第十話 将来の相手
硬い面持ちのままアシュフォードは目の前で静かにティーカップに口を付けるオクタヴィアンを凝視していた。
鋭い眼差しを向けられても動じる様子のないオクタヴィアンがティーカップをソーサーの上に置く。
「それで、いつになったら紹介してくれるんだい」
組んだ手を膝に置き、オクタヴィアンが微笑む。
アシュフォードは無意識に拳に力を入れた。
「...何のことでしょうか」
「忘れてしまったのかい?先日の夜会で約束したじゃないか。君の連れを、紹介してくれるって」
「申し訳ございません。都合が合わなかったもので」
「そうなんだね。それじゃあ、こちらから伺おうかな」
穏やかな物言いだったが、静かな圧が感じられた。
ウルの存在を知られてからの呼び出しだったため、それなりに覚悟はしていた。
何も答えずにいると、オクタヴィアンが深く息を吐く。
「アシュフォード。君も中々、頑固だね」
「...ありがとうございます」
「褒めてないけどね」
オクタヴィアンが足を組み直した。
「ところで、最近、魔王討伐に関わった者たちから話を聞く機会があってね」
オクタヴィアンが何気ない口調で切り出す。
「不思議なことに、皆が口を揃えて同じ少女の名前を出すんだ。彼女がいなければ、魔王は討伐できなかっただろう、と」
反応を確認するように眺めてくるも、アシュフォードは動かない。
「けれど、記録を確認しても、その少女にはこれといって優れた戦闘能力があるわけでもない。魔力量だって、むしろ少ないくらいだ」
オクタヴィアンが僅かに目を細める。
「それなのに、戦闘時には必ず彼女がそこにいた。君に、守られながらね」
アシュフォードは口を噤み、次の言葉を待つ。
「それで少し調べてみたんだ。どうやらケインが勇者に選ばれたことにも、その少女が関係しているらしい」
そこで一度言葉を切り、オクタヴィアンは静かにアシュフォードを見据えた。
「……ウルという少女は、他人の力を底上げする力を持っている。しかも、彼女自身の魔力量とは関係なく、相性がよければそれだけ大きく増幅できる」
「.........」
「違うかな、アシュフォード」
アシュフォードは答えない。
討伐の旅が始まった当初、メンバー全員が、何の力も持たないウルがなぜ討伐隊に選ばれたのか疑問に思っていた。
石につまずいただけで大騒ぎする少女を護衛する羽目になったアシュフォードは、彼女を討伐隊に選んだ賢者にかなり腹を立てていたことを覚えている。
戦闘になっても何の役にも立たず、むしろ面倒ごとばかり起こすので、一度ウルを街に置いていったこともあった。
しかし、それが間違いだったと気付くまでに、そう時間はかからなかった。
ウルがいないだけで、明らかに戦闘力が落ちたのである。
それまで一撃で倒せていた魔族に苦戦し、治癒の力を施しても傷の治りが遅い。
中でも影響が大きかったのはケインだった。
ウルが傍にいる時とは比べものにならないほど火力が落ち、普段なら容易く仕留められるはずの相手にさえ手こずっていた。
結局、その日のうちに街へ引き返すことになった。
何度か説明したはずなのにウル本人は、最後まで自分が何故魔王討伐隊に選ばれたのか、いまいち理解してはいなかった。
けれど、アシュフォードたちは知っている。
あの二年間、あの小さな少女が傍にいたからこそ、自分たちは戦えていた。
ウルがいなければ、魔王を倒すことなどできなかった。
「ここまで言えば、何を言いたいのかわかるよね。アシュフォード」
琥珀色の瞳がアシュフォードを真っ直ぐ見据える。
「我々には、ウルという少女の力が必要だ」
