第二話 不満だらけの手紙
帝都にあるエヴァレット侯爵家別邸。
その書斎で、アシュフォードは椅子に腰掛け、腕を組んだまま一文字も書かれていない紙を凝視していた。
まったくもって不本意だが、ウルに次の休暇を空けさせるための文面を書かなければならない。
しかし、最初の一文すら決まらなかった。
何故自分がウルみたいな小娘ごときにこんな手紙を書かなければいけないのか。
アシュフォードにとって大変不服なのだが、今までウルから外出の誘いを一度もされたことがないので、自分から手紙でも出さないと彼女に会うことはない。
決してウルに会いたいわけではない。
ただ、彼女を呼び出すのに無理のない理由を導き出すため、アシュフォードは頭を悩ませていた。
そもそも何故あの小娘は顔を合わせたら、アシュに会えて嬉しいとか、もっと顔を見たいとか口にするくせに自分から誘い出すことをしない。
前回の帰り際だってわざわざ予定を口にしてやったのに、その日は用事があるから無理、とか抜かし、代替日を提案することなく門限だからと言って早々に孤児院に帰っていった。
その時のことを思い出し、ウルが腹立たしくなったアシュフォードは大きく舌を打った。
腹立たしいといえば、先日のウルの行動もアシュフォードには理解しがたいことばかりだった。
少なくともアシュフォードの経験から、今まで付き合ってきた令嬢たちに花束や高価なものを贈ると、好意が返ってきていた。
だから、釈然としないがウルにも同じように花束を用意したというのに、それを孤児院の子供たちに分け与えてしまった。
それだけならまだしも、せっかく好きなものを買い与えてやると言ったのに、ウルは高価な宝石など目もくれず、道端で売っているどこにでもありそうな安物のピアスを要求してきた。
しかし、すぐに小さくなった花束を大事そうに抱きしめる姿や、お揃いのピアスを付けただけで子供のようにはしゃぐ姿が思い浮かぶ。
アシュフォードは右耳の新しいピアスに触れる。
先日までそこにあった青いピアスも、元はといえば、魔王討伐時に護衛対象であるウルがちょこまかと動き回り、勝手にいなくなるせいで付ける羽目になったものだった。
魔力探知のために仕方なく対になるものを身に着けていただけで、決してアシュフォードの意思ではない。
今となっては何の意味もないただの飾りだったが、何年も耳に付けていたものを外すのが面倒だっただけだ。
今回だって、ウルがどうしてもお揃いのものを付けたいと駄々をこねるから、渋々付けてやっているにすぎない。
落ち着かない様子で右耳のピアスを何度も撫でるアシュフォードは、再度、何も書かれていない紙に向き合った。
ようやく万年筆を手にするも、すぐに書き出すことができない。
万年筆を握ったまま固まっていると、ペン先からインクが一滴、真っ白な紙に落ちた。
すぐに新しい紙を用意するも、考え込んでいるうちにまたインクが紙を汚していく。
そんなことを何度も繰り返していくうちに、用意していた紙が全てなくなり、アシュフォードは苛立ったように万年筆を机に叩きつけた。
たかが小娘一人の予定を確認するために、貴重な高級紙を無駄にするのが馬鹿らしい。
アシュフォードは足を組んで、椅子の肘置きに頬杖をつく。
こちらから行動せずとも、いずれウルの方からアシュフォードに会いたいと文を寄越してくるだろう。
自分はその文をただ待ち構えているだけでいいのだ。
そう考えると途端に心に余裕が出てきたアシュフォードは背もたれに深く身を預け、口角を上げる。
そうだ、そうすればいい。
いつも自分から接触を図ろうとするから、あの小娘が調子に乗るのだ。
アシュフォードはあくまで尊大な気持ちでウルのわがままを受け入れているのであって、自分から彼女を欲しているわけではない。
断じて。
しかし、数日経ってもアシュフォードの元にウルからの手紙が届くことはなかった。
そのことでさらに苛立ちを募らせたアシュフォードは、再び書斎で紙と万年筆を前にしていた。
何故あの小娘から連絡が来ないのか。
考えるだけ時間の無駄だが、大方ウルが住んでいる孤児院の郵便体制に問題があるのだろう。
そうでなければ、アシュフォードと顔を合わせる度にあれほどの笑顔を振り撒いていたウルが手紙を出さないわけがない。
笑顔のウルを頭に思い浮かべたアシュフォードは右耳のピアスに手をかける。
