第2話:十二界・一万二千年の修行
気がつくとカイは、異世界の神秘的な空間に立ちすくんでいた。
——殴られてでも抵抗して、あの部室に入らなければ、こんな事にはならなかったのに。
カイは過去を振り返りながら、絶望と後悔を繰り返していた。
さっきまで学校の古びた部室にいたはずなのに、目の前には見たことのない、まさに異世界の光景が広がっている。
呆然としているなかで、頭の中に冷静な誰かの『声』が響く。、
その声は、この場所が『神の資格』を得るための修練の場だと告げた。
——最長で、一万二千年。
たった今、頭に響いた声が告げた数字が、ぐるぐる回って止まらない。
荘厳な神界のど真ん中で、カイは呆然と立ち尽くしていた。手が、じっとり汗ばんでいる。
「最長ってことは、もっと短くなることもあるってことだよね?」
『うむ。出口を塞ぐ壁に、君ひとりが通れるだけの穴を、ひとつ空けることが出来れば……君は修行を終えて元の世界に戻れる』
「あ、穴ひとつ……? な、なんだ。それくらいなら——」
『出口は、あの壁の向こうだ』
カイがその方向を見ると空が、塞がっていた。
「え……出口? 壁?」
あるのは果ての見えない高さまでそびえる、漆黒。
一片の隙もなく、光すら吸い込んで、ただ"動かぬもの"としてそこに在る。見上げるだけで、首が痛い。
「な……なにこれ。崖? 山?……壁じゃないよね……?」
恐る恐る漆黒に近づくカイに、声が、静かに付け足した。
『私も、これほどの巨大な壁は初めて見る』
「…………は?」
触れずとも、わかる。これは絶対に、動かない。絶対に、壊れない。
少なくとも、人間の力でどうこうできる代物じゃない。
『壁の強度は、挑む者の"耐える力"で決まる。つまり我慢耐性の応じて——壁は厚く強大になる』
「なんで、ボクの壁だけこんな……」
『それは君の"耐える力"が、人類のなかでも桁外れに高いということだ。ゆえに君の壁は——過去のどの挑戦者よりも、分厚い』
「え……、ボクどれくらい修行すればいいの?」
『うむ。これに穴を空けるには神に匹敵する修練が必要かもしれぬな』
「ボクが神に……無理だよ、無茶だよ、ありえないよ」
『いいや。神となるための修練強度で十二界すべてを修めれば、君は神に匹敵する力を得ることになる』
「それって、何年かかるの?」
「一界ごとに、千年。すなわち——』
「いちまん、にせん、ねん……!?」
『そうだ』
「最長じゃん! ていうかその前に寿命が尽きるよ!」
『いいや。ここでは歳をとらん。精神が耐えうる限り、無限に修練を積むことが出来る』
がくん、と膝が落ちた。
「な、なんでボクだけそんな……! ふつう、もっと薄いんでしょ、その壁!?」
『誇るがいい。だからこそ君に『神託』が降ったのだ』
——それは、あまりにも、皮肉な話だった。
殴られても、嗤われても、ただ嵐が過ぎるのを待つように、うずくまって耐えてきた。
その"耐える力"だけが、この少年が人生で唯一、誰にも負けたことのないもので。
「は、は……。こんなの……ちっとも、嬉しくないよ……」
我慢強さ。たったひとつの取り柄が今、目の前に、世界一分厚い"絶望の壁"となって、そびえている。
再び『声』が語りかけてくる。
『さて、まず最初は12000年の鍛錬に耐えうる基礎体力づくりから始めてもらう』
「き、基礎体力づくり……?」
拍子抜けして、カイは目を瞬かせた。
神だの、世界一の壁だのと散々脅されたあとで——まさかの、いちばん地味なやつ。
「な、なんだ……腕立てとか、走り込みとか、そういうの? それくらいなら、ボクでも——」
『うむ。その基礎体力づくりに――千年をかける』
「…………せ、せん、ねん!?」
声が、裏返った。
「た、ただ体を鍛えるだけで、千年!? 嘘でしょ!? 人間、百年だって生きないんだよ!?」
『言ったはずだ。ここでは、歳をとらぬ』
「そ、そういう問題じゃ……!」
その瞬間、漆黒の壁の手前に、十二の世界が、一望に展開した。
吼える嵐の大地。獣がひしめく原生の森。燃えさかる山。凍てつく海。星のめぐる天……。
そのひとつひとつが、まるごと一個の"世界"だった。
一界:基礎体力づくり
・肉体の限界を超える持久力・筋力を養う
二界:動物との融合
・動物特有の鋭い感覚(視覚・嗅覚・聴覚)を身につける
三界:自然との調和
・風・火・水・地と調和し、エネルギー操作を習得
四界:知識と知恵の習得
・神話・戦術・歴史を学び、高度な知識と戦略眼を養う
五界:精神と魂の鍛錬
・幻覚や恐怖に耐え、強靭な精神力を得る
六界:空間認識と瞬間移動
・空間を自在に認識し、瞬間移動能力を習得
七界:エネルギーの吸収と変換
・周囲のエネルギーを吸収・変換し、攻防に活用
八界:攻撃技術の極限化
・近接戦・遠距離攻撃・霊的攻撃など多彩な戦闘術を習得
九界:治癒能力の獲得と肉体の再生
・細胞レベルで自己再生する治癒能力を身につける
十界:未来視と予知能力
・宇宙の理を知り、戦況を予知し、先を読む力を得る
十一界:創造と破壊の力
・物質創造と存在消去の力を操る
十二界:神の心と意思の獲得
・神としての使命を悟り、究極の覚醒を果たす
「1000年が12項目!?え、えええええっ!?わぁぁぁ!無理だ無理無理、人類の文明だってもっと短いだろ……!」
『声』はカイの驚愕をまったく気にせず、淡々と続ける。
『君は歳を取らないが、修行で得た体力、知性、精神は、しっかりと蓄積されるから心配はいらない』
「いやいやいや、そんな問題じゃないですよ!12000年もこんな意味不明な修行をしてたら、絶対に頭がおかしくなる!」
すると、『声』はカイの嘆きに対して少し考え込んだように答えた。
『君はストレス耐性においても人類で最大値を持っている。基礎能力はすべて平均以下だが、ここで重要なのは耐える心だ。問題はない』
ぐらり、と眩暈がする。
——ただ走って、鍛えるだけで、千年。
なら、そのあとに続く、残り十一の世界は? それを越えた果てにある、あの壁は——?
想像しようとして、追いつかなくて、頭の芯がしびれた。
『案ずるな。一界ごとに、君は確実に、人間を超えてゆく。十二すべてを修めたそのとき……ようやく、あの壁に手が届く』
「……ぜんぜん、納得できないよ……」
眼下で、最初の世界の風が、ごうっと吼えた。
帰り道はない。助けも、来ない。たった独り、誰も見ていない世界で。
ただの気弱な高校生だった少年の、"たかが基礎体力づくり"にすら千年を費やす、途方もない一万二千年が――いま、始まった。
(つづく)




