「……こうやって支えられると」
「身体、全部……預けても大丈夫なんだって」
「思える」
――沈黙。
一瞬。
空気が、止まった。
(そんな無防備な顔、するな)
(……可愛すぎるだろ)
半ば逆ギレに近い感情が、
男二人の胸を同時に打つ。
そして――
ほぼ同時に、確信。
(俺のことだ)
(余のことだ)
テュエルは、無意識に腕に力を入れる。
服の下で、筋がはっきりと浮き上がる。
一方、シャガルは一歩前に出て、
胸を張り、肩を強調するように姿勢を正す。
――どうだ。
――見ろ。
――この肉体を。
言葉にせずとも、
互いにそんな主張を叩きつけ合っていた。
その時。
「姫さま」
場違いなほど穏やかな声。
振り返ると、爺が立っていた。
「トトが、昼の投薬の時間だと」
「医務室へ来るよう、申しておりましたぞ^^」
「あ、そうだった」
レイラは、はっとして頷く。
「知らせてくれてありがとう、爺」
「……爺は、どこへ行くんだ?」
「私ですか?」
「今は、ただ伝えに来ただけですよ」
そう言って、にこりと笑う。
「もし、お嫌でなければ」
「私が医務室まで、ご一緒しましょうか?」
「いいのか?」
「姫さまが、嫌でなければな」
「何を言ってるんだ」
「爺と行きたいに決まってる……!」
「はっはっは!」
「それは光栄じゃの!」
爺は上機嫌に笑い、
そのまま自然に、レイラの隣へと歩み寄る。
――と、そこで。
レイラが、ふと思い出したように、
爺の袖を、ちょい、と引いた。
「なぁ、爺」
「ん?なにかな?」
「投薬が終わったらでいいんだが……」
「少し、時間はあるか?」
どこか期待を含んだ声。
爺はすぐに察し、
楽しげに目を細めた。
「おや?」
「姫さま、何かご用で?」
レイラは、ほんの少し照れたように、
けれど迷いなく口にする。
「……一緒に、茶を飲みたいの」
「最近、ちゃんと話せてなかっただろ?」
「だから……」
一拍。
「爺と、ゆっくり」
爺の表情が、
一瞬でぱっと明るくなる。
「おお……!」
「それはまた、嬉しいお誘いですな!」
「もちろんですとも」
「喜んで、お供いたしましょう」
「やった……!」
レイラは満足そうに微笑み、
そのまま自然に、爺の腕に手を添えた。
そして。
その腕に身を預けたまま、
ぱっと花が咲くように笑う。
「……えへへ」
子どものように、
無防備で、甘えた笑顔。
「爺と行くの、久しぶりだな」
「茶、楽しみだ」
声は、柔らかく弾んでいる。
「爺の入れてくれる茶」
「……好きなんだ」
「……はっはっは!」
爺は目を細め、
心底嬉しそうに笑った。
「それはそれは」
「張り切らねばなりませんな、姫さま」
そのやり取りに、
レイラは満足そうに頷き――
「じゃあ、爺」
「医務室、行こ」
「はっはっは!」
「任されましたぞ、姫さま!」
そうして――
爺は、くるりと二人の男へ向き直る。
「では、私が姫さまをお連れしますから」
「夫二人さんは、どうぞごゆっくり^^」
にこやか。
だが、どこか有無を言わせぬ笑顔。
そこで、ふと思い出したように、
レイラがようやく振り返った。
「あ、テュエル、シャガル」
あまりにも軽い声。
「また、あとでな」
小さく手を振る。
それだけ。
そして――
もう二人を見ることはなく。
爺の方を向き直り、
並んで歩き去っていく。
――視線は、戻らない。
見るからに、
レイラからはハートが飛んでいた。
***
残された男二人。
静止。
沈黙。
あまりにも、あっさりと。
(……)
(今のは)
(爺殿にしか見せない顔だ)
テュエルの奥歯が、
きし、と音を立てる。
(……あの笑い方)
(余には)
(見せぬ類のものだな……)
シャガルの目が、
ゆっくりと細まった。
二人とも、
まったく同じ結論に辿り着く。
(……なぜだ)
(なぜ、爺殿にしか)
(あんな顔を)
――だが。
その思考は、同時に切り捨てられる。
問題は、そこではなかった。




