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双国ノ巫女 〜愛されることを諦めた姫が愛を知る物語〜  作者: Su
奪われかけた巫女と、帰還する王
168/226

口付けしてくれないので、夫二人を締め出しました。


⸻


 数日後。


 レイラの容体は安定し、

 医務室を出て自室で過ごす時間も増えていた。


 寝台に上体を起こし、

 窓の外をぼんやりと眺めている。


 ――だが。


 おかしかったのは、

 どう考えても、テュエルの態度だった。


 いや、テュエルだけではない。

 シャガルも、どこか距離を取っている。


 犬の姿で添い寝してからというもの、

 二人とも、必要以上に踏み込んでこなくなった。


 護衛としての仕事は完璧だ。

 必要な時には必ずそばにいるし、

 体調も、表情も、決して見逃さない。


 それなのに――


 触れてこない。


 以前なら、眠る前に額に触れてきた手も、

 何気なく肩に置かれていた温もりも、今はない。


 まるで、線を引いたように。


 それに気づいているのは、

 おそらく――レイラだけだった。


⸻


 夕暮れ。


 部屋に橙色の光が差し込む中、

 レイラは意を決して口を開いた。


「……テュエル」


「はい、レイラ様」


 返事は、いつもと変わらない。

 優しく、落ち着いた声。


 ――だからこそ、余計に苦しい。


「最近……私に触れてこないな?」


 一瞬だけ、

 テュエルの動きが止まった。


「……そうでしょうか」


 とぼけた声音。


 嘘をついてもすぐ分かると、

 彼自身が一番知っているはずなのに。


「前は……」

「もっと、触れてくれてた」


 沈黙。


 テュエルは視線を伏せ、

 少し考えるようにしてから、言葉を選んだ。


「……レイラ様は」


 その続きを、

 レイラはなぜか察してしまった。


「……シャガルといる方が」

「落ち着くように、見えました」


 胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。


「……はぁ」


 思わず、笑いそうになる。


「シャガルの方が甘やかしてくれるからか?」

「犬の姿で、添い寝してたからか?」


 テュエルは、否定しなかった。


「……無理をしてほしくありません」

「それに……」


 言葉を探すように、間を置く。


「ボクが踏み込みすぎれば」

「あなたを、困らせるかもしれない」


 ――“ボク”。


 護衛として理性を保とうとする時、

 彼は決まって一人称を変える。


 完全な、勘違いだった。


⸻


「……テュエル」


 レイラは寝台から降り、

 一歩、彼に近づいた。


「私が、困ってるように見えるか?」

「私が、困ったことがあったか?」


「それは……」


「見えないよな」


 声が、わずかに震える。


「じゃあ、なんで……」


 喉の奥が、熱くなった。


「なんで、口付けしてくれないんだ?」


 テュエルの目が、大きく見開かれる。


「……レイラ様」


「私、待ってるのに」


 気づけば、視界が滲んでいた。


「ずっと……」

「お前が、いつもみたいに」

「当たり前みたいに、触れてくれるのを」


 ぽろり、と涙が落ちる。


 泣くつもりなどなかった。

 ただ不安を口にしただけなのに、

 堪えていたものが、一気に溢れた。


「なのに……」

「勝手に距離を決めて……」

「私の気持ちを……置いていくな……!」


 半泣き。

 いや、ほとんど泣いていた。


「夫……だろ……」


 感情が、ついに爆発する。


「なんで……!」

「なんで口付けしてくれないのッ!!」


⸻


 部屋が、静まり返った。


 顔を真っ赤にして泣くレイラを前に、

 テュエルは完全に固まっていた。


(……え?)

(何が起きている?)

(レイラ様が……泣いている?)

(俺は……何を……?)


