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惚れた女の娘を育て続けた男がいました


夜明け前。


薄い光が、部屋の天井を淡く染め始めた頃――

レイラの指先が、かすかに動いた。


「……」


ゆっくりと、目を開く。


視界に映ったのは、

すぐ傍に立つテュエルと、壁際で腕を組んだまま動かないシャガル。


二人とも、眠った様子はなかった。


「……二人とも……?」


掠れた声。


テュエルが、すぐに膝をつく。


「お目覚めですか、レイラ様」

「……具合は、いかがです」


「……少し……頭が重いけど……」


レイラは、無意識に足元へ視線を落とし――

そこで、昨夜の感触が蘇り、肩を震わせた。


空気が、静かに張り詰める。


シャガルが、低く口を開いた。


「……隠すのは、やめる」


その声は、いつもよりも重い。


「昨夜の件は、偶然ではない」


レイラの睫毛が、ぴくりと揺れる。


テュエルが続けた。


「妖界からの侵入です」

「新月に近い今、境界が緩み」

「歪みが生じた」


「……そして」

「レイラ様が、狙われました」


――


その後、

二人から、昨夜の出来事と、

妖界、境界、新月にまつわる話を聞かされた。

すべてを理解したとは言えない。

だが――

何かが、確実に動き始めていることだけは、分かった。


レイラは、しばらく言葉を失っていた。


(父上が……新月の日は早く寝ろと)

(いつも言っていたっけ……)

(大人になって……忘れていた…)

(そして…まさかの…)


やがて、ゆっくりと唇を開く。


「……私が……原因……?」


その問いに、シャガルは否定しなかった。


「一因ではある」


だが、すぐに続ける。


「だが、罪ではない」


「お前の霊力は」

「境界に、干渉できる力だ」


レイラの指が、敷き布を強く掴む。


声が、小さく震える。


「妖が…」 

「なだれ込んでくるかもしれないなんて……」

 

「……でも……」


「結界の閉じ方なんて……」

「私、わからない……」


「誰からも……教えてもらったことなんて……」


一瞬、言葉が途切れる。


(……母上は……できたのだろうか……)


その思考を、シャガルは見逃さなかった。


「……思い出せ」


静かだが、鋭い声。


「天墓使」

「あやつらと対峙した時だ」


レイラが、顔を上げる。


「レイラ」

「お前……結界に、触れたな?」


胸の奥が、きゅっと縮む。


「その時の感覚」

「覚えておらぬか」


レイラの脳裏に、

あの時の光景がよぎる。


空気が、膜のように張りつめ、

触れた瞬間、確かに“何か”が応えた感触。


「……あ……」


小さく、息を呑む。


シャガルは、確信を帯びた声で続けた。


「余は、ずっと考えていた」


「アインの隣にいた」

「ただの人間の女だと思っていた存在」


「――だが」

「妖の気配が、確かに僅かだがあった」


レイラの胸が、大きく脈打つ。


「……お前の母だ」


断言だった。


「余は、数度、人間界を行き来した」

「だが、妖界へ戻るたび」

「歪みは、必ず塞がれていた」


「それが、偶然だとは思えぬ」


「お前の母は」

「境界に、関与できたはずだ」


シャガルの視線が、まっすぐにレイラを射抜く。


「ならば――」


「お前に、できぬわけがない」


部屋に、静寂が落ちる。


レイラは、すぐには返事をしなかった。


ただ、胸の奥で何かが、

微かに、だが確かに――動いた。


「……でも……」


呟く。


「どうすればいいのか……」

「まだ……わからない……」


テュエルが、静かに言った。


「だからこそ」

「考える時間が、必要です」


「一人で」

「……向き合う場所が」


レイラは、ゆっくりと顔を上げる。


「……北の……禁足地……」


父と母の墓。

滝の裏。

静寂と、霊力の溢れる場所。


答えがあるかは、分からない。


それでも――

今、向かわなければならない気がした。


シャガルは、短く息を吐く。


「……独りでは行かせぬ」


「だが」

「余も、手は出さぬ」


「選ぶのは――」

「お前自身だ」


レイラは、小さく頷いた。


「……少し……考えてくる」


それは逃避ではなく、

覚悟へ向かうための“静かな時間”だった。


夜は、完全に明ける。


だが、

本当の境界は――

これから、越えねばならない。


———


自室で墓参りに向かう準備を進めるレイラを、

シャガルは少し離れた場所から見ていた。


(……魄喰を浄化するほどの霊力だ)

(境界が緩むのも、歪みに惹かれる妖が増えるのも……当然か)


だが――


(レイラ自身は、その霊力を“制御”できておらぬ)

(ただ、存在しているだけで……溢れてしまう)


どうにかならぬものか。


歪みに目をつける妖は、必ず現れる。

それも一体や二体では済まぬだろう。


――歩ませたくはない。


だが、このままでは。

また狙われ、引きずられ、震え……

あの怯えた顔を、余に向けることになる。


(それだけは……耐えられぬ)


