第四話 悪夢と寝癖頭
顔を合わせるたび嬉しそうにするので、今回の外出も渋々アシュフォードが孤児院に迎えに来てやった。
手には花束を持っていたが、小娘に大輪の薔薇は勿体ないので小さな白い花を選んだ。
決してウルに喜んでもらいたいとかではなく、みすぼらしい格好でも、花でも持っていれば少しは見られる格好になるだろうと、アシュフォードなりの気遣いだった。
アシュフォードは孤児院の正面玄関の前で静かに佇んでいた。彼が孤児院に着いてから既に10分以上経過していた。
毎度のことながら、何故ウルは孤児院から独立しないのかアシュフォードは不可解だった。
あんな小娘同然に幼く見える容姿でも、ウルは成人した女性だ。城下町で部屋を借りて一人暮らしでもすればいい。
そうすれば、アシュフォードも孤児院を訪れるたび、妙な胸騒ぎに襲われて正面扉を叩くのを躊躇うような、無駄な時間を過ごさずに済む。
もしウルが望めば、アシュフォードが金銭を工面してやってもいい。
しかし、それを自分の口から言って小娘に調子に乗らせたくないアシュフォードは大人しく孤児院の正面扉を叩いた。
扉から出てきたのは初老の男性で、孤児院の管理者だった。
「ウルを呼んできてくれ」
今まで何度もウルを訪ねてきたというのに、男性はアシュフォードを見上げて、首を傾げた。
そして、一言。
「...うちに、ウルという子はいませんよ」
アシュフォードの心臓がどくんと大きく響いた。
「...何を言っている。先日も、その前も迎えに来ていただろう」
不穏な胸の高鳴りを必死に感じない振りをして、アシュフォードは平然を装う。
しかし、男性は怪訝な表情をアシュフォードに向け、首を振る。
「いいえ、あなたにお会いするのは今日が初めてです」
「...そんなはずはない」
耄碌したのか、この老人は。
苛立ちを隠そうともせず、アシュフォードは荒々しく舌を打った。
どうせ、あの小娘のことだから下手な悪戯でも仕掛けているのだろう。
「失礼する」
「あっ、ちょっと...」
男性の制する声を無視し、アシュフォードは建物の中へと入る。
中には年端もいかない子供たちが自由に行き交っており、背の高いアシュフォードを珍しげに見上げている。
各部屋の扉にはそこに住んでいる子供たちの名前の書かれたプレートがぶら下がっており、アシュフォードは一つ一つ視線を滑らせ、名前を確認する。
建物内にある部屋のプレートを片っ端から確認したが、ウルの名前はどこにも書かれていなかった。
その事実を受け止めきれずにいるアシュフォードは後ろから追いかけてきていた孤児院の管理者を睨んだ。
「何故、ウルの名がない」
「だから、そんな子、うちにはいないと...」
「そんなはずない!!」
アシュフォードが声を荒げると、男性はビクリと肩を震わせる。
「二年半前、彼女は確かにこの孤児院から魔王討伐隊に迎え入れられたはずだ。彼女がいなければ、魔王討伐は不可能に近いものだった。何故、隠し立てる」
射殺さんばかりの視線を向けられ、男性はしばらく戸惑った様子を見せたあと、静かに息を吐いた。
「...確かに、ウルはこの孤児院にいました。そして、魔王討伐のために旅に出ました」
「なら、彼女は今どこに...」
「帰ってきていないんです」
アシュフォードの動きが止まる。
俯いていた男性の瞳が静かにアシュフォードを見上げた。
「ウルは、魔王討伐後もこの孤児院には帰ってきていないんですよ」
・
早足で畑の中を進むアシュフォードは目的の場所まで一直線に向かっている。
孤児院の老人の言葉が信じられなかったアシュフォードは、その足で帝都郊外の農村を訪れていた。
靴が泥に沈むことも構わず、ひたすら歩みを進める。
目的の家の扉の前に着くと、アシュフォードは大きく息を吐く。
仮にウルが孤児院に戻っていないというありえない事態を信じるとなると、非常に腹立たしいが、彼女がいる場所など、アシュフォードにはここしか思いつかなかった。
