第39話:氷姫の聖域、一般開放
放課後の教室。お節介な学級委員である長谷川が、数人のクラスメイトを背後に引き連れて僕の席に突撃してきた。
「なあ、高丘! 今度の定期テスト、天ノ川さんのあのタワマンで、みんなで勉強会やらせてくれよ!」
その中には、先日の調理実習で同じ班だった男子や、僕を物珍しそうに見つめる女子生徒――渡辺の姿もある。
(待って、待って。それは絶対にマズいって……!)
僕の脳内で、瞬時に赤色の警告灯が激しく明滅した。
以前の大騒ぎの際、美鈴が「彼は私の生活基盤を最適化する専属ライフマネージャーよ」と宣言したおかげで、周囲は「高丘は天ノ川さんに公式に雇われている助手のようなもの」と無理やり納得してくれている。
だが、納得しているのはあくまでビジネス上の主従関係としてだ。
実際には、あの最上階の部屋で毎日ハグを交わし、お揃いの家具に囲まれて一緒に暮らしている。もしクラスメイトが集団で突撃してくれば、その『同棲』の痕跡が一発で露呈してしまう。
しかも、先日の調理実習の騒動で僕たちが付き合っているのではないかという疑念を学校中にばら撒くことになった。いくら実際にはそういう関係ではないとはいっても、こんな状況でクラスメイトを家に招待などしたらその疑念が確信に変わってしまう。
「いや、長谷川くん。気持ちはわかるけど、あそこは天ノ川さんのプライベートな研究拠点でもあるんだ。部外者をぞろぞろ入れるのは、セキュリティ的にも――」
僕が必死に防波堤になろうとした、その時だった。
「――許可するわ」
鈴の音を転がしたような、しかしどこか絶対零度の冷たさを孕んだ声が教室の入り口から響いた。
振り返ると、いつの間にか現れた美鈴が、制服の上に羽織った白衣のポケットに両手を突っ込み、傲然とこちらを見下ろしていた。
途端に長谷川が目を輝かせる。
「えっ、天ノ川さん!? いいんですか!?」
美鈴は感情の読めない無表情のまま、小さく頷いた。
「ええ。定期テストにおける君たちの脆弱な平均点底上げのため、私の脳内リソースを一時的に提供することは、学校全体の知的生産性向上において吝かではないわ。今週末、私の居住空間への立ち入りを承認するわ」
「やったー! さすが天ノ川さん、話がわかる!」
歓喜する長谷川たち。その隙に、僕は美鈴の手首を掴むと、人気のない廊下の隅へと彼女を引っ張っていった。
「何を考えてるんですか、天ノ川さん! あそこは僕たちの……いや、あなたの家ですよ!? 彼らを呼んだら、生活感がバレるに決まってるじゃないですか!」
「問題ないわ、高丘くん」
美鈴は掴まれた手首をそのままに、大真面目な顔で早口に理屈を捏ね始めた。
「ここで合理的な理由なく拒絶すれば、彼らの脆弱な推理力により『何か隠蔽しているのではないか』という不必要な疑惑のパラメーターが上昇するわ。結果として、今後の監視コストが増大するのよ。一度だけ空間を一般開放し、単なる『助手としての厳格な職場』であると誤認させる方が、長期的には極めて合理的判断よ」
「本当に、それだけですか……?」
僕がじっと見つめると、美鈴はふいっと顔を背けた。その白い耳の付け根が、ほんのりと赤く染まっている。
「……それに、先日の調理実習以降、他個体が君を見る視線の周波数が変化しているわ。我が家の重要資産である君に、不純物が付着するのを未然に防ぐため、我が家の『絶対的なセキュリティ』を視覚的に提示しておく必要があるのよ」
「つ、つまりどういうことですか……?」
「平易な言い方をするのであれば――私と君の親密さを他個体に見せつけたい。付け入る隙が存在しないことをアピールするために」
