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双国ノ巫女 〜愛されることを諦めた姫が愛を知る物語〜  作者: Su
奪われかけた巫女と、帰還する王
153/226

歪みから現れた男は、大ハズレの福袋だった


「……会いたい……シャガル……」


歪みへ手を伸ばした瞬間。


腕輪が熱を帯びた。


「……え?」


翡翠の光が、

一度だけ強く脈打つ。


そして――


歪みから、影が飛び出した。


「――っ!?」


掴まれた。


手首を、強く。

反射する間もなく、力任せに押し倒される。


地に押し伏せられ、視界が反転した。

気づけば、上から覆いかぶさられていた。


馬乗り。


逃げ場はない。


低く、ねっとりとした声が降ってくる。


「あぁ……いい女だ」


視線が、舐めるようにレイラをなぞる。


「濁零(だくれい)なんかより……断然、好みだ」

「儚げで、艶やかで……そそるぜ、こりゃ……」


レイラは声を出すことすらできなかった。

突然の出来事に、頭が真っ白になる。


――掴まれた足首。

――奪われた自由。


レイラの全身から冷や汗が噴き出す。

**魔鬼に足を掴まれた時の“あの感覚”**が一瞬で蘇った。


息が、浅くなる。

身体が、言うことをきかない。


息が、喉で詰まった。


――テュエル、と。


助けて、と叫ぶはずだった声は、

恐怖に押し潰されて、音にならない。


唇が、震えるだけだった。


「いいなぁ……その顔……」


着物の前合わせが乱され、布越しに圧がかかる。

逃げようと身を捩った、その瞬間――


ぞくり、と。


意図せず、身体が強く反応してしまう。


「柔らけぇ…………」

「妖王、いい趣味してるわ」


「……っ!」


その感覚で、意識がはっきりと戻った。


――思い出す。


【立て――】

【闘え―――】


胸の奥で、声が響く。


一気に、気力が巡る。


レイラ

「……っ触れるな!!」


渾身の力で、蹴り上げる。


衝撃とともに、男の身体が弾かれた。


だが――


男は、愉快そうに笑った。


「あぁ〜……最高だな」

「いい目だ……」

「ますます、俺のものにしたくなる……」



ゆっくりと立ち上がり、口角を吊り上げる。


「守られてただけの女の顔じゃねぇ」

「……乱したくなるな、その顔」


一歩、距離を詰める。


「そりゃあ、妖王も……手放せなくなるわけだ」


その瞬間――


鋭い気配が割って入る。


「そこまでです――――」


テュエルだった。


斬撃と同時に、レイラを引き寄せようと踏み込む。


――だが。


「なに……!?」


掴めない。


男の反応が、異様に速い。


気づけば、再びレイラは強く拘束されていた。

まるで、人質のように。


「なんだぁ?お前……」

「これからお楽しみって時に、邪魔すんなよな?」


テュエルは、即座に悟る。


(――ただ者ではない)

(普段なら、奪われるはずがない……)


レイラ

「……テュ…エル……」


その声に、テュエルは歯を噛み締める。


「……レイラ様を、離せ」

(言動には注意しろ)

(――絶対に、殺させはしない……)


男は、ふと興味深そうに眉を上げた。


「へぇ……」

「お前、レイラって言うのか」


拘束したまま、首元へ顔を寄せる。


「いい名だ」


次の瞬間――

首筋に顔を埋め、わざとらしく

鼻先をなぞるようにして、深く息を吸う。



「……すぅっ、……はぁ」と、


音を立てて、匂いを嗅ぐ。


レイラ

「ッ……!!」


心臓が、強く跳ねた。


(……気持ち……悪い……)


「はぁ……たまんねぇな」


テュエルの刀を握る手に、力がこもる。

怒りで、表情が歪む。


「……とりあえず、邪魔が入る前に」


耳元で、囁くように。


「味見だ……」


ぬるり、と。


舌が、首筋を這った。



ゾクッッッ――――――


「っっっっ!!!!」

(…い……嫌……嫌……)



ゆっくり、わざと、逃げ場を奪うように――。


その瞬間だった。


――空気が、裂けた。


男の視界が――跳ねる。


「……?」


次の瞬間。


レイラの身体は、男の腕から消えていた。


衝撃音すら、遅れて届く。


気づけば――

テュエルが、レイラを抱き寄せていた。


距離は、数歩。

だが、その間に“奪った”。


あまりにも速い。


「……」


一拍遅れて、口角が歪む。


「すげぇ速度だな……」

(なんだ…こいつ…)


テュエルは、レイラを庇うように一歩前へ出る。

その背から、はっきりと怒気が立ち上っていた。


「俺の……奥さんだぞ」


低く、噛み殺した声。


「ふざけんな」

「二度と――名を呼ぶな」

「触れるな」

「見るな」


一拍。


「……ゴミ野郎」


吐き捨てるように言い放つ。


その直後だった。


テュエルの視線が、男を射抜く。


感情は、もう声には乗っていない。

だが――


(……なんだ)


男は、ほんの一瞬、背筋に違和感を覚えた。


(こいつの……殺気)

(いや、覇気……?)


