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第22話:秘密のハンドサイン、シグナル・スリー

 五限目の移動教室へと向かう、賑やかな午後の廊下。


「おい、高丘。さっきの数学の小テスト、マジで難しくなかったか? あ、お前は天ノ川さんの『学習支援AI』とやらでズルしてるから余裕だったのか?」


 ノートを小脇に抱えた長谷川が、いつものように邪推の混じった声をかけてくる。


「あれはただの問題集みたいなものだって」


 僕は適当に受け流しながら、廊下を歩いていた。


 その時、前方の生徒たちが左右に割れ、廊下にスッと道ができた。向こうから歩いてくるのは、数人の女子生徒や他クラスの男子に遠巻きに囲まれた美鈴だった。相変わらず、学校での彼女は周囲を寄せ付けない冷徹なオーラを放っている。


(あ、天ノ川さんだ……)


 長谷川を初め、周囲の生徒たちが息をむのが分かった。


 校内でわざと目立つような真似をする必要もない。僕は極力視線を合わせないよう、自然な動作で通り過ぎようとした。


 ――だが、僕たちの距離が数メートルまで縮まった、その瞬間。


 美鈴の銀色の瞳が、真っ直ぐに僕を射抜いた。一瞬、廊下の喧騒が消え去ったかのような、鋭く冷たい視線。


 そして彼女は、自身を取り巻く生徒たちからは絶対に見えない死角――自分の胸元の位置で、スッと指を三本立てた。


 表情は、氷のように冷たい無表情のまま。彼女はそのまま、僕と一度も言葉を交わすことなく、無言で通り過ぎていった。


「ひっ……!」


 僕の隣で、長谷川が短い悲鳴を上げた。それだけじゃない。すれ違いざまに彼女のハンドサインを目撃してしまった周囲の男子たちが、一斉に血相を変えて僕の周りに群がってくる。


「お、おい、高丘! 今の見たか!?」

「天ノ川さん、めちゃくちゃ怒ってただろ……! 目が完全に獲物をほふる時のそれだったぞ!」

「指を三本って……あれか!? 『お前の命はあと三日』っていう死の宣告か!?」

「いや、スリーアウトってことだろ! 高丘、お前一体どんな重大な契約違反をやらかしたんだよ!」


 口々に僕の身を案じ、戦々恐々とする長谷川たち。


 ――だが。周囲がパニックになる中、僕は心の中で、盛大にずっこけていた。


(……いや、違うから。命の音(カウントダウン)でも、スリーアウトでもないから)


 僕の脳裏に浮かんでいたのは、昨夜、他愛ない話をしながら二人のスマホで同期した共有カレンダーアプリの画面だ。


 その時の彼女との会話までもが思い起こされる。


「天ノ川さん、明日の晩ご飯は何がいいですか?」

「高丘くんが作るものなら別になんでもいいわ」

「えーっ。そういうのが一番困るんですよ」

「なら、美味しいもの」

「あんまり変わってないし……。分かりました。それじゃあ、カレンダーアプリに選択肢を入力しておくので明日の夕方までに考えておいてください」


 そうして共有カレンダーアプリの画面には、今日の夕飯の希望メニューとして、僕が遊び半分で書き込んだ表が並んでいた。


 1、オムライス。2、ハンバーグ。3、唐揚げ。


(ただの『今日の夕飯は3番の唐揚げにして』っていう、わがままなリクエストじゃん……!)


 今日のお弁当がよほどお気に召したのか、そのお返しのつもりなのだろう。学校の廊下という公共の場を利用して、周囲を巻き込んだ壮大な暗号通信を送ってきたのだ。天才の頭脳をそんなくだらないことに使うなと言いたい。


「高丘、今から入れる保険を探しておいた方がいいぞ……」


 周囲の男子たちが僕の肩に手を置く中、僕は小さく溜息をついた。


 そして、既に十メートルほど先を歩いている美鈴の背中に向けて、分かったよ、という意味を込めて、小さく一度だけ頷いてみせた。


 その瞬間。心なしか、美鈴の美しい背筋がピクッと跳ねた。


 彼女は振り返ることこそしなかったが、ふいっと不自然に顔を背け、耳の裏をほんのり赤くしながら、あからさまに満足そうな様子で歩調を速めていった。


(……全く、人騒がせな暗号だなぁ。……唐揚げかぁ。今日は衣をカリカリにしてみようかな)


 周囲の的外れな同情と恐怖の視線を浴びながら、僕は今日の晩御飯の仕込み手順を頭の中で組み立て始める。だが、その時、ふと気がついた。


(……あれ。これ、もしかして学校ですごく恥ずかしいことやってない?)


 急に照れ臭くなった僕はただその場でうつむくしかなかった。

 

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