いつも余裕な妖王に勝ちたいので、作戦を立てました。
レイラは、医務室の寝台に腰掛けたまま、小さく息を吐いた。
視線は天井。
頭に浮かんでいるのは――シャガルのことだった。
(……言い過ぎた)
考えるまでもない。
あの時、衝動的に吐き出してしまった言葉。
――妖界の女とでも、仲良くしてろ。
胸の奥が、きゅっと縮む。
(……心にも、思ってないのに)
本当は、その逆だ。
分かっている。分かっているのに。
(ちゃんと……)
(シャガルにも、謝らないと……)
その気持ちは、確かにあった。
けれど――同時に、別の感情も、確かにそこにあった。
(……一泡、吹かせてやりたい)
(いつも余裕な、あの妖王を)
(どうにかできないものか……)
やられっぱなしな自分に、
レイラは、ほんの少しだけ拗ねていた。
⸻
(……シャガルの口付けは)
(いつも、ずるい)
甘い言葉を、囁くように落として。
急がず、焦らすように、距離を詰めてくる。
気づいた時には、もう逃げ道はない。
視線も、呼吸も、全部――奪われている。
(……ああやって)
(ゆっくり、絡め取る)
そして、いざ口付けられると。
頭が、真っ白になる。
考える余裕なんて、何も残らない。
腰が抜けるほどに――
抗う力を、根こそぎ奪われる。
(……上手い、んだ)
はぁ……と、息が零れた。
⸻
(……テュエルは)
ふと、別の影が胸に浮かぶ。
テュエルは――
例えるなら、想いそのものが押し寄せてくるタイプだ。
触れ合っている間、
何も言わなくても分かる。
(……好きだ)
(……愛している)
言葉にせずとも、
全部が体温と一緒に伝わってくる。
力強くて、真っ直ぐで。
情熱的で、迷いがない。
だから、触れ合うたびに、
心が満たされる。
(……嬉しい)
安心できる。
「ここにいていい」と、思わせてくれる。
⸻
(……でも)
シャガルは、違う。
あの男は――
雰囲気を、作るのが上手すぎる。
空気を掴み、
心を包み込み、
逃げ場を奪う。
急がない。
焦らせる。
余裕のまま、じわじわと距離を詰めてくる。
(……技量が、違う)
心ごと、捕まえられる。
気づいた時には、
考えることすらできなくなっていて――
全部、埋め尽くされる。
余裕なんて、
一欠片も、残らない。
(……だから)
不安になる。
怖くなる。
初めてじゃないことは、分かっている。
何千年も生きていれば、経験があるのは当然だ。
(……慣れている、んだろうな)
シャガルは――王だ。
妖界の王。
(そりゃあ……)
(いくらでも、女は居ただろう)
望めば寄ってくる存在。
拒まずとも、周囲が勝手に整える立場。
(経験がない方が)
(おかしいくらいだ)
頭では、ちゃんと理解している。
それでも――
あの余裕。
あの手際。
あの、逃がさない距離感。
慣れているからこそ――
ああも、ずるいのだ。
(……あんな言葉も)
(言いたくなるじゃないか)
私は、何人目なのだろう。
妻であることは事実でも、
他にも、本気で愛した者がいたのかもしれない。
胸の奥が、ちくりと痛んだ。
⸻
男二人して、
理性だの、安静だの、死ぬだの。
(……うるさい)
そんなもの――
全部、爆発してしまえ。
レイラは、本気でそう思っていた。
⸻
別に、主導権を握りたいわけじゃない。
勝ち負けに、こだわっているわけでもない。
でも――
(……たまには)
(……勝ちたい)
(たまには)
(私が……)
その考えに至って、
自分でも可笑しくなり、くすりと笑う。
――そして、思考を巡らせた。
(テュエルと同じ方法じゃ、ダメ)
(口付け合戦は……無理)
即、却下。
脳裏に浮かぶのは、
余裕綽々で、容赦なく、逃がさないシャガルの姿。
(あれは……ずるい)
確信があった。
(絶対、主導権を握られる)
(私の心臓が、先に死ぬ)
では……何なら……?
思考が、巡る。
そして――
わずかに、口角が上がった。
(……ぎゅってするだけなら?)
口付け、なし。
ただ、抱きしめるだけ。
条件を、がちがちに制限する。
(それなら……)
シャガルは、どうなる?
想像した瞬間。
――にやり。
悪戯を思いついた時の、
完全に“悪い顔”。
「よし……」
「これでいこう」
レイラは、珍しく――
嘘をつくことに決めた。
【医官から、まだ負担をかけてはいけない】
【無理は禁物】
【口付けなど、なさらないでください】
そう伝えられたことに、してしまおう。
シャガルは、
そういう制限があるなら、絶対に踏み込まない。
それに――
シャガルは、テュエルとは違う。
「罰」よりも、
「勝負」と言われた方が、燃える男だ。
(これなら……)
レイラは、楽しそうに笑った。
「ふ……」
「やれやれ……演技力が試されるな」
――完全に、企んでいる顔で。
⸻
庭。
木陰で風を受けながら、シャガルは静かに目を閉じていた。
――落ち着かない。
普段ならば、多少の不調など意にも介さない。
だが今回は違う。
(……瘴気に倒れた直後だ)
医官の言葉も、頭に残っている。
「油断は禁物」と。
そして何より――
あの時の、レイラの苦しそうな呼吸が、脳裏から離れなかった。
(……無理を、していなければいいが)
王としてではない。
妖王としてでもない。
ただ、一人の夫として。
心底、案じていた。
そこへ。
「……シャガル」
聞き慣れた声。
目を開くと、少し離れた場所にテュエルが立っていた。
「……レイラ様がお呼びです」
「面会の許可が下りました」
「……!」
シャガルの表情が、即座に変わる。
「そうか……」
安堵と緊張が、同時に胸を満たす。
(……やっと、顔を見られる)
倒れてから、初めての面会だ。
気が気ではなかった。
すぐに歩き出そうとして――
ふと、違和感に気づく。
(……待て)
テュエルを、改めて見る。
目が……おかしい。
据わっている。
やけに鋭く、熱を帯びている。
だが――
覇気が、ない。
どこか、力が抜け落ちている。
(……こやつ)
(レイラと、面会したということだよな……?)
しかも、弱々しいレイラに会ってきた直後で、
なぜこんな状態になる。
(……何が、あった)
問いただす間もなく、
シャガルは医務室へ向かって歩き出す。
その、すれ違いざま。
テュエルが、低く、静かに言った。
「……どうか、ご無事で」
ぴたり。
シャガルの足が、止まる。
(……は?)
振り返るが、テュエルはもう視線を逸らしていた。
まるで――
これから修羅場に向かう者を見送るように。
(……ご無事で、だと?)
(こやつ……)
(弱ったレイラに会ってきた後で)
(なぜ、そんな言葉を……?)
じわり、と。
背筋を冷たいものが走る。
(……何を、された)
いや――違う。
(……何を、“見た”……?)
シャガルは、無意識のうちに息を整えた。
(……なるほど)
(これは、ただの面会ではないな)
だが。
それでも――
足は、止まらない。
(……何であれ)
(レイラが呼んでいる)
その事実だけで、十分だった。
シャガルは静かに歩き出す。
――完全に。
罠が張られているとも知らずに。




