狂いきれぬ老兵
イネス王国の東部に位置するヒュードル平原にて、二万にも満たない我らが軍が退けたのは三万の帝国軍に加え、横槍を入れてきた公国すらも撤退させた事実に兵士たちの士気は上がりつつあった。
日が完全に沈み喜ぶのも束の間、疲れ切った兵士たちが無理矢理にでも味のしない食事を胃の中に入れている頃、彼等の上官たちは気の休めぬ作戦会議に精を出していた。
東境界基地から一人離れたリベリアはオルビルに指揮を任せ、窮屈な席に座り眺めているは退屈な場。
作戦本部として利用している年代物と言うに相応しい古びた砦の一室で長机を囲う八人、苛立ったよう片足を揺する一人を除き静寂に近しい空間に破裂音響く。
――バァンッ!!!
「援軍が来ないとはどういうことだ!!」
声を荒げたタドル・フリックス准将は自身の怒りをこれでもかと、甘いマスクのような優男の風貌を歪ませ俯く――カイル・ミヘラス中佐へと一心に睨みつける。
「帝国や公国すらも退けたのだぞっ!なぜだ!」
戦況が更に混乱を極め、援軍をと二日前に首都へと送り出した部下の知らせにタドル准将の心は余裕を無くし、ただ怒りを撒き散らす事しか頭にない。
「どこの戦場も余裕があらず、追い返された次第で…」
「落ちこぼれとはいえ貴様はミヘラス公爵家の人間だろうがッ! なぜ無理矢理にでも連れて来なかった!!」
「…ぼ、僕は」
「戦闘も知恵も使えぬ役立たずめッ!!貴様など…」
「――タドル准将、そこまででよろしいかと」
低く、しわがれた声で怒声はピタリと静まり、室内の雰囲気をひと声で変えた男は色素が抜けた白髭を撫でながらタドル准将を射抜くよう見つめていた。
服の上からでも分かる筋肉の盛り上がり具合からは六十を越える齢を感じさせないほどの力強さを醸し出している。
戦場で頼りになり、強さと優しさを兼ね添えた男の名はケイオス・ヴァルニール――上層部さえも頭が上がらない程に長く戦場を渡り、護り抜いて来た兵士。
「だがなっケイオス大佐!」
「日が出ると同時に戦況は動きだします。援軍が来ないとならば再配置を考えなければなりませぬ」
「そ、それは…ぬぅ」
静まり返るこの場に低くも長いケイオス大佐のひと呼吸に、士官たちの意識は惹き込まれる。
睡魔と退屈に呑まれそうだったリベリアも意識を強引に覚醒させ、地図だけを眺めていた視界をケイオスへと向けた。
「儂はカイル中佐とミナ少佐を連れ、西境界基地から攻め込もうと思うのだが…任してよいか、リベリア大佐」
「「「「!?」」」」
この戦争では常に守りを徹していた彼が敵地に乗り込もうとする宣言に皆一様、驚きを隠せない。
気持ちを抑えきれなくなった数人ばかりが勢いよく立ち上がり、軍の士官とは思えぬほどの狼狽えを見せる。
「なりませぬッ!あなたが突撃なんて…」
「芳しくない戦況とはいえ急ぎ過ぎかと!」
「儂はリベリア大佐に聞いている」
「「ッ…!!」」
未だ狼狽えるタドル准将を他所に提案を出したケイオス大佐の視線は周りを巻き込み、リベリアへと向けられる。
「…いかほど保たせれば」
「半刻ほど、だ」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
会議を終え、士官たちは淀んだ空気を纏い、疲労露わに部屋を出て行く。
目線を降ろし、机上に散らばり細かく書き記された何枚もの用紙には、備蓄に関する資料や自軍の兵士たちの様子などが記されている。
今更こんな事を議題に挙げた所で何も実現出来ない、ただ休息に差し支えるだけの鬱陶しい内容だが、上官として頭に入れて置かざる負えない。
(議題しか出さんハゲ准将が…)
心の内で悪態を吐き、煩わしい資料を集めていれば、誰よりも淀んだ空気を纏うカイル中佐に目がいってしまう。
束ねた資料片手に歩き出す先はカイル中佐の隣座席――無遠慮に腰を下ろせば、話し掛ける訳でもなくただそこにいる。
先程内容を確認したはずの資料を読んだふりで装い、上手く声が出ない喉から伝えたかった言葉を吐き出す。
「……」
「アレ等を相手にしたんだ、よくやったと思うぞ」
「……リベリア大「抱擁はいるか」…佐」
「「……」」
「はぁ…その絡み、止めた方がいいですよ」
「む、男の子には刺激が強かったか」
「…何も出来なかった事実に項垂れさせてくださいよ」
慰めの言葉でも掛けようと思ったが、つい気恥ずかしくてひと言付け足したのは、仕方あるまい。
私なりの冗談のつもりでもあったんだが…カイル中佐にはセクハラ紛いな事をする上司に思われているようだ。
「……空気を変える良いひと言だと思ったのだが」
「普段無口な貴方から発言したのが、コレ?ってなるんです。 格好いい大佐が行方不明ですよ……」
「……ま、元気がでたろう?」
顔を背け、拗ねたようにそっぽを向くのが構いたくなる原因だと――まるで故郷の孤児院にいる男の子だ、というのは心の内に留めて置こうと思う。
こちらを向かないゴワつく金髪を縦横無尽に撫で乱し、慌てている内に資料の束をさり気なく重ね、抗議の声が聞こえないフリをして会議室を出る。
