第十一話 差し伸べられた手
孤児院の自室でウルはぼーっと窓の外を眺めていた。
結局、アシュは何を話したかったのだろうか。
数日前、約束もなしに突然アシュが訪ねてきたと思ったら、結婚について話を切り出された。
いつか必要に応じて結婚すると答えたアシュに胸が痛んだが、仕方のないことだった。
アシュフォードは侯爵家の子息で、ウルは孤児。
今は恋人同士だからといって、将来を約束するにはあまりに身分が違いすぎる。
現実的に考えたら、愛人止まりだろう。
アシュと一緒にいられるならそれでもいいかもしれないとウルは本気で思っていた。
それでもアシュが将来結婚するかもしれない相手のことが気になり、それとなく聞いてしまった。
しかし、アシュは何も答えてくれなかった。
突然黙ってしまうのはいつものことだったので、ウルはお茶を飲みながらゆっくり返事を待っていた。
ところが、急に用事ができたとかで、アシュフォードはウルをその場に残して帰ってしまった。
その時は、いつもならどんなことがあっても孤児院まで送ってくれるのに妙だなと、首を傾げていた。
けれど今思い返してみれば、アシュの表情もどことなく切羽詰まっていた気がして、よほど大切な用事だったのだろう。
次はいつ会えるのだろうか。
もしアシュが結婚したら、会える頻度も減ってしまうかもしれないと思うと気持ちが自然に沈んでしまう。
「ウルー、お客さーん」
「はーい」
誰だろうと首を傾げながら部屋を出る。
アシュだったらいいなって小さく願っていると、赤みがかった栗色の髪が視界に入ってきた。
「ケイン!」
「やっほー、ウル」
笑顔のケインが手を振ってくる。
「まだ、帝都にいたの?」
少し前に町中でばったり会った時から時間が経っていたので、故郷に帰ったと思っていた。
「ちょっと色々あってねー」
「へー、そうなんだ」
「ウル、今ちょっといいかな?」
そう言って、ケインはウルを孤児院の裏にある丘へと連れ出した。
丘には名前のわからない小さな水色の野花が風に揺れていた。
その光景を久しぶりに見たウルは昔のことを思い出す。
二年半前、まだ魔王討伐の旅が始まる前。
ウルはこの丘で初めてケインと出会ったのだ。
「懐かしいなー、確かウルと初めて会ったのってここじゃなかったっけ?」
同じように出会った当初のことを思い出していたのか、ケインが懐かしそうに目を細める。
ケインの言葉に、ウルも当時のことを鮮明に思い出す。
まだ世間も何も知らない少女だったウルにケインは手を差し伸べてくれた。
君の力を、僕に貸してくれないかと笑顔で言ってくれたことを、ウルはいつまでも覚えている。
何もわからないままケインの手を取ったウルはそのまま魔王討伐の旅に同行することになったのだ。
「結局、何も役に立たなかったけどねー」
「そんなことないよ。ウルがいたから、今こうして、みんな平和に暮らせてるんだよ」
「えー、大袈裟だよ」
いつものお世辞を聞き流したウルは、地面へとしゃがみ込んだ。
目の前にある野花を何気なく摘む。
そういえば、あの時、ケインと一緒にアシュもいたことを思い出した。
笑顔のケインと対照的で、睨むように見下ろしてくるアシュは当時のウルには少し怖かった。
今は、その鋭い視線にももうすっかり慣れてしまった。
アシュの無愛想な顔が思い浮かび、ウルの口元が無意識に緩む。
「...前も聞いたけど、ウルはアシュフォードが好きなんだよね」
「そうだよー」
野花を摘みながら、気の抜けた声で答える。
「それじゃあ、これからもずっとアシュと一緒にいるんだね」
その言葉に、ウルの動きが止まった。
花を持っている手に力がこもる。
「......ずっと、一緒にいられたらいいね...」
風の音で消え入りそうなぐらい小さな声でウルが呟いた。
本心はアシュとずっと、一緒にいたいに決まっている。
でも、そんな夢みたいなことをただ願っていられるほどウルはもう子供ではなかった。
「......ウル、僕と結婚しないか?」
頭上から聞こえてきた申し出に、ウルは顔を上げる。
何度も見てきた屈託のない笑顔のケインと目が合った。
「...どうして...?」
半年前の祝賀会でもケインに結婚の申し出をされた。
その後、アシュからも恋人になれって言われた。
その時はアシュのほうがだいぶ切羽詰まってるように見えたからアシュを選んだ。
その後、アシュと恋人になったことを伝えても、ケインはウルを責めなかった。
むしろ、「そっかー、おめでとう」とあっさり引いたので、やっぱり本気ではなかったと胸を撫で下ろしたはずだ。
なのに、再びケインにプロポーズされ、困惑してしまう。
「ウルと、家族になりたいからかな?」
「けど、わたし今はアシュの恋人で...」
「でも、ずっと一緒にいられるとは思ってないんだろう?」
