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双国ノ巫女 〜愛されることを諦めた姫が愛を知る物語〜  作者: Su
奪われかけた巫女と、帰還する王
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奇跡の朝、涙は頬を伝った。


また、数日が過ぎた。


相変わらず、シャガルもテュエルも――手を握るわけでも、頬に触れるわけでもない。


ただ、横に立つ。見守る。それだけ。


それでも、二人がレイラの名を呼ぶときだけ、空気は少し震えた。

どちらか一人が、名を呼ぶ。

返事はない。

それでも、呼ばずにはいられなかった。


だが――その日は、違った。


朝。

弱々しい光が医務室を満たす。


テュエルは、少し声を震わせながら、隣で眠るレイラに語りかけた。


「レイラ様……おはようございます」


「今日、少しだけ雪が降りました。

 ……レイラ様の、お好きな雪です」

 

「まだ、顔色が……お悪いですね……」

 

「ボクは……立って、少し歩けるようになりました」

 

「だから……レイラ様も……」

 

「早く……目を覚まして……」


声が次第に掠れ、泣き声のようになる。

胸の奥の切なさと、焦燥が、言葉を震わせた。


――その瞬間だった。


レイラの指先が、わずかにぴくりと動く。


「!」


テュエルは、反射的に手を伸ばそうとするが、まだ体が追いつかない。

目の前で、レイラが眉を寄せる。


「レイラ様?!」


驚きの声が、つい大きくなる。

その音を聞きつけ、シャガルが医務室の扉を開け、勢いよく入る。


「どうした!」


テュエルは、胸の高鳴りを抑えきれず、震える声で答えた。


「レイラ様が……!」


シャガルは間髪入れず、レイラの顔に視線を落とす。

瞼がかすかに動き、指先も微かに動いた。


「レイラ!」


シャガルの声も大きくなる。

続いて、力強く呼ぶ。


「余はここにおるぞ!」


「レイラ様!しっかり!」


二人の声が、医務室に重なり合う。

声は命を繋ぐ糸のように、眠る彼女へ届く。


すると――


レイラの目から、一筋の涙が、頬を伝った。


「……………」


声にならない、か細い息。

それでも、生きている証だった。


その瞬間、二人の胸に、溜まりに溜まった緊張が崩れる。

思わず、涙がぽろりと零れ落ちた。


そして――そっと。


両脇から、レイラの手に触れる。

やっと、彼女に触れられた瞬間だった。


触れた手の温もり。

震える指先。

微かに息を返す体。


「……生きて…いる……」


胸の奥で、二人の思いが一つになった。

喜び、安堵、切なさ――すべてが、涙となって溢れ出る。


医務室には、再び静寂が戻った。

だが、その静寂は、もう恐怖でも緊張でもない。


それは――奇跡を、確かめた者だけが知る、安らぎの静寂だった。


二人は、レイラの寝台の両脇にそっと寄り添ったまま、気づけばそのまま眠りに落ちていた。


静かに流れる夜の時間。疲労と安堵が入り混じった、穏やかな寝息だけが、部屋に満ちている。


やがて、窓の外から淡い光が差し込む――夜が明け、朝が訪れていた。

柔らかな日の光が、医務室の床を優しく照らし、眠る三人の輪郭を淡く縁取る。


そして――ついに、レイラの瞼が、ゆっくりと持ち上がる。


わずかに光を取り込む瞳。

焦点の定まらない瞳が、うっすらと二人を捉えた。

その手が、震えるようにゆっくり伸び、二人の頭をそっと撫でる。



その瞬間、テュエルとシャガルは気づく。

互いに視線を交わす間もなく、ゆっくりと上体を起こす。


レイラは、目を開けていた。


「……」


まだ声は出せず、微かな呼吸だけが、二人に生きていることを告げる。


シャガルは、思わず大きな声で叫ぶ。


「レイラ!!」


抱きしめようと手を伸ばす。

しかし――


「シャガル!ダメです!!」


テュエルの必死の声が飛ぶ。

絶対安静を思い出したシャガルは、瞬時に我に返り、手をピタリと止めた。


医官の忠告が、二人の胸に蘇る。

しばしの沈黙。


レイラはまだ、言葉を発することができない。


それでも、二人は恐る恐る近づく。

目の前に、確かに横たわる彼女――それが本当に現実なのか、まだ信じられない。


「……夢じゃないよな……?」

心の奥で、そう呟きながら。


「レイラ……?」

「レイラ様……?」

声は小さく、震え、まるで自分自身に問いかけるかのようだった。


微かに、口角が上がる。

小さな、確かな微笑み。


「……」


その微笑みに、シャガルはレイラの手を取り、

