第六話 ウルという小娘
その日、アシュフォードは皇太子主催の夜会に参加するために皇宮敷地内にある離れの小宮殿を訪れていた。
もっとも、今回の夜会は祝賀や式典というほど大袈裟なものではなく、皇族に近しい貴族や重臣たちが顔を合わせるだけの定期的な交流の場だったため、本来なら、アシュフォードが参加する必要はなかった。
「ふむ...、今日も麗しの淑女たちは皆、美しいな」
ただ、隣にいるこの男から絶対に目を離すなと姉にきつく言いつけられているため、参加せざるを得なかった。
アシュフォードの姉は第二皇子のオクタヴィアンの妻である。
数週間前に第一子である娘を産んで、身体が万全ではないという理由で今夜の夜会に参加していない。
そして、その姉が参加しないため、代わりにアシュフォードが参加することになったのだから実に迷惑な話だ。
それもこれも全てオクタヴィアンという男が、女性に節操がなさすぎるのが問題なのだ。
女性とは誰しも愛でられるべき存在であり、愛でないのはすべての女性に対する冒涜なのだと、わけの分からない持論を大真面目に語っている。
そのため妻を娶りながらも、悪気なく他の女性を口説きに行くため、姉に代わってアシュフォードがそれを阻止しなければならない。
正直、アシュフォードにとって至極どうでもいいことなのだが、昔から、姉の言うことには何故か逆らえずにいた。
「淑女たちが美しいのは大変喜ばしいことなのだが、他の女性も愛でたいものだな。そう思わないか、アシュフォード」
同じ顔ぶれで飽きたから、新たな出会いが欲しいと節操がなさすぎる意見に同意を求められても、困る。
今のアシュフォードはウルという理解し難い言動をし続ける小娘を手懐けるのに精一杯で他の女性に構っている暇などない。
決して手懐けるのに苦労しているわけではなく、知能水準をウルに合わせてやっているため少々手こずっているだけだ。
しかし、そのことをオクタヴィアンに語る義理はないので、アシュフォードは適当に受け流した。
「そんなこと、姉に聞かれたらどうなりますかね」
「ふふ、エルネスティーネへの愛はどんな女性を愛でたとしても不変だ。彼女もきっと理解してくれているさ」
理解はしても、許容はしていないからアシュフォードにオクタヴィアンの監視を命じたのではないだろうか。
相変わらずな義兄の言葉を聞き流し、アシュフォードは手に持っていたワイングラスに口をつけた。
「ときにアシュフォード、君は最近どうなんだい?」
「...どう、とは?」
「社交界きっての色男である君の、最近のお気に入りは誰だと聞いている」
「......」
「魔王討伐からすでに半年以上経った。そろそろ君に、新しい恋人ができている頃合いだろ」
アシュフォードはワイングラスを持つ手に僅かに力を込める。
「...もうしばらく、一人の時間を楽しみたいもので」
「...そうか、まぁ君ほどの男なら淑女たちも放ってはおかないから、時間の問題であろう」
自分で聞いてきたくせに軽やかに受け流したオクタヴィアンは目線の先にいた令嬢たちに笑顔で手を振っていた。
アシュフォードもそちらに視線を向けると、令嬢たちが頬を赤らめ、何やらひそひそと話し始めている。
見慣れた光景に辟易としたアシュフォードはすぐに視線を逸らした。
昔のアシュフォードなら、自分を熱望してくる視線の中から釣り合いが取れそうな女性を選んでいたのだが、今はその視線さえも煩わしいと感じてしまう。
真っ直ぐに自分だけを見据えてくる淡い水色の瞳が脳裏をよぎる。
そして、あの瞳にどう自分が映っているのか想像してしまう自分にも腹立たしさを覚えてしまう。
あんな小娘に、どう見られようとアシュフォードには関係ないが、何も思われていないのも癪なので、一人悶々とせざるを得ない。
目の前にいなくても実に不愉快極まりない娘である。
