それでも傍に立つ理由
城の奥。
声の漏れない部屋の前。
扉が閉まる音を、
男たちは黙って見送った。
誰も、「待とう」とは言わなかった。
けれど――
誰一人、立ち去ろうともしなかった。
◆
テュエルだけが、明らかに落ち着きを失っていた。
壁際に立ったまま、
指先で無意識に、トン、トン、と一定の間隔を刻む。
剣の柄を握っては、緩め、
また握る。
それを、ロイロが横目で見て、鼻で笑った。
「……なんだよ、あの落ち着きない護衛は」
「腹でも痛ぇのか?」
ナイルが、湯上がりの余韻みたいな調子で肩をすくめる。
「違う違う♡」
「あれはね、“大切な人が悩みを抱えてるのに、自分だけ何もできない”時の顔さ♡」
ぴたり、と。
テュエルの動きが止まった。
「……なんですか」
「二人とも……」
ナイルは、くすっと笑う。
「あはっ♡ 聞こえちゃった?♡」
「心配になっちゃってさ」
ロイロが、真顔で続ける。
「……お前、知ってんのか」
沈黙。
それだけで、答えは十分だった。
ナイルが、少しだけ声を落とす。
「……知ってるんだね?」
「しかも、結構……重いやつ」
テュエルは、ため息交じりに肩を落とした。
「……どうせ、あなた達のことだ」
「あとで、どうにかして聞くんでしょう」
諦めたように、言う。
「……レイラ様は」
「“避妊薬”の件を……相談しているのだと思います」
一瞬。
空気が、完全に止まった。
「………………は?」
ロイロとナイルの声が、綺麗に重なる。
ナイルが、目を丸くする。
「え、ちょっと待って?」
「テュエル君……避けられてるの?♡」
「俺じゃないです」
額に青い筋が浮かぶ。
即答だった。
ロイロが、ゆっくり理解に辿り着く。
「……じゃあ……」
「つまり……シャガル……か」
テュエルは、何も言わない。
――言わない、という答え。
ロイロが、一歩踏み出す。
「お前……」
「ほんとに、それでいいのかよ?」
「レイラが、他の男に抱かれるって話だぞ!」
昨夜の光景が、脳裏をよぎる。
あの、見せつけるような口づけ。
テュエルは、苦笑した。
けれど、その目は――
驚くほど、優しかった。
――ふと、昔の言葉が脳裏をよぎる。
ナイル
『いずれ、大事な瞬間に……
他の人に取られちゃうかもよ?』
――――
『その資格がある人でなければ、許しませんが』
自分で言ったはずの言葉だった。
(……資格、か)
胸の奥が、わずかに軋む。
シャガルは――
レイラ様を選び、
彼女の不安も、痛みも、覚悟も、
すべて引き受けると決めた。
王として。
男として。
(……あった、のでしょうね)
だからこそ、
俺は――何も言わない。
言えないのではない。
言う必要が、もう無かった。
――
「……俺に使う物では……ありませんから」
ぽつり、と。
ロイロが、声を荒げる。
「いや、そこじゃねぇだろ!?」
「悔しくねぇのかよ!!」
「あんなの、目の前で見せられて……!!」
テュエルは、静かに目を伏せた。
「……悔しいですよ」
小さく、息を吐く。
「胸が、裂けるほどに」
「死にたくなるほど……」
それでも。
顔を上げる。
「ですが……」
「レイラ様が選んだ道です」
「レイラ様が“救われる”なら……」
「俺が痛むことなど……大したことではありません」
ナイルが、思わず目を細めた。
「……君はさ」
「ほんと……見てて、痛くなるよ」
「ボクだったら……」
「耐えられる自信、ないなぁ……」
テュエルは、迷わず言った。
「耐えますよ」
「……レイラ様のそばにいると」
「そう、決めたのは……俺ですから」
ロイロが、深くため息をついた。
「……あーあ」
「あの女を幸せにするってのは」
「マジで……骨が折れるな」
ナイルは、軽く笑って。
「でもさ」
「ちゃんと、わかってほしいね」
「君が」
「どれだけ、レイラちゃんを愛してるか」
テュエルは、小さく微笑み――
