外伝② あの頃の二人②
少女を追って森の中に入ったウルだったが、すぐに彼女を捕まえることは出来なかった。
「ねぇ、待って!!待ってってば!!」
目の前を走る少女に聞こえるように大きな声で叫ぶも、少女は止まってはくれない。
少女を追いかけているうちに、周りの景色が変わっていく。
いつの間にか木々は深く生い茂り、森の奥へと入り込んでいた。
足元には大きな石や地面から張り出した木の根が点在しており、思うように走れなかった。
長時間の移動ですでに体力がないに等しい身体で必死に足を上げる。
息も絶え絶えになり、そろそろ限界になってきた時、ようやく少女が止まった。
近くの木に手をつき、息を整えたウルが前を向く。
「えっ......」
そこには少女の姿があり、その奥では無数の手足のようなものを蠢かせる巨大な目玉が不気味に佇んでいた。
よく見ると、少女の身体はその異形と繋がっている。
目玉がウルを捉えた。
次の瞬間、その目が弧を描くように細くなる。
喉がひゅっと鳴った。
――擬態。
以前、ミレーユから聞いた話が頭をよぎる。
生き物に擬態し、人間をおびき寄せる魔族がいる。
そして、誘い込まれた人間は餌になる。
ぞわりと背筋が粟立つ。
その瞬間、無数の触手が一斉にウルへ伸びてきた。
逃げなきゃ。
頭の中では何度も警鐘が鳴っている。
なのに、足が動かない。
触手が目の前まで迫ってきた。
咄嗟に目を瞑る。
「ぐっ...!!!」
温もりに包まれたと思ったら、頭上から男性のくぐもった声が聞こえた。
「アシュ!!!」
目を開けると、ウルを抱き込むようにしてアシュが立っていた。
表情を歪めたアシュの真紅の瞳がウルの姿を映す。
そして、苛立たしげに舌を打った。
「...何故、勝手に離れた」
「えっ?」
ウルの身体を包みこんでいる腕の力が微かに強くなる。
「ご、ごめんなさーーー」
アシュの背後で触手が数本、不気味に蠢いているのが見えた。
「アシュ!!!危ないっ!!!」
声を上げたのと同時にアシュが振り返り、触手を数本切り落とす。
しかし、すぐに脇から別の触手が襲いかかってきた。
「てやあぁぁぁ!!」
威勢のいい声とともに振り下ろされた剣が、その触手を切り落とす。
「二人とも、大丈夫かい!?」
赤みがかった栗色の髪を靡かせながら、ケインが二人を庇うように魔族の前へ立ちはだかった。
「うわっ、なんだいあれ!?気持ち悪っ!!」
「恐らく擬態系魔族の類いだと思われるが、これほど大きさのものは見たことがない。油断するな」
アシュはウルを茂みの奥へと下がらせると、ケインの横に並ぶ。
その時になって、右腕から血が流れていることに気付いた。
先ほどウルを庇った時に傷つけられたのだろうか。
胸の奥がざわつく。
「すぐに終わらせるから、待っててね」
ケインがウルへ振り向く。
魔族を前にしてなお、その口元には余裕の笑みが浮かんでいた。
笑みを崩さないままケインが魔族へ斬りかかる。
アシュもその後に続き、負傷した右腕を庇いながら応戦する。
茂みに隠れながら、ただ見ていることしか出来ないウルは胸元でぎゅっと両手を握り締めた。
・
「あれほど、勝手に動き回るなと言ったのに何故聞かない!!!!」
怒気を孕んだ大きな声に、ウルの身体が小さく震えた。
「ご、ごめんなさい...」
「絶対に一人で行動するなと何度も言っていただろう。なのに何故毎回同じことを繰り返す」
「......」
アシュの説教に返す言葉もなく、ウルは俯いた。
魔族はケインとアシュによって打ち倒された。
ホッとしたのも束の間、身勝手なウルの行動に怒り心頭なアシュによる怒涛の説教が始まってしまった。
今回は......いや、今回もウルには言い訳しようがない。
黙ってアシュの言葉を聞いていると、隣からケインの呑気な声が飛んできた。
「まぁまぁ、そんなに怒らなくてもいいじゃない。みんな無事だったんだしー」
「それだといつまで経っても問題は解決しない」
「もぉー、アシュは細かいなー。それより、怪我は大丈夫かい?だいぶ深手に見えるけど」
その言葉にウルは顔を上げる。
アシュの右腕は、ウルを庇って負った傷から未だに血が滲み続けているのか、服が真っ赤に染まっていた。
心臓が何かに掴まれたように縮こまる。
「......大した傷ではない」
誤魔化すように目を伏せたアシュは、右腕を左手で覆い隠した。
「本当にー?その割にはずっと右腕を庇いながら戦ってたように見えてたけどなー」
「うるさい。触るな」
右腕に触れようとするケインの手をアシュが払いのける。
「わ、わたし、セシリアを呼んでくる!!」
胸のざわつきが収まらず、ウルは堪らず走り出そうとする。
「言ったそばから、離れようとするな!!!」
珍しく焦りの滲んだアシュの怒号にも耳を傾けず、ウルは駆け出した。
しかし、
「へぶっ!!」
足元にある何かに躓き、そのまま地面へ盛大に転んでしまった。
しかも、転んだ先には何だかわからない生温い液体が溜まっており、身体中にべったりと纏わりついてくる。
「まったく、お前というやつは...」
呆れ気味に呟くアシュに上体を起こされる。
ベタベタになった手を見ると、痛くもないのに真っ赤になっていた。
「大丈夫かい?」
ケインから差し伸べられた手を掴み、ウルは立ち上がろうと足に力を入れる。
「あれっ?」
しかし、思うように力が入らない。
