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双国ノ巫女 〜愛されることを諦めた姫が愛を知る物語〜  作者: Su
奪われかけた巫女と、帰還する王
159/226

余の妻よ。


冥炎が、空間を覆った。


それは爆ぜない。

荒れ狂いもしない。


ただ――

在るだけで、すべてを否定する炎。


球体の中心に、シャガルは立っていた。


静かに。

あまりにも、静かに。


冥炎は彼の周囲を巡り、

まるで王の意志そのもののように、

ゆっくりと収束していく。


その外縁で――

八岐大蛇の巨体が、転がされた。


叩きつけられる。

弾き飛ばされる。

引き戻される。


逃げ場はない。

抵抗も、意味を持たない。


八つあった蛇頭は、すでに――

すべて焼き潰されていた。


再生しようと蠢いた肉片は、

冥炎に触れた瞬間、炭へと変わる。


「……ぐ、あ……!」


八岐の悲鳴は、

すぐに音を失う。


声帯すら、焦がされていく。


シャガルは、歩く。


一歩。

また一歩。


冥炎の球体が、

じり……じり……と、縮まる。


それは処刑ではない。

殺意ですら、ない。


玩具を、壊す前の確認作業。


「……ほう」


低く、感情の乗らない声。


「まだ、耐えるか」


その言葉に、怒りはない。

嘲りもない。

喜びすら、ない。


ただ――

興味のなさ。


王の目に映るのは、

敵ですらなかった。


冥炎が、八岐の胴を舐める。


皮膚が焼ける。

骨が軋む。

瘴気が、蒸発する。


のたうち回るたび、

八岐は理解していく。


――これは、遊びではない。

――だが、処刑でもない。


王にとっての「処分」だ。


シャガルは、近づく。


冥炎に包まれた球体の中心から、

逃げ場のない距離まで。


「……安心せよ」


ぽつり、と。


「すぐには、終わらせぬ」


その声は、あまりにも穏やかだった。


だからこそ――

八岐大蛇は、初めて知る。


恐怖とは、叫ばせてもらえぬことだと。


冥炎が、さらに濃くなる。


八岐の世界が、

赤黒く、ゆっくりと――

焼き焦がされていった。


――――


朱蓮丸は、違和感に気づいていた。


――遅い。

いや、違う。


(読めねぇ……)


さっきまで見えていた間合いが、

今は、掴めない。


爆発オーラが、無意識に荒れる。


(こいつ……)

(まさか……)


朱蓮丸は歯噛みする。


「……ちっ」


「やべぇな」


口では笑いながらも、

本能が警鐘を鳴らしていた。


(覚醒……し始めてやがる?)


なら――

悠長に遊んでいる場合じゃない。


「――終わらせるぞ、テュエル!!」


朱蓮丸は一気に踏み込む。


爆発。

斬撃。

衝撃波。


持てる力すべてを叩き込み、

空間そのものを吹き飛ばす勢いで放つ。


逃げ場はない。

耐えきれるはずもない。


――殺す。


その、はずだった。


だが。


爆炎が、

テュエルに触れる、その直前。


ふっと。


まるで、

“火そのものが拒まれた”かのように。


――消えた。


――それは、かつてテュエルを沈めたはずの力。


土を歪め、逃げ場を奪い、

爆発を“確実な死”に変えた、朱蓮丸の切り札。


だが今、その土は――

もう、テュエルを縛れなかった。


爆発が。

衝撃が。

熱が。


すべて、跡形もなく。


「……は?」


朱蓮丸の口から、

間の抜けた声が漏れる。


視界の奥で。


炎の揺らぎの中に、

一瞬だけ、異質な色が混じった。


淡く。

白群色に近い、静かな光。



次の瞬間。


テュエルの姿が、

朱蓮丸の懐に――いた。


(――っ!?)


反応が、遅れた。


いや、

反応“できなかった”。


首元に、

冷たい感触。


――


ひゅ、と。


何かが、通り過ぎた。


その直後、

朱蓮丸の視界が、傾いた。


――自分の体が、

遠ざかっていくのが、見えた。


それが、

朱蓮丸の最後だった。


⸻


一拍、遅れて。


どさり、と。

地面に、何かが落ちる音。


朱蓮丸の首だった。


血が噴き上がることもなく、

ただ、静かに。


あまりにも、

あっけなく。


⸻


その瞬間。


八岐大蛇と、

シャガルの動きが、止まる。


二人の視線が、

同時に――

テュエルへと向いた。


(……今のは)


(爆破が、消えた……?)


