レイラ様、それは反則です。
テュエルは、ふと思い出したように口を開いた。
「……シャガル」
「ん?」
「初めて貴方と会った時のことですが」
一瞬、間を置いてから。
「俺が……心臓を喰った、と答えた時」
「貴方は、こう言いました」
―― 『まさか、アイツ以外にそんなことをする者が居るとはな』
テュエルは、静かに続ける。
「……あの時の“アイツ”」
「もしかして……」
「朱蓮丸のこと、だったんですか?」
シャガルは、少しだけ目を細めた。
「あぁ」
「奴だ」
それだけだった。
だが、その短さが、
朱蓮丸という存在の“厄介さ”を、逆に際立たせていた。
(……やはり……)
(あの男は……)
(あの時すでに……)
(朱蓮丸は、シャガルの視界に入っていた……)
テュエルは、少し考え込むように視線を落としてから、静かに口を開いた。
「……今回」
「いくらレイラ様が、揺らぎを緩ませてしまっていたとしても……」
一拍置く。
「……頻度が、尋常じゃありませんでした」
レイラが眉をわずかに動かす。
「本来なら」
「ここまで急速に揺らいでいれば、もっと前から危険視されていたはずです」
「それが……ほとんど、間断なく続いていた」
シャガルは、深く頷いた。
「そうだ」
「恐らく――八岐が、巫女の力を感じ取ったのだろう」
低く、確信を帯びた声。
「人間界へ赴くために」
「朱蓮丸あたりに、揺らぎを作らせるよう指示した」
「……そう考えるのが、自然だ」
テュエルは、思わず眉を寄せた。
「揺らぎを……作る?」
「そんなことが……可能なんですか?」
「あぁ」
シャガルは短く答える。
「余も、久々にこちら側へ来た理由は」
「揺らぎを通して、アインの気配を感じたからだ」
一瞬、口元にわずかな笑みが浮かぶ。
「結果として、来てみればレイラだったがな」
そして、続けた。
「本来、歪みが明確に開くのは新月の日のみ」
「だが――人間界と妖界を跨ぐ、この境界」
「“揺らぎ”そのものは、常に存在している」
静かに、言葉を選ぶように。
「朱蓮丸は」
「その揺らぎに、妖力で無数の亀裂を走らせていたのだろう」
「新月を待たずとも、崩れ続けるようにな」
レイラは、黙ったまま俯いた。
(……たしかに)
胸の奥に、鈍い感覚が蘇る。
(……ずっと……)
(こんなことを、し続けなければならないのかと……)
(思うほど……多かった……)
閉じるたびに、
揺らぎだけでなく――
自分自身が、少しずつ削れていく感覚。
(……そして……)
(閉じるたびに……)
(心が……壊れていくようだった……)
それは、まるで――
シャガルが来られなくなることへの、
罰のようにも思えた。
シャガルは、わずかに目を伏せる。
「八岐の策略は……」
「完璧だった」
低く、重い声。
「認めざるを得ん」
「余が来るまでの時間」
「朱蓮丸の暴走」
「揺らぎの加速」
「そして――」
一拍。
「レイラが、己を削って耐えることまで」
「……すべて、計算の内だ」
しばらく、沈黙が落ちた。
その中で、
シャガルは、レイラの顔色が明らかに青くなっていくのに気づいた。
「レイラ」
声を落とす。
「……大丈夫か」
「……ん……」
レイラは、小さく返事をし、目を伏せた。
大丈夫だ、と言おうとして――
なぜか、その言葉が出てこない。
他の言葉も、見つからなかった。
「レイラ様……」
テュエルが、すぐに声をかける。
「まだ、完治したわけではありません」
「話は、いつでもできます」
柔らかく、しかしはっきりと。
「……少し、休みましょう」
「あぁ」
シャガルも頷く。
「その方がいい」
「……でも……」
レイラは、まだ何か言いたそうに口を開きかけたが――
二人の視線に、止められる。
「レイラ」
シャガルの声は、命令ではなく、願いだった。
「今は、休め」
「そして……早く、元気になれ」
「そうです、レイラ様」
テュエルは、いつもの柔らかな笑みを浮かべる。
「早く、元の顔色のいいレイラ様に戻ってください」
「歩けるようになってからも、まだまだ先は長いんですから^^」
少し茶目っ気を含ませて。
「もちろん」
「ボクが、つきっきりでお世話して差し上げます」
「余もだ」
シャガルは、即座に続けた。
「余も、もう二度と」
「お前から、離れぬ」
(……もう……)
レイラは内心で、苦笑する。
(過保護だな……)
それでも。
二人が、生きて帰ってきてくれたこと。
そして、またこうして話せていること。
それだけで、胸がいっぱいだった。
レイラは、
二人に見守られながら――
静かに、再び眠りについた。
――――
そして――
次にレイラが目を覚ました時。
窓の外は、すでに昼過ぎの光に包まれていた。
「……」
ゆっくりと、上体を起こす。
珍しく、部屋の中には誰もいない。
(……今なら)
そう思った瞬間、
彼女は無意識のうちに、自分の身体を確かめていた。
声は――出る。
喉に焼けるような痛みも、もうない。
指先に、かすかな痺れは残っているが、
それでも、きちんと力は入る。
皮膚を覆っていた火傷の痛みは、ほとんど引いていた。
見た目も、もう大きな痕は残っていない。
身体の奥に溜まっていた鈍い痛みも、
以前ほどではない。
内出血も――もう、気にするほどじゃない。
(……もう……)
(動けるんじゃないか……?)