本当に、心の底から、不本意極まりないのだが、今回ばかりは仕方ないのでアシュフォードからウルを誘ってやることにした。
自分にそう言い聞かせることでようやく万年筆を握りしめたアシュフォードは紙に文字を書き綴り始める。
文面の出だしは、前回の外出でのウルの不可解な言動についての確認。
中盤には、文を寄越さなかった件については特に咎めるつもりはない旨を書き記した。
そして、最後にウルがどうしても会いたいというなら会ってやらなくもないと念押しし、次の予定日を空けておくようにと書き留めて、万年筆を置いた。
深く息を吐いた後、アシュフォードは書き上げた文面を何度も読み返した。
万が一でもアシュフォードが会いたがっているなどとウルに余計な誤解を与えるわけにはいかない。
内容に問題がないことを再三確認したアシュフォードは手紙を折り畳んで封筒に収めると、封蝋にエヴァレット侯爵家の印章を押した。
その後、ウルに手紙を出したアシュフォードは毎日自分宛ての手紙はないかと従者に尋ねていた。
決してウルからの返事を心待ちにしているのではなく、自分が手ずから書いてやった文がきちんと目的地に届いたのか確認したかっただけである。
手紙はないと言われるたびに、アシュフォードは胸の奥がきゅっと縮むような感覚に襲われ、存在を確かめるように右耳のピアスを撫でる。
しかし、問題ない。
小娘から手紙が一通くらい返ってこないからといって正気が保てなくなるほどアシュフォードは子供ではないのだ。
いずれ、あれほど自分に懐いているウルから返事が来るに決まっている。
焦る必要はない。
・
アシュフォードが手紙を送ってから一週間後。
「アシュフォード様、お手紙でございます」
突然の知らせに、アシュフォードは心臓ごと身体が跳ね上がりそうになるのを、必死に堪えた。
「ご苦労だった」
動揺を悟られぬよう無表情で手紙を受け取る。
宛先に書かれている自分の名前の筆跡で送り主が誰だかアシュフォードにはすぐにわかった。
今すぐにでも内容を確認したい衝動を抑え、従者が書斎から出ていくのを待つ。
部屋に自分しかいないことを確認し、ペーパーナイフで慎重に封を切る。
何枚も書き綴ったアシュフォードに対し、ウルからの返事はたったの一枚だった。
あまりの薄さにアシュフォードは眉を寄せるも、手紙を持つ指が震えている。
返事が遅すぎたことと、あまりにも枚数が少ないことへの怒りだ。
そう結論づけたアシュフォードは、意を決して中身を確認した。
「......なんだ、これは」
ウルからの手紙には短くひと言。
おっけ、としか書かれていなかった。
その瞬間、身体の緊張が解けたアシュフォードは馬鹿馬鹿しくなり、手にしていた手紙を机へと放り投げた。
なんだ、この気の抜けた返事は。
仮にも恋人からの外出の誘いに、こんな簡素すぎる内容で返すなど、あの小娘はどこまで人を馬鹿にすれば気が済むのか。
ウルへの苛立ちでどうにかなりそうだった。
破り捨ててやろうとアシュフォードが手紙に手を伸ばす。
しかし、紙に書かれている短い文字の筆跡を目にすると、手が止まった。
再度手紙を手に取り、中身をもう一度確認する。
どんなに見ても、『おっけ』以上の言葉は書かれていないが、アシュフォードはその文字に何度も視線を滑らせる。
昔からウルは長い文章を書くのが苦手だったため、返事を書けただけよしとしよう。
小娘よ、寛大な自分に感謝するといい。
心の中でウルに向かって勝ち誇ったアシュフォードは、手紙が破れぬよう丁寧に折り畳み、封筒へと戻した。
机の右上の引き出しの一番奥に隠してある錠前付きの箱を取り出す。
引き出しの裏側に隠してある鍵を取り出し、錠前を開けると、箱の中には何通もの手紙が入っていた。
その中には先日外した青色のピアスも丁重に保管されていた。
今回の手紙をこれまでウルから送られてきた数少ない手紙と同じように箱の中へと入れ、錠前を付け、鍵をかける。
そして、誰にも見つからぬよう、箱を再び右上の引き出しの奥深くへ隠すように押し込んだ。
ようやく心に余裕が戻ってきたアシュフォードは背もたれに深く身体を預け、ゆったりと足を組んだ。
次回の外出では絶対に小娘の好き勝手にさせぬよう自分がしっかりと手綱を握らなければ。
ウルとの外出を心待ちにしているわけではないアシュフォードだったが、その頬はすっかりと緩んでしまっていたのであった。




