第五話 アシュフォードという男
特に予定もないある日の昼下がり。
アシュから届いた難解な手紙をぼんやりと眺めていると、ウルを呼ぶ声が聞こえてきた。
「ウルー、お客さんですよー」
「はーい」
返事をしたものの、アシュ以外に自分を訪ねてくる人なんて誰なんだろうと疑問に思いつつ、正面玄関へと向かった。
「お待たせしました、ウルで...す」
扉を開けると、そこには目にも眩しい派手なドレスを身に纏い、煌びやかで豪勢な宝石をあしらった装飾品を惜しげもなく身に着けている女性が腕を組んで、仁王立ちしていた。
「あなたが、アシュフォードの今の恋人?」
「えっ、あっ、はい...」
アシュの名前が出てきたので、咄嗟に答えると、女性が持っていた扇子を広げる。
扇子で口元を隠し上から下までじろりと見下ろされる。
「ふーん...今はこういう子と、お付き合いしているのね。あの男」
「あ、あの...」
「まっ、いいわ。ジェシカ」
女性が持っていた扇子をぱちんと音を立てて閉めると、背後から別の女性が現れた。
「失礼します」
無表情に近付いてくる黒髪の女性は、無防備に立ち尽くすウルを軽々と肩に担ぎ上げた。
「ちょっ...!!」
「少しの間、この子を借りて行くわ。これはちょっとしたお詫びよ、受け取りなさい」
ウルの後ろで心配そうに様子を窺っていた管理人に何かを投げ渡す。
管理人は慌ててそれを受け止め、手の中を確認すると、ぎょっと目を見開いた。
何か言いかけたが、派手な女性に一瞥されると、そのまま口を噤んでしまう。
管理人の反応に満足したように笑みを浮かべた女性は近くに停めてあった馬車へと足を向ける。
担がれたままのウルも馬車へと連行されそうになり、なんとか逃げ出そうと身体を捻るもびくともしない。
呆気なく馬車に押し込まれると、馬車はゆっくりと動き出す。
一体何が起こったのかわからないまま、ウルが孤児院を振り返る。
事情を知らない子供たちが、楽しげに馬車へ手を振っているのが見えた。
呆然とその光景を眺めていると、ウルの目の前に座っていた女性が声を上げた。
「用が終わったらすぐ返すわ。安心なさい」
「はぁ...」
未だにどこの誰だかわからない女性に疑いの目を向ける。
その視線が不快だったのか、女性が僅かに眉間を寄せる。
「まさか、あなた、わたくしをご存じない?」
質問に頷くと、女性から信じられないものでも見るかのような視線が送られてくる。
ウルは人生で一度も、蜂蜜のように艶やかな金髪を縦巻きにした女性を見たことがない。
いや、正確に言うと見たことはあるが、そんな女性、知り合いにいない。
きちんと手入れされている金髪に見惚れていると、女性がわなわなと震えているのがわかった。
「...信じられないわ、このわたくしを知らないなんて...」
小声でなにか呟いているようだが、ウルには聞こえなかった。
「シルヴィア様」
ウルの隣で気配を消すように座っていた黒髪の女性が諭すように呼びかける。
すると、金髪の女性は一度だけ大きく肩を震わせる。
金髪の女性は面白くなさそうに唇を尖らせ、扇子を開き、口元を隠すようにゆるく仰ぎ始めた。
「...わたくしはシルヴィア・マリア・ナーテドラ、帝国の第一皇女よ!」
「あっ、はい...」
「覚えておきなさい!!絶対に忘れないこと!!」
あまりにも住む世界が違いすぎて、目の前の人物が皇女だという実感が湧かないウルは曖昧に返事することしか出来ない。
そもそも何故、国の皇女が、孤児であるウルを拉致する必要があるのかと首を傾げる。
「......あなた、本当にあのアシュフォードと付き合っているの?」
「...まぁ、一応」
シルヴィアが訝しげな表情で問うてきたので、ウルは首を傾げながら答えた。
恋人らしい接触も、甘い言葉もないが、定期的にデートはしているから恋人と言っていいはず。
あとでアシュに確認して、違うって否定されたら傷つくけど、少なくともウルは恋人同士だと思っている。
シルヴィアの口振りからして、どうやらアシュとは顔見知りのようだ。
「...ちなみにあなた、歳はいくつ?」
「えっと、今年で18になりました。...多分」
孤児なので正確な年齢はわからないが、生まれて間もない状態で孤児院の前で捨てられていたと聞かされていたのでおおよそそのぐらいだろうとウルは予想している。
すると、シルヴィアは大きな琥珀色の目を何度も瞬かせる。
「......そう」
先ほどまでの尊大な態度が消え、急に大人しくなったシルヴィアが力が抜けたように肩を落とす。
暫くの間、馬車の中が沈黙に包まれるも、またすぐにシルヴィアの笑い声が響いた。
「ふふふ、あはははは。滑稽、実に滑稽だわ!!」
急に笑い出したシルヴィアにウルは困惑する。
なにか面白いことを言ったのだろうかと、隣の女性に視線を向けるも、表情がまったく変わっていない。
目の前のシルヴィアとの落差に戸惑っていると、扇子をビシッと前に突きつけられる。
「今宵はこのわたくしが、あの男の化けの皮を剥いでやるわ。ウル、と言ったかしら?あなた」
「は、はい」