「どこも冷えるものだな…まったく」
吹き付ける風は無いにしろ肌寒い通路に身を震わせ、どうせ会えるだろう人物の元へと階段を昇って行く。
砦上部にそびえ立つ、今でも使われていない塔を昇りきったリベリアは最上階に繋がる一枚の木扉を開ける。
途端に緩やかな風がほどよく自身の肌を撫で、夜の星空広がる視線の先には砦塀に佇む大柄な男の背中、オイルランプの淡い明かりが煙草の白い煙を目立たせる。
靴音を鳴らし、男の隣へと歩いた体は砦塀に手を掛け雲一つない夜空を見上げ、男の言葉を静かに待つ。
「歳を取り過ぎたのう…身体が思うように動かぬわい」
作戦会議の時とは裏腹に声や姿に覇気が無く、疲れた表情の横顔は兵士ではない一人の老人で無情にも弱々しい。
たかだか数年でも出会った頃の覇気溢れる姿と比べれば一目瞭然だと、リベリアは寂しさを抱いてしまう。
「…半刻を過ぎれば駆けつけますよ」
「名だたる敵兵を前にか?そんな暇などありゃせん」
「……」
「お主は敵に集中せい、気を抜けば死んでしまうぞ」
前線を支える拠点を潰され、戦況が崩れる焦りを覚えた奴等は主力部隊を前線に配置している。
王国からの補給も援軍も来ないとすればこちらが猛攻を耐えられる日数は限られてしまう。
言ってしまえば敗戦、今日までに積み上げた仲間たちの死が無駄と思えるほど呆気なく負ける。
命がけで守ってきたこの年月は何だったのだろうと、嫌でも考えさせられてしまう。
やるせない――そんな気持ちがこの男の心を占めているのかもしれない…自分自身がそうであるように。
「ミナとカイルの魔力譲渡で儂が全力で暴れられる時間は半刻ほど、それまでには大半の指揮官を討ち取る」
「…ご子息が寂しがります」
「…それでも儂の覚悟はとうに確定しておる。このまま押されるだけというのはどうも…気に食わんのでな」
「……」
死ぬのを前提としたこの作戦で、戦況が動いてしまうのは紛うことなき事実だと…それを受け入れざる負えない状況だというのも、実に歯がゆい現実だ。
頭も回らず、ただ敵を殺すことしか出来ない私に彼を説得させられるだけの言葉など、分からない。
「…重く考えなくていい。気楽になれ」
「…」
「明日は頼むぞ」
「…全力を尽くします」
「うむ。それとあの馬鹿息子のことは気にするでない、気狂いに陥ったようにも見えるがあ奴は冷静だ」
「ええ」
「儂が育てたのだ、狂いたくても狂えぬだろうよ…」
「…まぁ、戦闘狂はケイオス殿の受け売りですからね。面倒を見る此方の苦労も知っていると思いますが?」
「ブフッ、そ、それについては非常にすまぬと思っとるともっ!! 面倒をかけるがあ奴の事を頼むぞッリベリアよ! ガッハッハッハ…!!」
真面目な話を忘れ、腹の底から笑い声を発し吸いきった煙草を踏み消すケイオスは…久しく見なかった笑顔のまま、その場から去って行ってしまった。
話し相手が居なくなったことで地上から離れた塔の頂上は生き物の気配を感じず、静けさがよく際立つ。
この世界に来てから見慣れるようになった二つの月を眺めながら、明日に思いを馳せるが。
「盗み聞きか?…ミナ」
「不可抗力、先に居たのは私なのに」
暗闇から姿を現したのは茶髪を二つに結う髪型が特徴的な少女が、不服そうな表情を浮かべながらも現れる。
小さな歩幅で近付いて来るこの少女が、ひとつの魔導部隊を束ねているとは到底思わないだろう。
「ケイオス大佐、気付いてなかった…もしかして、衰えた?」
「…そう感じるほど、実力が上達したのかもな」
「……すごい?」
「ああ」
目の前に来たミナは勢いよく人の腹めがけ顔を押し付けると、腰に手を回し力強く抱きしめる。
すんすんと匂いを嗅いだかと思うと顔を左右にと擦り付け、いつものが始まったなと思いながら頭を撫でる。
戦場に駆り出されて間もない頃、魔力切れで敵兵に殴られている所を回収してからと云うもの、妙に懐かれてしまったようだ。
時折出会っては抱きついてくる彼女の行動は寂しさの現れなのか、こちらとしてもされるがままにしている。
「明日、大半の敵はこちらが惹きつける。焦らずカイルとともに安全地帯に下がるように」
「うん……リベリアも死なないでね」
「私の心配とは…余裕だな、このちみっこめ」
若々しく柔いミナの頬を揉みしだくと恥ずかしそうなうめき声をあげ、抵抗とばかりに人の腰を叩きだす。
お腹から顔を離したミナは自身のポケットに手をいれると、取り出したものを人の手の中へと握らせる。
中身を確認する暇もなくミナは抱擁を解き、立ち去ろうと離れたミナは一度振り返ると小さく手を振る。
「またね」
返事を返す暇を与えないまま、少女の背中は消えていく。
手のひらを開ければ、そこには軍で支給されている梱包された飴が乗っかっていた。
梱包を開け、飴を口に放り投げれば少しのレモン風味が口の中に広がるが、その味もすぐに消えてしまう。
味のしない飴を口の中で転がし、静かで心地いいこの場を離れて行く。
――誰も死なないことを祈りながら




