外伝② あの頃の二人①
騒がしい食堂の一角。
小さなパン一つと、具材の少ないスープの前でウルは手を合わせ、小声でいただきますと呟いた。
起き抜けでぼーっとした頭のまま、パンを手に取り、そのまま齧りついた。
少し硬くてパサパサしていたが、スープに浸して食べるので問題はない。
何より、ここ数カ月間毎日同じようなものを食べているのでさすがにもう慣れてしまった。
何も考えずに朝食を食べ進めていると、突然目の前に大きな影が現れる。
巨体の男性が無表情のままウルを見下ろしていた。
斜めに流れる紺色の髪から覗く真紅の瞳がじろりと動く。
右耳には青色のピアスが光っていた。
威圧的な男性にウルは怯えることなく、パンをまた口に含んだ。
男性は持っていた皿を机に置くと、ウルの正面にどかっと座る。
その反動で、ウルの小さな身体が椅子からちょっとだけ浮いた。
山盛りに盛られた食べ物に、朝からよく食べるなと思いながら咀嚼したものを飲み込んだ。
「おはよー、アシュ」
パンを口に含みながら、気の抜けた声で挨拶する。
アシュは挨拶を返す代わりに、ウルを睨み続けた。
「......少ない」
「ふぇ?」
「今日は長距離を移動すると言ったはずだ。そんな量では体力が持たない」
そう言うと、アシュは自分の皿からウルの皿へと食材を次々と入れていく。
「うわぁぁっ、そんなにいらない!!」
慌てて抗議の声を上げるも、アシュはそれを無視して食材を盛っていく。
瞬く間に食材でいっぱいになる自分の皿を前にウルは小さく肩を落とす。
恨みがましくアシュを睨むも、何も効いていないのか黙々と食事を始めていた。
「おっはよーー、二人とも!!」
軽快な足取りとともに陽気な声が近付いてくる。
赤みがかった栗色の髪を後ろに結った青年が、寄りかかるようにアシュの隣に座った。
「近い、離れろ」
「えぇー、いいじゃないか。つれないなー、アシュフォードは」
「食事の邪魔だ」
表情を歪めたアシュが鬱陶しそうに青年を右手で押し退けようとする。
だが、青年も負けじと全身を使ってアシュを押し返していた。
「ウル、おはよー。どしたの、朝から元気ないね」
「ケイン...」
悲しげな表情を浮かべていたウルが食材がいっぱいの皿をケインの前に寄せる。
「こ、これは...!!」
その皿を見て衝撃を受けたのかケインが顔を引きつらせる。
皿の上には大量の焼いた加工肉や、卵料理が盛られている。
大柄なアシュならいざ知らず、小柄なウルが朝からこんな量を食べられるはずがない。
ケインならアシュに何か物申してくれるかもしれないと助けを求めようとする。
しかし。
「野菜が足りないね。食べるなら、バランスよくお食べ」
まったくその意図が伝わらなかったのか、ケインは自分の皿から野菜を次々とウルの皿へと盛っていく。
「うっ...うぅっ...」
今度は野菜まみれになる皿の前でウルが小さく呻き出す。
お肉は嫌いじゃないが、野菜は得意ではないため更に悪化したことがウルの心を痛める。
ケインに助けを求めたのが間違いだった。
絶対に食べきれない量の朝食の前で打ちひしがれていると、重量感のある温かみに頭が包まれる。
「きーもーぢーわーるーい!!」
女性の声が聞こえたと思ったら、そのまま柔らかい温かみに押しつぶされる。
若干お酒くさかった。
「おはよー、ミレーユ、ダン。昨夜も随分と飲んだんだね」
「聞いてくれよ、ケイン!!昨日も大変だったんだ!!」
近くから男性の声が聞こえてくるも、柔らかいものに視界を奪われており何も見えない。
「こいつ、しこたま飲んだ後にベロベロになりながら、飲み比べで勝ったら飲んだ分を全部奢るっていう賭けを店中の客に吹っかけたんだ!!」
「へー、でもミレーユのことだから全部勝ったんだろう」
「当然よ!!むしろまだまだ飲み足りないわ!!」
「付き合わされているこっちの身になってみろ!!賭けが始まるたびに肝が冷えて、生きた心地がしなかったわ!!」
話を聞いている限り、ミレーユがいつものように浴びるように酒を飲んでいたということだけはわかった。