普段の軽薄な雰囲気が一変し、オクタヴィアンの表情から笑みが消える。
アシュフォードは改めて身構えた。
「ここ最近、魔族の動きが活発になってきている。まだ被害は小さいが、見過ごすことはできない」
ようやく本題を口にしたオクタヴィアンを一瞥する。
魔王を討伐したからといって、長年の魔族との因縁が途絶えるわけではないことは理解していた。
しかし、まさかこんなに早く動き出すとは思いもよらなかった。
「それで兄上が勇者であったケインを呼び出したんだけど、彼、......来なかったんだよ」
重たい面持ちだったオクタヴィアンの頬が僅かに緩む。
「翌日に『別の用事ができちゃって』って現れてね。久しぶりに兄上があんなに怒っているところを見たよ」
「.......」
「彼、相当な変わり者だね。君も苦労しただろう」
赤みがかった栗色の髪をした青年の姿を思い浮かべた。
確かにケインなら、国命を無視するぐらいやってのける。
むしろ次の日に現れたのならまだマシな方だろう。
二年間、護衛対象のウルだけではなく非常識なケインに手を焼いていたアシュフォードはさほど驚くことはなかった。
「まぁ、ケインの話はいったん置いておこう。問題は魔族の動きが再び活発になっているこの状況で、ケインの力を最大限引き出せる少女が、何の庇護もなく帝都を歩き回っていることなんだ」
オクタヴィアンが続ける。
「加えて、帝国が魔王を討伐したことによって、近隣諸国から警戒され始めている。彼らにウルの存在を知られたらとても厄介だ」
「......それで、わたしに何をしろと?」
アシュフォードの声が強張る。
以前から、国がウルの希少性に気付けばこうなることは予想していた。
もしアシュフォードからウルを奪い取ろうとするのなら、例え皇族であっても抵抗するつもりでいる。
ウルを自分の知らないところで勝手に扱われるなど、到底許容できなかった。
「簡単なことだよ、アシュフォード」
オクタヴィアンの瞳が細められる。
「君が、彼女を娶ればいいんだ」
「............は?」
己の耳を疑った。
すぐにオクタヴィアンの言葉を理解することが出来なかった。
アシュフォードの反応を気に留めることもなく、オクタヴィアンは続ける。
「皇族と縁が深いエヴァレット侯爵家の後ろ盾があれば隣国も簡単に彼女に手を出すことはできないだろう」
「はぁ...」
「もし皇族が直接庇護すれば、かえって彼女の重要性を周囲に知らしめることになる。そう考えると、君との婚姻が今のところ一番の得策だとわたしは考えている」
「...そう、ですか」
曖昧な返事はするも、ほとんど頭に入ってこない。
ウルとは恋人になった。
恋人にはなったが、そこから先を考えないようにしていた。
今のウルを相手にするだけでも厄介なのに、今後のことなど恐ろしくて想像することすらしたくない。
その後もオクタヴィアンがウルの今後について口にしていたが、ほとんど覚えてはいない。
脳内ではずっとウルを娶ればいいという言葉だけが反芻され続けている。
そんなくだらないことを考えているうちに、気付けばエヴァレット侯爵家別邸に戻っていた。
自室へと戻り、改めてオクタヴィアンとの会話の内容を思い出す。
もう少しまともな案はなかったのかとオクタヴィアンに苛立ち、舌打ちをする。
何故、自分があの小娘を娶らなければならないのか理解ができない。
アシュフォードがウルと恋人同士だからと安易に考えすぎではないだろうか。
婚姻以外にも方法はあるはずだと考えてみたが、どれも妙に気に障った。
....................