答えの出ぬ思考に、苛立ちが募る。


⸻


その時。


レイラの部屋から出てきたであろう“爺”の姿を見つけ、

テュエルが、ふと足を止めさせた。


「……爺殿」


「はい、どうなさいましたかな」


「爺殿は……ミコト様を、ご存知なのですよね」


一瞬、懐かしむように目を細め、爺は口を開く。


「…………えぇ。もちろんですとも」

「よく、よく知っておりますよ。あの方のことは」


テュエルは一拍置き、慎重に問いを重ねる。


「……ミコト様は」

「霊力を研ぎ澄ますために、何か……習慣的にされていたことはありますか?」


爺は顎に手を当て、しばし考え込む。


沈黙。


やがて、ゆっくりと口を開いた。


「特に“鍛錬”と呼べるようなことは、しておられませんでしたな」

「ただ――」


一瞬、声を落とす。


「……死者の声に、耳を傾けておられました」


シャガルとテュエルが、同時に息を呑む。


「巫女の目は、すべてを映す」

「ミコト様は……姫さまと違って」

「五感が鋭い方ではありませんでした」


「ですが……時折」

「何かに導かれるように、ふらりと出かけられる」


心配になって、後を追ったこともある。


「空を撫でるような仕草で……」

「誰かと“話す”というより」

「“聞いている”……そんな感じでしたな」


すぐにミコト様は、私に気づき、

何も隠さず、こう仰いました。


『霊が、教えてくれたんだよ』と。


⸻


「……死体が、喋るとでも言うのか」


シャガルが、半信半疑で呟く。


一拍。


「……いえ」


テュエルが、はっきりと答えた。


「レイラ様なら……可能かと」


「……なんだと」

シャガルは目を細める


テュエルは続ける


「あなたは見ていない」

「一年前の、追悼祭り……」

「あの時、確かにレイラ様は」

「魂と、通じ合っていました」


シャガルは、言葉を失う。


(……そんなことが……)



「……はい」


爺が、静かに頷く。


「ミコト様は、死者の導き手として」

「陛下と、龍の狭間に立ち」

「“橋”を掛ける役目を果たしておられました」


「……!」


テュエルの脳裏に、何かが繋がる。


「……まさか……」

「……いえ……」

「…なんでもありません」

(舞は……関係なかったのか……?)


「…………」


シャガルは一瞬考え込み、やがて低く言った。


「……まぁよい」

「例の墓に着いたら、レイラに伝えよう」


そして、ふと視線を爺に向ける。


「……して、爺よ」


「はい?」


「随分と、レイラの母について詳しいのだな」


爺は、ほんの一瞬だけ目を細め――

次の瞬間、破顔した。


「えぇ、まぁ……」

「惚れた男の“弱み”というやつですな!!」


そして、肩を揺らして笑う。


「惚れさせておいて、何一つ返してくれん!」

「はっはっはっは!!」

「便利な男でしたとも!!」


シャガルとテュエルは、言葉を失う。


「な………………」

(……惚れて、いたのか……)


テュエルの胸に、遅れて理解が落ちる。


(……では、この方は……)

(惚れた女の子を……育てていた……)

(……恋敵の、子を……)


思わず向けてしまった憐れみの視線に、

爺はすぐ気づいたようだった。


「ふふ」


穏やかな笑みを浮かべる。


「テュエル殿」

「そんなに、悪い人生ではありませんでしたよ」


テュエルは、その察しの良さに、わずかに目を見開く。


爺は、ゆっくりと言葉を継いだ。


「むしろ……幸せでした」

「あんなに可愛い子……」

「私にとっては……」


一拍。


「自分の、娘です」


「子が成せるなど……」

「思ってもいませんでしたからな」


ふっと、息を吐く。


「ミコト様は……私には守れなかった」

「ですから……これで、いいのです」


視線を上げ、

シャガルとテュエルを見る。


「だから……姫さまは――」


「あなた達に……」

「お任せしますよ……?」


その瞳には、うっすらと涙が溜まっていた。

だが、表情は穏やかで、どこか晴れやかだった。


シャガルは、短く、しかし迷いなく答える。


「……無論だ」


テュエルも、一歩踏み出し、深く頷く。


「もちろんです」

「必ず……お守りします」


それは、誓いだった。


⸻


やがて。


準備を終えたレイラと合流し、

一行は北の禁足地へと向かう。


――ミコトの眠る墓へ。


まだ答えは見えない。

だが、確かに“導き”は、そこにある。


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― 新着の感想 ―
爺……格好良すぎる!! そしてあなた方にお任せしましたよ……の一言はやばいですね、二人にとっても大切な言葉になったに違いはありません!! 続きも楽しく拝読させて頂きます(*´∀`*)
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