口付けしてくれないので、夫二人を締め出しました。
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数日後。
レイラの容体は安定し、
医務室を出て自室で過ごす時間も増えていた。
寝台に上体を起こし、
窓の外をぼんやりと眺めている。
――だが。
おかしかったのは、
どう考えても、テュエルの態度だった。
いや、テュエルだけではない。
シャガルも、どこか距離を取っている。
犬の姿で添い寝してからというもの、
二人とも、必要以上に踏み込んでこなくなった。
護衛としての仕事は完璧だ。
必要な時には必ずそばにいるし、
体調も、表情も、決して見逃さない。
それなのに――
触れてこない。
以前なら、眠る前に額に触れてきた手も、
何気なく肩に置かれていた温もりも、今はない。
まるで、線を引いたように。
それに気づいているのは、
おそらく――レイラだけだった。
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夕暮れ。
部屋に橙色の光が差し込む中、
レイラは意を決して口を開いた。
「……テュエル」
「はい、レイラ様」
返事は、いつもと変わらない。
優しく、落ち着いた声。
――だからこそ、余計に苦しい。
「最近……私に触れてこないな?」
一瞬だけ、
テュエルの動きが止まった。
「……そうでしょうか」
とぼけた声音。
嘘をついてもすぐ分かると、
彼自身が一番知っているはずなのに。
「前は……」
「もっと、触れてくれてた」
沈黙。
テュエルは視線を伏せ、
少し考えるようにしてから、言葉を選んだ。
「……レイラ様は」
その続きを、
レイラはなぜか察してしまった。
「……シャガルといる方が」
「落ち着くように、見えました」
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。
「……はぁ」
思わず、笑いそうになる。
「シャガルの方が甘やかしてくれるからか?」
「犬の姿で、添い寝してたからか?」
テュエルは、否定しなかった。
「……無理をしてほしくありません」
「それに……」
言葉を探すように、間を置く。
「ボクが踏み込みすぎれば」
「あなたを、困らせるかもしれない」
――“ボク”。
護衛として理性を保とうとする時、
彼は決まって一人称を変える。
完全な、勘違いだった。
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「……テュエル」
レイラは寝台から降り、
一歩、彼に近づいた。
「私が、困ってるように見えるか?」
「私が、困ったことがあったか?」
「それは……」
「見えないよな」
声が、わずかに震える。
「じゃあ、なんで……」
喉の奥が、熱くなった。
「なんで、口付けしてくれないんだ?」
テュエルの目が、大きく見開かれる。
「……レイラ様」
「私、待ってるのに」
気づけば、視界が滲んでいた。
「ずっと……」
「お前が、いつもみたいに」
「当たり前みたいに、触れてくれるのを」
ぽろり、と涙が落ちる。
泣くつもりなどなかった。
ただ不安を口にしただけなのに、
堪えていたものが、一気に溢れた。
「なのに……」
「勝手に距離を決めて……」
「私の気持ちを……置いていくな……!」
半泣き。
いや、ほとんど泣いていた。
「夫……だろ……」
感情が、ついに爆発する。
「なんで……!」
「なんで口付けしてくれないのッ!!」
⸻
部屋が、静まり返った。
顔を真っ赤にして泣くレイラを前に、
テュエルは完全に固まっていた。
(……え?)
(何が起きている?)
(レイラ様が……泣いている?)
(俺は……何を……?)
――何もしないことに、怒っている。
それに気づくまで、
彼の思考は完全に停止していた。
「ち、治療目的の口付けは……」
「いらないと……以前に……」
「そんなんじゃないって言ってる!!」
即座に、叫びが飛ぶ。
「…………」
さらに、思考停止。
「私が、治療目的でだけ」
「お前と口付けしようとしてると?」
「そう思ってたのか……?」
嗚咽混じりの声。
「……え……」
もはや、目が点だった。
「レイラ様……」
「申し訳ございません……」
「どうか……泣かないで……」
抱き寄せられる。
だが、その力は、いつもよりずっと弱い。
――それすら、足りなかった。
「なんでだ……」
「なんで、わかってくれない……」
「……夫なのに」
「……レイラ様、まだ……」
「安静にしなくては……」
「私が、欲しいって言ってる」
真っ直ぐに、見上げる。
「拒むな」
テュエルの手が、震えた。
(……まずい)
(理性が……)
完全に、追い詰められている。
「……ダメです……」
「まだ……安静に……!」
「俺の理性が、持ちません……!」
その一言で、
レイラの中の何かが、ぷつりと切れた。
「……もういい!!」
「出てって!!」
「レ、レイラ様――」
「出てけ!!!」
押し出され、
テュエルは完全に部屋の外へ放り出された。
――締め出し。
扉の向こうで、
彼はしばらく、動けずに立ち尽くしていた。
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レイラの自室の前。
壁に背を預け、床に座り込んだままのテュエルは、
完全に魂が抜けた顔をしていた。
(……出てけ、って……)
がーーーーーーん。
冷静に考えても何が起こったのか理解できない。
そしてショックが隠せないテュエル
その時。
「……情けない姿だな」
低い声が、頭上から降ってくる。
顔を上げると、
腕を組んだシャガルが立っていた。
「レイラに拒絶されたか」
にやり、と口角を上げる。
「……」
テュエルは、何も言えなかった。
「ふん」
「だから言っただろう」
「安静だの理性だのと、うだうだしていれば」
「女は、不安になる」
「……ッ」
的確すぎる一撃。
シャガルは、余裕たっぷりに言い切った。
「余に任せよ」
「……え?」
「余が、機嫌を治してやる」
どや顔だった。
完全に。
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次の瞬間。
