第三話 ワイングラスとアイスクリーム
目の前に出された一体何の食材で出来たのかわからない料理を前に、ウルはナイフとフォークを手にして固まっていた。
どうやって食べるのかわからないウルは視線だけを前に座るアシュフォードへと向ける。
慣れた手つきでナイフとフォークを扱い、優雅に食事をとる姿からは、育ちの良さが滲み出ている。
毎度のことながら、アシュが食事に連れてきてくれるお店はウルには少し肩が凝る場所だった。
こんな仰々しいところでなくて、露店で売っているサンドイッチとかをベンチで二人並んで座って食べるだけでもウルにとって十分だった。
しかし、なんでもきっちりしっかりやりたいアシュにとってはそんな食事は許容し難いのだろう。
デートのお誘いの手紙でさえ侯爵家の印章付きで送られてくる。
文章を読むのが苦手なウルにとっては難しい言い回しが多いアシュの手紙は読むだけで一苦労で、読み終えるまでに数日かかってしまう。
全て読み終わる頃には前半部分をほとんど覚えていないため、いつも最後の文章にだけ返事をしている。
デートのお誘いだけであんなに長い文章が書けるだなんてさすが侯爵家子息、教養レベルが違いすぎる。
そんなアシュと孤児のウルが恋人同士なんて未だに信じられない。
そもそもアシュもウルと恋人だという認識はあるのだろうか。
今日だって出会い頭、早々に睨み下ろされたし、今も恋人との食事中だというのに全然楽しそうじゃない。
アイスクリームが、食べたいな...。
ナイフとフォークを使うのが面倒になってきたウルはぼんやりと黙々と食べ進めているアシュを眺める。
ワイングラスで水を飲む姿も様になっているアシュに、ふとウルは彼の右手から血が流れる様子が思い浮かんだ。
そういえば、アシュと恋人になるきっかけってワイングラスじゃなかったっけと、ウルは半年前の祝賀会の出来事を思い出した。
・
二年間にも及んだ魔王討伐の旅は、勇者が魔王を倒したことで、ついに終わりを告げた。
ひょんなことからその旅に同行していたウルだったのだが、結局何もしないまま目の前で勇者の剣が魔王の心臓を貫き、消えて滅んでいくのを壁際でただ眺めていた。
最初から最後まで、ただそこにいるだけでいい。ただし、勝手にいなくなるな。
そんな意味のわからない条件で参加していたので、他のメンバーが喜びで抱き合う中、ウルは静かに佇んでいることしか出来なかった。
ただ、旅の間ずっとウルの護衛を務めてくれていたアシュが隣で気を抜いたように深く息を吐く姿を見て、やっと終わったのかと実感した。
魔王城から帝都に帰る道中も毎日お祭り騒ぎで楽しかったのは楽しかったが、帝都に戻ったらみんなともお別れかとウルは騒がしさの中で小さなわだかまりが胸の中で疼いていた。
ウルは元々孤児で、他のメンバーとは討伐の旅が終わったら接点がなくなってしまうため、もう会うこともなくなってしまう。
ほんの僅かな寂しさを抱きながら、魔王討伐を祝う祝賀会にひっそりと参加していた。
本来のウルなら、こういうパーティは全力で楽しみ、何かしらの問題を起こす。
そのせいか、大人しくしているだけで討伐メンバーから何度も体調を心配されてしまった。
「どうしたの、ウル?浮かない顔をして」
勇者ケインもその中の一人だった。
赤みがかった栗色の髪を一つに結んだ屈託のない笑みを向けてくるケインにウルはほっと胸を撫で下ろす。
「ううん、なんでもない。ケインは楽しんでる?」
「もぉー、お貴族様への挨拶回りで疲れたよ。おかげで笑顔から顔が戻らないよ」
「何それ」
魔王を倒した一番の功労者だというのにケインが相変わらず適当なことを言うので、思わず笑ってしまった。
ケインは討伐メンバーの中で最もウルと年齢が近く、貴族出身が多い中、平民出身ということもあって話していてとても楽だった。
いつも一緒にいたため、周りから兄妹みたいだとも言われたし、付き合ってしまえばと茶化されもした。
その度にケインと二人でそうしちゃおうかとおふざけで流していたが、もちろんそんな関係ではなかった。
そんなケインともお別れしてしまうのかと、寂しげに俯くと、目の前に手を差し出される。
「...なに?」
「もうすぐ音楽が始まるから、お手をどうぞ」
