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第51話:天才少女の初めての友達、あるいは二人の境界線

「な、何それ。外部恋愛アドバイザー……?」


 あまりに突飛な言葉に渡辺はただただ呆然としている。だが、目の前の少女――天ノ川美鈴(あまのがわみすず)は至って真剣だ。


「私は、これから高丘くんと正式に交際を開始するわ。けれど、私には他者とのコミュニケーションや恋愛に関する知識が圧倒的に不足している。そこで、社会においての立ち回りや恋愛方面でのアプローチに熟達したあなたを外部顧問として招聘しょうへいしたい。それが、私の今後の人生において有用な選択肢だと判断したわ」


 彼女はタブレット端末を操作し、何やら計算を始める。


「顧問料は……そうね。月額百万円でどうかしら」

「僕のお給料より高いんですけど!?」


 家政夫として雇われている僕の月給の倍だ。思わず叫んでツッコんでしまった。


「君との交際を円滑に進められると思えば安すぎるコストよ」


 ツッコミどころは色々あったが、僕との交際のためと言われると何も言い返すことができない。これが惚れた弱みというやつだろうか。彼女は僕を一瞥いちべつして黙殺すると、すぐに渡辺へと視線を戻す。


「さあ、どうかしら。渡辺小幸わたなべこゆき


 渡辺はしばらく黙っていたが、やがて体を震わせ始めた。そして、美鈴に向かって吐き捨てるように言った。


「絶対に嫌!!」


 予期せぬ返事だったのか美鈴は目を見開く。


「ど、どうしてかしら。破格の条件だと思うけれど」

「そういうところだよ」


 うんざりしたように溜息を吐く渡辺。


「金を積めば人を動かせると思っているところが嫌。その偉そうな命令口調が嫌。高丘くんと同じような立場にされるのも嫌。……あんた、スカウト下手すぎでしょ。そんな交渉の仕方で首を縦に振るやつなんていないよ」


 そんな交渉で首を縦に振るやつ――僕のことだ。あの時は切羽詰まった状況だったとはいえ耳が痛い。気まずくて仕方がない。


 美鈴はといえば、それ以上反論をすることもなくただ悲しげに目を伏せていた。


「……それじゃあ、交渉は決裂ということね」


 渡辺は顔を背けたまま溜息を吐く。


「一個、確認。さっき私のことを頭が良いって言ったよね。あれ、本当?」

「本当よ」


 即答する美鈴。


「私のことを可愛いって言ったのも本当?」

「そうよ」


 美鈴はまたも即答する。


「……生まれて初めてだよ、そんなこと言われたの」


 渡辺はしばらくの間うなだれたまま何やら独り言を言っていた。やがて微かに頬を染めた渡辺は美鈴を真っ直ぐに見据えた。


「天ノ川さん、アドバイス」

「アドバイス……?」

「そういう時は契約がどうこうとかお金がどうこうとか言うんじゃなくて、こう言うの。『私と友達になってください』って」

「それは……どういう……?」


 困惑する美鈴はパチクリと瞬きをしている。渡辺は偉そうに腕を組むと悪態をついた。


「外部恋愛アドバイザーとかになるのはお断りだけど、友達にならなってあげるって言ってるの。ほら、やり直しのチャンスをあげるから。言ってみて」


 美鈴は小さく微笑む。それから、どこか緊張した面持ちで静かに頭を下げた。


「渡辺小幸。……私と友達になってちょうだい」


 渡辺は満足げに笑うと、懐からスマホを取り出す。


「今週末、空いてる? どっか遊びに行こうか」


 美鈴は顔を上げ、微笑み返した。


「スケジュールを確認しておくわ」

「じゃあ後で連絡ちょうだい。後夜祭のフォークダンスが始まっちゃうから私はもう行かなきゃ」


 渡辺は笑顔で手を振ると去って行く。僕は、その様子を呆然と見守っていた。女子の友情というのは本当によく分からない。まさかあの流れからこの二人が和解できるなんて思ってもみなかった。


