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覚悟と呼んだ逃避

朝の光が、寝台の端を淡く照らしていた。


レイラはまだ起き上がらず、

しばらく天井を見つめたまま、

静かに呼吸を整えていた。


身体に、違和感はない。


怠さも、痛みも、眩暈もない。

この一月、毎日欠かさず確認してきた感覚。


(……問題、なし)


起き上がり、机へ向かう。


 

そこに、小さな瓶があった。


指先で取り上げ、傾ける。


残りは――わずか。


(……一月、か)


徹夜で資料を漁ったこと。

煌龍国へ送った書状。

返ってきた返事。

リアとの夜。

シュンの想い。

 ――テュエルの覚悟。



全部、覚えている。


一つ、深く息を吐いた。


「……そろそろ、か……」


声に出したのは、それだけ。


まだ、決めたわけじゃない。

ただ――逃げられない地点に来たと、

理解しただけだ。


鏡に映る自分を見る。


表情は、いつもと変わらない。

姫としての顔。

妻としての顔。


――けれど、胸の奥だけが、

静かに覚悟を固めていく。


(今夜……)


そこまで考えて、

レイラは首を振った。


(……いや)


まだ言葉にするには、早い。


今日一日、

ちゃんと過ごしてからだ。


レイラは瓶を元に戻し、

何事もなかったように、身支度を整えた。


――――


昼下がりの執務室。


書類は順調に片付き、

レイラの指示も、いつも通り的確だった。


――何も、変わらない。


変わらない、はずなのに。


テュエルは、レイラの自室へと書記を運ぶ途中、

ふと、視界の端で“それ”を見てしまった。


卓の隅。

そして――小瓶。


(……減っている)


視線を逸らす。


見てはいけない。

考えてはいけない。


分かっている。

理解している。


これは、レイラ様の――

いや……俺の選択の結果だ。

俺のためであり、

レイラ様のためでもある。


(……それでも)


胸の奥が、ひどく重い。


レイラ様は、いつも通りだ。

穏やかで、落ち着いていて、

朝よりも、むしろ静かだ。


――だからこそ。


(……今夜……かな…)


声に出すことはなかった。

ただ、思考だけが、そこに辿り着く。


書類を整えながら、

無意識に、何度も時計を見る。


時間が、進まなければいい。

進んでほしくない。


それでも、

止まるはずがないことを、

誰よりも分かっていた。


(俺は……)


立ち止まっている。


レイラ様が前に進んでいることを、

もう、否定できなかった。


――――

 

夜が訪れる。


宮内は静まり返り、

灯りだけが、廊下を細く照らしている。


レイラは、自室で一度、立ち止まった。


胸に手を当てる。


鼓動は、速くない。

震えも、ない。


(……今夜、行こう)


それは衝動ではなく、

朝から、ゆっくりと積み上げた決断だった。

 

シャガルの部屋へ向かう、その意味を、

レイラはよく理解していた。

だからこそ、感情を高ぶらせることなく、

心を整える。


深呼吸をひとつ。


扉に手をかけ、そっと廊下へ出た。


宮内は静まり返っている。

足音が、やけに大きく響く気がした。


(……大丈夫だ)


自分に言い聞かせるように、胸の奥でそう繰り返す。

不安も、期待も、すべて抱えたまま進むしかない。


そして――


廊下に、静かな空気が漂う。


レイラは、シャガルの部屋へ向かおうとしていた。

胸の奥で、期待と不安が交錯する。


そのとき、背後から低い声が響いた。


テュエルだ。


「レイラ様――少し、時間を頂けますか」


振り返ると、彼の瞳には、

真剣さと切なさが混ざっていた。

言葉以上に、伝わるものがあった。


レイラは黙って頷き、ついて行く。


 

――テュエルの部屋。


 

静かで、柔らかな灯りだけが差し込む空間。

彼は黙って手際よく、レイラの髪を整え始めた。


 

指先が、そっと髪を撫でるたびに、

レイラは小さく息を呑む。

 


何度も触れてきたはずの指先。

それなのに、

今日は少しだけ、胸がざわついた。


 

髪を結い、

うなじをわずかに見せる色っぽい調髪が

完成したとき、テュエルは穏やかに微笑む。


 

「はい、終わりました」


レイラは、その仕上がりに目を細め、

少し照れたように言った。

 

「テュエル…ありがとう…」


しかし、胸の奥に小さな罪悪感が芽生える。

(……シャガルに……

 ……見せることになるのに……)


テュエルはそれに気づいたのか、

やわらかな笑みで答えた。

 

「その方が、きっとシャガルは喜びますよ」

「さぁ、行ってください^^」


 

レイラは考えることをやめた

小さく頷き、静かに部屋を出て行く。


(テュエルの想いを無駄にしない為に……)

 

 

テュエルは、扉が閉まる

 その瞬間まで、じっと見送る。


扉が静かに閉まり、

レイラの気配が完全に消えた。


 

――テュエルは膝から崩れ落ちる。

 


(……もう……大丈夫だろうか……)


 

震える手で額を押さえ、息を整えようとするが、

堰を切ったように涙が溢れ出す。



嗚咽を抑えながら、心の中で必死に祈る。


(……この声が…この、悲しみと……)

(……涙の匂いが……)

(……どうか…レイラ様に…伝わりませんように…)


五感の鋭いレイラに、

今の自分の情けない姿を悟られたら、

 

シャガルの前で心を集中させられなくなる――

その思いが、彼をさらに押し潰す。


膝の上で、拳を握り締める。

そして深く息をつき、涙を拭うことなく、

ただ時間を待つ。


静かに、誰にも見せず、ただ――

自分の想いと悲しみを噛み締めながら。


(俺も進むために……)


そう思って、

彼女を送り出した。


けれどそれは、

前へ進むための一歩ではなく、

自分から感情を切り離す行為だった。


その痛みに名前を付けることすらせず、

ただ“覚悟”だと呼んでしまった。


――それが、

壊れ始めた合図だったとも知らずに。

 

 

ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。


四章は、書いてて普通に情緒が死にました。


テュエル……お前……。


……いや、だめだこれ。


うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!


四章、ここで終わりです。


次は五章です。


――以上。

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