昨日の埋め合わせが終わりません
城下へ続く道。
人の気配が増えるにつれて、レイラは自然と背筋を伸ばしていた。
……が。
「離れるな」
低く言われ、指先が袖をつまむ。
「ち、近くないか……」
「当然だ」
「今日一日、余はお前の隣にいる」
断言。
茶屋の前。
香ばしい匂いと、人の声。
そこで――ばったり。
「あっ、レイラ様!」
ヤヒロだった。
一瞬、空気が止まる。
(……まずい)
(見られた……)
(みんな、暗黙の了解だろうが)
(重婚だ…快く思わないよな……)
(ましてや純粋な少年……)
シャガルと少し距離を取ろうとするが
シャガルは一切離れない。
むしろ、肩に軽く手を回した。
「……ッ」
ヤヒロは一瞬目を瞬かせ――
すぐに、にこっと笑う。
「夫婦睦まじくて、微笑ましいですね!」
「どうぞ、楽しんで!」
それだけ言って、さっと去っていく。
レイラは完全に固まった。
「……い、いいのか……?」
「引かないのか……」
「良いに決まっておる」
シャガルは、当然のように言う。
「うむ」
「見る目のある少年だ」
茶屋の席に腰を下ろしても、
距離は一切、変わらない。
むしろ――
肩と肩が、触れている。
「……近い……」
「聞こえぬ」
即答。
シャガルは、迷いなく卓に手を伸ばした。
「これと、これ」
「それから――これだ」
「え、あ、あの……?」
店主が一瞬だけ視線を走らせ、
すぐに頷いて引っ込む。
レイラは、遅れて気づく。
(……私、まだ何も……)
「……勝手に頼むな……」
「問題ない」
平然。
「今日は、余が決める」
「……勝手だな……」
「昨日の分だ」
一言で、封じられる。
ほどなくして、運ばれてきた盆の上。
・水出しの香草茶
・蜂蜜を使った柔らかい焼き菓子
・酸味の少ない果実の砂糖漬け
レイラは、思わず瞬きをした。
(……これ……)
どれも。
強い甘さではなく、
香りが穏やかで、
舌に残らないものばかり。
――全部、好きなもの。
もしくは、「好きそうな」もの。
「……」
何も言わずに見つめていると、
シャガルが、ちらりと視線を寄越す。
「……何だ」
「……いや……」
一拍。
「……よく、覚えているな……」
シャガルは、ふん、と鼻を鳴らす。
「当然だ」
「お前は」
「甘すぎるものは好まぬ」
「胃が重くなるものも、だ」
「あと――」
一瞬、言葉を切る。
「熱い飲み物は」
「猫舌だからな」
「……っ」
思わず、視線を落とす。
(……なんだかんだで……)
(本当に……)
「……優しいな……」
ぽつりと零した、その言葉に。
シャガルは、ほんの一瞬だけ、
動きを止めた。
「……勘違いするな」
視線を逸らしたまま。
「余が食えぬものを」
「頼むわけがないだろう」
「……?」
「結果として」
「お前の好みと一致しただけだ」
苦しい言い訳。
レイラは、思わず小さく笑った。
「……そういうことにしておく」
「勝手にしろ」
だが、口調とは裏腹に、
肩に回された手が、ほんの少しだけ緩む。
レイラは、香草茶に口をつける。
――冷たく、香りもよく、美味しい。
(……落ち着く……)
胸の奥が、ゆっくりと緩んでいく。
シャガルは、その様子を横目で確認して、
満足そうに目を細めた。
「……そうだ」
「そういう顔だ」
「余は、それが見たい」
「……余計なことを言うな……」
だが、声はもう、
さっきほど尖っていなかった。
茶屋の外では、
風が、静かに草を揺らしていた。
――この一日は、
まだ、始まったばかりだった。
――――
茶屋を出て、しばらく歩く。
城下の賑わいが遠のき、
草の匂いと風の音だけが残る。
「……どこまで行く気だ……」
「静かな所だ」
簡潔。
やがて辿り着いたのは、
なだらかな草原の端。
一本の大きな木が、影を落としている。
人の気配は、ない。
シャガルは満足そうに頷いた。
「よし」
「ここだ」
「……ここで何を……」
「昼寝だ」
即答。
「……は?」
「寝ろ」
命令形。
レイラは目を瞬かせる。
「……いや……」
「今は、眠くない……」
(ドキドキしていて、それどころではない)
シャガルは一切気にしない。
「構わぬ」
「寝ろ」
「……だから……」
「いいから」
有無を言わせぬ声。
そして当然のように、
木の幹に腰を下ろし――
隣を、ぽん、と叩く。
「来い」
レイラは渋々、隣に座る。
しばらく、沈黙。
風が、葉を揺らす音だけが響く。
「……シャガル」
「何だ」
「……私は、昼寝など……」
そこで、言葉が詰まる。
「……テュエルと一緒でないと……」
次の瞬間。
ぐいっ。
肩を、強く引き寄せられた。
「……っ!?」
体が傾き、
そのまま――胸元に、顔を押し付けられる。
「……余がいる」
低く、はっきりした声。
腕が、逃げ道を塞ぐ。
「今は」
「余との時間だ」
一拍。
「……あの猿の名を」
「この場で出すな」
「…………」
抗議しようとしたが、
――言葉が出てこない。
近い。
鼓動が、伝わる。
「……安全だ」
シャガルは、周囲を一瞥してから、
どこか得意げに言う。
「人の気配もない」
「危険もない」
「……余が、いるからな」
「……それと」
ぐっと、腕に力がこもる。
「昼寝の条件を」
「勝手に決めるな」
「……っ」
「お前が眠れぬのは」
「安心が足りぬからだ」
「なら――」
額が、髪に触れるほど近づく。
「余が、用意してやる」
レイラは、内心で叫ぶ。
(……こんな状態で……!?)
低く、落ち着いた声。
「安全だ」
「だから、寝ろ」
(……近い……!!)
心臓が、また騒ぎ出す。
「……こ、こんな状態で……」
「寝られるわけが……」
シャガルは、微動だにしない。
「そのうち」
「勝手に落ちる」
「……自信満々だな……」
「事実だ」
レイラは、空を見上げた。
(……無理だ……)
(こんなんで……)
胸に顔を押し付けられ、
腕は逃げ場を塞ぎ、
鼓動が、はっきり伝わってくる。
(……寝れるか……)
そう思いながら――
風の音が、心地よくて。
気づけば、
まぶたが、少し重くなっていた。
シャガルは、それを感じて、
わずかに口角を上げる。
「……ほらな」
勝ち誇ったように、呟いて。
腕の力を、
ほんの少しだけ、緩めた。




