ヒュードル平原前線
魔法による破裂音や人間の悲鳴、恐怖を拭おうと己を鼓舞する叫び声――一度息を吸うと、香るのは血と糞尿が入り混じった脳裏に響く匂いが鼻を刺す。
女性にしては大柄で身長のデカい身体を窮屈で死体散らばる塹壕内の土壁に背中を預ける。呼吸するたびに血を吸った前髪が揺れ動くおかげで額がこそばゆい。
血に塗れた手を使い、前世とは違う暗い金髪をかき上げると頭の後ろに纏めた髪の毛から血の水滴が滴る。
血で貼り付く深緑の軍服を身に纏い、士官のコートを羽織る自分の姿は人の肉片を付着させ、酷く汚らしい。
「呑気な異世界旅を期待していたが……」
無垢な幼少期に思い描いていた異世界での生活は、イネス王国とベスニア帝国との戦争によって敵兵を屍に変える地獄のような日々になってしまった。
イネス王国領の辺境にある孤児院に生まれ約二十年、そこまでは穏やかで静かな生活を享受していたが今ではこの有り様だ…地獄の戦場生活も四年を過ぎる。
塹壕に隠れ、ひと息ついている己の頭上を飛び交うは、当たれば身体の一部が吹き飛ぶ苛烈な魔法の数々。
そんな恐ろしいモノをベスニア帝国の連中は狙いを定めもせず、牽制目的で一日中絶やさず撃ち込んでくる。
人材も、金も、数でさえも自国のイネス王国より豊富なんだとこの戦場で戦っていれば嫌でも理解していく。
とはいえ、いつまでもこんな所でじっとしている訳にもいかない。鬱憤溜まる気持ちを落ち着かせ、部下達のためにも魔法の雨を止めに行かなくては。
戦場で四年もの付き合いをしている巨大な斧槍を片手に、地面を蹴り塹壕から飛び出る。
もはや扱い慣れた身体能力で地上から高く飛び上がると、眼の良い魔法師の連中は自分を捉えた途端に狂ったよう名前を叫び、魔法の矛先をこちらに向けてくる。
「崩雷のリベリアだァァァ゙ァ゙ッッ!!!!」
「標的変更ッあの女を討ち落とせぇッ!!!!」
地上から放たれた火球は上から見下ろす大地を彩り、無数の火球が自分一人へと迫り来る。これ以上火球の弾幕を張られる前に、斧槍の先を魔法師達へと狙いをさだめ――雷の魔法を纏いて落ちる。
近付く火球は斧槍から放たれる青白い雷で打ち消し、速度が衰えることなく標的へと一本の落雷となる。
「何だよアレ…」
「クソったれッ障壁はまだなのかよ…!!」
「駄目だ、駄目だァァ!!」
「こんなの…ま、間に合わ……」
全ての重さを乗せた一撃は中途半端な障壁と魔法師の一人を頭から貫き、轟音響かせ大地を砕き降り立つ。
バチッバチッと衝撃波に雷が合わさり、彼女の周囲に高出力の雷撃が飛び散る。
「「「「「ァ゙ァ゙ァァァァ゙アアッッ!!!!!」」」」」
衝撃波と雷撃で周囲の魔法師は肉体を焼かれるとともに身体が千切れ、無残に飛んでいく様子を視界に捉えながら…斧槍に魔力を籠めて魔法を展開する。
「爆ぜろ」
地面に埋もれた斧槍の先から青白い雷が溢れ、雷が空気を切り裂く音が鳴った次の瞬間――青白い雷が大地をうねるよう迸る。
雷は大地を貫くように周囲の地面を隆起させ、地形を変えるとともにベスニア帝国の連中を焼き殺す。
「避けっ…あがががッ」
「ァ゙ァ゙ッ、ァ゙ァ゙ァ゙ッ…!」
「あア゙ア゙ア゙ア゙…目がァ゙、目がァ゙ア!!」
肉が焼け焦げる匂いが立ち昇り、あれだけ鼻の奥にこびり付いていた血の匂いが薄らぐ。未だに周囲の悲鳴は止まらず耳の奥まで鳴り響くなか、突如――空気を揺らす音が上空から迫りくる。