 ――何もしないことに、怒っている。


 それに気づくまで、

 彼の思考は完全に停止していた。


「ち、治療目的の口付けは……」

「いらないと……以前に……」


「そんなんじゃないって言ってる!!」


 即座に、叫びが飛ぶ。


「…………」


 さらに、思考停止。


「私が、治療目的でだけ」

「お前と口付けしようとしてると?」

「そう思ってたのか……?」


 嗚咽混じりの声。


「……え……」

 もはや、目が点だった。


「レイラ様……」

「申し訳ございません……」

「どうか……泣かないで……」


 抱き寄せられる。

 だが、その力は、いつもよりずっと弱い。


 ――それすら、足りなかった。


「なんでだ……」

「なんで、わかってくれない……」


「……夫なのに」


「……レイラ様、まだ……」

「安静にしなくては……」


「私が、欲しいって言ってる」


 真っ直ぐに、見上げる。


「拒むな」


 テュエルの手が、震えた。


(……まずい)

(理性が……)


 完全に、追い詰められている。


「……ダメです……」

「まだ……安静に……!」

「俺の理性が、持ちません……!」


 その一言で、

 レイラの中の何かが、ぷつりと切れた。


「……もういい!!」


「出てって!!」


「レ、レイラ様――」


「出てけ!!!」


 押し出され、

 テュエルは完全に部屋の外へ放り出された。


 ――締め出し。


 扉の向こうで、

 彼はしばらく、動けずに立ち尽くしていた。


⸻



 レイラの自室の前。


 壁に背を預け、床に座り込んだままのテュエルは、

 完全に魂が抜けた顔をしていた。


(……出てけ、って……)


 がーーーーーーん。


冷静に考えても何が起こったのか理解できない。

そしてショックが隠せないテュエル



 その時。


「……情けない姿だな」


 低い声が、頭上から降ってくる。


 顔を上げると、

 腕を組んだシャガルが立っていた。


「レイラに拒絶されたか」


 にやり、と口角を上げる。


「……」


 テュエルは、何も言えなかった。


「ふん」

「だから言っただろう」

「安静だの理性だのと、うだうだしていれば」

「女は、不安になる」


「……ッ」


 的確すぎる一撃。


 シャガルは、余裕たっぷりに言い切った。


「余に任せよ」


「……え?」


「余が、機嫌を治してやる」


 どや顔だった。


 完全に。


⸻


 次の瞬間。


 シャガルは、何の迷いもなく

 レイラの自室の扉を開けた。


⸻


「レイラ――」


 声をかけながら部屋に入った、その直後。

 シャガルは、異変に気づく。


 目を赤くして、泣いているレイラの姿。


「レイラ!」

「どうした……!」


 即座に駆け寄るが、

 レイラは、すぐに言葉を返さなかった。


「……あの猿が、何かしたのか?」


「………………」

「違う……」


 短く否定する。


「では、どうしたのだ」


「なにも……」

「……なにもしないから、怒っている……」


「…………?」


 シャガルは、言葉を失った。


 レイラ自身、気づいていた。

 テュエルだけでなく、シャガルもまた、

 最近は必要以上に触れてこないことを。


 その不満と、不安。

 そして、確かめたい気持ち。


 不機嫌なレイラは、

 シャガルを――試した。


「シャガル……」

「口付けして……」


「……?」


 一瞬、何を言われたのか理解できなかった。


「なっ……!?」


「……嫌なのか?」


「レイラ……!」

「お前、自分が何を言っているのか――」


「わかってる」


 被せるように、言い切る。


 沈黙。


 部屋の空気が、凍りついた。


(……どうしたというのだ)

(今、この状況で……)

(口付けなど、してしまえば……)


 脳裏に浮かぶのは、

 理性が崩れ落ちる未来。


(余は、止まれぬ……)

(歩けるようになったとはいえ)

(まだ、安静にせねばならぬはずだ……)


 シャガルは、黙ったまま動けなかった。


「……しないのか……」


 レイラの声が、震える。

 再び、涙が溢れ出す。


「……いや」

「レイラ、まだ安静に――」


「もう大丈夫だって、言ってる!!」


「…………」

「……余が」

「……抑えられぬ……」


 その一言で。


 レイラの中の何かが、ぷつりと切れた。


「……出てって」


「……なんだと?」


「出てけ!!!」


 体を押され、

 シャガルは扉の外へと追い出される。


 ――バァン!