もしウルがここにいるのだとしたら、到底看過できないことだったが、アシュフォードは控え目に扉を叩いた。
部屋の中から聞き覚えのある青年の声が聞こえ、扉が開く。
赤みがかった栗色の髪を後ろで結った青年がアシュフォードの顔を見るなり、髪と同じ色の瞳を丸くする。
「アシュじゃないか!!久しぶり!!元気にしてた?」
変わり者の元勇者、ケインが以前と変わらない警戒心がまるでない無邪気な笑顔を向けてくる。
とりあえず真っ先にウルが出てこなかったことに内心安堵するアシュフォードは開いた扉の隙間から中を軽く確認する。
「...ウルは、いないのか?」
そして、一番知りたいことを、最も聞きたくない相手に尋ねた。
アシュフォードの質問に、ケインは何度も目を瞬かせる。
一刻も早くウルの所在を確認したかったアシュフォードはその動作にさえ苛立ちを覚えた。
「大丈夫かい、アシュフォード。よく見たら、顔が真っ青じゃないか。少し休んだほうが...」
眉尻を下げ、アシュフォードの身を案じて伸ばしてくるケインの手を振り払う。
「ウルは、どこにいる。それだけ、答えろ」
どこか悲しげに目を細めるケインの表情に心臓が騒がしく脈打つも、アシュフォードは気付かない振りをする。
「いいかい、アシュフォード。落ち着いて、聞くんだ」
何を勿体ぶる必要がある。
どうせ、部屋の中のどこかに隠れて、アシュフォードを驚かせようという魂胆なのだろう。
手の込んだ悪戯だったが所詮小娘が考えたものだ。
この程度のことで狼狽えるアシュフォードではなかったが、大人しく姿を現したら今回ぐらいは大目に見てやろう。
必死に自分にそう言い聞かせ、アシュフォードは己の気力を保たせる。
しかし、ケインから発せられた言葉で、全て無意味なものへと化していった。
「ウルは、もういないんだ。魔王討伐時に彼女は亡くなったんだよ」
その瞬間、アシュフォードの中で何かが音を立ててひび割れた。
「魔王が消える間際に放った最後の一撃が、不運にもウルに当たってしまったんだよ。色々と手を施したけど、攻撃が当たった時点で即死でどうすることも出来なかったんだ」
ケインが何か言っていたが、アシュフォードの耳には何も届いていなかった。
ウルがいない。
その言葉だけがアシュフォードの胸の内に重くのしかかる。
頭に思い浮かんだのは笑顔でアシュフォードの名前を呼ぶ、ウルの姿だった。
アシュフォードは奥歯をきつく噛みしめ、持っていた花束を強く握りしめる。
「護衛で、四六時中一緒にいたアシュがウルの死を受け入れられないのはわかるけど、それだとウルが...」
「......ない」
「えっ?」
「そんなこと、あるはずがない!!!!」
空気が揺れるほどの声を上げると、アシュフォードはケインに背を向けて、来た道を大股で戻る。
荒々しく馬車の扉を閉め、御者に速度を上げるよう命じる。
馬車の中で、アシュフォードは叫びたくなりそうな衝動を必死に抑えるように腕と足を強く組んだ。
しかし、焦燥を隠せず苛立たしげに足を揺らす。
馬車が揺れるたびに、何かが漏れ出そうになる。
大丈夫、大丈夫だ。
ウルは死んでいない。
絶対に、生きているはずだ。
プロポーズを邪魔された腹いせにケインのやつが、底意地の悪い嫌がらせをアシュフォードに仕掛けているだけだ。
きっと、今頃ウルはアシュフォードとの外出のことをすっかり忘れて、一人城下町でアイスでも頬張っているに違いない。
そうだ、そのはずなんだ。
外出を忘れたことは許し難いが、物覚えが悪いウルなら仕方がない。
寛容なアシュフォードはウルを許してやるつもりだった。
だから、次は絶対に会えるはずだ。
エヴァレット侯爵家の別邸に馬車が着くと、アシュフォードは一目散に自分の書斎へと駆け込んだ。
書斎の机の右上の引き出しを開け、奥へと手を突っ込むもそこには何もなかった。
アシュフォードの息が止まる。
恋人になってから、ウルから届いた全ての手紙を保管していた箱がない。
引き出しを乱暴に引き、中身を全てひっくり返すも見当たらない。