「リィ゙ベリァ゙ァァァ゙ァ゙ッッッ…!!!!!」
大柄な鎧姿の男が叫び、大剣に風の魔法を纏わせた振り下ろしの一撃目掛け、更に強く雷の魔力を籠めた斧槍を渾身の力でかち上げ――風と雷が周囲を斬り焦がす。
「死ねぇッ!!!!」
「アルバ…!!」
大地は更に窪み、隆起が広がることも構わず目の前の敵を討ち破るために己の得物を全力でぶつけ火花を散らす。互いの魔力が高まり、もはやこの二人に近づいただけでも命を落とす戦場に誰も近寄りはしない。
アルバの大剣は重くのしかかり、少しでも力が抜ければ押し潰される。鍔迫り合いが続くなか展開している雷の魔力出力を減らし、身体強化を腕だけに展開する。
「しまっ!?」
「ふっ…!!」
大剣の刃先を滑るように斧槍の位置を無理矢理変え、重心がずれた大剣を弾き、仰け反ったアルバの横腹に雷を纏った斧槍の一撃を繰り出す。
「ぬゔぅぅッ゙ッ!!!」
咄嗟に大剣に防がれ甲高い音が鳴り響き、斧槍はアルバの横腹に届かずただ横へと弾き飛ばす。吹き飛ばされたアルバは身を翻して体勢を立て直し、離れた距離を詰め荒れ狂うように大剣を薙ぎ払う。
「ぐっ、今日こそ貴様を殺すッ…殺してやる!」
弾いた大剣が上段、下段、中段と常人には見えないであろう速度で己の得物と何度も何度も打ち合い続ける。
打ち合うたびに腕に痺れが伝わり、疲労が蓄積されるが微々たるもの。だが、膂力も速度も自分の方が勝っているはずなのにあと一手が足りない。
「ハアッ!!!」
「シッ…!」
大振りの一撃を大きく弾き、重心を崩したアルバの懐に突きを捩じ込む。
斧槍の一撃は剣身の真ん中を捉え、吹き飛ぶアルバの身体を目で追い、地面を強く蹴り上げる。雷の魔力を高め、飛ばされたアルバ目掛け突っ込む。
「ぐぅッッ!!?『嵐壁』ッ!!」
凄まじい暴風の如き竜巻がアルバの周囲に展開され、攻守一体の技を前に斧槍を構え直し力強く大地を踏み込み魔力を籠めた一撃を放つ。
「ッ邪魔だ!!」
斧槍の一撃は竜巻を斬り払い、アルバへと距離を詰める――が、突如帝国の前線基地から巨大な爆発が巻き起こり、爆風がこちらにも強く吹きつける。
爆風に怯み、つい足を止めてしまった隙を突かれ、アルバは後方に飛び上がり斧槍の間合いから離れた。
「…あれは」
砂埃が舞い上がり押し出されるような風圧に戦場にいる者は争いを止め、唖然と立ち昇る黒炎を見てしまう。
「なッ、前線基地が…!?」
アルバの声に爆破に向けていた意識が移り、隙を晒していることに気付く。自国の惨状に意識が向いている今ならコイツの首を取れる…柄を握り締め、魔力を籠めようとした瞬間。
「リベリア大佐急ぎお戻り下さいッ!東側の境界基地がザイラード公国に攻められています!!」
「ッ…!」
自分を呼びかける声に反応して、アルバはこちらを横目に憎々しげな表情でその場から去って行った。
肌がピリつく気配が遠ざかり斧槍を地面に降ろし声主へと振り返ると、壮年の兵士を先頭に十人の部下を引き連れて立っていた。
一人残らず鉄兜や深緑の軍服が血に塗れ、全員の表情には疲弊が浮かび上がり今にも倒れそうだ。
「お前達は?」
「…タドル准将にここを死守しろと言われました」
指令というより死の宣告を受けて、彼等の瞳に光がない理由の大部分を占めているのだろうが、彼等にその役目を果たさせるつもりはない。