「朝から随分と騒がしいですね」
また別の女性の声が聞こえてきた。
「おはよー、セシリア」
「おはようございます、ケイン」
セシリアは淡々とした口調で挨拶をする。
「相変わらず理解不能な行動をしますね、ミレーユ。そんなにアルコール漬けになりたいのでしたら、頭ごとワイン樽に突っ込んだらいかがでしょうか」
「...聖職者とは思えない発言ね...」
柔らかな声からは想像もつかないような棘のある発言に場が一瞬だけ静まり返った。
ウルを抱き締めていたミレーユの腕の力が少しだけ緩み、やっと視界が開けてくる。
目の前に座っていたアシュとちらりと目が合った気がしたが、すぐに逸らされてしまった。
気にすることなく上を見上げると、シスター服に身を包んだ女性、セシリアと目が合った。
「おはようございます、ウル」
透き通るような淡い碧眼が、柔らかく弧を描く。
「おはよー、セシリア」
「今朝は朝からたくさん食べるんですね」
机の上の山盛りになったウルの皿にセシリアが視線を落としている。
「そ、そうなの!!こんなにいっぱい...アシュとケインが無理やり入れてきたの!!」
セシリアなら二人に何か苦言を申してくれるはずだと期待したウルがここぞとばかりに声を上げた。
「なるほど、それなら仕上げに牛乳を飲むことを強くお薦めします」
しかし、その希望も儚く散っていき、目の前に瓶に入った牛乳を置かれる。
「清らかな魂は健全な精神から、そして健全な精神は健康な身体から。よい心がけです、ウル」
眩いばかりの眼差しを向けられて、何も言い返せなくなったウルは手で顔を覆った。
そんなウルに同情したのか、ミレーユが頭を撫でてくれたのだが気持ちがちっとも晴れることのないウルであった。
・
「ーーというわけで、下級魔族でも十分に注意する必要があるってわけ。わかった?」
長い白髪の三つ編みを揺らしたミレーユが念を押すように顔を近づけてくるも、ウルは首を横に振った。
重すぎる朝食で気怠くなった身体を引きずりながら、歩みを進める。
先頭を歩くアシュの後ろ姿を恨みがましく睨む。
結局あの後、アシュに睨まれながら大量の朝食を全て平らげる羽目になった。
そのおかげでお腹が苦しく、ミレーユの話がほとんど頭に入らなかった。
「もぉぉ!!いい加減に覚えなさいよ!!あんた、いっつも知らず知らずのうちに魔族に引っかかってるんだから、回収するこっちの身にもなってみなさいよ!!」
「ご、ごめん...」
ミレーユの怒りは尤もだった。
今まで魔族と縁もゆかりもない生活を送ってきたウルは、魔族に関する知識に疎い。
先日も雑木林の中に突如現れた不自然なブランコに警戒することなく座ってしまった。
案の定、魔族による罠だったので、そのまま身体を締め上げられ、どこかに連れて行かれそうになったところをアシュに助けてもらったのだ。
こうしたことが何度もあるため、今みたいに移動中にミレーユから魔族について教わっている。
しかしウルはすぐ忘れてしまうのだ。
「あなたも回収される側なので、人の事言えませんよ。ミレーユ」
少し前を歩いていたセシリアが呆れ顔で振り向いた。
「先日、ウルが蔦魔の罠にかかってしまった時、真っ先に異変に気づいたはずのあなたも蔦に絡めとられていましたね」
「そ、それは...」
セシリアの言葉にミレーユは気まずそうに言葉を詰まらせる。
「いざという時にまともな魔術も使えないポンコツが魔王討伐に選ばれるなんて前途多難ですね。何年かかるのか楽しみです」
「うるさいわね!!あのときはたまたま詠唱が間に合わなかっただけで、全部言えてたらわたし一人でも蔦魔ぐらいどうにでもできるわ!!」
「肝心な時に発動されないなら、意味がないのではないでしょうか」
「なによ!!あんたなんて祈ってるだけじゃない!!」
「非戦闘員であるわたしと張り合って、どうなるのですか?虚しくありませんか?」
お互い顔を突き合わせて、ミレーユとセシリアが睨み合っている。
このままだと言い合いが始まってしまう不穏な空気を感じ取ったウルが仲裁に入ろうと口を開きかける。
