第十二話 手放せないもの
ここ数日、アシュフォードの目覚めは最悪だった。
つい最近まではウルが夢の中に現れ、エヴァレット侯爵家の屋敷で好き勝手に行動する悪夢を見ていた。
しかし、ウルが自分との婚姻を視野に入れていない事実を突きつけられてからは、寝つきが悪くなりつつあった。
そして数日前。
小娘だからまだ事の重大さを理解していないのだと、改めて婚姻の重要性を説明しようとウルを訪ねると、最悪な光景を目の当たりにした。
『改めて、僕と結婚してくれないかな? ウル』
元勇者であるケインが、そう言ってウルに手を差し伸べていた。
その日は風が強く、ウルがその手を取らなかったことだけは確認できたものの、肝心の返答までは聞き取れなかった。
その直後、淡い水色の瞳を輝かせ、満面の笑みで自分に近付いてくるウルの姿に、完全に思考が止まった。
ケインからのプロポーズには何と答えたんだ。
何故、そんな顔で自分を見上げる。
いったい、何を考えているんだ。
聞きたいことは数え切れないほどあるのに、前回ウルに結婚の話をした時に返された言葉が脳裏をよぎり、喉がつかえて何も出てこなかった。
これ以上ウルを前にすると、自分でも思いもよらないことをしでかしかねない。
そう恐れたアシュフォードは、早々にその場から離れた。
珍しくウルから呼び止められたが、応えられるほどの余裕は残されていなかった。
その日の晩。
万全ではない状態でウルに会いに行ったせいで心身ともに疲れ果て、普段より早めに横になった。
だが、目を瞑ると昼間の出来事が思い起こされる。
それと同時に、半年前の祝賀会でウルがケインにプロポーズされた場面まで勝手に脳裏に浮かんできた。
恋人である自分との結婚すら考えていないのなら、今はまだ誰かと婚姻するつもり自体ないはずだ。
ならば、ケインの申し入れを承諾するとも考え難い。
しかし、あの時アシュフォードがウルを連れ出さなければ、彼女はケインのプロポーズを受け入れようとしていた。
そんなことがあるはずはない。
そう思いながらも、ウルとケインが隣り合って笑い合う姿を想像してしまい、胸が小さく軋む。
討伐時代からずっと見てきた光景に、今更動揺することなどありえない。
もし仮にウルがケインを選んだとしても、それはウルの意思だ。アシュフォードには関係のないことだ。
こんなことを考えること自体、馬鹿馬鹿しい。
己自身を嘲笑し、眠りにつくため軽く瞑想をする。
だが、瞼を閉じると、またすぐにケインとウルの姿が浮かび上がった。
ゆっくりと起き上がり、二人の姿を振り払うように、今度は念入りに瞑想する。
それでも、横になって目を閉じれば、瞼の裏にこびりついたように二人の姿が浮かんでくる。
その度に苛立ちが腹の底から湧き上がった。
落ち着かせようと右耳のピアスを撫でるも、まったく効果はない。
そんなくだらないことを繰り返しているうちに、結局一睡もできないまま朝になっていた。
重たい体を起こし、窓から差し込む光にさえ苛立ちを覚えたアシュフォードは、大きく舌打ちをする。
けれど、その音は外から聞こえてくる鳥のさえずりによって、虚しく掻き消された。
・
それから数日後。
部屋に入ってくるなり、アシュフォードの顔を見たオクタヴィアンは物珍しげに呟いた。
「随分と疲れてるようだね」
「.........」
朝早くから人を呼び出しておいて、堂々と遅れてやってきた義兄に眉をひそめる。
実際、あの日からアシュフォードは謎の不眠現象に苛まれていた。
小娘如きのせいで体調を崩すなど耐えられず、いつも通り公務をこなし、意地でも休みを取ろうとはしなかった。
身体は若干気怠いが、今のところ大きな支障は出ていない。問題はない。
しかし、オクタヴィアンが何故自分を呼び出したのかまで考えられるほど、アシュフォードの頭は回っていなかった。