「後方の部隊と合流しろ」
「で、ですが…」
「上官命令だ」
「はッ、了解であります!」
吃るような男の返事に隠しきれない嬉しさが現れ、あれだけ絶望していた表情も幾分かマシになり彼等は駆け足でここを離れていく。
今居る後方には二つの中隊を残してある。厄介な魔術部隊も潰し、要となるアルバもいなければ防衛には事足りる。
「…ふぅ」
足に身体強化を展開し、東の境界基地へと駆け出す。魔力量にも余裕があるが、強敵との戦いに参戦できる余力を残しながらその場を急ぐ。
「王国の犬がッ!死ねッ…!!」
「人間の皮を被った化け物め…!!」
「ひっ…や、止め…!!」
時折襲い来る敵兵の身体を真っ二つに斬り裂き、貫き、潰し、目の前に立ち塞がる障害を死体に変える。
境界線先のベスニア帝国の連中も状況の伝達が上手く伝わっていないのか陣形が崩れ、イネス王国の兵士達が押しているようにも見える。
とはいえ、公国に東境界基地を奪われてしまえば挟まれて終わりだ。しかし、あそこには三千に迫る部隊が居たはず、公国はそれ以上の兵力だというのか…。
「…?」
目的地まであと少しという所で、同じく士官のコートを羽織った大柄な男――オルビル少佐が大声で自分の名を呼び、並走してくる。
黒の短髪は血に塗れ、滴る血が悪人面をさらに強調させている。
「おい、リベリア!こりゃどういうことだ」
「公国の邪魔が入ったとしか分からない」
「クソッ!もう少しで氷姫を殺せたのによ」
苛立ったように声を荒げるコイツは、同期に入隊してここまで生き残った戦友。二刀の手斧を使い、荒れ狂うように戦う、頼もしい奴だ。
歴戦の戦士という顔をしているが、こう見えて私と同い年だ。お互い二十四歳というのを聞いた者は、疑いの視線を向けてくる。
「こっちは斬風だった。よく当たる奴だ」
「ガハハハッ、あいつはお前にお熱だからな!」
「…仇としてな」
戦場にも構わず他愛もない話をしていると、公国の旗を掲げた大隊規模の集団がイネス軍と争いながら魔術で城塞の壁を壊すのが見えた。
千にも昇る軍勢は城塞を囲み、壊れた城壁を通り抜けようとしている。籠城する自軍の危機的状況にさっきまでの雰囲気は消え失せ、目の前の敵を殺す準備を整える。
「公国の奴等、いい感じに纏まってやがる」
「やるぞ」
「おうよ!!どデカイのぶつけてやるぜッ」
全身の筋肉に魔力を張り巡らせるよう、さらに身体強化を施す。一歩踏み出すごとに地面を窪ませる力と速度が乗った身体で、敵軍目掛け飛び上がる。
公国の連中を見下ろせるほどの高さに昇り上げ、馬に乗った指揮官と思われる派手な鎧男目掛け、重力に沿った今日一番の落下攻撃をお見舞いする。
「正義は公国にあり!雑兵を薙ぎ払……え?」
上を見上げた指揮官の顔が弾け、凄まじい圧に身体の肉片が飛び散り――地面が割れ、衝撃が辺りに広がる。
小隊規模の人間の四肢と血液が土埃に混ざり、衝撃を免れた他の部隊へと打ち付けるよう飛び散る。
「れ、レイビス伯爵が!!」
「腕が…俺の腕がぁ…!」
「いでえッょお…何も見えね真っ暗だァ゙ぁ!」
群がっていた公国の兵士は自分を中心に大きな人間の輪が出来上がり、地面に寝転ぶ数は七十はいくだろう。
一瞬で起こった死体の惨状に兵士達は槍を構え震えていると、近くにもう一つの轟音が鳴り響き、兵士がゴミのように千切れ飛ぶ。