「...わたし、踊り方なんて知らないよ。それに、勇者と踊りたがってるご令嬢がいっぱいいるんだから、わたしとじゃなくても...」
「そんなの気にするものか。僕はウルと踊りたいんだ」
無理やり手を掴まれて、人だかりの中央まで連れて行かれる。
やはり魔王を討伐した勇者ということもあって、視線がケインへと集まっている。
これを機に貴族の令嬢とお近付きになればいいのに。
もの好きなケイン。
腰に手を添えられて、右手を所定の位置に上げられた。
足を踏まないようにしなければと足元に意識を向けていると、音楽が流れ始める。
しかし、ウルの心配をよそにケインはウルの両手を引っ張り、その場で思いっきり回り始めた。
「ちょ、ちょっと、ケイン!!!」
「僕たちにはこのぐらいのダンスの方がちょうどいいんだよ」
「ダンスじゃないじゃん!!」
おかしくて声を上げて笑ってしまうと、ケインがいたずらっ子のような笑みを浮かべる。
さっきまでの悲しい気持ちが薄れ、ケインと二人で笑いながら回り続けた。
当然、他の参加者からの視線は痛かったが、ケインと二人なら気にならなかった。
他の討伐メンバーたちもまたケインとウルが馬鹿を始めたと囃し立てる中、一人だけ突き刺すような眼差しを向けてくる男性と目が合った気がした。
ウルの護衛のアシュフォードだ。
アシュはいつも仏頂面のため、こちらもあまり気にならなかった。
ただ回っているだけなのに楽しくなっていると、ケインがウルを見つめて赤褐色の瞳を細める。
「ねぇー、ウルー」
「なーにー?」
「僕たち、結婚しよっか」
まるで今からご飯食べに行こうかみたいな軽いノリで出てきた言葉に、一瞬何を言われたのかわからなかった。
戸惑いの目を向けるも、ケインはいつもの愛嬌のある、調子の良い笑顔だった。
回転速度が少しずつゆっくりになっていく。
「ど、どうしたの?急に...」
「んー、なんとなく?」
なんとなくでプロポーズしてくるケインの軽さに、ウルは冗談ではないかと疑い始める。
お調子者のケインはたまに本気か冗談かわからない発言をして、場をかき乱すことがあった。
今回もそうなのかもしれないとケインを胡乱げに見上げるも、その瞳は真っ直ぐウルだけを見据えていた。
「でも、ウルとだったら楽しく家族になっていけると思うんだ」
ケインは変わり者で、魔王討伐における報酬として爵位を授けられる予定だったのだが、本人はそれを拒否して故郷に戻り農民として暮らしていくことを選んだ。
そんなケインだからウルも肩肘張らず、気軽に接することができる。
孤児で身分も何も証明できないウルと結婚したいと言ってくれる人が今後現れるのだろうか。
結婚に夢見てはいなかったが、結婚相手を選べるほどの立場でもない。
それにウルも、ケインとだったら毎日笑って過ごせそうだった。
「ケイン、わたしーー」
そこまで考えて、ウルが口を開く。
すると、突然横から腕を引っ張られ、ケインから引き離される。
一瞬何が起こったのかわからなかったが、ケインが目を見開かせてウルの後ろを見ている。
そちらに視線を向けると、さっきまで遠くのほうにいたアシュが険しい顔でケインを睨んでいた。
「アシュ...?」
いったい何があったのかと口を開きかけるも、掴まれた腕に生暖かい液体が伝う感触があったので目線を下げるとウルはぎょっと目を見開く。
「あ、アシュ...ち、血が...」
ウルの腕を掴んでいるアシュの手から真っ赤な血が流れ出ていた。
しかし、アシュは気が付いていないのか、ウルの腕を引き、早足でその場から離れる。
その行動に驚きながらケインの方を振り向くと、何故か笑顔で手を振っていて意味がわからなかった。
移動している間もアシュの手から血が流れ続け、点々と床に落ちていく。
「アシュ!!ねぇ、アシュってば!!!」
どれだけ呼びかけても聞こえていないのかアシュが止まってはくれない。
このままどこに連れて行かれるのかもわからなかったが、それよりも血が気になって仕方がなかった。
祝賀会の会場からだいぶ歩かされ、人の気配がまったくない廊下でやっとアシュの大きな背中が止まる。
未だに流れ続ける血が気になるウルは、こちらに振り返ったアシュの表情まで気にする余裕がなかった。
