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第20話:ライフマネージャーの配給(ディストリビューション)

 夜。リビングのソファでふんぞり返った美鈴は、急にもっともらしい屁理屈をこね始めた。


「学食や購買のパンは、脂質と炭水化物の比率が私の計算モデルと乖離しすぎているわ。栄養素のランダム性が高すぎる食事は、午後の研究パフォーマンスに看過できない遅延を発生させることになる」


 一瞬何を言われたのか分からず、僕は洗い物をしていた手を止める。 


「……天ノ川さん、そもそも学食や購買でお昼を済ませてたんでしたっけ?」

「どちらも利用したことはないわね」

「じゃあ、関係ないじゃないですか」

「そういうことじゃないわ」


 不機嫌そうに頬を膨らませる美鈴。


 要するに「お前の作ったご飯を昼も食べさせろ」ということだったのだが、天才特有の持って回った言い回しのせいで、危うく聞き流すところだった。


 そんなわけで、僕のエグゼクティブ・ライフマネージャーとしての業務に、新しく『お弁当の作製』が追加されることになった。


 ――それが、数日前のことだ。その日以来、彼女は毎朝嬉しそうにお弁当を受け取ってから家を出ている。


 しかし、なぜだか今日に限っては弁当箱を持たずにさっさとマンションを出て行ってしまった。


 さて、どうしたものだろう。


 僕のカバンの中には、自分用の地味な一段弁当と、美鈴のために用意した二段重ねのランチボックスがある。


 一応、学校ではエグゼクティブ・ライフマネージャーという建前があるので、彼女と接触したとしても言い訳は立つ。とはいえ、校内であまり悪目立ちもしたくない。


 彼女のクラスの担任に頼んで渡してもらうか、誰もいない時間を狙って美鈴に直接渡そう。――そう考えていた。


 だが、その計画は登校直後に、早くも木っ端微塵に打ち砕かれる。


 教室のドアが開く音。一限目の予鈴が鳴る少し前の騒がしかった教室の空気が、一瞬で凍りついた。


 入り口に立っていたのは、銀髪をなびかせた学園の『氷姫アイスドール』――天ノ川美鈴だった。普段なら自分の教室から一歩も出ないはずの天才が、何食わぬ顔で歩を進めてくる。


 クラス中の視線が彼女の動きを追う中、美鈴は迷いのない足取りで、窓際の僕の席の前でピタリと足を止めた。


「高丘くん。ブドウ糖の補給源を要求するわ」

「……へ?」

「理解力が不足しているわね。……今日のお弁当。家でもらうのを忘れたわ。だから、受け取りに来たの」


 その瞬間、教室のあちこちから「え?」「嘘だろ……」という動揺の呟きが漏れ始める。


「おい、高丘!」


 真っ先にすっ飛んできたのは、やはり学級委員の長谷川だった。彼は血相を変えて、僕と美鈴を交互に見つめる。


「お前、天ノ川さんに……弁当まで作らされてるのか!?」

「いや、これはその……」

「なんてことだ! いくらエグゼクティブなんとかマネージャーとしての雇用契約があるからって、お前は天ノ川さんの貴重な時間を奪うだけでなく、食事の用意という恋人のような……もとい奴隷のような労働まで強いられているのか!? なんて羨ま……いや、けしからん! 」

「ところどころ邪念が混ざってなかった?」

「そんなことはどうでもいいんだよ! 天ノ川さん、こんな男の作ったものなんて不衛生です! 今すぐ俺が購買の焼きそばパンを――」


 長谷川の必死の訴えに、美鈴は冷徹極まる視線を向けた。


「何くん、といったかしら。君のその前時代的な衛生観念と、焼きそばパンという炭水化物の塊を推奨する知性には目眩めまいがするわ。……勘違いしないで。これは彼の業務の一部よ」


 美鈴はツンと唇を尖らせ、教室の全員に聞こえるような声で言い放った。


「私の脳に最も効率よくブドウ糖とアミノ酸を供給するための、これが最適な配給ディストリビューションなの。私が彼のスキルを搾取しているだけであって、君たちが同情したり羨望したりするような余地は一ナノメートルも存在しないわ。……ほら、高丘くん。早くしなさい。私の血糖値が低下を始めているわ」

「いや、渡したって今食べるわけじゃないですよね。お昼のお弁当ですよ、これ」

「いいから早く」


 有無を言わさぬ女王様モード。


 僕は苦笑しながら、カバンから美鈴用のランチボックスを取り出し、彼女の手元へと差し出した。


「はい。今日のディストリビューションです。ちゃんと残さず食べてくださいね」

「……当然よ。食べ残しの発生は経済的損失だわ」


 美鈴は小さく鼻を鳴らし、弁当箱を受け取ると、翻って教室を去っていった。


 残された教室には、僕に対する圧倒的な同情の空気が満ちていた。


「高丘……お前、本当に大変だな……」

「完全にパシリじゃん……」

「天ノ川さん、綺麗だけど怖すぎるだろ……」


 もはや長谷川すら哀れみの目で僕の肩を叩いてくる。彼だけは微妙に嫉妬の色が混ざっているような気もするが、さすがに思い違いだろう。


 周囲は、僕のことを冷酷な天才に虐げられている苦労人だと完全に誤解していた。


 だが、僕だけは見逃さなかった。


 僕の手から弁当箱を受け取った、あの瞬間。美鈴の指先が、嬉しさを隠しきれないように微かに弾んでいたこと。そして、教室を出ていく彼女の背中が、どこかステップを踏むように弾んでいたことを。


(……天ノ川さん、たぶん今日はわざとお弁当を忘れていったんだろうな。学校でお弁当を渡してもらうっていう、このシチュエーションがやりたかったのか……)


 周囲の的外れな同情の視線を浴びながら、僕は一人、昼休みに彼女が見せるであろう表情を想像して、小さく息を吐いた。

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