「……天ノ川さん、今更ですけど本当によかったんですか。渡辺さんは――」


 彼女は僕を美鈴のもとから奪い去り、美鈴を傷つけようとしていたのだ。そう言おうとした僕は、彼女が嬉しそうな笑みを浮かべいることに気づく。


「高丘くん。……私、生まれて初めて友達というものができたわ」


 彼女は、まるで大切なものでも抱えるように小さな手で自身の胸元を押さえ、満足げに僕の隣へと戻ってきた。彼女がそれでいいならば僕はもう何も言うまい。


 僕たちは再び並んで隣に立ち、静かな時間を享受する。


 そんな僕たちのもとに次に現れたのは、クラスの片付けをしているらしい委員長の長谷川だった。


「こんなところにいたのか、高丘……」


 大きな段ボールを抱えた長谷川は、僕と美鈴の隙間のない密着っぷりを見ると、ぎこちない笑みを浮かべた。僕もさすがに少し気まずい。


「あ、そうか。ごめん。文化祭の片付けだよね」

「いや、本当はそのつもりで探していたんだが……」


 長谷川は困ったような顔で視線を泳がせる。


「さっきすれ違った渡辺さんに、二人はもうカップルを通り越して夫婦だから先に帰らせてやれって言われて……」

「ぶっ――!?」


 何を言ってくれているんだ、渡辺は。直球すぎるその言葉に、僕は思わず吹き出した。


 僕はともかく美鈴がなんと言うか。今までの彼女なら、ここで冷徹な態度を取り、数式や論文を引用して大音量で論理武装の反論を展開していたはずだ。だから僕は、今回も彼女がどう冷酷な言葉の数々をまくし立てるかと身構えた。しかし――。


「ふ、夫婦……っ」


 美鈴は、カッと一瞬で顔を頭頂部まで真っ赤に染め上げた。そして、長谷川をにらみつけることもせず、ブレザーの裾をぎゅっと握りしめてうつむき、蚊の鳴くような声でボソリと呟いたのだ。


「……そ、それは、いずれは……そうなるかもしれないけれど……いくらなんでもまだ早いわ……」


(否定を……しない……!?)


 いつもの論理的な全力の言い訳がとんでこない。顔を真っ赤にしてただ照れている。その普通の少女のような反応があまりに愛らしく感じる。隣にいる僕まで照れ臭くなってしまった。


 そんな僕たちの様子を見て長谷川はなぜか涙目になった。


「本当にそうなんだな……。じゃあ、クラスの後片付けは俺がやっておくから……高丘は帰っていいぞ。お幸せに……」


 長谷川は悲しみと祝福の混ざった目で僕たちを見送ってくれる。なんともいたたまれない気持ちのまま僕たちは校舎を後にすることにした。


 すっかり日が落ち、群青色の夜空が広がった帰り道。校庭の喧騒が遠ざかり、駅へと続く並木道を二人で並んで歩く。


 街灯の光が、美鈴の横顔を優しく照らしていた。彼女はふと足を止め、きらめく夜空を静かに見上げた。


「……天ノ川さん?」


 僕が声をかけると、美鈴はゆっくりと振り返った。


 夕方からの照れがまだ残っているのか、その頬はほんのりと赤い。彼女はスッと右手を伸ばすと、繋がれるはずだった俺の右手を避けるようにして――でも、どこか切なげに、そして最高に嬉しそうに、僕の手首を細い指先でそっと、優しく握りしめた。


 何の建前もなしで手を繋ぐのはさすがにまだ照れ臭かったのだろう。握られた手首から伝わってくる彼女の体温が愛おしくて堪らない。


「……今日は、脳のメモリを使い果たしたわ、高丘くん」


 見上げてくる宝石のような瞳が、潤んだ光を湛えている。


「文化祭のノイズ、他個体からの干渉、そして……君のせいで跳ね上がり続けた、私の生体バイタル。全てが限界よ。……だから、帰宅したらすぐに、最上位の定時メンテナンスを要求するわ」

「最上位の定時メンテナンスって……ハグより上ってことですか? い、いったい何をすれば……」

「何だと思う?」


 彼女の少しかすれるような甘い声。僕の心臓が思わず高鳴った。

 

「……拒絶は、一切許可しないから」


 不器用に、でも確実に紡がれた、愛おしすぎる甘えの言葉。僕たちの境界線が、この心地よい夜風の中で、完全に溶け合おうとしていた。

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