渓流に流れないもの
執務室に籠りきりの三人を見かねて、
爺が穏やかに言った。
「少し、外に出られては?^^」
「渓流で釣りなどいかがですかな。
ちょうど鮎の季節です」
「夕餉の食材を獲ってきてくだされば、
私も助かります^^」
半ばお使いのような口ぶりに、
三人は顔を見合わせ――
結局、その提案を受け入れることになった。
向かったのは、
リュウコの一つ下
七合目、南西の渓流。
⸻
初夏の陽光が水面を照らし、
渓流はきらきらと飛沫を上げて流れている。
小鳥のさえずり。
水のせせらぎ。
湿った土と若葉の匂い。
変わらぬ自然が、そこにあった。
レイラは川辺の岩に腰を下ろし、
足元の草花や、水面に反射する光を眺めている。
釣りをする二人を横目に、
ただ深く息を吸った。
(……久しぶりだな、こういう時間)
心が、少しずつほどけていく。
「帰ってきて、久々のお出かけですね^^」
テュエルが釣り糸を垂らしながら言う。
シャガル
「全くだ。
皇務、皇務と執務室に籠りおって……
目も体も腐るところだったぞ」
レイラ
「仕方ないだろう。
長く国を空けていたんだ。
溜まった皇務を片付けなければ
しばらく出かけることすら出来なかったぞ」
シャガル
「それにしてもだ、真面目すぎる。
もう少し、息抜きを覚えろ」
テュエル
「お前が息抜きしすぎてるだけだ」
シャガル
「黙れ頑固猿。
貴様も毎日同じことばかりで、つまらん男よ」
テュエル
「褒め言葉として受け取っておきますね」
レイラ
「……羽を伸ばしに来たんだ。静かにしろ」
レイラはそう言って、川を眺めた。
「……それにしても、のどかだな」
⸻
一方で、テュエルは実に器用だった。
軽やかに竿を操り、
次々と魚を釣り上げていく。
それでも視線は、常にレイラへ。
「レイラ様。
流れが少し急です。
足元にはお気をつけください^^」
対して――
シャガルは、一匹も釣れていない。
竿を握りしめ、眉をひそめる。
「ぐ……………!!
何がいけない!!
さっさと食いつけ、ノロマな魚め!!」
テュエルが、にやりと笑う。
「落ち着いてください。
食いついても、どうせ逃げますから」
シャガル
「なんだと!!
今に見ておれ!!
こんなもの、すぐに釣ってみせるわ!!」
シャーシャー、ガルガル。
いつも通りうるさい二人、
しかしレイラもそれには慣れてきた。
⸻
レイラは川の縁へ腰を移し、
流れをじっと見つめる。
(一見、平和だが……)
思考が、自然と沈む。
(……これから、どうする……)
(……いや……どうなるのか……)
(……二人を、失うことだけは……)
(……絶対に、嫌だ……)
水音が、考えを流していく。
(……時間が、解決してくれるのだろうか……)
(……このまま、進んで……)
(……後悔しないだろうか……)
「……………………」
その時。
「レイラ!!」
突然の大声。
驚いて身を震わせ、
足元の砂利でバランスを崩す。
「っ……!」
――バシャァァァン!!
水音とともに、
レイラは渓流へと落ちた。
「レイラ様!!!」
「レイラ!!!」
二人が同時に駆け寄り、手を伸ばす。
川から顔を出し、
必死な形相の二人を見た瞬間。
――不思議と、
さっきまでの悩みが、どうでもよくなった。
(……ふふ……愛しいな……)
レイラは、二人の手を取る――
そのまま、無邪気に引っ張った。
「……っ!?」
「ぬ……?」
――バシャァァァン!!
三人まとめて、見事に落水。
⸻
水しぶきの中、
テュエルが呆れた声を上げる。
「……レイラ様……
……もう……本当に……
無事でよかったですが……
心配します、やめてください……」
(可愛すぎるだろ……殺す気か……)
シャガルは面食らいながらも、
小さく笑った。
「腹いせか?
まったく……悪戯とは……いじらしい」
レイラは濡れた髪をかき上げ、
満面の笑みで言う。
「ふふ。冷たくて、気持ちいいな」
――その笑顔を見て、
テュエルは、胸の奥に小さな違和感を覚えた。
楽しそうで、無邪気で――
けれど、どこか遠い。
⸻
夕刻。
釣果は――
シャガル:0
テュエル:18
「ぐ……!!!!
何がこやつと違うのだ……!」
「繊細さ、ですかね?」
「お前には一生無理でしょう」
「余は大胆なのだ!!
貴様のような几帳面猿になってたまるか!!」
相変わらずの掛け合い。
レイラはその光景に、
小さく安堵しながら――
同時に、胸の奥がざわついた。
(……すぐ、壊れてしまうのでは……)
それは、
レイラだけではない。
シャガルも。
テュエルも。
三人それぞれが、
同じ不安を胸に抱いたまま。
渓流は、何事もなかったかのように――
静かに、流れ続けていた。
その夜、
三人は同じ食卓を囲んだ。
だが、その時間を、誰一人として
穏やかだとは思っていなかった。