首を傾げるウルを見て、アシュとケインが顔を見合わせた。
・
結局、立ち上がることが出来なかったウルはアシュにおぶってもらうことになった。
ケイン曰く戦闘による魔力切れだと説明されたが、戦闘に参加していないウルが何故魔力切れになるのかよくわからなかった。
その後もなんか色々説明してくれていたのだが、アシュの体温が暖かくてウトウトしていたおかげで、何も頭に入ってこなかった。
「大丈夫ですか!?」
あと少しで眠ってしまいそうな中、女性の高い声でウルの意識が戻っていく。
不安げな表情のセシリアが小走りで近付いてきた。
「こんなに血だらけで...ウルに何かあったのですか?」
アシュとケインが顔を見合わせる。
「こいつは無傷だ」
「ただ、魔族の血溜まりに頭から突っ込んだだけだよ」
二人の言葉にセシリアは碧眼を瞬かせる。
「えへ、へ...」
無傷のくせに誰よりも重傷に見えてしまったことが気恥ずかしく、ウルは小さくはにかんだ。
「そう、だったんですね...」
心底安心しきったセシリアが小さく息を吐く。
突然姿を消して心配させてしまったことを申し訳なく感じた。
しかし、それよりもウルには気がかりなことがあった。
「それより、セシリア!!アシュ!!アシュが右腕を怪我しちゃったの!!」
「暴れるな!」
身を乗り出して背中から離れようとすると、アシュが左腕に力を込め、ウルをぐっと背負い直した。
ケインが応急処置として怪我している箇所に当て布をきつく結んでくれてはいるが、油断ならない。
治癒の力を持つセシリアなら、アシュの傷をすぐに治してくれるはずだった。
しかし、セシリアが表情を強張らせる。
「......どのくらいの傷なんでしょうか」
「大した傷ではない」
「そんなことないよ!!!すっごい深い傷でね、ズバッぁぁってここらへんを切られちゃってて...」
「お前は少し黙っていろ」
何故か自分の傷を軽視するアシュが理解できず、ウルは必死にセシリアへ訴えかける。
だが、セシリアは表情を強張らせたまま、ケインへ目配せした。
「......ケイン」
「うーん、確かに出血は酷かったけど、傷口を縫って薬を塗ったら、アシュなら数日で治るかもね」
実際に傷を見たはずのケインでさえ、そんなことを言い出した。
「どうして!?セシリアならアシュの傷ぐらいすぐに治せるでしょ!?ねぇ、お願い!!!」
懇願するような声を上げると、セシリアが困ったように眉尻を下げた。
「別にいいじゃない。治してあげなさいよ」
後ろからミレーユが呆れたように口を挟む。
「どうせウルを庇って出来た傷なんでしょ。ウル本人も治癒を望んでいるんだし、やってあげたらいいじゃない」
「ミレーユ...あなた、何を言っているか分かっているのですか?」
いつもより低い声を発したセシリアがミレーユを睨んだ。
「みんなウルに甘すぎるのよ。自分の行動に責任は取らせるべきだわ」
「...ミレーユ!!」
珍しくセシリアが声を荒げる。
ミレーユは静かにセシリアを見据えていた。
何故怪我を治すかどうかだけで、こんな険悪な雰囲気になるのかウルにはわからない。
「俺も今、治癒したほうがいいと思う」
今まで黙っていたダンが手を挙げる。
いつになく真剣な表情をしていた。
「魔族に切られたってことは変な毒とかを盛られた可能性だってあるだろう。そうじゃなくても医術の専門がいない今、きちんと治療できるとも限らない」
ダンがアシュの右腕へ視線を向ける。
「この先も、利き腕に深手を負ったままっていうのはまずい。今のうちに治しておいたほうがいいと俺は思う」
ウルは改めてアシュの真っ赤に染まった右腕を見る。
このまま治らなかったらどうしよう。
胸の奥がぎゅっと締めつけられた。
「セシリア、お願いだから、アシュの傷治してあげて!!」
「しかし...」
「セシリア!!!」
悲痛な声を上げても、セシリアは首を縦に振ろうとはしなかった。
どうしてと、泣きそうになる。
無意識にアシュの肩へ添えている手をぎゅっと握り締める。
すると、アシュが大きく息を吐いた。
暫くの沈黙の後、腹の底から押し出すような低い声が響く。
「......セシリア、力を使え」
「......いいんですか?治癒の力は負担が一番大きいんですよ?今の状態で使ってしまったら...」
セシリアが一瞬だけウルを見る。
その瞳には不安の色が濃く滲んでいた。
「わかっている。その代わり、今日はここまでにする。この馬鹿の体力と魔力が回復しない限り先には進まない」
声が固く、アシュの表情は見えない。
それでも、ウルの身を案じてくれていることだけはわかった。
「......わかりました」
ようやく納得してくれたのか、神妙な面持ちのままセシリアがアシュの右腕にそっと触れた。
これでアシュの傷が癒える。
胸を撫で下ろしていると、セシリアと目が合った。
「ごめんなさい、ウル。またあなたに無理をさせてしまいます」
申し訳なさそうにセシリアがそう呟くと、彼女の手から淡い緑色の光がふわりと溢れ出した。
何度見てもその光景は神秘的で、ウルは不思議と重たくなっていく瞼に耐えながらそれを眺めていた。
それにしても、セシリアはどうして治癒の力を使うたびにウルへ謝ってくるのだろうか。
そんな疑問を抱いたまま、ウルは重くなる瞼に抗えず、ゆっくりと目を閉じたのだった。