机にある引き出しを全て確認しても、それが出てくることはなかった。
「......なんで」
振り絞るように出てきた言葉は酷く震えており、アシュフォードは右耳のピアスに触れる。
そこで今、自分が身に着けているのが先日ウルとお揃いで買ったガラス細工のピアスではなく、討伐中にずっとつけていた青いピアスだと気付いた。
ずっと手にしていた花束がアシュフォードの指からこぼれ落ちる。
その花束に花びらは僅かしか残っておらず、ボロボロの茎の状態になってしまっていた。
ウルがこの世界の、どこにもいない。
それを意識した途端、息をするのも苦しくなる。
視界が段々と狭まり、真っ暗になっていく。
「ウル.........」
そこで、アシュフォードは目が覚めた。
息を荒げ、暗闇の中で上体を起こしたアシュフォードはすぐに右耳のピアスに触れる。
微かな凹凸が指先に触れ、ガラス細工の施された、ウルとお揃いのピアスだと分かった。
しかし、それだけでは満足できず、アシュフォードはベッドから抜け出し、裸足にも関わらず書斎へと急ぐ。
卓上ランプに火を灯し、右上の引き出しの奥へと手を入れる。
先ほど見当たらなかった錠前付きの箱がそこにあり、アシュフォードの胸が高鳴った。
引き出しの裏側に隠してある鍵を取り出し、箱の錠前を開ける。
中には手紙が数通入っており、そのうちの一つを手に取り、中身を広げる。
おっけ、としか書かれていないその手紙を目の当たりにし、アシュフォードはやっと深く息を吸うことが出来た。
今までのは全て夢だった。
現にピアスはウルとお揃いのものを付けているし、手紙だって全て残っている。
ウルは生きている、問題ない。
そのはずだが、アシュフォードの胸騒ぎは収まることがなかった。
箱の中に、ウルのものと対になっている青いピアスが光っている。
討伐中はこれでウルの魔力を感じ取り、安否を確認していた。
右耳に付けているピアスを外し、青いピアスを付けた。
しかし、どれだけ意識を澄ませても、ウルの魔力は感じ取れなかった。
もしウルが対になっている赤いピアスを今付けていなかったら反応が出ることはない。
そんなことは分かっている。
それでもウルの魔力を感じ取れないと、思い出したくもない先ほどの夢が脳裏をよぎった。
居ても立ってもいられなくなったアシュフォードは、従者を起こしに向かう。
真夜中に叩き起こされた従者は不機嫌に見えたが、そんなこと気にする余裕がないアシュフォードはすぐに馬車の用意をするように命じた。
馬車はすぐに用意され、眠たそうに目を擦る御者に、目的地である孤児院へ向かうよう指示する。
馬車が暗闇の中を走るのを眺めながら、アシュフォードは討伐中に起こったある出来事を思い出していた。
それはアシュフォードにとって忌々しい記憶だった。
順調に旅が進む中、とある街で魔王の刺客による精神汚染攻撃を受けた。
それは少しずつ対象者の精神を蝕んでいき、最後には絶望して自ら命を絶つというものだった。
不覚にもその対象になってしまったアシュフォードが見せつけられたのは、ウルがいない世界だった。
誰に聞いても、ウルという少女の存在を知らない。
どこを探しても、ウルがいない。
そんな世界を頭の中で彷徨い続けていたアシュフォードは気付いたら短剣を自らの喉元に当てていたらしい。
魔力の相性の問題で精神汚染にかからなかったウルが短剣を取り上げなかったら今頃アシュフォードはここにはいなかった。
精神汚染が解かれ、目の前で慌てた様子でアシュフォードを見上げるウルを確認した時、説明しがたい感覚が全身を襲った。
思わず抱き締めそうになったが、アシュフォードより早く精神汚染から解放されていたケインの声が横から聞こえてきたため、すんでのところで、なんとか踏み止まれた。
まさか自分があそこまで取り乱すとは思っていなかった。
それでも、責任感の強い自分が、たとえ小娘であろうと護衛対象であるウルを見放すことなど出来ないだけだと、アシュフォードは己に言い聞かせた。