シャガルは、何の迷いもなく
レイラの自室の扉を開けた。
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「レイラ――」
声をかけながら部屋に入った、その直後。
シャガルは、異変に気づく。
目を赤くして、泣いているレイラの姿。
「レイラ!」
「どうした……!」
即座に駆け寄るが、
レイラは、すぐに言葉を返さなかった。
「……あの猿が、何かしたのか?」
「………………」
「違う……」
短く否定する。
「では、どうしたのだ」
「なにも……」
「……なにもしないから、怒っている……」
「…………?」
シャガルは、言葉を失った。
レイラ自身、気づいていた。
テュエルだけでなく、シャガルもまた、
最近は必要以上に触れてこないことを。
その不満と、不安。
そして、確かめたい気持ち。
不機嫌なレイラは、
シャガルを――試した。
「シャガル……」
「口付けして……」
「……?」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
「なっ……!?」
「……嫌なのか?」
「レイラ……!」
「お前、自分が何を言っているのか――」
「わかってる」
被せるように、言い切る。
沈黙。
部屋の空気が、凍りついた。
(……どうしたというのだ)
(今、この状況で……)
(口付けなど、してしまえば……)
脳裏に浮かぶのは、
理性が崩れ落ちる未来。
(余は、止まれぬ……)
(歩けるようになったとはいえ)
(まだ、安静にせねばならぬはずだ……)
シャガルは、黙ったまま動けなかった。
「……しないのか……」
レイラの声が、震える。
再び、涙が溢れ出す。
「……いや」
「レイラ、まだ安静に――」
「もう大丈夫だって、言ってる!!」
「…………」
「……余が」
「……抑えられぬ……」
その一言で。
レイラの中の何かが、ぷつりと切れた。
「……出てって」
「……なんだと?」
「出てけ!!!」
体を押され、
シャガルは扉の外へと追い出される。
――バァン!
乱暴に閉められた扉。
静まり返った廊下に、
その音だけが、いつまでも残っていた。
――締め出しである。
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数秒後。
廊下は、静寂。
そして――
「……」
シャガルは、無言のまま
レイラの自室の前に立ち尽くしていた。
ゆっくりと、振り返る。
「……」
そこには、同じく言葉を失った
テュエルの姿。
目が、合う。
「……」
「……」
気まずすぎる沈黙。
「……追い出されたのですか」
「……黙れ 」
低く、短く。
完全に逆ギレ気味だった。
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「……余は」
「正しいことを言ったはずだ」
「……」
「抱きしめれば」
「欲情する」
「触れれば」
「止まらぬ」
「だが、今は――」
「……安静に、せねばならぬ」
シャガルは、苦々しく吐き捨てる。
テュエルもまた、視線を落としたまま、
静かに息を吐いた。
「……レイラ様は」
「ただ、安心したかっただけなのでしょう……」
それは、
先ほどまで自分が向き合っていた言葉の数々を、
今になって一つずつ繋ぎ合わせた末の結論だった。
あの震えた声も、
涙も、
拒まれた距離も――
すべて、思い返して初めて意味を持つ。
テュエルは、苦く息を吐いた。
その言葉に、
シャガルは、わずかに目を細める。
「……余らが」
「欲を持つ男であるせいだな」
二人。
完全に、同罪だった。
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その時。
扉の向こうから、
小さく――しかし、はっきりとした声が飛んでくる。
レイラ
「シャガル」
シャガル
「……どうした」
レイラ
「妖界の女とでも」
「仲良くしてろ!!」
シャガル
「なっ――!?」
明らかな動揺。
そんなつもりは、
欠片ほどもなかったシャガルは、
さすがに腹が立った。
シャガル
「レイラ!」
「お前、言っていいことと悪いこと――」
レイラ
「うるさい!!」
「出てけ!!」
「入ってくるな!!」
――二度目。
完全拒絶。
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廊下に残された、男二人。
「……」
「……」
テュエルが、ぽつりと呟く。
「俺たち……」
「……完全に、やらかしたな」
「ああ……」
二人同時に、深いため息。
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一方、その頃。
レイラは部屋の中で、
寝台の傍に座り込んでいた。
布団を握りしめる力だけが、
やけに強い。
――上がれなかった。
身体が重く、
立ち上がる気力も、
横になる余裕もない。
ただ、そこにいるだけで精一杯だった。
「……ばか……」
喉の奥から、掠れた声が零れる。
「……二人とも……」
胸元を押さえ、
小さく背中を丸める。
(寂しい……)
その瞬間。
ふっと、呼吸が乱れた。
「……っ……」
息を吸おうとしても、
胸の奥で何かが引っかかる。
空気が、途中で止まる。
(……あれ……?)
喉が、ひりつくように熱い。
胸の内側が、じわじわと重くなる。
気分が悪い。
視界が、わずかに揺れた。
床に手をつき、
身体を支えようとするが――
指先に、力が入らない。
(……落ち着け……)
(……安静に……)
そう思うほど、
心臓は早鐘を打ち、
呼吸は浅くなっていく。
感情の波が、
抑えきれずに溢れ出す。
寂しさ。
不安。
焦り。
怒り。
それらが混ざり合い、
胸の奥で、静かに渦を巻く。
その隙間から――
薄く、重たい気配が滲み始めていた。
まだ微弱だが、
確かにそこにある――瘴気。
レイラは気づかぬまま、
苦しそうに肩で息をし、
床にうずくまっていた。
胸元を押さえ、
声にならない想いを呟く。
(私は、ただ……)
(……抱きしめて)
(ほしかっただけなのに……)