「さぁさぁ!殺し合いの再開といくぜぇ!!」
公国の兵士に遮られて見えないが、楽しそうに声を荒げているのは間違いなくオルビルだろう。雄叫びと悲鳴が入り混じり始めた戦場に斧槍の柄を握り締め、青白い雷を斧槍に纏わせ城壁側を薙ぎ払う。
壊れた城壁に群がる兵士を吹き飛ばし、迫り来る敵を一人また一人と切り捨てる。
「リベリア大佐とオルビル少佐だ!!」
「崩雷と戦鬼が来てくれた…やった、やったぞ!」
「命懸けでここを通すなッ、気張れお前らァ!」
「「「おうッ!!!!」」」
何やら城塞が騒がしくなったが、今は目の前の対処に忙しい。下からの突きを反らし、がら空きの腹を斬り捨て近くの三人を袈裟斬り落とす。頭を斬り裂き、胴体を斬り裂き、武器を持つ腕を切り飛ばす。
「きゅ、弓兵放てぇッ!!」
離れ遅れた一人の兵士を片手で掴み上げ、固まっている弓兵達に放り投げる。鎧の重さか、真っ直ぐに飛んだ兵士は弓兵を四、五人巻き込みながら陣形を崩す。
まばらに飛来する矢をはたき落とし、弓兵達のもとに駆け寄り一振りごとに複数人の身体を切り裂く。
「ふッ…!!」
円を描くように高速で二回斧槍を振り回し、分隊規模の胴体を切り離す。残った下半身から血が噴水のように噴き出し濃密な血の香りが辺りに漂う。
肩に乗せた斧槍から血が滴り、剥き出しの土が見えないほど足元が血の池に染まる。そんな赤く染まった自分に公国の兵士達は怯えながら、徐々に後退していく。
「魔導隊構え…!っ撃てぇぇッ!!!!」
恐怖に染まり、周囲の兵士が引いた途端に魔法が絶え間なく撃ち放たれた。正面の空が数多の魔法で溢れかえる状況で冷静に斧槍へと雷を籠める。
「…馬鹿が」
斧槍から青白い雷が迸り、身体強化と雷魔法の出力を引き上げ、掲げた斧槍を振り下ろす。
まるで、線のような落雷が全ての魔術をかき消した次の瞬間――雷鳴鳴り響き、三百の兵士が焼き崩れた。
「う、うわァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ッッ!!!!!!」
「嫌だ!嫌だ!死にたくないッ」
「退却ッ退却だ!」
誰だか分からぬほど黒焦げになり、肉体が崩れ散る仲間の姿に限界に近い理性を刺激されたのだろう。あれだけ居た兵士は半分以下に減り、武器を投げ捨て公国の方角へと一目散に逃げ出す。
人間の壁が消えると、大柄な男が一人――オルビルが軍服と双斧に血を滴らせて不満そうな表情を浮かべていた。
大方、骨のある敵兵がいなかったのが不満なのだろう。今日も帰ったら基地の酒を飲み始め、長々と愚痴を垂れ流して付き合わされるのは確定だ。
「公国が逃げて行くぞ!」
「俺たちの勝利だッ!」
「生きてる…俺は生きてるぞ!」
「あの二人が来てくれたおかげだ…」
勝利の雄叫びを上げ、軍人達の喜びの声が辺りを埋め尽くす。一つの脅威が去ったことに嬉しくないことはないが、自分の気分はそこまで盛り上がれなかった。
「…はぁ」
大勢を殺すたびに微かに残った理性がすり減るような気がする。公国の連中を四百人近くは殺したが、これまでの戦場で殺した数はそれの倍以上を上回る。
もはや人を殺して何も感じない日が来たら、そろそろ自分も壊れてきたということだろうか。
リベリア
年齢 24
身長、188cm
体重、99kg
暗い金髪