 乱暴に閉められた扉。


 静まり返った廊下に、

 その音だけが、いつまでも残っていた。


 ――締め出しである。


⸻


 数秒後。


 廊下は、静寂。


 そして――


「……」


 シャガルは、無言のまま

 レイラの自室の前に立ち尽くしていた。


 ゆっくりと、振り返る。


「……」


 そこには、同じく言葉を失った

 テュエルの姿。


 目が、合う。


「……」


「……」


 気まずすぎる沈黙。


「……追い出されたのですか」


「……黙れ 」


 低く、短く。

 完全に逆ギレ気味だった。


⸻


「……余は」

「正しいことを言ったはずだ」


「……」


「抱きしめれば」

「欲情する」


「触れれば」

「止まらぬ」


「だが、今は――」


「……安静に、せねばならぬ」


 シャガルは、苦々しく吐き捨てる。


 テュエルもまた、視線を落としたまま、

 静かに息を吐いた。


「……レイラ様は」

「ただ、安心したかっただけなのでしょう……」


それは、

 先ほどまで自分が向き合っていた言葉の数々を、

 今になって一つずつ繋ぎ合わせた末の結論だった。


 あの震えた声も、

 涙も、

 拒まれた距離も――

 すべて、思い返して初めて意味を持つ。


 テュエルは、苦く息を吐いた。


 その言葉に、

 シャガルは、わずかに目を細める。


「……余らが」

「欲を持つ男であるせいだな」


 二人。


 完全に、同罪だった。


⸻


 その時。


 扉の向こうから、

 小さく――しかし、はっきりとした声が飛んでくる。


レイラ

「シャガル」


シャガル

「……どうした」


レイラ

「妖界の女とでも」

「仲良くしてろ!!」


シャガル

「なっ――!?」


 明らかな動揺。


 そんなつもりは、

 欠片ほどもなかったシャガルは、

 さすがに腹が立った。


シャガル

「レイラ!」

「お前、言っていいことと悪いこと――」


レイラ

「うるさい!!」

「出てけ!!」

「入ってくるな!!」


 ――二度目。


 完全拒絶。


⸻


 廊下に残された、男二人。


「……」


「……」


 テュエルが、ぽつりと呟く。


「俺たち……」


「……完全に、やらかしたな」


「ああ……」


 二人同時に、深いため息。


⸻


 一方、その頃。


 レイラは部屋の中で、

 寝台の傍に座り込んでいた。


 布団を握りしめる力だけが、

 やけに強い。


 ――上がれなかった。


 身体が重く、

 立ち上がる気力も、

 横になる余裕もない。


 ただ、そこにいるだけで精一杯だった。


「……ばか……」


 喉の奥から、掠れた声が零れる。


「……二人とも……」


 胸元を押さえ、

 小さく背中を丸める。


(寂しい……)


 その瞬間。


 ふっと、呼吸が乱れた。


「……っ……」


 息を吸おうとしても、

 胸の奥で何かが引っかかる。


 空気が、途中で止まる。


(……あれ……?)


 喉が、ひりつくように熱い。

 胸の内側が、じわじわと重くなる。


 気分が悪い。


 視界が、わずかに揺れた。


 床に手をつき、

 身体を支えようとするが――

 指先に、力が入らない。


(……落ち着け……)


(……安静に……)


 そう思うほど、

 心臓は早鐘を打ち、

 呼吸は浅くなっていく。


 感情の波が、

 抑えきれずに溢れ出す。


 寂しさ。

 不安。

 焦り。

 怒り。


 それらが混ざり合い、

 胸の奥で、静かに渦を巻く。


 その隙間から――


 薄く、重たい気配が滲み始めていた。


 まだ微弱だが、

 確かにそこにある――瘴気。


 レイラは気づかぬまま、

 苦しそうに肩で息をし、

 床にうずくまっていた。


 胸元を押さえ、

 声にならない想いを呟く。


(私は、ただ……)


(……抱きしめて)

(ほしかっただけなのに……)

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