第40話:同一規格のトラップ
渡辺が怪訝そうに指差したのは、ソファの左右に置かれた二つのクッションだった。
「……ねえ、高丘くん。これって……」
デザインは全く同じだが、片方はシックなネイビー、もう片方は落ち着いたライトグレー。以前に郊外のショッピングモールで美鈴と一緒に購入したお揃いのクッションだ。
普段から生活に馴染みすぎてすっかり片付けるのを忘れていた。途端に嫌な汗が流れる。
美鈴は僕たちの親密さを周囲に見せつけて付け入る隙のなさをアピールしたいと言っていた。だが、彼女の社会的な立場を考えれば付き合ってもいない段階からあれこれと邪推されるのも良くないはずだ。
立ち回りがなんとも難しいが、お揃いはさすがにマズいだろう。ここは誤魔化すしかない。
「あ、ああ……。クッションだけど。渡辺さん、それがどうしたの?」
「どうしたの、じゃなくて……」
渡辺はじっとクッションを見つめ、それからリビングの奥、オープンキッチンのカウンターへと視線を走らせた。そこには、棚に綺麗に並べられた同じブランドのペアマグカップが置かれている。さらに言えば、僕が履いているスリッパと部屋の奥で何やら作業をしている美鈴のスリッパも、同一デザインの色違いだった。
その時、僕と渡辺の会話を聞いていた長谷川が突然間に割って入ってきた。長谷川はすっと眼鏡のブリッジを押し上げ、完全に犯人を追い詰める刑事のような据わった目で僕を凝視する。
「高丘、一つ質問させてくれ。細かいことが気になるのが俺の悪い癖でな……」
「な、なに」
「天ノ川さんの家でライフマネージャーとして働いている……そこまでは理解している。だが、お前のスリッパ、ソファのクッション、キッチンのマグカップ。これら全てが『お揃いの同一デザイン』なのは、どういう論理的背景があるんだ? これは本当に『ただの助手』としての距離感か? この部屋、完全に二人の世界じゃないか?」
鋭い。お節介な学級委員の観察力を完全に舐めていた。
僕の背中にドッと冷や汗が流れる。しかし、ここで動揺すれば全てが水の泡だ。僕は脳内の引き出しを高速で漁り、以前、ショッピングモールで美鈴が言い放った『あの謎理論』をそのまま再生した。
「そ、それは違うよ、長谷川くん! ただの誤解だ! 同一規格の製品を採用することは、購買における選択コストの削減、および生活動線における空間の対称性を保つための極めて合理的な選択なんだ! 色違いなのは、個体識別を容易にして管理効率を最大化するためであって、決して軟弱な感情論によるものではない!」
どうだ、と胸を張る。美鈴直伝のガタガタなロジックだ。
他のクラスメイトたちは一瞬丸め込まれそうになったが、長谷川の疑念の目はさらに深まるばかりだった。
「いや、言い訳が完全に天ノ川さん構文に染まっている時点で逆に怪しいが……」
「それは、毎日指示を受けてるから移っただけで――」
僕が必死に弁明を重ねようとした、その瞬間。
リビングの奥のワークスペースから、何やらタイピングをしていた美鈴が、何でもないことのように平然と声をかけてきた。
「高丘くん。他個体の相手はそこまでにして」
「ああ、そっか。お茶の時間ですよね。いつものブレンド茶でいいですか?」
「ええ。早くしてちょうだい。脳の演算機能維持のため、水分補給のタイミングをこれ以上逸するわけにはいかないの」
「分かりました。今、淹れるから待っててくださいね」
僕は反射的に、いつものトーンで自然に返事をしてしまった。
言い終えた瞬間、僕と美鈴の間に流れたあまりにも自然すぎる空気感に、リビングの時間が完全に停止する。
長谷川だけでなく、他の男子も、女子生徒の渡辺さんすらも口を半開きにして僕たちを見つめていた。
お茶の銘柄も時間も当然のように把握している。そこにあるのは、ビジネスライクな主従関係などではなく、何年も一緒に暮らしている熟年夫婦のそれだった。
「高丘……お前ら、普段からそんな距離感で……」
「ち、違うんだ! これは効率的な業務命令の一環で――! ああ、もう! とにかくお茶を淹れてくる! みんなの分も用意してくるから待ってて!」
これ以上この場にいたら、ボロが出まくる。限界を迎えた僕は、お茶を淹れるという正当な名目を得て、逃げるようにキッチンへと足を向けた。
すると、ソファから女子生徒の渡辺が声を上げて立ち上がった。
「私、お茶の準備手伝うよ! 大人数だし、高丘くん一人じゃ大変でしょ?」
「ああ。ありがとう、渡辺さん」
「家事ができる男子って良いね。なんかモテそう」
親切心からの申し出だった。クラスの女子として、至極真っ当な気遣い。何気ない会話。だが、渡辺がキッチンへ向かって一歩を踏み出した、その瞬間だった。
ガタン、と背後でタブレット端末がテーブルに置かれる音が響いた。
強烈な肌を刺すような悪寒が部屋全体に広がる。振り返ると、ワークスペースの椅子に座った美鈴の瞳から、一切の光が消え失せていた。
絶対零度の威嚇モード。美鈴は無表情のまま、しかし底知れない拒絶のオーラを全身から放ちながら、ゆっくりと立ち上がった。