額をそっと擦りつける。

テュエルは手を取り、指を絡めた。


「レイラ………すまなかった」

「余が……こんな目に…合わせてしまった」


テュエルも、震える声で続ける。


「レイラ様…戻ってきてくれて」

「ありがとうございます…」


喜びと安堵が、静かな空間を満たす。


しかし――喜びも束の間。


医官が意識を取り戻したレイラに気づき、手早く検査を告げる。

「少し離れてください」


二人は、仕方なく部屋を出される。


廊下に出た瞬間、体の力が抜ける。

ペタリとしゃがみ込む二人。


「はぁ〜…」


ため息とともに、胸の奥の緊張が少しだけほどける。


まだ、静かな戦いは終わっていない。

しかし――今、確かに、奇跡の一瞬を、三人で共有したのだった。


――


そして――出てきた医官から告げられた。


「もう大丈夫です。ただ、まだ絶対安静は変わりません。負荷をかけたりしないでください」


その言葉を聞いて、俺たちはようやく、胸をなでおろすことができた。

けれども、安静は絶対。これからが本当の意味での、レイラ様の看病の始まりだった。



本来、雪女としての性質上、治癒の力は人に対してのみ発揮される。

その代わり、回復力は人並み外れているはずだった。


しかし――こんなにも回復が遅れていることを目の当たりにすると、受けた被害の甚大さが痛いほどわかる。


身体のあちこちに残る傷、瘴気の影響、そして心まで蝕まれた痕跡――。



瞳は開いている。だが、指先がわずかに動く程度で、声はまだ出せない。

俺はその小さな動きだけでも目を凝らし、呼吸の乱れを見逃さないようにしていた。


そして、二日ほどが過ぎたころ――


まばたきの回数や指先の動きで、返事をしてくれるようになった。

俺も、シャガルも、声をかけるたびに返ってくるその反応に、胸が熱くなる。


だが、まだ安定しているわけではなかった。

体の痛みや瘴気の名残りのせいか、時折苦しげに顔を歪めることもある。

俺は自然と体を寄せて、ハラハラと見守る。


シャガルは平静を装っていたが

――いや、あれは絶対に焦っていた。

俺にはわかる。


まだ言葉が出せない日も多く、無言でいることがほとんどだった。

それでも、無言でいることすら、苦しくなかった。

その存在をただ傍に感じるだけで、胸が満たされていた。


朝になれば、俺はいつも通り声をかける。


「おはようございます、レイラ様」


微かに瞼を細め、口角を上げ、微笑んでくれる。

そして、ゆっくりと小さな指をちょいちょいと動かして、俺の手に触れようとする――まるで、遊ぶような小さな誘いの合図のように。


(かわいい…)


そんなことを思いながら


「ん…?」

俺は戸惑いながらも、そっと自分の指を差し出す。


すると――


レイラ様の指先と、俺の指先が触れ合い、ほんの小さな握手が成立した。


(殺す気か……)


指と指が絡むだけの、かすかな温もり。

それでも、その瞬間の幸福感は胸いっぱいに広がり、言葉では言い表せないほどだった。



さらに数日が過ぎると、ついに言葉が出せるようになり始めた。


「シャ…が…」


その声を聞いて、シャガルは微笑みながら答える。


「どうした?レイラ」


少しずつ、彼女の声は強く、確かに戻っていく。

もちろん、俺の名前も――


「テュ…え…る」


呼んでくれるたびに、胸の奥が温かくなる。

自分の名前がこんなにも愛おしく感じられることがあるなんて、思ってもいなかった。


シャガルは、時折優しく声をかける。


「よく耐えたな」

「もう大丈夫だ、余の妻よ」

「余の誇りだ」


その声に、レイラ様は嬉しそうに微笑む。

あの、シャガルが妖界に戻る前に見せてくれた、可愛らしい微笑みが、再び戻ってきたのだ。


そして、ついに――


彼女は、はっきりとした言葉を口にした。


「テュエル…」

「私のせいで…あんな目に遭わせてしまった…」

「本当に…申し訳なかった…」


その言葉を聞き、胸が締め付けられる。

あれは、俺の力不足が原因で、レイラ様のせいではないのに――。


「いいえ、レイラ様が原因ではありません」


俺は声をかけ、そっと手を握りながら続ける。


「とりあえず、もう少し休んでください」

「今は、休むことがあなたのすべきことですから」


彼女を安心させるように、言葉を選んで。

そのまま、再び眠れるように見守った。

シャガルも、少し離れた位置で視線を外さず、守るように佇む。


そして――さらに数日後、レイラ様はついに、上体を少し起こせるようになったのだった。

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