「アシュ、よかった!!あのね、血が止まらなくて...」
「...先ほどのケインとの会話...」
「えっ!?」
低く重圧感のある声で何を言っているのかわからないし、それどころではなかったため強めに聞き返す。
すると、アシュの眉間に皺が寄り、真紅の瞳が細められる。
「...ケインがお前に、け、結婚の申し出をしていただろう...」
「そうだけど...なんで、アシュが...」
遠巻きで見ていたアシュからの距離だと会話は聞き取れないはずだ。
そこで、ウルはハッとして左耳の赤色のピアスに触れた。
「まさか、アシュ、聞き耳立てて...!!」
「か、勝手に聞こえてきたんだ!!断じて、俺の意思ではない!!」
突然声を荒げるアシュにウルは疑いの目を向けた。
討伐パーティに加入させられる際、緊急時のためにと無理やり耳たぶに穴を空けられて、護衛であるアシュフォードと対になるピアスを付けられた。
魔力探知が主な目的だが、いざという時のためにアシュはピアス越しにウルの会話を聞くことができる。
常にというわけではないのだが、盗み聞きされているみたいで嫌だなと説明を聞いたときは思っていた。
だが、実際にこの仕様によって何度もウルはアシュに助けてもらっていたのだ。
発動条件を知らされていないウルは本当にアシュの意思ではないのかわかりかねなかった。
「お、お前たちがまた変な悪巧みを企んでいないか警戒したまでだ。貴族が大勢いる場であんな目立つ行動をして、自分の立場を考えろ」
「うっ...」
思い当たる節しかないウルは返す言葉が見つからない。
こんな小言を言うためにわざわざ連れ出してきたのかと怪訝に見上げるも、なんだかアシュの様子がいつもと違うことに気付いた。
目線が定まらずあっちこっち彷徨っていて、どことなく切羽詰まっているように見える。
「アシュ...」
「お前はなんて言うつもりだった」
「は?」
「だから、お前はなんて返事するつもりなんだ!!!」
やはりいつものアシュと違う。
小言や怒られることは多々あったが、意味もわからず怒鳴られたことは殆どなかった。
まさか血が流れ続けているせいで、頭に血が回らなくなってしまったからなのもしれない。
早く血を止めなければ。
「アシュ、あのね」
「答えろ。なんて返事するつもりだった」
しかし、ウルの心配をよそにアシュが話を続けようとする。
やむなく答えるしかなかった。
「......受け入れようかなと、思ってる」
「...............」
掴まれている腕に力が込められた気がした。
そんなことよりも止まることのない血をどうにかしたい。
アシュの手を引こうとするもビクともしない。
「そ、それはケインに好意を抱いてるからか...?」
「えっ、まぁケインのことは好きだけど、でも正直プロポーズされるとは思ってなかったかな」
「..........」
「それに、わたしと結婚したいと言ってくれる人が今後現れるとは思わないから、いい機会かなって」
とりあえず早く会話を終わらせてアシュを医務室に連れていきたかったので、特に深く考えずに思ったことを口にする。
すると、また腕を強く引かれる。
真紅の瞳がウルを真っ直ぐに捉える。
「それは、誰でもいいと、言うことか」
いったい何を言っているのかわからなかった。
強張った面持ちのアシュが唇を強く噛みしめる。
目線だけ伏せ、暫く考える素振りを見せる。
覚悟を決めたかのように、苦々しい表情をウルへ向ける。
そして、振り絞るような声で信じられない言葉を口にしたのだった。
「それだったら、俺の......こ、恋人にでもなればいい...」
「...は?」
最後のほうはあまりにも声が小さすぎて聞こえなかったが、恋人という言葉だけはわかった。
何故このタイミングで恋人の打診をしてくるのか。
手の痛みでどうにかなってしまったのかと、本気でアシュを心配する。
今もなお、アシュの血がウルの腕を伝って、足元には小さな赤い染みが出来始めている。
このままだとアシュが出血多量で倒れてしまうと危惧したウルは大きく頷いた。
「...わかった!!わかったから!!わたし、アシュの恋人になる!!」
「...っ!!そ、それは本当か?」
信じられないものを見るように何度も目を瞬かせ、狼狽えるように聞いてくるアシュにウルは力強く答えた。
