最悪の再会――妖王、激昂。
怒り、ではない。
叫びも、衝動も、なかった。
ただ――
胸の奥が、すうっと冷えていく。
(……あぁ)
(そうか)
(こいつは……)
視界の端で、
レイラが雷に焼かれ、
八岐大蛇の手に吊り上げられている。
呼吸が、浅くなる。
それでも――
心は、不思議なほど静かだった。
そのとき。
意識の底、
ずっと奥に沈んでいた“何か”が、
微かに、揺れた。
――聞き覚えのある声。
『レイラを……
娘を……頼んだぞ』
一度だけ。
命令でも、叱責でもない。
ただ、
“あの日と同じ声”。
テュエルは、目を伏せる。
(……あぁ)
(分かってる)
(だから――)
ゆっくりと、顔を上げた。
朱蓮丸が、にやにやと笑う。
「どうした?
おいテュエル」
「さっきまでの威勢はよ?」
肩をすくめ、嘲るように続ける。
「お前はな」
「覚悟が、足りねぇんだよ」
「中途半端だよ、お前」
「人間のまんまで、何ができる?」
その瞬間。
(……あぁ)
(そうだな)
――空気が、変わった。
炎の揺らぎが、
一瞬だけ、歪む。
朱蓮丸の笑みが、
わずかに、引きつる。
「……あ?」
テュエルは、構えを変えていない。
立ち姿も、先ほどと同じ。
だが。
“圧”だけが、違った。
読めていたはずの間合いが、
急に、掴めなくなる。
踏み込もうとして――
朱蓮丸は、足を止めた。
(……なんだ?)
(こいつ……)
爆ぜかけた爆発オーラが、
不自然に――散った。
テュエルの瞳は、
怒りを映していない。
ただ、
静かに――
こちらを“見ている”。
「……ちっ」
朱蓮丸が舌打ちする。
「気色わりぃ目しやがって……」
だが、内心では気づいていた。
(押されてる……?)
ほんの一瞬。
ほんの、僅か。
それでも確かに。
――主導権が、揺らいだ。
テュエルは、低く息を吐く。
(まだだ)
(まだ……選んでない)
だが。
“その扉”の前に、
確かに――立っていた。
それは力の爆発ではない。
存在の質が、変わっただけ。
そして、
朱蓮丸はまだ知らない。
この違和感が、
数瞬後に――
“死”へと繋がることを。
――――
八岐大蛇は、ふっと電撃を止める。
吊り上げたままのレイラを、値踏みするように覗き込み――
口角を歪めた。
八岐大蛇
「よしよし……死んではおらぬな?」
指先から、まだ微かな雷光が弾ける。
「喜べ」
「これからが――本当のお楽しみだ……」
首を掴んだまま、顔を近づける。
「朱蓮丸が、あの男を殺す」
「そして――」
「まずは朱蓮丸と、好きなだけ楽しむがいい……」
ねっとりとした視線が、レイラを舐め回す。
「その後で……」
「貴様を、妖王への手土産にしてやろう……」
下卑た笑いが、喉の奥から漏れた。
(……)
レイラは、もう何も考えられなかった。
生きている。
ただ、それだけ。
八岐大蛇
「どうした?」
「……もう一発、ほしいのか?」
笑いながら、再び雷を溜めようと――
その瞬間。
ひゅん――――――
音が、遅れて届いた。
空を裂く音。
次の瞬間。
――――――――ザンッ!!
大鎌が、
レイラの首を掴んでいた八岐大蛇の腕を、根元から斬り落とした。
八岐大蛇
「ぐっ――――!!!!」
雷光が弾け、血が宙を舞う。
切断された腕が、重たい音を立てて地に落ちる。
同時に、
支えを失ったレイラの身体も、空へと投げ出された。
――だが。
落ちていくはずの身体は、
空中で、確かに――抱き留められた。
ふわり、と。
宙に浮いたまま、
誰かの腕に包まれ、静かに運ばれていく。
(………………だ……れ……)
意識は、ほとんど闇の底。
(……いいえ……)
(……知ってる……)
(この匂い……)
(この……気配……)
もう考える力すら残っていないのに。
自然と、
レイラの瞳から、涙がこぼれ落ちた。
――現れたのは。
妖王、酒呑童子。
否。
静かに、怒る男――シャガルだった。
朱蓮丸
「なっ――――!!?」
「酒呑童子!!?」
八岐大蛇
「……くそ……!!」
テュエル
(シャガル……!)
