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双国ノ巫女 〜愛されることを諦めた姫が愛を知る物語〜  作者: Su
奪われかけた巫女と、帰還する王
165/226

世界を救ったのは、英雄ではなかった。


そして、ふと思い出したように、レイラはシャガルへと視線を向けた。


「シャガル……今、妖界を空けていて大丈夫なのか……?」

「いきなり出てきてしまったのだろう?」


その問いに、シャガルは一瞬だけ目を伏せ、すぐに静かに答える。


「あぁ……とりあえずは、問題なかろう」

「馬天に任せてある」


「……馬天に?」


レイラが首を傾げると、シャガルは少しだけ口角を上げた。


「あぁ。あやつの王羅(オーラ)は“変化”だ」

「化けた主の王羅そのものは使えぬが……」

「限りなく完璧に近い変身ができる」


淡々と語りながらも、その目はどこか楽しそうだ。


「今頃は、余の身代わりとして」

「妖界で足止めを喰らわされておるだろう」


そう言って、意地の悪い笑みを浮かべるシャガル。


レイラは一瞬だけ沈黙し――


(……馬天……お気の毒に……)


と、心の中で静かに手を合わせた。


―――――


一方、その頃の妖界。


――シャガルに変身中の馬天。


(ひぃぃぃーーー!!)

(勘弁してくれよぉぉぉ!!)


心の中で悲鳴を上げながら、四方八方から浴びせられる罵声と詰問を、必死に真顔で受け止めていた。


(なんで拙者が……!)

(なんで拙者が妖王役なんだよぉぉ……!!)


――哀れ、馬天。


―――――


場面は戻り、医務室。


シャガルは、表情を引き締め、静かに言葉を続けた。


「……今回の事件」

「本来であれば――」


そして、視線をテュエルへ向ける。


「テュエル」


名を呼ばれ、テュエルの肩がぴくりと跳ねる。


「お前は、朱蓮丸に殺されていた」


その言葉を、テュエルは否定しなかった。

事実だと、理解していたからだ。


拳を、強く握りしめる。


「……っ」


シャガルは、今度はレイラを見る。


「そして、レイラ」

「お前は人質として囚われ――」


淡々と、しかし冷酷な現実を突きつける。


「あやつらの玩具とされ」

「治癒力も、巫女の力も利用され」

「死んだほうが楽だと思える苦しみを」

「……永遠に、与えられ続けていただろう」


室内の空気が、重く沈む。


「そして、人質とされた以上」

「余も、抵抗することはできず」

「……死んでおった」


静かに言い切るシャガル。


「今回の事件はな」

「あの若き兵士――そして、馬天」

「あの二人がいなければ……」

「すべて、終わっていた」


レイラは、思わず息を呑む。


「……どういう、ことだ?」


その問いに応えるように――

シャガルは、記憶を辿るように語り始めた。


⸻


――ヤヒロの回想――




双国の外れ。


夜空の一角だけが、

不自然なほど黒く、重く歪んでいた。



レイラを探しに来ていたヤヒロだった――



ヤヒロは、足を止める。


(……嫌な気配だ)


胸の奥がざわつく。

地の底から、何かが軋むような――

微かな地響き。


気づけば、身体はその方向へと走り出していた。


やがて、声が聞こえてくる。


人のものではない。

だが、その中に――

聞き覚えのある声が混じっていた。


ヤヒロは身を低くし、

茂みの影から、そっと覗き込む。


――見えた。


レイラ。

そして、その前に立つテュエル。


さらに、その奥。


闇と瘴気を纏った、

明らかに“この世のものではない”異形。


(……っ)


喉が鳴る。


(あれは……妖……?)


そして、確信する。


(レイラ様と……)

(シャガル様と……)


(――同じ、気配……?)


だが、その思考は、すぐに遮られた。


視界の端。


空間そのものが、

不自然に“捻じれて”いる。


(……なんだ、あれ)


(時空が……歪んでいる……?)


冷たい汗が、背中を伝う。


(まさか……)

(妖の世界と……繋がっているのか……?)


シャガルの名が、脳裏をよぎる。


(シャガル様は……)

(この事態を……ご存知なのか……?)


ごくり、と唾を飲み込む。


この先に何があるのか。

生きて戻れる保証など、どこにもない。


――それでも。


足は、止まらなかった。


ヤヒロは息を殺し、

気配を消す。


(……気づかれていない)


歪みの縁へ、そっと近づく。


(この先に……)

(シャガル様が……いるのなら……)


次の瞬間。


ヤヒロは、躊躇なく――

闇の裂け目へと、身を投じていた。


――


そして――

ヤヒロは、妖界へと辿り着いた。


次の瞬間。


「……っ!!」


息を吸った途端、喉が焼ける。


(なんだ……これ……)


瘴気が、肌にまとわりつく。

空気そのものが、異物だった。


「……苦し……っ」


胸の奥が、じりじりと焼かれるように痛む。

息をするたび、肺が拒絶しているのがわかる。


(……まずい……)


それでも、歯を食いしばる。


(シャガル様に……)

(会わないと……!)