「ウル。あの男が、どれだけあなたに熱を上げているか証明して差し上げましょう」
「......はい?」
何を言われているかわからないウルをよそに、シルヴィアの高笑いが止まることはなかった。
・
「あの...これはいったい...」
どこか既視感のある仰々しい建物に連れてこられたと思ったら、大きな衣装部屋みたいなところに突っ込まれた。
唖然としているうちに着ていた服を脱がされ、身を清められ、勝手にドレスに着替えさせられた。
そして、今、鏡の前で髪を整えてもらっているのだが、ウルにはもう何が何だかわからなかった。
鏡越しに後ろで腕を組み、ウルの身支度が整う様子を眺めていたシルヴィアと目が合った。
「今夜、お兄様主催の夜会が開かれるんだけど、どうせいつもの顔ぶれだから飽き飽きしていたのよ」
「そう、なんですね...」
「だから、暇つぶしにあなたをだしにしてアシュフォードでも呼び出そうと思っていたのだけど...」
シルヴィアの口角が愉快げに上がる。
「それよりも面白いことを思いついてしまったから、協力しなさいな」
有無を言わさぬ物言いに、ウルはされるがままだった。
いつもは櫛で梳かすだけの髪も綺麗に内巻きにしてもらって、小さな編み込みを施してもらう。
「最近、城下町で女性連れのアシュフォードがたびたび目撃されていると噂になっていたから、連れてくるように言ったのに、あの男、何かと言い訳をつけて、連れてこないから、仕方なくわたくし自らあなたに会いに行って差し上げたの」
「はぁ...、ありがとうございます」
聞いてもないのに、突然本日の来訪について語り始めたシルヴィアにウルは適当に相槌する。
今までアシュが誰かにウルを恋人として紹介することはなかった。
ウルが孤児で、将来を共にする予定もないのなら、余計な相手に会わせる必要はない。そう考えれば、アシュの行動にも納得できる。
それでも、ウルの胸がちくりと痛んだ。
ウルが曖昧に笑うと、鏡越しのシルヴィアは何かを察したように目を細めた。
「...あなた、あの男についてまるでわかっていないのね」
「...そうでしょうか?」
確かに、アシュと長く行動を共にしていたのは魔王討伐の旅をしていた二年間だけだが、なんだかその言葉に引っかかったウルはつい反論してしまった。
しかし、シルヴィアはウルの反応を気にすることなく、堂々と話を続ける。
「そうよ!アシュフォードという男と付き合えるということは、社交界の令嬢にとって一種の勲章のようなものよ。あの男の隣に立てるということは、一流の淑女として認められた証でもあるの」
なんかよくわからないけど、アシュがすごい褒められたことだけはわかった。
討伐時代も顔も体格もよく、そのうえ身分まで高いアシュが、行く先々で女性に人気だったことは覚えている。
「かくいうわたくしも、昔、血迷ってあの男を手に入れようとしたけど、6つも下の小娘には興味ないと言われてしまったわ」
「えっ」
「ふん、そんなのこっちだってあんないい歳した偏屈お断りだわ」
そんなこと言ったら、ウルはアシュよりも8つも歳下だ。
それなのに何故皇女であるシルヴィアが歳を理由に振られ、それよりも歳下のウルと付き合っているのだろうか。
ますますアシュのことがわからなくなってくる。
しかし、そんなことよりもウルは一つだけアシュについて言いたいことがあった。
「...アシュは、勲章なんかじゃありませんよ」
ドレスの裾をぎゅっと掴み、鏡越しのシルヴィアを真っ直ぐに見つめた。
もちろんウルが皇女に対してこんなことを言える立場ではないとわかっていたが、アシュのことをまるで物みたいに扱われていることに我慢ならなかった。
ウルが好きなのは、整った容姿でも、侯爵家子息という身分でもない。
無愛想で、口うるさくて、それでも最後まで自分を守ってくれた、アシュフォード自身なのだ。
鏡越しのシルヴィアは、何を思っているのかわからない無表情でウルを見つめ返した。
しかし、すぐに頬を緩ませ、扇子を広げ、口元を隠す。
「そうね。あの男は今、あなたの恋人だったわね。不躾なことを言ったわ」
「あっ、いえ...」
憤慨されると思っていたのに、予想外の反応で呆気に取られる。
「終わりました、シルヴィア様」
シルヴィアとウルが会話している間も淡々とウルの身支度を整えていたジェシカがふいに口を開く。
鏡に映る自分に意識を向けたウルは息を呑む。
目の前にまるで自分ではない誰かが映っており、信じられずにそっと頬へ触れると、鏡の中の自分も同じ動作をしていた。
「まぁまぁの出来ね。わたくしほどの美しさではないけど。よくやったわ、ジェシカ」
「お褒めにあずかり、光栄でございます」
頭を下げたジェシカはゆっくりと後ろへと下がっていく。
「それでは、行くわよ。ウル」
「えっ、どこに...?」
「決まってるじゃない。あの男、アシュフォードの間抜け面を見に行くのよ!!」
高笑いをするシルヴィアを横目に、あまり気の進まないウルは、落ち着かない様子で鏡の中に光るアシュとお揃いのピアスを静かに見つめていた。