「本当よ!!!だから、早く医務室に行こう!!!!」
ようやく腕を掴んでいた手が緩んだので、すぐさま怪我の様子を確認する。
手のひらは真っ赤で、傷口から血が滲み続けている。
ワンピースのポケットからハンカチを取り出したウルは今更ながら、これ以上血が流れぬように傷口へハンカチを押し当てる。
そのまま手のひらを包むように巻き付ける。
若干呆けた状態のアシュの手を引っ張ると、先ほどとは比べものにならないぐらいあっさりと動いてくれた。
そのままアシュの手を引き、医務室まで連れて行く。
医務室で診てもらったら、傷口の中にワイングラスの破片が食い込んでいたらしく、医者にどれだけ強く握り締めていたんだと呆れられていた。
傷口から破片を取る作業があまりにも痛々しくて見ていられずに視線を逸らすとアシュと目が合った。
鋭い視線で睨んできたかと思ったら、すぐに顔ごと逸らされる。
さっきの告白は幻だったのかと訝しむウルだったが、数日後アシュからデートのお誘いの手紙が来たことで、現実だったと思い知らされた。
・
結局、それからも何回かデートを重ねているものの、あれっきりアシュから愛の告白らしいものを聞いていない。
むしろ、あの時も愛の告白だったのかさえ怪しい。
単純に別れても後腐れがないように手頃な孤児のウルを選んだのかもしれない。
その割には、甘い言葉もそれらしい触れ合いもないから、本当に不思議である。
何を考えているかわからないアシュをじっと見つめていると、突き刺すような視線を返される。
「何を、そんなに見ている」
責めるような口調に、本当に恋人なのかと疑問も抱きたくなる。
「...あの時の傷はもう大丈夫かなって見ていただけだよ」
「あの時...?」
「祝賀会の時。アシュ、ワイングラスで手を切ったでしょ?」
その瞬間、アシュの表情が険しくなり、居心地悪そうに視線を逸らされる。
「......いつの話だ。そんなものとっくに完治している」
「そっか、ならよかった」
予想通りの返答に少しだけ安堵したウルはぎこちなくナイフとフォークを使い、目の前の料理を切り分けようとするもなかなか切れない。
「何をしている。早く食べろ」
「食べ難いの!!!」
随分前に食べ終わっているアシュと違い、ナイフとフォークに苦戦していたウルはまだ一口も食べられていない。
もう食欲もなかったため、手にしていたナイフとフォークをテーブルに置くと、アシュが大きなため息を吐いた。
食事も満足に摂れないことに呆れられているのかと萎縮するウルの前で、アシュは組んでいた腕を解き、給仕に何かを指示する。
それが合図だったのか、手つかずの皿が片付けられていき、テーブルの上が綺麗になっていく。
やっと息苦しい食事が終わったのかと、肩の力を抜くと、目の前に別の器が置かれる。
脚の長い、浅いガラスの器にひんやりとした空気を纏った数種類のアイスクリームが盛られていた。
アイスクリームとアシュを交互に見ると、アシュがわざとらしく咳払いをする。
「...これなら、お前でも食べられるだろう」
吐き捨てるようにそう呟くと、アシュは気まずそうに視線を落とす。
そんなアシュを見て、ウルは口角を上げる。
態度は最悪のアシュだが、なんだかんだウルの好物を覚えてくれているのが嬉しかった。
討伐時代も口うるさかったが、いざという時に頼りになるアシュの隣がウルにとって一番安心できる場所だった。
今では護衛する側とされる側ではなく、恋人として一緒にいるが、あの頃から変わらないアシュのさり気ない気遣いがウルはたまらなく好きだった。
「早く食べろ、溶ける」
「うん、いただきまーす」
口に広がる冷たくて甘い感覚にウルの頬が自然と緩む。
スプーンでアイスクリームを掬い、アシュの口元へと運ぶ。
「はい、アシュにもあげる」
ウルの何気ない行動に言葉を失ったアシュは口元に差し出されたアイスクリームを凝視すると、露骨に嫌そうな顔をする。
「いらん。自分で食べろ」
「えぇー、美味しいのに」
拒絶されたアイスクリームを頬張ると、アシュは顔を顰め、そっぽを向いてしまう。
今日もまったく恋人らしくはないが、それでも、今はこれで満足なウルなのであった。




