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母の足跡を辿ったら、何かが視え始めました


北の禁足地へ向かう道は、

相変わらず静かで、そして重かった。


冷気を含んだ空気が、肌を刺す。

木々のざわめきすら抑え込むような、澄みすぎた気配。


「……相変わらず、落ち着かぬ場所だ」


シャガルが低く呟く。

妖である彼にとって、この地は“痛み”に近い。


「ええ……」

テュエルも小さく息を吐いた。

「気配が……削がれる感じがする」


それでも、歩みは止まらない。


レイラが、ここへ行くと決めたから。

それだけで、十分だった。


やがて、霊気の濃さが一段階変わる。


白く薄い霧。

地面から立ちのぼるような、淡い光。


ミコト――

雪女としての治癒力と、巫女の霊力が眠る場所。


普通の妖であれば、

足を踏み入れただけで身を焼かれてもおかしくない。


シャガルは眉をひそめ、肩をすくめる。


「……やはり、居心地は最悪だな」

「皮膚の内側が、ちくちくしおる」


「無理はしないでください」

テュエルが即座に言う。

「ですが……引き返す選択肢も、ありません」


「分かっておる」

シャガルは短く答えた。

「余は……耐える」


それは、覚悟だった。


滝の音が近づく。


水が岩を叩く轟音の奥に、

“あの場所”がある。


レイラは、足を止めた。


滝を見つめる、その横顔は静かで、

だが、どこか張りつめている。


「……ここからは」

「少し、一人で行かせてほしい」


その言葉に、

シャガルとテュエルの表情が、同時に硬くなる。


「レイラ」

シャガルが名を呼ぶ。

「この地で、一人は――」


「分かっている」

レイラは遮るように言った。

「危険があることも」

「……心配されることも」


それでも、と。


「でも、ここは」

「私が“聞く”ための場所なんだ」


テュエルは、言葉を探すように一瞬黙り、

やがて、静かに頷いた。


「……長くは、行かないでください」

「気配が乱れたら……すぐ、追います」


シャガルも、渋々と首を縦に振る。


「……無茶はするな」

「余の視界から、完全に消えるな」


レイラは、わずかに微笑んだ。


「ありがとう」


滝の前で、レイラが一歩踏み出そうとした、その時だった。


「……待て、レイラ」


低く、しかしはっきりとした声で、

シャガルが呼び止める。


レイラは振り返る。


シャガルは、真剣な眼差しで続けた。


「死者の声を聞くこと」

「それが……解決の道かもしれん」


一拍。


テュエルが、静かに頷きながら言葉を継ぐ。


「はい」

「爺殿が……ミコト様のことを、教えてくれました」


「あなたの母君は」

「ここで、“聞いていた”のだと」


テュエルは、レイラをまっすぐ見つめる。


「ボクたちは、ここで待っています」

「だから……ゆっくりと」

「ご自身と、向き合ってきてください」


シャガルも、短く息を吐き、言った。


「何かあれば、すぐに呼べ」

「呼ばなくとも――」


一瞬、言葉を区切る。


「必ず、助ける」


レイラは、しっかりと頷いた。


「……ありがとう」


そして、滝の裏へと歩みを進める。


水の膜をくぐった瞬間、

外の音が遠ざかり、世界が閉じる。


⸻


洞窟の中。


冷たい岩肌。

湿った空気。

耳鳴りのような静寂。


レイラは、誰に聞かせるでもなく、呟いた。


「父上……」

「母上……」


声が、わずかに震える。


「私は……」

「どうしたら、よいのでしょうか……」


自分が、霊力を制御できないままでいれば、

歪みは広がり、人間界は危うくなる。


しかも――

その引き金は、自分自身。


無意識に、足首に触れる。


あの感触。

引きずられた恐怖。

妖界の瘴気が一瞬だけ流れ込んだ、あの感覚。


魔鬼の顔が、今も鮮明に脳裏に浮かぶ。


「……もう……」


小さく息を吸う。


「あんなこと……」

「二度と、御免だ……」


身体が、かすかに震える。


――でも。


(……私が、やらなければ)


(他に、誰が……)


(どうやれば……)


その時、不意に思い出す。


シャガルの言葉。


『天墓使』

『あやつらと対峙した時だ』

『お前……結界に、触れたな?』


記憶が、はっきりと蘇る。


天墓使と対峙した、あの瞬間。


結界へと、手を伸ばした時――


結界が、

“見えていた”。


張り巡らされた理。

拒絶の流れ。


結界の性質。

理の揺らぎ。


――触れた。


理解ではない。

知識でもない。


ただ、感じ取っていた。


「……あ……」


レイラは、息を呑む。


そして、ゆっくりと目を閉じた。


意識を、内側へ沈める。


あの時の感覚へ。

今の自分の感覚へ。


二つを、静かに重ねる。


波が合うのを待つように。

呼吸が揃うのを待つように。


……何かが、そこにある。


掴めそうで、

まだ届かない。


「……もう一息……」


その時――


魄喰の記憶が、割り込む。


テュエルとシャガルを傷つけた、あの出来事。


あの時も、

考えてはいなかった。


ただ――

無意識で、浄化していた。


「あれも……」

「霊力……」


あの感覚。


あの感覚。


意識が、鋭く研ぎ澄まされていく。


周囲の気配が消え、

自分という輪郭すら曖昧になる。


異常なほどの集中。


⸻


滝の外。


流れ落ちる水を前に、

シャガルが低く呟いた。


「……レイラは……」

「大丈夫だろうか……」


テュエルは、滝を見つめたまま、静かに答える。


「レイラ様は……心根の強い方です」


一拍。


「ですが……」

「今回のことは、あまりにも大きい」


「普通の人間なら」

「魂が砕けても……おかしくありません」


水音だけが、間を埋める。


「いま、俺たちに出来ることは」

「心を乱さぬこと」

「そして……待つこと」

「それくらいです」


シャガルは、目を伏せる。


「……ああ……」


テュエルは、確信を込めて続けた。


「レイラ様なら……大丈夫です」

「絶対に」


「あの方の才能」

「能力」

「感覚」


「すべて――群を抜いている」


シャガルは、小さく頷いた。


「……そうだな……」


その瞬間。


滝の裏、洞窟の奥から――


眩いほどに、

神々しい光が、溢れ出した。


白でもなく、青でもない。

言葉にできぬ、澄みきった輝き。


二人は、同時に顔を上げる。


「……っ!」


空気が、震えた。


――何かが、始まった。


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