(伝えなきゃ……!!)


あてもなく、ただ必死に走る。

だが、妖界の瘴気は容赦なかった。


人間の身体を、確実に、確実に――蝕んでいく。


視界が揺れる。

足がもつれ、ついに――


「……っ……!」


膝をつき、地面に倒れ込んだ。


ぜぇ……ぜぇ……。


肩で荒く息をしながら、なんとか顔を上げる。


その時だった。


周囲の気配が、ざわりと変わる。


「なんだぁ?」

「人間じゃねぇか!」


耳障りな声。


「餌だぞ!!」

「へへへ……」

「わざわざ餌になりに、人間界から来たのか?」


視界の端に、いくつもの影。


「若い肉だ!」

「うまそうだなぁ!!」


小妖怪たちが、にやにやと笑いながら集まってくる。


(くそ……伝えられず……)

(……終わるのか……)


ヤヒロの脳裏に、静かにその言葉が浮かんだ。


――その時。


「うわぁぁぁ!!」

「酒呑様!!!?」


悲鳴が上がる。


「ひっ……妖王!!」

「お助けをぉぉ!!」


さっきまで騒いでいた妖怪たちが、一斉に散り散りに逃げ出した。


(……?)


何が起きたのか、わからない。


霞む視界の向こう。

人影が、ゆっくりと近づいてくる。


ヤヒロは必死に目を凝らした。


そして――


「……シャ……」

「シャガル……様……?」


思わず、声が漏れる。


目の前に立っていたのは、間違いなくシャガルの姿だった。


だが。


「ん?」

「なんだ、お前」


冷たい声。


「酒呑様の知り合いか?」


(……え?)


混乱するヤヒロ。

目の前にいるのは、レイラの夫であり、シャガル――

の、はずだった。


「……え……??」


すると、その“シャガル”は、少し気まずそうに頭を掻いた。


「あぁ……悪い」


そう言って、姿が揺らぐ。


次の瞬間。


そこに立っていたのは――

ヤヒロよりも小柄な、小鬼の姿だった。


「すまなかった!」

「拙者は馬天!!」

「酒呑様の従者だ!!」


従者――


ヤヒロの意識が、はっきりと繋がる。


「……っ!!」

「馬天様!!!」


必死に、声を張り上げる。


「お願いです!!」

「俺を……!!」

「シャガル様の元へ!!!」


息が切れる。

だが、止まらない。


「レイラ様が!!!」

「レイラ様が……危ないんです!!!」


その言葉だけで、馬天はすべてを察した。


「……やはり……!!」


低く唸る。


(罠だったか……)

(酒呑様……!!)


次の瞬間。


馬天の身体が、大きくうねり――

龍の姿へと変化する。


「しっかり掴まれ!!」


巨大な足で、ヤヒロの身体を掴み上げる。


視界が、一気に流れた。


二人は、一直線に――

シャガルのいる、醉鬼殿へと向かう。


こうして。


ヤヒロと馬天は、命を賭して――

真実を、妖王の元へと届けたのだった。



――――――――


シャガルは、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「そう……あの若き新兵、ヤヒロ」

「そして、馬天」


一度、視線を伏せる。


「あの二人という“偶然”が重ならなければ……」

「もう、余らは……」

「……終わっていた」


その言葉の重さに、医務室の空気が沈む。


テュエルも、レイラも、思わず息を呑んだ。


「そんな……ことが……」


テュエルの声は、かすかに震える。


「ヤヒロ……」

レイラは胸元に手を当てた。

「ヤヒロは……無事なのか……?」


シャガルは、静かに頷く。


「あぁ……」

「治療はすでに終え、帰宅している」

「まだ安静は必要だがな」


その言葉に、レイラは小さく息を吐いた。


「……そう、か」

「……礼を……言わねばな……」


ヤヒロ――

双国東部族の新兵、十五歳。

英雄でもなければ、選ばれし血も持たない。

それでも――ただ一人、退かなかった人間。


だが、今回の事件において、

彼は確かに“影の実力者”であり――


救世主だった。


何の力も持たない一人の人間の行動が、

テュエルの命を繋ぎ、

レイラの未来を守り、

そして――妖王シャガルの運命すら、変えたのだ。


そうして、静かに。


名もなき新兵が繋いだ選択は、

三人の命を越え、

人間界そのものを、

確かに――救っていた。


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