「護衛」と「妖王」と、揺れる夜
宿の広間は、温かな灯りに満ちていた。
煮込みの香り、蒸した中華まん、ほのかに甘い果実酒。
戦でも、政でもない。
ただ「食事をする時間」。
それだけで、場の空気は、少し緩んでいた。
リアは杯を掲げて、にっこりと笑う。
「とりあえず、格式ばったことは抜きね」
「今日は――個人的に、祝わせて!」
軽やかな乾杯の声が上がり、
器が触れ合う音が広間に響いた。
少し間を置いて。
レイラは器を手に取り、
ふう、と小さく息をつく。
「……やはり」
「皆で、こういう時間を過ごすのはいいものだな」
「そうね!」
リアが大きく頷く。
「戦の話も、国の話もない食事なんて、久しぶり!」
リアたちは思い思いに料理へ手を伸ばし、
シュンは栄養がどうとか言い始め、
ナイルは早々に酒を見つけてご機嫌だ。
テュエルはと言えば、
レイラが酒に手を伸ばさないか、目を光らせている。
その中で――
シャガルだけが、黙ってレイラを見ていた。
じっと。
評価するでも、探るでもなく。
ただ、見ている。
気配に気づき、レイラが首を傾げる。
「……シャガル?」
「どうした?」
シャガルは声を潜める。
周囲に聞かせるつもりのない、低い声で。
「火に照らされた顔だ」
「?」
「昼の喧騒よりも――」
「今の方が、ずっと美しい」
真顔だった。
照れも、冗談も、一切ない。
一瞬、
レイラの思考が止まる。
「……っ」
次の瞬間。
耳まで、真っ赤。
「な、なにを……」
「食事中だぞ……!」
明らかに上ずった声。
シャガルは首を傾げる。
「事実を述べただけだ」
「そういうことを……」
「こんなところで言うな……!」
視線を逸らし、
頬を手で押さえる。
――完全に、照れている。
その様子に。
広間が、静まり返った。
「……え」
リアが小さく声を漏らす。
「……ほぉー」
ロイロが口角を上げる。
「……へ?」
ナイルは瞬きをし、
「……おぉ」
シュシャは低く唸る。
「……赤い」
シアンが率直に呟き、
「姫姉ちゃん、そんな顔もするんだ〜」
レオが楽しそうに笑った。
シュンは、箸を落としかけて固まる。
(……レイラが……)
(……こんな……)
リアは、はっと息を呑んだ。
(……柔らかい……)
(あのレイラが……)
シャガルは、周囲の視線など意に介さず、
ごく自然に続ける。
「照れているのか?」
「……可愛いな」
「――――っ!!!」
火が点いたように、レイラの顔が赤くなる。
「お前は、力を張っている時より」
「こうして息を抜いている時の方が――」
「もういい!!」
レイラが即座に被せた。
顔は、真っ赤なまま。
「……もう……」
「静かに、食べろ……」
シャガルは、ほんの一瞬だけ目を細める。
満足そうに、微かに笑って。
「……分かった」
――分かっていない顔だった。
ナイルが、くすりと笑う。
「いやぁ……」
「レイラちゃん、完全に“奥さんの顔”だね♡」
「ナイル……!」
リアは、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。
(……こんな表情……)
(シャガルの前でしか、しないんだ)
そして――
一歩引いた位置に立つ、テュエル。
「シャガル」
「レイラ様が困っている」
「……控えろ」
呆れた声音。
だが、その視線は、
赤くなったレイラから、離れなかった。
痛みも、嫉妬も、
すべて飲み込んだ――
完璧な護衛の目。
リア、シュン、ナイル。
(……え……?)
(……黙認、しているの……?)
そして、同時に気づいてしまう。
(……そうか)
(レイラの……)
(……この顔を、引き出したのは……)
胸の奥で、何かが静かに軋む。
それでも、
テュエルは視線を逸らし、器に手を伸ばした。
宴は、続く。
誰もが、気づいていた。
――レイラは、
もう「強い姫」だけではない。
誰かに囁かれ、
真っ赤になって照れることを、
許せるようになったのだと。
――――
宿の広間を出ると、廊下は少しひんやりとしていた。
灯りは落とされ、遠くで誰かの笑い声がまだ微かに残っている。
レイラは、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。
(……賑やかな夜だったな)
そんな彼女の袖を、軽く引く気配。
「ねぇ、レイラ」
リアだった。
宴の時よりも、少し声を落としている。
「今日は……一緒に寝てもいい?」
不意打ちのような言葉に、レイラは一瞬目を瞬かせた。
「……構わないが」
「やった!」
リアは、少女のように笑う。
そして、思い出したように付け足した。
「その前にさ」
「お風呂、行こ!」
「……ああ」
二人で並んで歩き出す。
姫同士とは思えない、気負いのない距離。
背後では、男たちが自然と足を止めていた。
テュエルは何も言わず、視線だけで護衛の配置を確認する。
シャガルは、レイラの背中を一瞥しただけで、興味を失ったように視線を逸らす。
――レイラが行くなら、それでいい。
それ以上でも、それ以下でもない。
***
浴場へ続く廊下は、湯気の匂いが漂っていた。
湿った空気が、昼の喧騒をゆっくりと溶かしていく。
「……ねぇ」
リアが、ぽつりと口を開く。
「レイラってさ」
「変わったよね」
「……そうか?」
「うん」
即答だった。
「前はね、こう……」
「強くて、頼れて、かっこよくて」
リアは言葉を探すように少し間を置く。
「でも今は」
「柔らかい」
レイラは、歩みを止めずに答える。
「……柔らかくなった覚えはないが」
「あるよ」
リアは、笑いながら言った。
「だってさ」
「さっきの宴で――」
言いかけて、やめる。
「……ううん、今はいいや」
レイラは、ちらりと横を見る。
「言いかけて、やめるな」
「お風呂入ってからね」
いたずらっぽく言って、リアは歩調を早めた。
***
浴場の前に着くと、暖簾が静かに揺れている。
湯の音が、かすかに耳に届いた。
リアは、そこで一度立ち止まり、振り返る。
「ねぇ、レイラ」
「ん?」
「今日はさ」
「“姫”とか、“国”とか」
「全部置いてこ?」
レイラは、一瞬だけ目を伏せる。
(……置いてきたつもりだったが……)
だが、リアのまっすぐな視線に、ふっと小さく笑った。
「……そうだな」
暖簾に手をかける。
その瞬間、
レイラの中で、何かが――
ゆっくりと、ほどけ始めていた。