八岐大蛇の瞳が、見開かれる。


「……いや……」


「まさか……」


シャガルも、わずかに目を細める。


朱蓮丸が死んだことではない。

その死に至る、

**“過程”**に。


白群色の残光が、

まだ、空気に淡く滲んでいた。



それを見た瞬間、

シャガルの胸の奥が、

微かに、ざわめく。


(……あれは……)


一瞬だけ。

確かに、

**懐かしい“気配”**がした。


(……アイン……)


だが、

次の思考は、すぐに切り捨てられる。


(……まぁ、よい)


(今は……)


――こいつが、先だ。


視線を逸らし、

シャガルは、ゆっくりと前へ出る。


白群色の余韻など、

もはや眼中にない。


目の前で、

なおも生き延びようと蠢く存在――

八岐大蛇だけを、見据えて。


テュエルは、

剣を下ろしたまま、動かない。


息も、荒くない。


ただ、

静かに立っている。


――何も、誇示せずに。


その姿を背に、

シャガルは、完全に八岐大蛇の前に立った。


「……」


冥炎が、

再び、静かに脈打ち始める。


冥炎が、

静かに揺らめく。


「さて」


淡々とした声。


「こちらも――」


一歩、踏み出す。


「そろそろ、終えるか」


それは、

迷いのない言葉。


王が、

“選んだ”瞬間だった。


――そのとき。


「……っ」


かすかな、息の漏れる音。


瓦礫の向こう、

雷に焼かれ伏していたレイラの指が、

微かに、震えた。


閉じていた瞼が、

ほんの一瞬だけ、揺れる。


意識が――

浮上しかける。


――


そして


冥炎が、八岐大蛇を包囲する。


逃げ場はない。

焼き尽くされる未来だけが、そこにあった。


八岐大蛇は、もはや威厳も何もない。

蛇頭を失い、瘴気を垂れ流しながら、地を這う。


「ま、待て……!」

「殺すな……!」

「命だけは……!」


見苦しい命乞い。


シャガルは、無言でそれを見下ろしていた。


――殺す。


そう、選んだはずだった。


だが。


ほんの一瞬。

ほんの、刹那。


脳裏をよぎったものがある。


(……レイラなら)


(この状況で……)


(殺す、だろうか……)


その思考が浮かんだ、その瞬間。


――ズブリ。


鈍い感触。


視界が、僅かに揺れた。


「……っ」


腹部を、瘴気に覆われた一撃が貫いていた。


シャガルの口から、血が零れる。


「……ち」


膝が、崩れた。


ずるり、と。

冥炎を纏った王の身体が、地に落ちる。


その光景を――


レイラは、見ていた。


雷に焼かれ、意識を失っていたはずの身体。

だが、ほんの僅か、意識が戻ったその瞬間。


――最悪の光景だけが、目に飛び込んできた。


(……シャ……ガ……)


声にならない。


指一本、動かない。


ただ、目だけが、見開かれる。


八岐大蛇は、狂ったように笑い出す。


「は、ははは……!」

「やった……!」

「やったぞ……!!」


「これで……」

「これで私が王――」


勝利の宣言は、最後まで言葉にならなかった。


――シュッ。


風を裂く、鋭い音。


次の瞬間。


八岐大蛇の視界が、回転する。


「……?」


首元に走った、遅れてくる冷たさ。


そして――

世界が、横にずれた。


胴体と、視界が、分かれる。


八岐大蛇の首が、宙を舞い――

地に落ちる前に、すべてが途切れた。


テュエルは、剣を振り抜いた姿勢のまま、静止していた。


息は、荒れていない。


ただ、低く言い放つ。


「……いい加減にしろよ」


「レイラ様に触れた時点で」

「てめぇは、終わってた……」



八岐大蛇の身体が、音もなく崩れ落ちる。



――終わった。


だが。


レイラには、終わっていなかった。


(……シャガル……!)