そのため、その後数日間ウルの傍を離れることが出来なかったのは護衛としての責任感によるものだ。
決してウルがいなくなることを恐れての行動ではない。
その時のことを思い出したアシュフォードは己の行動が腹立たしくなり、舌打ちをする。
そして、今回も同様にウルの姿を確認しなければ気が済まないのは二年間、護衛としてウルの安否を確認し続けてきたアシュフォードに染みついた習性のようなものだ。
自分でもどうかしていると自覚しているが、ウルの姿をこの目で見るまで安心して眠れる気がしなかった。
右耳のピアスにしきりに触れるアシュフォードだったが、胸騒ぎが落ち着くことはなかった。
孤児院に着いたのは、まだ日も昇らない明け方だった。
さすがにこの時間に孤児院を訪ねるのは非常識なため、アシュフォードは馬車の中で日が昇るまで待機することにした。
今頃ヨダレを垂らして寝ているウルを頭に思い浮かべながらアシュフォードは孤児院をぼんやりと眺める。
すると、一つの窓から明かりが漏れ始めた。
時間的に管理者か世話係の部屋だろうと気に留めることなく、アシュフォードは足を組み替える。
引き続き、ぼんやりと建物の外観を見つめていた。
ほどなくして、孤児院の正面扉が勢いよく開かれる。
建物から出てきた人物に、アシュフォードは目を見開く。
ボサボサの水色の頭をした小柄な身体に大きなガウンを巻き付けたウルがアシュフォードの乗る馬車めがけて駆けてくる。
ウルの姿を確認できたアシュフォードは胸を撫で下ろす。
頬が緩みそうになるも、すぐに唇を固く引き結ぶ。
その直後、馬車の扉がバンバンと叩かれる音がしたので、窓越しに見下ろすと水色の後頭部が見えた。
扉は開けず、窓を小さく開ける。
「...何、してる」
極力平然を装い、感情をのせないように声を掛けると淡い水色の瞳と目が合った。
「やっぱり、アシュだーー!!」
無防備で無邪気な笑顔を向けてくるウルに、アシュフォードは眉根を寄せる。
こんな明け方にやって来た馬車の主も確認せずに近付いてきたというのか、この小娘は。
もし自分ではなかったらどうするつもりだったのかと、ウルの危機感の無さにアシュフォードは苛立ってしまう。
不満げに顔をしかめるアシュフォードに反して、ウルは満足そうな笑みを絶やさなかった。
「...なんだ、何がそんなにおかしい」
「あのね、さっきねアシュの夢を見たの!!」
恥ずかしげもなくそんなことを口走るウルにアシュフォードの動きが止まる。
「どんな夢かは覚えていないんだけど、アシュがいたのだけは覚えてるの。それでね、目が覚めて窓の外を見たら、見覚えのある馬車が止まってたからビックリして来てみたら、やっぱりアシュだったの!!」
寝起きだというのに騒がしい娘だ。
しかし、こんな鬱陶しい声でさえ今のアシュフォードに妙な心地よさを与える。
きっと起き抜けで頭が回っていないのだろうと、アシュフォードはもう少しだけ騒がしいウルの声に耳を傾けることにした。
「だから、すっごく嬉しくなっちゃったの!!」
「...そうか」
ウルから好意を向けられていることで、自尊心が満たされたからなのか、強烈な眠気がアシュフォードを襲ってくる。
このまま馬車の中で仮眠を取ってもよかったが、せっかくウルが珍しくアシュフォードを求めてきているのだ。
約束はしていないが、ウルと過ごしてやっても構わないと、眠気に霞む頭で考えていた。
「...でも、なんでこんな朝早くからアシュがここにいるの?」
首を傾げて問いかけてくるウルの声に、アシュフォードの意識が現実へ引き戻される。
「今日って、なんか約束してたっけ?」
「.........」
何も答えられないアシュフォードは唇を固く結び、ウルから逃げるように顔を背けた。
「ねぇー、アシュー」
「うるさい、黙れ」
「えー、ひどくない?」
その後、日が昇るまでウルの顔をまともに見ることができなかったアシュフォードなのであった。