その頃には、
レイラの意識は完全に途切れていた。
「………………」
久々の再会を、
どれほど頭の中で思い描いてきたことか。
だが――
シャガルが望んだ再会の形は、
こんなものでは、決してなかった。
急ぎ駆けつけたというのに――
ただ一つ、忘れることのなかったものがある。
懐へ手を差し入れ、
紺の外套を取り出す。
レイラ直属の証。
自分の帰る場所の色。
それを、
まるで触れた瞬間に壊れてしまう宝物のように――
そっと、彼女の身体へ掛けた。
その時。
袖の隙間から、
翡翠の腕輪が覗いた。
シャガルの視線が、
一瞬だけ止まる。
――まだ、着けていた。
半年。
離れていた間も。
余の知らぬ夜も。
苦しかった日々も。
ずっと。
その手首に。
「……」
次の瞬間。
その瞳から、
わずかに残っていた温度が消える。
――そして。
冥炎が、立ち昇る。
抑えきれないほどの、
冥炎オーラが、全身から溢れ出す。
激昂。
声を荒げることもなく。
ただ、深く――静かに。
シャガル
「……貴様ら」
低く、冷たい声。
『余の女ぞ……』
『……死をもって、償え……』
八岐大蛇
「………!」
シャガル
「八岐」
「そんなに……余に遊んでほしかったか?」
一歩、踏み出す。
「……ならば」
「望み通り、遊んでやろう」
冥炎が、渦を巻く。
「余の――」
「玩具となるがいい」
内心は、
これ以上ないほどに、ブチギレていた。
八岐大蛇
(こんな……はずでは……!!)
(足止めされていたはず……!)
(まずい……!!)
シャガルは、
得意の大鎌を構えない。
――使う必要が、ない。
冥炎だけで、焼き殺す。
否。
焦がし、
壊し、
痛ぶるために。
大蛇の地獄は、
これからだった。
――
朱蓮丸は、舌打ちした。
視線の先――
冥炎をまとい、八岐大蛇へと歩み寄る“王”の姿。
(……ちっ)
(最悪だな)
想定外。
完全に、想定外だった。
「酒呑童子が来る前に」
「とっとと終わらせるつもりだったんだがよ……」
歯噛みする。
八岐の方に意識を向けたい。
だが、目の前には――まだ、テュエルが立っている。
「……邪魔だ」
爆発オーラが、さらに膨れ上がる。
「悪ぃが、遊びは終わりだ」
「一気に――殺るぞ」
地面を蹴る。
轟音とともに、朱蓮丸の身体が弾けるように前に出た。
爆裂の衝撃が、空気を押し潰す。
「おらぁっ!!」
テュエルは、受け止める。
炎と爆発が、正面からぶつかり合い――
大地が、抉れた。
――だが。
朱蓮丸の眉が、僅かに動く。
(……?)
さっきまでの手応えと、違う。
押している。
確かに押しているはずなのに――
「……ちっ!」
間合いが、合わない。
踏み込んだはずの距離で、
テュエルが――そこにいない。
爆風を抜ける。
「なっ――」
次の瞬間、
炎の軌跡が、朱蓮丸の頬を掠めた。
浅い。
だが――
確実に、届いている。
「……てめぇ……」
朱蓮丸は、目を細める。
「さっきまでとは……違うな」
テュエルは、何も言わない。
構えも、呼吸も、変わっていない。
それなのに。
“圧”だけが、明らかに違った。
近づくと、
肌が、じり、と焼けるような感覚。
(読めねぇ……)
さっきまで、
手に取るように分かっていた間合い。
一歩先が、
急に――見えなくなる。
「……はっ」
朱蓮丸が、乾いた笑いを漏らす。
「なんだよ、それ」
「気色わりぃ……」
爆発オーラを、さらに解放する。
「だがよ――」
「王が来ちまった以上、時間切れだ」
両腕に、力を込める。
「これで――終わらせる!」
――その瞬間。
テュエルの足元。
炎の揺らぎの中に、
一瞬だけ――異質な色が混じった。
白でもない。
蒼でもない。
淡く、霞がかったような、
白群色。
それは炎というより、
熱を持たない“気配”。
錯覚かと疑うほど、一瞬。
だが。
朱蓮丸の背筋に、
ぞわり、と悪寒が走った。
(……今の……)
目を凝らす。
だが、もう――ない。
テュエルは、変わらずそこに立っている。
無言で。
静かに。
まるで――
何も起きていないかのように。
朱蓮丸は、奥歯を噛み締めた。
(……いや……)
(気のせい、じゃねぇ)
(こいつ……)
(“来てる”)
爆炎が、荒れ狂う。
勝負は、
もう――秒読みだった。




