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ずっと好きだった妻が今さら恋に落ちました。ちなみに俺は死にそうです


西の草原を離れるころには、空はすっかり茜色に染まっていた。


テュエルは馬を引き寄せ、先に鞍へと跨る。

無駄のない動き。

見慣れたはずの、いつもの所作。


――の、はずなのに。


夕刻の光が、

護衛服の輪郭を柔らかく縁取っていた。


派手さはない。

鎧も、装飾もない。


ただ、

整えられた身なりと、

背筋の伸びた姿だけ。


(……なんで……)


なぜか、目が離せない。


「……どうぞ、レイラ様」


振り返って差し出された手。


夕焼けを背にしたその姿が、

やけに落ち着いていて――


(……眩しい……)


朝のきらめきとは違う。

静かで、優しい光。


それが、余計に心に刺さる。


差し出された手を取る、その一瞬で――

レイラの胸が、きゅっと締め付けられた。


(……近い……)

(……いや、近くなる……)


二人乗り。


背中越しに伝わる体温。

護衛服越しでも、はっきりわかる温もり。


馬が歩みを進めるたび、

自然と距離が縮まっていく。


風を切るたび、

体が、彼の背に吸い寄せられる。


レイラは、意を決して――

そっと、テュエルの背に体を預けた。


「……テュエル」


「はい」


呼べば、すぐ返ってくる声。


そのことが、

なぜだか胸に沁みて――


「……私は、今……」

「少し、胸が苦しい……」


正直に言うと、

テュエルの背が、わずかに強張った。


「……それは……」


言いかけて、止まる。


「……いえ……」

「……失礼……」


仕切り直すように。


「……今も、苦しいですか」


「…うん……」


一拍、ためらってから。


「……だが……」


風に紛れるほどの、小さな声で。


「……お前は……」

「いつも、こうだったのか……?」


問いかけは、曖昧で。

けれど、意味ははっきりしていた。


――自分が今感じている、この胸の苦しさを。


テュエルは、

少しだけ息を吸ってから――


「……はい」


短く。


「……ずっと」


それ以上は、言わなかった。


だが。


その一言で、

レイラの胸が、さらに締め付けられる。


(……そうか……)


(……私だけじゃ……なかったのか……)


言葉にしない想いが、

背中越しに、確かに伝わってくる。



レイラは、無意識に息を整えようとして――

小さく、肩を落とした。


(……落ち着け……)

(……これは、いつも通りだ……)


そう思おうとするのに。


背中から伝わる安心感が、

今日に限って、やけに強い。


夕刻の風。

陽が傾き、世界の輪郭が柔らぐ時間。


(……夕方って……)


胸の奥が、きゅっとする。


(……ずるいな……)


理由を探そうとして、

ふと、思い当たってしまう。


(……私は……)

(……夕焼けに……弱いのか……?)


西から差す光に照らされた横顔。

昼よりも影が深く、

夜よりもまだ温度のある、その曖昧な時間。


――思い返される、別の背中。


夕焼けの中で、

満足げに笑っていた妖王の顔。


(……あ……)


自覚してしまった瞬間、

さらに胸が苦しくなる。


(……同じだ……)


夕方。

夕日に照らされた男。


それが――

どうしようもなく、心に刺さる。


(……最悪だ……)


弱点を、

今さら知ってしまった。


テュエルの背に、

ほんの少しだけ、体重を預ける。


それだけで、

胸が、また騒ぎ出す。


(……なんで……)

(……この時間帯に……二人乗りなんだ……)


答えは、出ない。


ただ一つ確かなのは――


今日の夕焼けは、

レイラにとって、強すぎた。


(……落ち着かない……)


鼓動が、早い。

苦しいほどに。


なのに。


――もっと、離れたくない。


城が近づくにつれ、その気持ちははっきりしていった。


馬を小屋へ預け、城門をくぐる。

日常へ戻るはずの、その直前。


レイラは、足を止めた。


「……テュエル」


「どうしましたか?」


振り返る、その顔が――

意識すると、やけに整って見えて、心臓が跳ねる。


言葉が、詰まる。


「……いたい」


「……はい?」


「……もっと……一緒にいたい……」


理解が追いつかない顔。

ほんの一瞬の沈黙。


(……言ってしまった……)


胸が熱くなって、逃げるように視線を落とす。


「…………」


テュエルの中で、何かが完全に停止した。


(殺す気か)


理性が警鐘を鳴らす。

だが、感情が処理を拒否する。


レイラは、恐る恐る顔を上げ――

上目遣いで、囁く。


「……一緒に……寝よ……?」


破壊力、致死量。


「…………」


テュエル、完全フリーズ。


(脳内処理中)

(可愛すぎだろふざけんな)


耐えきれず、レイラは小さく眉を下げる。


「……ダメ……か……?」


しゅん、と肩が落ちる。


その瞬間。


「寝ます」


即答。


「……え?」


「一緒に。寝ます」


覚醒したテュエルの目は、やけに真剣だった。


「ですが」

「……その前に」


一拍。


「一度、離れましょう」


レイラはきょとんとする。


「お風呂です」


「……あ」


「心を落ち着かせないと」

「……俺が、危険です」


(……?)