すると、どこからともなく聞き慣れた高笑いが響いてきた。
すぐ声の主がわかったアシュフォードは顔を強張らせる。
「シルヴィアが来たようだね、相変わらず元気のいい子だ」
「......そうですね」
第一皇女のシルヴィアがあまり得意ではないアシュフォードは彼女が目の前に現れる前にこの場から逃げ出したかった。
ついこの間も、どこからかウルの存在を聞きつけたシルヴィアに、しつこく紹介しろとせがまれていた。
それとなく理由を付けて先延ばしにしてきたのだが、オクタヴィアンが隣にいるときにその話をされるのは非常に厄介だ。
なんとかしてその話題を避けるべく、シルヴィアの高笑いが近付いてくるのを耳にし、気を引き締めた。
「...おや?」
隣にいるオクタヴィアンがシルヴィアを先に見つけ、首を傾げる。
「今日は、見慣れない子と一緒なんだね」
オクタヴィアンの嬉々とした声からして、シルヴィアが珍しく女連れであることがわかった。
あまり興味はなかったが、アシュフォードも一応、視線を向ける。
目に映った女性の姿にアシュフォードの思考が止まった。
シルヴィアの隣で不安そうに辺りを小動物のようにきょろきょろと見渡している女性をアシュフォードが見間違えるはずがなかった。
普段着ることのないドレスで着飾り、いつもどこかしらはねている水色の髪が艶やかに梳き整えられている。
それでも、その不安そうに辺りを見回す仕草だけは、いつものウルのままだった。
不覚にもアシュフォードは目が離せなくなっていた。
心細そうに辺りを見渡していたウルと目が合うと、曇っていた表情が一瞬にして輝き出す。
自分を見つめる水色の瞳に、アシュフォードの心臓が大きく跳ねた。
「なっ...」
なんで、こんなところにウルが、と声が出そうになった。
しかし、すぐ我に返り、ウルの隣で愉快げに笑みを零すシルヴィアに気付く。
思わず、舌を打ちたくなった。
ウルから視線をずらしたアシュフォードは高鳴る鼓動を落ち着かせるために、必死に自分に言い聞かせる。
多少見てくれは良くなったが、小娘は所詮小娘だ。
思わぬ場所で遭遇してしまったから動揺していただけだ。
決して見惚れていたわけではない。
「ごきげんよう、お兄様。今夜も麗しくいらっしゃいますね」
脳内で言い訳を連ねるアシュフォードをよそに、シルヴィアがオクタヴィアンに、にこやかに話しかける。
「ごきげんよう、シルヴィア。君も大変麗しいよ。ところで、今日は見ない子を連れているんだね」
「はい、お兄様。今日、城下町に遊びに行ったときに、偶然仲良くなったので連れてきてしまいました」
わざとらしい笑みを浮かべ、シルヴィアが見せつけるようにウルの腕を組む。
困惑したような表情をしたウルがシルヴィアとアシュフォードを交互に見ている。
自分への当てつけだと確信したアシュフォードは表情を崩さず、奥歯を強く噛み締めた。
「可愛らしいでしょ?」
「そうだね」
隣のオクタヴィアンが動き出す。
嫌な予感がしたアシュフォードは咄嗟にオクタヴィアンの右腕を掴んだ。
自分の行動に驚いたアシュフォードが固まっていると、オクタヴィアンも意表を突かれたように目を瞬かせた。
視界の端のシルヴィアだけが底意地が悪い笑みを浮かべている。
「どうしたんだい?アシュフォード」
「いえ...、その、何をするおつもりで?」
内心の焦りを悟られまいと取り繕った質問をすると、オクタヴィアンの琥珀色の瞳が細くなる。
「そんなの決まっているじゃないか。今宵の出会いを感謝して、可愛らしいシルヴィアの友人にご挨拶しようと思っていたんだよ」
女性に節操がなさすぎるこの男の挨拶なら、初対面のウルに対してもどこかしら身体の接触を図ろうとするに決まっている。
たとえオクタヴィアンの戯れでもウルに触れて欲しくないアシュフォードは腕を掴む手に力を込める。
「身分もわからない娘に、皇子殿下自ら挨拶する必要はないでしょう」