「それで、ウルとの婚姻についてはどこまで進んでいるのかな?」
琥珀色の瞳で真っ直ぐ見据えられる。
一瞬言葉に詰まり、咄嗟に視線を逸らした。
今の今まで、ウルとの婚姻は個人間のものではなく、帝国にとって重大案件だということを忘れ去っていたのだ。
その事実が受け入れ難く、思考が止まる。
そんなアシュフォードの動揺には気付いていないのか、オクタヴィアンは話を続けた。
「……まさか、うまくいっていないのかい?」
反応が鈍いアシュフォードに、オクタヴィアンは首を傾げる。
その通りなのだが、何故だか認めたくない。
唇を強く引き結ぶ。
「驚いた。君ほどの男が手こずるなんて、よほどの手練なんだね、あの子は。以前会ったとき、そうは見えなかったけど、人は見かけによらないものだね」
アシュフォードの沈黙によって、ウルがあらぬ方向へと誤解されている。
訂正しようと口を開きかけたところで、思いがけない言葉をオクタヴィアンが口にした。
「この様子だと、兄上の言う通り、勇者ケインにも同じ話を持ちかけたことは正解だったってことになるね」
「.........それは、どういうことでしょうか」
自分でもわかるほど声に険が滲んでいたが、気に留めなかった。
オクタヴィアンはゆっくりと足を組む。
「わたしは別に必要ないと思ったんだけど、兄上は慎重でね。君が一番適任なのは変わらないけど、最優先なのは彼女を帝国内に留めることだからね。万が一失敗したときのことを考えて、ケインにもウルを娶るように話を持ちかけたんだよ」
脳裏に、ケインがウルへ手を差し伸べる光景が浮かぶ。
拳を固く握った。
帝国にとって、ウルを繋ぎ止められれば、その相手はアシュフォードでなくてもいい。
少しでも確率を上げるために、ウルと関わりの深いケインを候補にしても不思議ではない。
理屈では理解できる。
それなのに、妙に苛立ちが募っていく。
「その上、ケインも失敗したら他にも候補者はいるとか言い出してしまっているんだよ。本当に兄上は心配性だね」
オクタヴィアンが軽やかに言ったその言葉に、視界がすっと狭まった。
無意識に奥歯を噛み締め、拳には爪が食い込むほど力が入っていた。
「……ふざけるな」
「ん?」
「ウルは、お前たちの所有物ではない」
低く殺気立った声を放ち、突き刺すようにオクタヴィアンを睨みつけた。
怒りを口にしても、腹立たしさは収まらない。
ウルが誰を選ぼうが、アシュフォードには関係ない。
しかし、ウル本人の意思を確かめるより先に、まるで駒でも選ぶように次々と相手を用意するつもりなのであれば、到底看過できることではなかった。
突然の剣呑な言葉に、オクタヴィアンは琥珀色の瞳をわずかに見開いた。
「……驚いた。そこまで君が、あの子に入れ込んでいたとは思わなかったよ」
「……いえ、そういうわけでは」
我に返り、誤解を解こうとする。
しかし、オクタヴィアンは大きく頷いた。
「君のその気持ちを汲んで、兄上にはわたしから他の候補者を立てぬようにと説得をしよう。ケインに関しては、もう言ってしまったけど、まぁそこは許してくれると助かる」
「だから、それは……」
アシュフォードの話をまったく聞き入れないオクタヴィアンは満足そうに目を細め、身体を深く背もたれに預ける。
「アシュフォード、わたしは君に肩入れしている自覚はある。もちろん君が、愛するエルネスティーネの弟ということもあるが、若くして魔王討伐隊の隊長という大役を務め上げたことも高く評価しているんだ」
「……何が、言いたいんですか」
静かに微笑んだオクタヴィアンは、足を組み直した。
「愛する女性へのプロポーズで下手を打つような君ではないだろ?」
露骨な圧を笑顔でかけてくるオクタヴィアンに、言葉を失う。
決してウルを愛しているわけではない。
しかし何故か、アシュフォードはその言葉を口にすることはできなかった。