よく分からないまま、レイラは頷いた。


⸻


夜。


湯を終え、部屋に戻ると――

既に布団が二つ、並べられている。


だが。


「……近くないか?」


「……気のせいです」


気のせいではない。


並んで横になると、沈黙が落ちる。

天井を見つめるレイラの心臓は、まだ早い。


(……変だ……)


こんなに一緒にいたいなんて。


小さく寝返りを打つ。


その動きに、テュエルが反応する。


「……レイラ様」


「……ん?」


「……触れても、よろしいですか」


「……?」


意味が分からず、頷く。


次の瞬間。


そっと、引き寄せられた。


強くない。

抱きしめるでもない。


ただ、確かめるように。


「……こうしていると」

「落ち着きます」


低い声。


「……ボク……いや、俺は」

「ずっと、こうしたかった」


レイラの胸の苦しさが、すっと和らぐ。


(……ああ……)


静かに、目を閉じる。


「……テュエル」


「はい」


「……今日は……ありがとう」


一瞬、腕に力がこもる。


「……こちらこそ」


灯りが落ち、

二人の呼吸だけが、部屋を満たす。


同じ布団。

並んで横になっているだけなのに――

レイラの胸は、落ち着く気配をまったく見せない。


(……意識すると……だめだ……)


視線を天井に向けても、

隣にいる気配が、全部を持っていく。


呼吸。

体温。

わずかな布擦れの音。


「…………」


思わず、布団の端を掴む。


「……レイラ様?」


すぐに、心配そうな声。


「眠れませんか……?」


「……う、うん……」


少し間が空く。


テュエルも、同じだった。


「……実は……」

「俺も……です」


苦笑まじりに。


「隣にいるだけで……」

「胸が、うるさくて……」


レイラは、思わずそちらを見る。


暗がりの中、

端正な横顔が、いつもより近い。


(……こんな顔……)

(前から知っていたはずなのに……)


喉が、鳴る。


「……テュエル……」


名を呼ぶと、

彼はすぐにこちらを向いた。


「……はい」


声が、やけに優しい。


レイラは、言葉を探すように、

少しだけ逡巡して――


「……お前と……」

「こうして、同じ布団にいるのが……」


小さく、息を吸う。


「……嬉しい……」


たったそれだけ。


けれど。


テュエルの理性は、

一瞬で限界に近づいた。


「……それは……」


低く、掠れた声。


「……反則です……」


「……な、なにがだ……」


「……可愛すぎるところが……です」


レイラ、完全に硬直。


「……っ……///」


思わず顔を覆う。


その手首を、そっと掴まれる。


力は、まったくない。

けれど、離さない意思だけが伝わる。



「……このまま……」

「……触れても……いいですか……」


「いや」


一拍


「触れますね」


レイラは、息を呑んだ。


近い。

近すぎる。


頭では止めなければと思うのに、

胸の音がうるさくて、言葉が追いつかない。


「……だめ……」


やっと出た声は、弱くて――

その瞬間、自分で気づいてしまう。


(……違う……)


唇が、かすかに震えた。


「……だめ……じゃない……」


ほとんど、囁き。


逃げるように視線を伏せて、

それでも、拒むことはできなくて。


レイラは、ぎゅっと目を閉じる。


――受け入れるしか、なかった。



その瞬間。


テュエルの呼吸が、

――目に見えて、止まった。


(――――――)


喉が鳴る。


音にならない息を、無理に飲み込むような気配。


(本当に…)


(殺す気か)


脳裏をよぎった言葉と同時に、

理性のどこかで――

何かが、音を立てて切れた。


額が触れそうなほど近く。


呼吸が、混ざる。


近すぎて、

逃げ場なんて、最初からなかった。


「……レイラ様……」


唇が、重なる。


深くない。

けれど、離れがたい。


名残惜しそうに、そっと離れて。


二人とも、息が乱れていた。


「……だ、だめだな……」


レイラが、ふらふらと呟く。


「……心臓が……壊れる……」


「……俺も……です」


テュエルは、額を彼女の額に軽く預ける。


「……今日は……」

「これ以上は……」


「……う、うん……」


言葉は、それ以上いらなかった。


テュエルは、そっと彼女を引き寄せる。


強くはない。

守るように。


レイラは、ためらいながらも――

彼の胸元に、額を寄せた。


「……離れないで……」


小さな声。


「……離れません」


即答。


指が絡み、

体温が、安心に変わる。


(……これでいい……)


胸の高鳴りは、まだ消えない。


それでも。


二人は、そのまま――

同じ鼓動を感じながら、ゆっくりと目を閉じた。


夜は、静かに。


けれど確かに、

“夫婦の夜”として、そこにあった。


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