閉じた扉の向こうを見る。
「……ええ」
「伝わってくれれば」
「それだけで……十分です」
◆
その頃。
リアは、シュシャ、シアン、レオを連れて、
「ちょっと散歩しよう」と城の反対側へ向かっていた。
――この場に、居ていい人間と、居てはいけない人間がいる。
それを、リアは本能で理解していた。
◆
そして。
シャガルは――
レイラとシュンが並んで部屋へ入っていく背中を見届けたあと、
一言も発さず、踵を返した。
苛立ちを、隠しもしない足取り。
城内を、目的もなく歩く。
(……気に入らぬ)
理由は、分かっている。
だが、今は――
踏み込む時ではない。
違和感の正体を、
後で、必ず探る。
それだけを胸に。
◆
扉の向こうでは、
まだ――誰も知らないほど深い、魂の救済が行われていた。
そして廊下には、
愛するがゆえに、何もできない男たちだけが残された。
――――――――
声の漏れない部屋の扉が、静かに開いた。
先に出てきたのは、シュンだった。
少し俯き、けれど足取りは迷いがない。
続いて、レイラ。
目元は赤い。
泣いた痕を、必死に隠している顔。
――それを。
廊下の向こうで、見逃さなかった男がいた。
「レイラァァァ!!!」
次の瞬間。
ドンッ!!
床を蹴る音。
シャガルが、ほとんど突進と言っていい勢いで駆けてきた。
「遅かったではないか!!!
やはり余の側におらぬと落ち着かぬ!!
よくぞ戻ってきたな、愛しい妻よ!!!」
止める暇など、ない。
腕を伸ばし、
そのまま――
ひょい、と軽々抱き上げる。
「……っ!?」
頬ずり。
首元に、これでもかというほどのスリスリ。
「やっ……やめろ!!
人前だと言っているだろうがッ!!///」
――バシィィィン!!
乾いた音が、廊下に響いた。
「…………ッッ……!!!」
シャガルは一瞬、固まる。
……が。
ゆっくりと顔を上げると――
そこには、ほとんど恍惚に近い笑み。
ロイロが、半眼で呟いた。
「……なぁ」
「あいつ、ビンタされて嬉しそうなんだが」
ナイルは即答だった。
「変態……だね♡」
(…仲良くなれそう♡)
「離せ!!
本気で怒るぞ!!」
「ほう」
「それは是非とも――」
「黙れ!!」
二発目は、寸前で回避された。
「ふっ……」
「相変わらず、良い威力だ」
完全に満足している。
シャガルは、腕の力を緩める気などなく、
そのままレイラを抱え直した。
「……戻ったのなら、もうよい」
踵を返す。
だが――
去り際。
シャガルは、ふと足を止めた。
視線が、
シュンを捉える。
言葉は、ない。
ただ――
“分をわきまえよ”
そう告げるような、
鋭く、冷たい威圧。
領域を侵すな、という
王の眼だった。
「………………っ」
シュンは、何も言わず、
静かに視線を伏せる。
次の瞬間。
シャガルは再び歩き出し、
そのままレイラを抱えたまま、回廊の奥へ消えていった。
残された面々。
「……今日は」
ロイロがため息をつく。
「もう、各自解散だな」
ナイルが肩をすくめる。
「うん。
夜まで、別行動……かな」
テュエル
「………………」
(レイラ様……)
(また……泣いていたのか)
(早く…救って差し上げたい…)
(俺に…なにかできることが
……あればよかったのに)
シュンもまた、反対方向へ。
「……じゃ」
それだけ言って、
調薬のために歩き出す。
城の中で、
時間と想いが、静かに分かれていった。
◆
回廊の奥。
シャガルは、腕の中のレイラを一瞥する。
「……あの童と」
「随分、話し込んでいたようだな」
レイラは、答えない。
「気に入らぬが」
一拍。
「……まあ、よい」
それ以上は、聞かない。
ただ、
抱える腕の力だけは、少しだけ強くなった。
◆
やがて、城に夜が降りる。
灯りがともり、
宴の準備が、粛々と進められていく。
それぞれが、
それぞれの場所で――
同じ夜を、待っていた。