ずっと自分の中で受け入れていた事実を口にされ、ウルは言葉が詰まる。
何も答えられないウルにケインはあの日と同じように手を差し伸べる。
「改めて、僕と結婚してくれないかな?ウル」
二人の間に風が吹き上げる。
水色の花びらが不規則に散り、踊るように舞っていく。
あの日と重なる光景に、ウルは目を瞬かせる。
今後、アシュとの未来が見えないウルにとってケインの申し出はまたとない機会のはずだ。
ケインのことは、もちろん大好きで、結婚したらきっと毎日が楽しいと容易に想像できる。
なのに、ウルは何故か差し伸べられたケインの手を取ることができなかった。
暫くすると、ケインがゆっくりと手を引っ込める。
「まぁ、突然こんなこと言われても困るよね!」
何も反応しないウルを見てケインが何を思ったのかはわからないが、彼は笑顔を崩さなかった。
「でも、少しは僕との未来を考えてみてはくれないかな?」
「...ケイン」
すぐにケインの手を取れない自分にウルは戸惑っていた。
何も考えずに差し伸べられた手を取れたあの時といったい何が違うというのだろうか。
「それじゃあ、僕そろそろ行くね!また今度」
ケインがウルの横を通り過ぎる。
その背中を見送ることが出来ず、ウルは野花を握りしめたまま、風に揺られる水色の花に視線を落とした。
「やぁー、アシュー!!久しぶりじゃないか!!」
後ろからケインの声が聞こえて、顔を上げる。
振り向くと、ケインが建物の陰に向かって話しかけていた。
そこにいる人物と少し会話すると、ケインはその人物に向かって笑顔で手を振って、去っていった。
すかさず立ち上がったウルはすぐに建物の裏を確認しに行く。
そこにいた人物の姿を捉えた瞬間、ウルの胸が弾んだ。
「アシューーー!!」
大柄のアシュの元にぴょこぴょこと駆け寄っていき、顔を覗き込むように見上げた。
真紅の瞳が一瞬、動きを止める。
しかし、すぐに視線を逸らされる。
「どうしたの、アシュ?今日は、何かあったの?」
前回同様、今日もアシュと会う約束はしていない。
毎回、デート前には形式的で長々とした手紙を送ってくるアシュが、立て続けに約束もなく訪ねてくるのは珍しい。
けど、アシュに会えたことが嬉しかったウルは、彼がどんな事情で孤児院を訪れたのか深く考えなかった。
「............お前に、」
ウルから視線を外したまま、アシュは口を開くが、またすぐに閉じてしまった。
そのまま暫く、岩のように固まっているアシュにウルはきょとんと目を瞬かせる。
「わたしに、何?」
「............」
聞き返しても返事はない。
その代わり、アシュが腕を上げ、ウルの頬に手を伸ばそうとしている。
あと少しで触れるというところで、アシュの指が止まった。
真紅の瞳が揺れる。
一瞬だけ、泣き出しそうにも見えるほど頼りない表情が浮かぶ。
「.........アシュ?」
ウルが目を瞬かせた次の瞬間には、いつもの不機嫌そうな顔に戻っていた。
いつも自分から触れようとしてこないアシュの行動に、ウルは胸騒ぎを覚える。
いつの間にか、アシュは伸ばしかけていた腕を下ろしていた。
アシュはじっとウルを見下ろしているようなのに、なぜか視線は合わなかった。
「...どこか、悪いの?」
具体的に何がとは言えないが、今日のアシュはいつもと違う気がする。
何も答えてくれないアシュにウルの不安が掻き立てられる。
無意識に体が動き、ウルの手がアシュの腕に触れようとする。
けれども、アシュが距離を取ったため、ウルの指が彼の体に触れることはなかった。
「......部屋に戻れ」
「えっ?」
「俺はもう帰る。このまま、ここにいても体が冷えるだけだ」
確かに風は強いが、春の日差しのおかげで冷たくはなかった。
もう帰ってしまうのかと寂しく思ったが、アシュを呼び止める理由もなかったため、ウルは頷く。
馬車に戻るためにアシュが身を翻す。
その時、アシュの右耳にウルとお揃いで買ったガラス細工のピアスが光った。
「...アシュ!!」
ウルが名前を呼ぶと、背を向けて歩いていくアシュの足が止まった。
わけもわからず、アシュを呼び止めてしまった。
次に続ける言葉が見つけられず、ウルは何度も口をぱくぱくと開いては閉じた。
「ま、またね!!」
咄嗟の自分の行動に困惑を隠せないウルだったが、やっとのことで振り絞って出た言葉はあまりにもありきたりなものだった。
そんなことで呼び止めるなと叱咤の声が飛んでくることを覚悟したウルは小さく身構える。
「.......あぁ」
しかし、背を向けたままのアシュからの返答が思ったよりもあっさりしていて、拍子抜けしてしまう。
そのままアシュはウルに振り返ることなく、馬車へと向かった。
小さくなっていくアシュの背中を見つめながら、ウルはスカートの裾をぎゅっと握りしめた。