そう、思えた。
医師からは、まだ安静にするよう言われていた。
だが――正直なところ。
(……これくらいなら……)
(少し、動いても……)
誰もいない今が、試すにはちょうどいい。
そう判断し、レイラは寝台から、そっと足を下ろした。
床に、体重をかける。
――立てる。
「……ほら」
やはり、立てるではないか。
そのまま、もう一歩。
だが。
「……あ……」
踏み出した足が、
かくん、と小さな音を立てて崩れた。
床に膝をつき、体勢を崩す。
「……はぁ……」
髪をかき上げ、大きく息を吐く。
(やれやれ……)
(……想像以上に、衰えてるな……)
それでも。
(……剣でも握って……)
(素振りでもすれば、すぐに……)
――無茶な思考が、頭をもたげた、その時。
ガラッ。
戸が開く音。
振り向くより早く――
視界に飛び込んできたのは、テュエルだった。
「…………」
「…………」
視線が、正面からぶつかる。
レイラは、床に膝をついたまま。
(……やばい……)
(よりによって……)
「……ぉ……落とし物を……して……」
自分でもわかるほど、苦しい言い訳。
テュエルは、無言。
――だが、その表情が
**「嘘ですね」**と、はっきり語っていた。
ずかずかと歩み寄ってくる。
「……す、すまない、違うんだテュエル――」
言い終わる前に。
テュエルは、ふわりとレイラを抱き上げた。
そのまま、寝台へ。
そっと置こうとした、その瞬間――
肋骨に走る、鈍い痛み。
「……ぅっ」
レイラは、はっとする。
「テュエル!」
「すまない……!」
「お前に、こんなことをさせるつもりでは……」
触れないように、
そっと、肋骨のあたりに手を寄せる。
「はぁ……レイラ様?」
深い、ため息。
「まだ、絶対安静の身なんですよ?」
「どうして、そうやって無茶をするんですか」
視線が、鋭くなる。
「どうせ」
「誰もいない隙に、どれくらい動けるか試そうとしたんでしょう」
「……う……」
図星。
「全く……」
「どうせ、思ったより動かないから」
「早く素振りでもして戻さないと、とか」
「そんなこと、考えていたんでしょう」
「……う……」
さらに図星。
「……いい加減にしてください」
声が、少し低くなる。
「レイラ様……ボクだって……」
「早く、あなたを抱きしめたいんです」
一瞬、言葉を選び――
「……お互い」
「早く、治しましょう」
「……うん……」
「……ごめん……」
沈黙。
その中で、
レイラの思考が、ふと止まった。
(……待て……)
(テュエルは……)
(私が……治せるじゃないか……!)
はっとして、顔を上げる。
瞳が、わずかに輝く。
「テュエル……!」
「は、はい……?」
(……かわいいな、くそ)
「……私と……」
「口付けをしよう……」
「っっっっっ!!///」
「な……!」
「な、なにを言ってるんですか!!」
嬉しい。
だが、意図がわかるからこそ、素直に喜べない。
レイラは、少し拙いキス顔で。
「……ほら……」
口を、突き出す。
「〜〜〜〜〜〜〜ッッッ!!!!!♡」
(まじで殺す気か!!!)
完全に、理性との戦い。
レイラが、自ら顔を寄せていく。
――だが。
「……ダメです……!」
ぴたり。
テュエルは、手で静止した。
重い、沈黙。
レイラの瞳が、少しずつ潤む。
「……そんなに……」
「嫌だった……か……?」
「……違います」
(なんでそんな顔するんだよ可愛すぎるだろ)
「じゃあ、なんで――」
「はぁ……レイラ様」
静かな声。
「ボクの身を、案じていましたよね」
「……あぁ」
「早く、治してやりたいんだ……」
「……治療は、不要です」
真剣な声音。
「これは……俺自身の罰です」
「あなたを守れなかったこと」
「この傷を負ったこと」
「すべて、俺の責任です」
「レイラ様が、揺らぎを塞がなかったこととは」
「……何の関係もありません」
レイラは、黙った。
(……私のせいなのに……)
(ほんとに……)
(頑固だな……)
(全部、自分のせいにして……)
(ずるい……)
それならば、と。
「……テュエル」
「はい……?」
「……ちょっと、こっち……」
手招き。
「?」
近づいた瞬間――
レイラは、テュエルの病衣を脱がせた。
「?!??!」
完全硬直。
思考停止。
レイラはそのまま――
折れた肋骨の上に、そっと口付ける。
「……ッッッッ////////」
顔が、真っ赤に染まる。
「……じゃあ……せめて……」
「……これだけでも……」
「……テュエル……」
「……本当に……ごめんね……」
「……ありがとう……」
「……生きてて……よかった……」
肋骨に響かないよう、
そっと胸に顔を埋め、抱きしめる。
――理性⭐︎完全⭐︎崩壊。
「……レイラ様……」
そのまま、ぎしりと音を立てて寝台へ。
レイラを、押し倒す。
「っ?!」
「……本当、困りますね」
「そうやって……どれだけ俺を煽るんですか」
「テュ、テュエル!?」
「ダメだ、肋骨に――」
「……どうでもいい」
顔が、近づく。
「レイラ様……」
「テュ……エル……」
互いの息が、交わる距離。
――その時。
パァン!!
扉が、乱暴に開かれた。
「………………」
シャガルだった。
レイラ
「シャ…シャガル…」
(まずい…)
テュエル
「……………ぁ」
(冷静になり理性が戻ってくる)
「………絶対⭐︎安静⭐︎だろ?^^」
びしり。と
「「は、はい……」」
「「すみませんでした……」」
――即・土下座案件。
けれど、
それは「日常」に戻るための、
ほんの一歩にすぎなかった。
レイラの機能回復は、
まだ、始まったばかりだ。