「はーい、ストーップ!!」
その前に二人の間に割って入るように男性の手が後ろから伸びてきた。
「もうそれぐらいにしろよな。前も同じようなことで、言い争ってただろ」
深い赤毛の青年、ダンがやれやれとため息を吐いた。
無理やり間に入ったダンが強制的に二人の距離を開ける。
まだお互い言い足りないのか、ダンを挟んで睨み合っていた。
けれども、これ以上言い争いが酷くならないことにウルはホッとした。
・
暫く歩いていると、自然とお腹の苦しさも和らいできた。
しかし、朝からずっと歩きっぱなしだったため、少しだけ足元がおぼつかなくなってきた。
歩く速度も遅くなっていき、置いていかれぬように度々駆け足になってしまうので余計に体力が削がれていく。
「大丈夫ですか、ウル」
ウルの異変に気付いたのか、セシリアが歩調を緩め、ウルに合わせてきた。
「う、うん。大丈夫!!」
「顔色がよくありません。疲れているのではありませんか」
「そんなことないよ!!元気だよ!!」
余計な心配をさせたくなかったため、元気であると証明するようにその場で何度も跳ねてみせた。
それでもセシリアが心配そうにウルを見つめる。
「ダン」
セシリアは一番後ろを歩いていたダンに声をかける。
「どした?」
「ウルが疲れているようです」
「うん」
「今すぐ地面に手をついて四つん這いになりなさい。そして、ウルを運ぶ馬になるのです」
とんでもないことを言い出すセシリアにダンが口元を引きつらせる。
「なんで俺が」
「ケインは、勇者であり戦闘の要です。いざという時にすぐに動けるようにしなければなりません。アシュフォードは討伐隊のリーダーであり、何より侯爵家の人間なのでこんなこと頼めません」
セシリアが憂いを込めた瞳をダンに向ける。
「その点、ダン、あなたは貴族ではありますが、子爵家の三男坊で、戦闘でもそこまで活躍をしているとは思えません。このまま役立たずの烙印を押される前に疲れたウルの足ぐらいにはなるべきではないでしょうか」
「ひっどい!!!」
毒が効きすぎているセシリアの発言にダンは涙目になっていた。
「わたしのほうが、役立たずだよー」
二人の会話を横で聞いていたウルが何気なく呟いた。
実際に、魔王討伐の旅が始まってから、ウルが問題を起こすことは何度あってもパーティの役に立ったことは一度もなかった。
そんな自分が未だにパーティから追い出されないことがウルは本当に不思議で仕方がない。
ウルの言葉を聞いたセシリアが珍しく聖女らしい慈愛に満ち溢れんばかりの笑みを浮かべた。
「ウルはいいんですよ」
セシリアの細い指がウルの手に触れる。
「あなたは特別です。だって...」
手をぎゅっと握られ、慈愛に満ちた瞳で見つめてくる。
「とうに枯れたはずのわたしの庇護欲を刺激してくれる唯一の存在ですから」
「本当に、あんた聖職者かよ」
後ろからダンの突っ込みが飛んでくる。
言っていることがよく分からなかったウルはセシリアに釣られるように口元を緩ませた。
・
「ふぇぇ、疲れた...」
倒れ込むように地面へと寝転がったウルは誰にも聞こえないように気のない声で呟いた。
朝から長時間歩き続けて、ようやく休憩を取ることができた。
他の討伐メンバーも思い思いに身体を休めている中、アシュだけは立ったままだった。
何かあったらすぐに動けるようにするためなのかもしれないけど、よく疲れないなと感心してしまう。
気怠げな身体を起こしたウルが何気なくアシュを眺めていると、真紅の瞳が一瞬だけこちらを捉える。
「アシューー!!」
しかし、ケインが近付いてきたため、すぐに逸らされた。
もう少し寝ていようと身体の力を抜こうとした時、近くから草木が揺れる音が聞こえた。
無意識に音がする方を見ると、そこには幼い少女が立っていた。
じっとウルを見据えている。
迷子かなとウルが話しかけようとすると、少女はくるりと背中を向ける。
そして、森の中へと入っていく。
「待って...!!」
幼い少女を放っておくことが出来ないウルは、少女の後を追って森の中に入っていった。




