第31話:仕様書なき調理実習
僕のクラスの担任の担当教科は家庭科だ。その日のホームルームは担任によって半ば私物化され、次の家庭科の授業の話題が出ていた。
「次の家庭科の授業は調理実習を行います。メニューはハンバーグと副菜ね。班は今からくじ引きで決めます」
担任のその気楽なアナウンスに、教室がわっと沸き立った。
高校生の調理実習など半分はイベントのようなものだ。誰と同じ班になるかで一喜一憂するクラスメイトたちを横目に、僕は自分の引いたくじの番号を確認する。
「おい高丘、お前何番だ? ……あ、四番? マジかよ、俺と同じじゃないか」
声をかけてきたのは、学級委員の長谷川だった。しかも、同じ班の残りのメンバーを見渡せば、普段から大雑把なことで有名な男子ばかり。絵に描いたような『不器用男子グループ』の完成である。この時点で、嫌な予感しかしない。
だが、それ以上に教室をざわつかせたのは、ある班のある生徒の事情だった。
「他のクラスの生徒さん――天ノ川美鈴さんですが、学会出席のため自分のクラスで調理実習を受けられなかったそうです。なので、彼女はうちのクラスで一緒に受けてもらうことになりました」
予想外の事態。しかも、学校側の特別な配慮と本人の強い希望により、天ノ川美鈴はなんと、特設の『孤高の一人班』として実習に挑むことが決定したのだ。
今までの人生で感じたことがないほど凄まじく――凄まじく嫌な予感がした。
***
その日の休み時間。
スマホに届いた短いメッセージに呼び出され、僕は人気のない旧校舎の渡り廊下へと向かった。そこには、既に腕を組んでじっとりとした目つきをした美鈴が待っていた。
「遅いわよ、高丘くん。呼び出しから到達まで、百二十秒も要するなんて危機管理意識が希薄ね」
「しょうがないじゃないですか。長谷川くんに調理実習の役割分担で絡まれてたんですから。……それで、何の用でしょうか、天ノ川さん」
美鈴は小さく鼻を鳴らし、制服のポケットに手を突っ込んだまま、不満を隠そうともせずに言い放った。
「義務教育および高等教育における調理実習というカリキュラムの非合理性について、君と意見を共有しにきたのよ。あんな仕様書通りにただ加熱するだけの低レベルな作業に、私のライフマネージャーの労働力が割かれるなんて、時間的リソースの明白な無駄遣いだわ」
「まあ、学校のカリキュラムですからね。それくらいは我慢してくださいよ」
「我慢の問題ではないわ。私が憤慨しているのは、もっと根本的なセキュリティ上のリスクについてよ」
美鈴は一歩、僕に詰め寄ってきた。銀色の瞳が、どこか座ったような、妙にギラついた光を帯びている。
「君が他の個体と同じ班で調理を行うということは、君の優れた調味スキルや火加減の最適化プロセスが、他人に無償で開示されるということよ。これは私の独占契約における『情報漏洩』に等しい重大な背信行為だわ」
「大袈裟すぎます。ただのハンバーグですよ?」
「ただのハンバーグではないわ」
美鈴は声を大にして、けれど周囲を気にするような素振りを見せながら、顔を苺のように真っ赤にしてまくしたてた。
「……私の胃袋とホメオスタシスに最適化された君という貴重なリソースを、他個体に一過性とはいえ消費され、あまつさえその成果物を摂取されるなど……論理的に、断じて、一ナノメートルも許容できないわ。君が料理を作って、食べさせていいのは、私だけよ」
歪んだ理屈。徹底的に小難しい用語で武装された、あまりにもストレートで、独占欲の塊のような我儘。これはこれで恥ずかしいことを言っているのに気づいていないのだろうか。散々迷った挙句に僕は指摘することにした。
「天ノ川さん、今言っていること……かなり恥ずかしいです……。独占欲が強く出すぎていて……聞き方によってはちょっと僕のことが好きすぎる感じに聞こえます……」
「なっ、好っ……!? そんなこと一ピコメートルも言っていないでしょう……!」
「単位がナノよりも小さくなった……」
自分の口から出た言葉の恥ずかしさに耐えかねたのか、美鈴は「……とにかく。他班への余計な技術支援は厳禁よ」と言い残し、逃げるようにパタパタと走り去っていった。
(……要するに、他の人たちに僕のご飯を食べせたくないってことだよね。本当に可愛い人だな)
残された僕は、胸の奥に灯った妙な熱さに気恥ずかしさを覚えながら、彼女の不器用すぎる独占欲に小さく苦笑するしかなかった。
***
そして迎えた、調理実習当日。
可愛らしいクマのエプロンを身につけた僕は、調理室の四番テーブルに立っていた。
僕の班では長谷川がボウルを前にして、不器用な手つきで不穏なやる気を漲らせている。
「よし、高丘! お前はとりあえず、そこの玉ねぎでも剥いてろ! メインのミンチ肉作りとハンバーグを焼く作業はこの俺がやってやるからな! 天ノ川さんに良いところ見せるぞ!」
他の男子たちも、計量スプーンの使い方が分からずにあちこちで騒ぎを起こし始めていた。
混沌とした調理実習の幕開け。だが、僕が本当に警戒すべきは、目の前の不器用男子たちではなかった。
調理実習室の最果て。最先端の実験器具でも扱うかのように、冷徹な手つきで一人分のフライパンをセットしている美鈴。彼女は一切の手元を見ることなく、その絶対零度の視線だけを、真っ直ぐに僕たちの班――いや、僕の周囲へと突き刺していた。
(……天ノ川さん、目が本気すぎる。怖いって!)
冷酷な天才の視線に見守られながら、僕の、周囲の誤解を招きまくるであろう嵐の調理実習が、静かにスタートした。