帝国がそれほどウルを必要としているなら致し方ない。
たとえ軽率に口にしたことであっても、オクタヴィアンは皇子だ。ほぼ国命みたいなものだ。
アシュフォードとしては大変不本意だが、国のためにウルと婚姻を結ばざるを得ない。
それにウルだってそれを望んでいるはずだ。
先日、ウルが寝言でずっと一緒にいたいと口走っていたことを思い出し、アシュフォードは右耳のピアスへ自然と手を伸ばす。
所詮酔っている時の戯言で、翌朝もウル本人が言ったことを記憶してもいなかったため、鵜呑みにしているわけではない。
しかし、それでも無意識にこぼれた言葉なら、ウルは内心ではアシュフォードを必要としているはずだ。
だから、決してアシュフォードの意思ではない。
もし仮にウルと結婚したなら一々手紙で予定を確認する必要もないので、アシュフォードの労力も無駄に使われずに済む。
ウルだっていつまでも孤児院に身を置けるわけではないから、ちょうどいい機会なのかもしれない。
そう考えると、ウルとの婚姻も悪いことばかりではない。
不意にウルがエヴァレット侯爵家の屋敷にいる姿を想像してみた。
間違いなく騒がしくはなるだろう。
しかし、多少の騒音ぐらいなら許容範囲だ。問題はない。
くるくると広い屋敷を駆け巡るウルが容易に思い浮かんだアシュフォードは知らず知らずのうちに口角が上がっていた。
・
オクタヴィアンからウルとの婚姻の話をされてから数日、アシュフォードは毎日悪夢に見舞われていた。
ウルがエヴァレット侯爵家の屋敷を自由に歩き回り、自分の姿を見ると笑顔で駆け寄ってくる、そんな夢だ。
夢から醒めて起き上がると、いるはずのないウルの姿を探してしまう自分に激しい嫌悪感を抱き、毎朝最悪な目覚めだった。
一刻も早くこの状況を終わらせたかったアシュフォードは不本意だがウルに婚姻話を持ちかけることにした。
いつものように手紙で予定を確認しようとするも、想像以上に筆が進まず苛立ってしまい、結局一文字も書けなかった。
数日後、以前から後回しにしていた孤児院近くでの所用を思い出し、アシュフォードはようやく片付けることにした。
用事が思いのほか早く片付き、時間を持て余したため、渋々ウルを訪ねることにした。
突然、アシュフォードが訪ねてきたことに驚いていたウルだったが、すぐに笑顔を見せる。
毎晩夢で見ているはずなのに、アシュフォードの胸が小さく疼く。
外で話す内容ではなかったため、ウルを連れて個室のある店へ入る。
目の前で用意されていく焼き菓子などを無邪気に目で追っているウルの姿に、アシュフォードは唇を強く引き結ぶ。
たかが婚姻の話をするだけだと己に言い聞かせるも心臓の音が鳴り止まない。
今の国の情勢をそのまま伝え、婚姻の必要性を説明するだけだ。
しかし、アシュフォード自身が望んで結婚を持ちかけているなどと、ウルに誤解されるわけにはいかない。
ウルとの会話で少しでも気を抜くと、いつの間にか彼女の調子に巻き込まれてしまうため、慎重になる必要がある。
震えそうになる拳を握りしめ、アシュフォードは意を決して口を開いた。
「.............け、結婚のことについてなのだが」
それから、ウルにもわかるよう婚姻の必要性を説明するつもりだった。
現在の帝国の状況。
エヴァレット家と皇族の関係について。
ウルの今の政治的立ち位置について。
そして、それらを全て引っくるめた結果、不本意だがアシュフォードがウルと結婚しなければならないこと。
しかし、アシュフォードが「結婚」という言葉を口にしただけで、ウルの表情が曇っていく。
「...どうかしたか」
「う、ううん。なんでもない」
ウルは笑顔で首を振っているが、明らかに様子がおかしかった。
「...アシュは将来的に結婚も視野に入れてるの?」
「......必要なら」
今まさにウルとの婚姻について話そうとしていたため、動揺に気付かれぬように声を抑える。
「そっか......」
持っていたティーカップをテーブルの上に置いたウルが顔を上げる。
淡い水色の瞳がアシュフォードを真っ直ぐ見据える。
「アシュは、いったいどんな人と結婚したいの?」
予想だにしていなかった問いに、アシュフォードは言葉を失った。
本来なら恋人が結婚という言葉を口にした時点で、自分たちの今後についてのことだと勘づくはずだ。
何故、ウルがそんなことを聞いてくるのか本気でわからなかった。
自分が望んだはずのないウルとの未来が見えなくなってしまったアシュフォードは静かに口を閉ざした。
『...これからも、アシュと、ずっと一緒にいられたらいいな......』
今もなお、忘れられないあの言葉が脳内に響き渡る。
あの言葉までただの戯言だったとは思いたくないアシュフォードは奥歯をきつく噛み締めた。