空気が、変わった。


圧がある。

剣呑でも、威圧でもない。

もっと原始的で、もっと冷たい――

**「近づけば死ぬ」**と本能に直接語りかけてくる何か。


(人間……だよな)


そう思った、次の瞬間。


(……違う)


(人間のソレじゃねぇ……)


テュエルの目は、怒りで赤くなっているわけでもない。

血走ってもいない。

ただ、一切の迷いがなかった。


守る。

殺す。

その境界を、すでに踏み越える覚悟の目。


男は、舌の奥で笑いかけ――

だが、その笑みはわずかに歪んだ。


(……あぁ)

(こいつ……ブチ切れてやがる)


それも、

感情を爆発させるタイプじゃない。


理性を捨てた“静かな狂気”だ。


視線だけで、殺しに来ていた。


けれど――

テュエルは、踏み込まない。


一瞬だけ、男へと向けた殺気を残し、

そのまま身体の向きを変える。


レイラのもとへ。


間合いを外すでもなく、

背を向けるでもなく、

奪われない距離を保ったまま、静かに歩み寄る。


そして、躊躇なく腕を伸ばした。


「……レイラ様」


低く、確かな声。


「ご無事ですか」


その声に、レイラの肩がびくりと揺れる。


「遅れてしまって……申し訳ありません」


謝罪の言葉は、短い。

だがそこには、取り繕いのない悔恨が滲んでいた。


テュエルは、そっと――

しかし逃がさぬように、レイラを抱き寄せる。


強くはない。

だが、揺るがない。


「もう……大丈夫です」


額に、軽く触れるほどの距離で。


「俺が……来ましたから」


その瞬間。


レイラの中で張り詰めていたものが、音を立てて崩れた。


「……テュ、エル……」


声が、掠れる。


テュエルは何も言わない。

ただ、背に回した手で、ゆっくりと撫でる。


ここにいる。

離さない。

もう、奪わせない。


それだけを、身体で伝える。


――その様子を、男は黙って見ていた。


口元は笑っている。

だが、目だけが、わずかに細まる。


(……なるほどな)


(殺しに来てるくせに、まず女を守る、か)


一歩、踏み出そうとして――

やめる。


(今、動いたら……)


(この男、本気で“斬る”)


理解したからだ。


テュエルは、まだ振り返らない。


だが、背中から漏れ出る気配は――

先ほどよりも、さらに研ぎ澄まされていた。


守るために、何でもする男の気配だった。



男は、愉快そうに肩を揺らした。


「へぇ……」

「お前、人間か?」


じっと、テュエルを観察する。


「……いや」

「気配は、まだ人間だな」


だが、目が細まる。


「だが……妖に近い匂いがする」

「お前……心臓でも、食ったか?」


テュエル

「……っ!」


一瞬の沈黙。


「――その顔」

「やっぱりな」


楽しそうに笑う。


「だが、まだ“妖化”はしてねぇんだな」


テュエル

(……妖化……?)


男は楽しそうに笑った。


「そういや、名乗ってなかったな」


胸を軽く叩く。


「俺は、山本朱蓮丸(さんもとしゅれんまる)」


そして、にやり。


「さっき“奥さん”って言ったな」

「どういうことだ?」

「妖王の女じゃなかったのか?」


テュエル

「貴様に話す事情などない」


即答だった。


朱蓮丸

「へっへっ……そりゃそうか」


肩をすくめ、下卑た笑みを浮かべる。


「にしても、二人旦那がいるとはなぁ……」

「毎晩、どっちに抱かれてんだ?」


いやらしい視線が、迷いなくレイラへと向けられる。


「…………っ」

(本当に……)

(あの目…不快だ…)



「どんな声で泣くんだ?」

「俺も混ぜてくれよ」


――その瞬間。


テュエルの気配が、完全に変わった。


「……口を、開くな」


低く、噛み殺した声。


次の瞬間、踏み込む。


一切の予備動作もなく、

ただ“斬るためだけ”の動き。


斬撃。


迷いも、躊躇もない。


「ゴミめ」


朱蓮丸が反射的に距離を取るのとほぼ同時に、

地面が抉れ、衝撃が走る。



空気が裂けた。


――その一瞬。


テュエルは、朱蓮丸を一度だけ見た。


上から下まで。

値踏みでもなく、警戒でもなく――

理解しただけの視線。


そして、低く、吐き捨てる。



「よくもまあ、ここまで揃えたな」

「不快の見本市か?」



一拍。


「……いや、嫌悪の福袋か」


さらに一歩、前に出る。


「開けた瞬間、全部ハズレだ」


その声には、怒りすらなかった。

あるのは――完全な拒絶。


「敵」でも、「脅威」でもない。

触れてはならないものとして、切り捨てる声音。


テュエルの胸裏に、ふと浮かぶ。


(……失礼で)

(礼節もなくて)

(どうしようもない男だが)


一瞬だけ、別の顔がよぎる。


(……それでも)


(あいつの方が……)

(百倍、マシだ……)


シャガル。


朱蓮丸は、その様子を見て、

心底楽しそうに、喉を鳴らして笑った。


「いいねぇ……」

「やっぱ、面白ぇわ」


瘴気が、濃く、粘つくように広がる。

すでに歪みは裂け、

“向こう側”は、完全に繋がっていた。


――戦いは、もう始まっている。

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