倒れ伏す、その背中。


そこへ、行きたい。


触れたい。


呼びたい。


――なのに。


身体が、まったく動かない。


指も、脚も、声も。


ただ、胸の奥が、痛むだけ。


(お願い……)


(目を……開けて……)


涙だけが、静かに、頬を伝って落ちた。


戦いは、終わった。


だが――

代償は、あまりにも大きかった。


――


テュエルが振り返った、その瞬間だった。


シャガルは片膝をつき、

真っ赤に焼け爛れた腹部を押さえながら、

まるで糸を切られた操り人形のように、ゆっくりと前へ倒れていく。


地面に触れる前に、

彼の意識は――静かに、闇へ沈んだ。


レイラ

「……シャ……ガル……?」


名を呼ぶ声は、震え、掠れ、

自分の耳にすらはっきり届かない。


駆け寄りたい。

ただ、それだけなのに。


雷に焼かれた身体は、もう限界を超えていた。

足は動かない。

腕も上がらない。

指一本すら、意思に応えない。


レイラ

(お願い……お願いだから……

 体、動いて……動いて……!!)


必死に念じるたび、

視界が滲み、涙がこぼれ落ちる。


やっと、また会えたのに。

やっと、名前を呼べたと思ったのに。


シャガルは――動かない。

胸の上下も、今にも止まりそうで。


喉が震え、

ようやく、声が形になる。


「……いや……だ……」


掠れた拒絶。


「いやだ……やだよ……!!」


叫びは、戦場に溶けていく。


その声を聞き、

テュエルは何も言わずに駆け寄った。


迷いのない動きで、

しかし壊れ物を扱うように、

レイラの身体をそっと抱き上げる。


テュエル

「……レイラ様が、何をしたいかくらい……わかります。」


低く、震える声。


「……行きましょう。」


その言葉には、

張り裂けそうな焦燥と、

それでも支えると決めた優しさが滲んでいた。


レイラ

「……テュ……エル……」


彼は答えない。

ただ一度、強く頷き、

シャガルのもとへレイラを下ろす。


テュエル

「……ボクは、席を外します。」


振り返らず、

戦場の影へと姿を消した。


――すべてを、レイラに託して。


⸻


息も絶え絶えなシャガルの頬に、

レイラは震える手を伸ばす。


(……まだ……)


微かに、温もりがある。


(……生きてる……)


その事実だけで、

胸が張り裂けそうになる。


レイラ

「シャガル……生きて……」


声は、祈りだった。


「お願い……また、笑って……

 また……私に……触れて……」


そして――

覚悟を決める。


自分の口の内側を、

ガリッ と噛み切る。


鉄の味が、一気に広がった。


痛みすら感じないまま、

その鮮血を――

シャガルの唇へ流し込むように、口付ける。


それは、

雪女の治癒。

命を直接分け与える、禁忌に近い救命。



(生きて……お願い……

 帰ってきて……)


冷たく、澄んだ“生命の力”が、

血とともに流れ込み、


胸へ、

心臓へ、

全身へ――


ドクンッ……


確かに、脈打った。


すると。


――ふ、と。


シャガルの指が、

レイラの衣を、掴む。


弱々しく、しかし確かな力で。


そして――

ゆっくりと。


閉じられていた瞼が、開く。


シャガルの視界に、

涙に濡れたレイラの顔が映る。


指先が、

そっと彼女の頬へ触れた。


声はかすれているのに、

どこまでも優しい。


「……っ……」


「……泣くな……レイラ……」


「余は……ここにおる……」


「……お前の元に……戻った……」


その瞬間。


レイラの瞳が、

堰を切ったように決壊した。



「……っ、ばか……!!

 遅いよ……!!

 会いたかった……!

 会いたかった……!!

 シャガル……っ!!」


言葉も、感情も、

すべて溢れ落ちる。


シャガルは、

壊れてしまいそうなほど強く、

彼女を抱きしめた。



「……余もだ……

 余も……

 狂いそうなほど……恋しかった……」


額を寄せ、

震える声で告げる。


「……余の……妻よ……」


胸が、きゅっと締め付けられる。


二人は顔を見つめ合い、

次の瞬間――


深く、長く、

失われた時間を埋めるように、口付けた。


呼吸が、

鼓動が、

魂が――


溶け合うほどに。


「……離すものか……

 二度と……離れたくない……」


そのまま、

倒れた地面の上で、

互いの温度を確かめ合うように、抱き合う。


この瞬間だけは――


戦も、世界も、

すべてが遠のき、


二人のためだけに、時間が止まったようだった。


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― 新着の感想 ―
思わず、鳥肌が立ちました! ぁぁぁぁ、めっちゃくちゃ良い!! テュエルが優しさと気遣いで弁える部分もかっこいい! 最後の二度と離れたくない……は本当に!! 続きも楽しく拝読させて頂きます!
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