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すべてを背負うということ

夜。

灯りを落とした部屋で、二人は寝台に並んで腰掛けていた。


外の喧騒はもう遠く、

聞こえるのは、風の音と、互いの呼吸だけ。


レイラは、部屋に入った途端、

張りつめていた何かが、ぷつりと切れた。


――涙が、静かに零れた。


リアは驚かず、

何も言わずに、そっとレイラの背に手を回す。


しばらくして。


リアが、低い声で言った。


「……レイラ。

これから、どうするの?」


責めるでもなく、

答えを迫るでもない声音。


レイラは、天井を見つめたまま、ゆっくり息を吐いた。


「……分からない」


掠れた声。


「その時に……」

「正しいと、思ったことを選ぶ」

「……その時に、考えるしかない」


――逃げでもあり、

強がりでもある答え。


リアは、少し間を置いた。


「……テュエルは?」

「何かあったこと……私でも分かるわ」


その名が出た瞬間、

レイラの指先が、きゅっと布を掴む。


「……レイラなら」

「気付いているんでしょう?」


「……あぁ」

「……もちろんだ」


短く、はっきり。


「全部……分かっている」


一拍。


リアが、静かに続ける。


「じゃあ……なぜ?」

「あなたは、人の心を踏みにじる人じゃない」

「ゆっくりでいい……教えて?」


レイラは、しばらく黙り、

それから、ゆっくりと口を開いた。


「…………あれは……」

「あいつの、覚悟だ…………」


言い聞かせるように、言葉を重ねる。


「嫌だと……拒むことも、できたはずだ」

「なのに、煌龍国へ行こうと……

 私が壊れるくらいなら、と言ってくれた」


「それは……」

「あいつが、自分で選んだ道だ」


声が、わずかに揺れる。


「だから私は……」

「あいつの覚悟も、想いも……無駄にしてはいけない」


唇を噛む。


「いくら、私が辛くても」

「私が……あいつの覚悟を、折ってはいけない」


リアが、静かに呟いた。


「……そんな想いで」

「ここに、来てくれたのね」


レイラは、黙って頷く。


そして――

堰が切れたように、言葉が溢れ出した。


「私は……最低だ」


震える声。


「テュエルのことが……」

「頭から、離れないのに……」


喉が詰まる。


「……シャガルの、口付けが」

「……嬉しくて」

「……心が、跳ねて……」


嗚咽を堪えながら、続ける。


「この気持ちを……」

「どこへ向けたらいいのか、分からない」

「……居た堪れない……」


声が、砕ける。


「二人を……愛していて……」

「……苦しい……」


リアは、強く抱きしめた。


「……レイラ」

「辛かったんだね……」


何度も、何度も、背中を撫でる。


――


しばらくしてから。

リアは、少しだけ核心に近づいた。


「……ねぇ……どうして、シャガルなの?」

「護衛としても、男としても……」


「正直に言うわね」

「テュエルより優れているとは、思えなくて」


――それは、

きっと皆が感じていたこと。


レイラは、目を閉じる。


そして、静かに語り始めた。


「シャガルは……」

「私が、どうしようもなく辛くて」

「心が折れて……立ち上がれなかった時」


一息。


「『立て』」

「『闘え』」

「『誇れ』と……言った」


微かに、笑う。


「……あいつは、そういう男だ」


「テュエルなら……」

「きっと、こう言ったはずだ」


声色が、柔らかくなる。


「『逃げていい』」

「『傷つくな』」

「『起きられるまで、座っていていい』と」


リアは、静かに息を呑む。


(……確かに)

(テュエルなら……そう言う)


それが、どれほど優しいかを知っているから。


「……私は」

「シャガルのおかげで……

 見える景色を、変えられた」


「テュエルだけでは、私はきっと」

「座ったままだった」

「……甘えてしまっていた」


瞼の裏に、あの瞳が浮かぶ。


「嘘ひとつない」

「まっすぐな瞳で……」

「私を、私の決断を」

「……ただ、待ち続けてくれた」


「奪うこともせず」

「触れることもせずに」


小さく、息を吸う。


「私の雰囲気が変わったと、言ったな?」


「それは……恐らく、いや」

「絶対に、シャガルの力だ」


「あいつが……私の心を、突き動かした」

「女であることを、誇れと」

「隠さなくていい、と」


声が、わずかに震える。


「……お前達には」

「ただの、ジャジャ馬に見えるかもしれない」


「迷惑も、かけてしまう……すまない」


それでも。


「だが、私は……」

「それすらも……愛しいと、思ってしまう」


言い切ったあと、

レイラは力尽きたように、リアの肩に顔を埋めた。


リアは、何も言わない。


ただ、

何度も、何度も、背中を撫でる。


「欲張りかもしれない」

「許されないかもしれない」

「でも……私は……」


「あの二人がいないと……」

「座ることも……立つことも……」

「できない………………」


リアは、胸の奥で思う。


(テュエルか、シャガルか)

(そんな単純な話じゃない)


(……レイラは)

(二人分の覚悟を、背負ってる)