「美しい女性を前にして、身分を口にするのは無粋だよ、アシュフォード。それにどんな身分だろうと、女性は皆、愛でられるべき存在だ」
「...姉が、黙っていませんよ」
「問題ない。指先への口付けぐらいならエルネスティーネも許してくれるだろう」
やはりウルに触れるつもりだったオクタヴィアンに、アシュフォードの胸中で剣呑な感情が静かに膨れ上がる。
小娘ごときが少し触れられる程度で、何を動揺する必要がある。
そう思いながらもアシュフォードはオクタヴィアンの腕を離すことが出来なかった。
そんな二人の様子を眺めていたシルヴィアから小さく笑い声が漏れた。
「あら、アシュフォードったら、ずいぶん必死じゃない。お兄様をこの子に近づけたくない、何か特別な理由でもあるのかしら?」
アシュフォードは、あからさまに自分を煽るシルヴィアに腹を立て、射殺さんばかりの鋭い眼差しを向ける。
しかし、シルヴィアは怖じける素振りを見せず、愉悦に浸った笑みを見せつけてくる。
無意識にオクタヴィアンの腕を掴む力が強くなる。
「痛いな、アシュフォード。いい加減、離してくれないか」
不満げな声がオクタヴィアンから上がり、アシュフォードは我に返ったように指の力を緩める。
すると、その一瞬のうちにオクタヴィアンはアシュフォードの手から逃れ、ウルへと詰め寄る。
しまったと、手を伸ばすもすでに手遅れで、オクタヴィアンはウルの手を取っていた。
「麗しいお嬢さん、ごきげんよう。わたしはオクタヴィアン、君の名前を教えてくれるかな?」
「う、ウルです...」
「ウルというのかい?名前まで可愛らし......ウル?」
気圧されたように、ウルが戸惑いながら答えると、オクタヴィアンの反応が鈍くなる。
アシュフォードの心臓がひゅっと縮こまる。
頭のてっぺんから足先まで改めてウルを観察するオクタヴィアンを見ながら、アシュフォードは心の中で懇願した。
どうか、気付かないでくれと。
しかし、アシュフォードの願いも虚しく、オクタヴィアンは身を乗り出し、更にウルへと詰め寄った。
「君が、ウルか」
穏やかなオクタヴィアンの声が、一瞬だけ低く落ちる。
ついに見つかってしまったという焦燥がアシュフォードを掻き立てる。
気付いたら、ウルの手首を掴み、自分の元へ引き寄せていた。
「アシュ...?」
驚いたようにアシュフォードを見上げるウルからか細い声が漏れる。
そんな無防備なウルを目の当たりにしたアシュフォードは唇を強く引き結ぶ。
手首だけでは足りない。そう思った次の瞬間には、腰を抱き寄せていた。
「......申し訳ございません、殿下。わたしの連れに気安く触るのはお控えいただけますでしょうか」
取り繕った笑みをアシュフォードが向けると、自身の手のひらを眺めていたオクタヴィアンが顔を上げる。
「彼女は、君の連れなのかい?アシュフォード」
「......はい」
もう誤魔化せないと観念したアシュフォードが頷く。
「...そうか。今度、改めてわたしにも彼女を紹介してくれるかい?」
どこまで察したのかわからないが、琥珀色の瞳が真っ直ぐにウルを捉えている。
「いずれ、機会があれば」
「それは楽しみだな。待っているよ、アシュフォード」
穏やかな笑みを浮かべているものの、オクタヴィアンがその胸中に何を隠しているのか、まるで見当もつかなかった。
「......それでは、失礼します」
周りからの視線が集まってきており、一刻も早くウルを好奇の目から遠ざけたいアシュフォードはウルの手を引いて、足早にその場から立ち去ろうとする。
途中、扇子で口元を隠していたシルヴィアと目が合ったが、目元が愉快げに細められていた。
厄介事を持ち込んできたな、じゃじゃ馬が。
鋭い睨みでシルヴィアを一瞥すると、アシュフォードは状況をイマイチ理解していないウルを夜会の会場から連れ出した。