独占欲の塊であるご主人様に、僕は深い溜息をつくしかない。
「天ノ川さん、最近あんまり独占欲を隠さなくなってきましたよね!? クラスメイトの前でいったい何をする気なんですか!? や、やっぱり今すぐ断りましょう……!」
踵を返そうとした僕の制服の袖を美鈴がグッと掴んだ。
「……高丘くんは私と仲良くするのがそんなに嫌なの?」
悲しげに俯く美鈴。そんな風な顔をされては強く言い返すこともできない。
「天ノ川さんと仲良くするのが嫌なんじゃなくてですね……。それをクラスの人たちに見られたらまた僕たちが付き合ってるんじゃないかって噂されるじゃないですか。それが心配なんですよ」
「……私たち、いつかはそうなるんじゃないの?」
美鈴は恥ずかしそうに顔を背ける。
「私の証明が完了したら、なるんでしょ。……私たち、恋人同士に」
「それは……そうなんですが……」
面と向かって言われ、今度は僕が赤面する番だった。
「……いや、それ以外にも心配なことはあるんですよ。天ノ川さんの性格的に他人が自分のテリトリーに入ってきたらすごいストレスを感じません?」
思ってもみないことだったのか美鈴は急に真顔になる。
「……そんなことはないわ」
痛いところをついてしまったのだろう。返答まで妙に間があった。
「仮に他個体との接触でノイズが生じたとしても君が傍にいれば問題ないわ」
「そ、そうかなぁ」
「そうよ」
「天ノ川さんがいいならいいですけど……。じゃあ、本当に長谷川くんたちに家に来てもらっていいんですね?」
「くどいわ。同じ問いを何度も繰り返すのは非効率的よ」
「わ、分かりました。じゃあ、今週末は僕たちのマンションで勉強会ですね。念のため当日は生活感のあるものは隠しましょうね」
彼女に念を押し、教室へと戻る。まだ何日も先の話だというのに今から既に大事になる予感しかしなかった。
――そして、迎えた勉強会当日。
都内の一等地にそびえ立つ高級タワーマンション。その最上階の重厚なドアの前で、長谷川を含む四人のクラスメイトがガタガタと震えていた。
「ねえ、エレベーターのボタンに『最上階専用キー』が必要って時点で次元が違いすぎるんだけど……」
「インターホンを押すの緊張するんだけど! 長谷川、お前が押せよ!」
押し付け合っている様子が室内から見えるカメラの映像にしっかりと映り込んでいる。
しばらく待っているとチャイムが鳴り、僕は私服姿でドアを開けた。
「いらっしゃい、みんな」
「うわ、本当に高丘が普通に出てきた……」
「お邪魔します……って、ひゃあ!?」
一歩中に足を踏み入れた瞬間、彼らは息を呑んだ。
そこにあったのは、埃一つ落ちていないピカピカの大理石の廊下。窓から差し込む陽光が反射する、洗練されたリビング。広大なガラス窓の向こうには都心の絶景が広がり、美鈴が計算式を書き殴るホワイトボードさえも、インテリアの一部のように美しく整理されている。
僕がこの数ヶ月の間、持てる全ての家事スキルを注ぎ込んで維持してきた、超一流ホテルのスイートルームさながらの美しい空間だ。
「す、すげえ……! 本当にタワマンの最上階だ……!」
「高丘くん、本当にここで『ライフマネージャー』として働いてるんだね……」
圧倒される一同を、僕はリビングの大きなソファへと案内する。
「僕が言うのも変だけど……適当に座ってね」
秘密がバレないよう、事前に生活感のあるものは隠したつもりだった。だが――ソファへ腰掛けようとした女子生徒の渡辺が、ふと、ある違和感に目を留めて、首を傾げた。
「ねえ、高丘くん。これって……」
彼女の指先が、ソファの上に並んだお揃いのクッションを指し示す。僕の心臓が、ドクンと嫌な音を立てて跳ね上がった。