そして――

この選択の重さを知っているのは。


この部屋にいる、

たった二人だけだった


 ――――――


 しばらく、

泣き声だけが部屋を満たしていた。


リアは、何も言わずに、

ただレイラの背を撫で続ける。


時間が経つにつれて、

嗚咽は、少しずつ、呼吸に戻っていった。


――その頃。


リアが、ぽつりと、言う。


「……ねぇ」


呼ばれても、

レイラは、顔を上げない。


リアは、責めるでもなく、続けた。


「……シュンのことは?」


その名前に、

レイラの指先が、ぴくりと震えた。


「……さっき言ったでしょう?」


声音は、静かだ。


「城に戻ったら」

「“ゆっくり話して”って」

「……大切な、話よね?」


レイラは、しばらく黙っていた。


それから、

とても小さく、息を吐く。


「……あぁ」


短い肯定。


「……話さなければ、ならない」


リアは、少しだけ眉を下げる。


「……何を?」


レイラは、

天井を見つめたまま、答えた。


「……謝罪と……区切りだ」


リアは、何も言わず、続きを待つ。


「シュンは……」

「私に、想いを寄せてくれている」


淡々とした声。


「……双国で別れる少し前からだ」

「シュンから……“愛の匂い”が立ち始めた」


「気付いていなかったわけじゃない」

「……見ないふりを、していただけだ」

「本人が、それを望んでいなかったから」


リアは、黙って聞き続ける。


レイラは唇を噛み、

言いづらそうに、続けた。


「明日、私は……」

「さらに、最低な女に成り下がる」


リアが、わずかに息を呑む。


「シュンに」

「医官として、仲間として……」

「頼みがある」


一拍。


「……避妊薬を、作ってほしい」


「そう、お願いするつもりだ」


――胸が、どくん、と鳴った。


(……え………………?)


リアは、思わず口元を押さえる。


「……ッ……それ……」

「……あまりにも……

 …………残酷……じゃない?」


声が、震える。


シュンに代わって、

泣きそうな顔で。


レイラの喉が、鳴った。


「分かっている」

「本当に、酷い」

「最低だと……自分でも、思う」


それでも。


「……それでも」

「私は、シュンに頼みたい」


「私を、特別に見てくれている」

「シュンだからこそ……成し遂げてくれる」

「……私は、そう信じている」


リアは、潤んだ瞳のまま、問いを重ねる。


「……どうして」

「……避妊薬なの……?」


レイラは、しばらく黙った。


それから――


「……妖は」

「妖力の強い妖の子を成せば」

「力を、腹の子に奪われ」

「母体は……出産と同時に、命を落とす」


「……そう、言われている」


リアは、目を見開いた。


「……!!」

「……もしかして……」


レイラは、目を伏せる。


「……あぁ」

「私は……シャガルと、するために」

「避妊薬を……シュンに作ってもらおうとしている」


リアの顔が、青ざめる。


「……………………」


レイラは、もう、

自責で、心を潰しかけていた。


「…………」


リアが、震える声で、問う。


「……まさか」

「……テュエルは……」


「……そうだ」


「私が、他の男とするために」

「必死に調べていただけなのに」


「……あいつは、それでも」

「“行こう”と……」


リアは、堪えきれず、嗚咽を漏らす。


「……っ……!」


(そんな……)

(こんなことって……)


(テュエル……)

(あなた……)


(バカよ……!!)

(……あまりにも、辛すぎる……)


リアは、声を振り絞る。


「……シャガルは?」

「……知っているの?」


レイラは、首を横に振った。


「……いや」

「伝えていない」


「背負うのは……」

「私たちだけで……」

「十分だ」


リアは、静かに、問う。


「……シュンが、泣いたら?」


レイラの指が、

きつく、敷き布を掴む。


「……泣かせる」

「……恨まれるかもしれない」


「……それでも」


声が、低くなる。


「私は……」

「曖昧な優しさで」

「あいつの時間を……これ以上、奪えない」


「これ以上」

「辛い人を……増やしたくない」


「……これでいい」

「……これで、いいんだ」


リアは、何も言えなくなった。


(……レイラは)

(……ちゃんと、全員を見てる)


(……だからこそ)

(……自分が、一番、傷つく選択をしてる)


(……もう)

(……壊れかけているのに)


レイラが、苦笑する。


「……軽蔑しただろう」

「重婚……二人夫」

「側から見れば、破廉恥極まりない」


「なぜ……」

「最初から、気づけなかったんだろうな」


リアは、すぐに首を振った。


「レイラ……」

「私は、あなたを否定もしない」

「肯定もしない」


「でも」

「軽蔑なんて……するわけない」


「あなたが、生きるために」

「必要だった選択でしょう?」


「……ちゃんと」

「見届ける」


レイラの唇が、震える。


「……リア……」


「ありがとう……」


「もう……私は……」

「逃げられない」

「全部……私の選択だから……」


リアは、そっと、手を握る。


「……レイラ」


「……明日も」

「きっと、つらいね」


レイラは、微かに、笑った。


「……あぁ」


「でも……」


一瞬だけ、

リアを見る。


「……今夜は」

「……少しだけ……甘えさせてくれ」


リアは、何も言わず、

そのまま、レイラを抱き寄せた。


「……もちろん」


「今日は、一緒だよ」


「……朝まで」


その言葉に、

レイラの目から、また、涙が零れた。


けれど今度は――

音を立てない、静かな涙だった。

 

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